ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

続き。残すに値しない作品を処分するのはしかたがないにしても、100号の木枠を欲しがる人が見つからないのが残念でならない。すでにキャンバスを剥がした10本近い木枠があるので、キャンバス剥がしを止め、木枠ごとの焼却処分を決めたというわけ。それなりの金額のものだったのでお金を燃やすようなやり切れない気持ちになるけれど、これも片付けと諦めよう。でも、もったいないな。19-10-16

 

続き。30代から40代にかけては100号サイズの絵画作品を中心に描き続けていた。残念ながらその当時はこんな事態になるなんて想像だにせず、キャンバスも木枠もほとんど新しいものを使った。増えるのは自分が真剣に取り組んでいる証のような気がしていたのだ。今頃になってそんな幻想に気付くなんて何とも情けない。そして、木枠からの旧作のキャンバス剥がしも途中で止めることに。19-10-15

 

列車とバスを乗り継ぎ隣町のアトリエへ。すると、両方の運賃がしっかり値上げされていた。列車は450円が540円と90円も高くなり、バスは300円が310円に。バスの方はしかたない気もするが列車の90円は上がり過ぎ。日常的に使っている人は負担が増えてたまらないだろう。アトリエでは作品の整理を兼ねた処分に没頭する。制作当時の熱い思いを考えると悲しい気持ちになった。19-10-14

 

ありがた迷惑と幕の内弁当のふた。幕の内弁当を食べ終り返却棚に戻すときにふたをするのは礼儀的に正しいように見えるけど、片付け作業をする人からすると二度手間になりありがたくないらしい。だから自分はしていない。いつも幕の内を食べている市役所の食堂ではおよそ3割の人がふたをしている。同様に旅館の朝に布団をたたむのもそうだという。これは、最近それを知るまでやっていた。19-10-13

 

かつてほどの威光はないにしても三越のブランド力はまだ顕在のようだ。今回の教室展に出品したひとりが本州の人へ展覧会場のギャラリーは三越の向かいにあると伝えると「そんなすごい場所でやってるの」と驚かれたという。札幌の三越は今は駅直結の大丸に集客力トップを奪われて久しいが、過去の長期に渡り三越前がずっと一等地だった。それは他の都市でも同じで中心街の象徴でもあった。19-10-12

 

続く。受賞したことはとても嬉しいけれど、単純に喜んでばかりもいられない。賞を与えられたのは過去の実績に対してであって、現在進行形の研究ではないのだ。そして、その成果 に至るまでには長年の努力の積み重ねがあるわけで、その期間も含めたらもっと以前からの集大成とも言える。ここで気掛かりなのはこれまで多くのノーベル賞受賞者が指摘し嘆いてきた現状の教育環境のお粗末さだ。19-10-11

 

ノーベル賞を受賞する人の雰囲気が似ている。とくに年配者にその傾向が強い。テレビで見て最初に感じるのは穏やかな印象なのだ。研究者が皆穏やかなわけでもないはずなのに、これはどうしてなのか。偉大なことを成し遂げた充実感と達成感がそうさせているのか、それとも、そういった性格だからこそそこに行き着けたのか。どっちも当たっているような気がする。とにかく嬉しいニュースだ。19-10-10

 

安春川沿いの並木もほんのり色付き始め秋の訪れを感じさせるが、10月中旬のわりには紅葉が遅いような気もする。それともこれがこの時季の風景だったのだろうか。気候変動が激しいおかげで季節感も随分狂わされて、今頃はどんな風景だったのか思い浮かべられなくなってしまった。異常が度々あると、どれが正常なのか見分けがつかなくなる。そのうち、異常が正常になってしまうのが怖い。19-10-9

 

あおり運転は非常に危険だし、自分本位であるのはまちがいない。しかし、中には理解に苦しむドライバーがいるのも事実。これからの例はすべて郊外の一般 道での体験上の話。何の変化もないのに一定の速度で走らず、必要のないブレーキをしょっちゅう踏む、追い越し禁止区域ではゆっくり走り解除になると同時にスピードを上げるなどなど。これらのドライバーも自分中心になる可能性がある。19-10-8

 

どうにも理解に苦しむ言葉がまた出てきた。それは「単純に嬉しい」。単純をそのまま受け止めると混み入ってないこと、そのものだけで他の要素のないことなどになるので、そうじゃない嬉しさは「複雑な嬉しさ」になるわけだ。「素直に嬉しい」もそれに対するものはどんな嬉しさなのかわからない。「卑屈に嬉しい」も変だし。嬉しさを素直に単純に表現するなら「すごく嬉しい」が一番いい。19-10-7

 

指導しているカルチャーセンターのふたつのパステル画教室と主宰している絵画教室の合同展が終了。6日間の会期だけど終ってみるとあっという間の感じがする。せっかくのお披露目の場がなくなる寂しさがそう思わせるのだろう。それでも、毎日4、5時間は顔を出していたのでそれなりに疲れも溜まり、ホッとする部分があるのも確か。個展のときと同じように反するふたつの思いが交錯する。19-10-6

 

10月に入っても暖かいというより半袖でちょうどいいくらいの暑い日が続いた。かつては、と書いてみたもののどれほど遡ればいいのかはっきりしない。少なくとも10年前にはなかった気がする。ましてや30年前や50年前、さらに子供の頃と比べたら雲泥の差だ。お盆を過ぎたら寒くて半袖は着てられないという思いをずっと持っていたはずなのに、それはもう遠い昔の話になってしまった。19-10-5

 

見た目だけでは判断できない光景。地下鉄での前の座席に座るふたりの年寄り男の態度にそれを見た。ひとりは大股開きでつっぱっている感じで足は両隣の席にはみだしていて、もう一方は膝を合わせいかにもおとなしそうな雰囲気だけど座る位 置は中途半端。そして、乗客が入ってきたとき、つっぱり男はすぐに足を閉じたけど、膝合わせ男は動かなかった。外見で判断してはいけない見本のよう。19-10-4

 

今度は3日後の復活。復活までの間隔が長くなったのはより重篤になったせいなのか。それはともかく、この間の『ひとこと』を急いで書き込む。しかし、これまで読んでくれていた人も途切れてしまったのを知って開かなくなった可能性は大いにあり得るから、この復活は伝わらないのかもしれない。それでもめげずに書き込んでいきたい。これから、こんなパターンを何度繰り返えすのだろうか。19-10-3

 

事件を起こした犯人についての知り合いの異なる印象に対して「どっちの顔が本当?」とテレビのキャスターが語るのは理解できない。どっちの顔も本当であるのは至極当然なのに、どうしてそれを認めないのだろう。程度の差こそあれ、どんな人間だって表と裏があるし、相手によって違う顔を持っているのも事実。優しさも厳しさも常に同様に振る舞えるわけでなく、一方に絞るのは無理がある。19-10-2

 

身の周りが変化するのはいい場合もあれば悪い場合もある。今回の移転は悪い方・・・。それにしても今年はたくさんの予期せぬ 出来事が重なり変化の多い年になっている。2月の車の故障に始まり、3月の廃車、5月には14年間いい付き合いだった隣人が引越し、9月には古いパソコンがダメになり、11月にはスーパーの移転。ここまでは悪いものばかりで、せめてひとつでもいい変化がほしい。19-10-1

 


 

すぐ近くにありとても助かっていたスーパーが11月に移転するという。徒歩圏内なのは安心したが、移転先はこの『ひとこと』で何度か触れた手稲山を見渡せる大きな空き地とのこと。スーパーが300メートルほど遠くなり不便になるのは辛いし、手稲山が建物に隠れてしまうのも残念だ。いずれ建つににしても住宅だと思っていてまさかスーパーとは。とにかく、環境も景色も変わってしまう。19-9-30

 

同じキーボードを打っているのに、これまでの『ひとこと』を打つときとはどこか違う感じがする。どうにもスムーズにいかない。それは、これまで長年慣れ親しんできた場所でないところに打つためかもしれない。例えば原稿用紙に書いていたものをノートに書くようなものだろうか。字数の感覚がつかめなくて、どう進め、どうまとめるかに迷いが出てしまう。早くこのスタイルになれなくては。19-9-29

 

いつまでも同じ話題ばかり書いているのもよくないので、日常に戻そうと思っていたらまたまた起動しなくなってしまった。まだもう少し振り回されそうだ。9月も後半に入りどんどん寒くなるのかと思いきや暑さはぶり返して23℃や24℃の日が続いている。気温の方も気まぐれで先が読めない。こちらは地球規模の問題で、温暖化の影響による気候の変動はますます大きくなっていくのだろう。19-9-28

 

パソコンが復活してくれたのはすごく嬉しいとはいえ戸惑いもある。こうなると、まだ大丈夫なのか最後の頑張りなのか、どっちを信じていいのか迷ってしまう。どこで断念すればいいのかもわからなくなるのだ。今回の復活は一日置いてからのものだけど毎回同じになってくれるとも限らない。パソコンは高度なだけに微妙で繊細だと言われるのもよく頷ける。まだしばらくこの迷いは続きそうだ。19-9-27

 

奇蹟の復活。ほとんど諦めたはずなのに、未練が残り一抹の望みを持って起動ボタンを押してみたら、何ときちんと反応して起動が始まったのだ。だめもとの気分でやったから嬉しさより驚きの方が大きかった。どうして復活したのかはまったくわからない。とにかく焦るように途絶えていた日の分を書き込んでいる。この間、ちゃんと書き溜めておいたのが役立った。でも、これから先は見えない。19-9-26

 

さらに続く。他の人に読んでもらえない寂しさはあるけれど、ここまで継続してきたものを断ち切るのも悲しいので、少なくとも毎日欠かさず書いてまるまる20年になる21年の12月31日まで続けたいと思う。これは意地だけでなく、自分の頭をしっかり使ってあげるためにもそうしたい気持ちが強い。最近は30分ほどになったとはいえ、自分の考えや思いをつづる貴重な時間になっている。19-9-25

 

続く。頑張ってくれたのはパソコンだけでなくモニターもそうだった。これも何度か調子が悪くなり心配なときもあったが何とか乗り越え、最終的にパソコンよりも長持ちしてくれた。20年前のモニターは今では信じられないほどの大きさで、縦横は少ししか違わないのに奥行きが45センチもある。ここにも時代の流れを感じる。こちらにも感謝。奇しくも車とパソコンが同じ年に寿命を迎えた。19-9-24

 

秋分の日。この大きな区切りの日は雨のせいもあって寒さがいっそう増した気がする。その寒さに追打ちを掛けるように残念な出来事が重なるとは・・・。いくら残念がっても諦めるよりほかないので頭を切り替えて新たな始まりと考えよう。パソコン自体は99年5月の購入だから20年と4ヶ月もの長年に渡って頑張って働いてくれたわけで『お疲れさん』とねぎらい、感謝の気持ちを伝えたい。19-9-23

 

ついにホームページの継続が不可能になってしまった。いつか来ると覚悟していたものの、そのときを迎えると寂しさと無念さは拭えない。もしかしたら今度こそはと祈りに近い望みを込めながら昨晩から今朝に掛けて何度も何度も時間を置いてパソコンの起動を試みたが一切反応しなくなった。もうホームページの更新はできないけれど、『ある日のひとこと』はできるだけ続けたいと思っている。19-9-22

 

寒暖の差がとても激しい。朝方は15℃を下回っていて長袖の上にもう一枚羽織ってもまだ肌寒いと感じるくらいだったのに、暑い日差しが部屋に入ってきた午後には窓を開けるほどだった。22〜23℃はあったのだろうか。朝にはもう間もなくストーブに頼るときが来てしまうのかと寂しさが頭によぎり、午後には部屋に入る風が心地よい気温になってくれた。とにかく、風邪には気を付けよう。19-9-21

 

続き。さらに日本の将来を不安にさせるデータが出てきた。経済協力開発機構によると、2016年に小学校から大学に対して行った公的支出の国内総生産に占める割合で日本は2.9%で、比較可能な35ヶ国のうち、3年連続で最も低いという。全体の平均は4%だからその低さが目立つ。これでは頭脳の流失どころか根本的に育たないのではとの危惧も生まれる。ここにこそお金を使ってほしい。19-9-20

 

世界の大学ランキングで東京大学が36位となっていたがこれをどう捕らえるかは難しいところだ。しかし、アジアで5位 と知るとかつての抜きん出た存在でない事実をはっきりと知らされる。上にいるのは中国やシンガポール、香港の大学で、今後増々離されないことを願うばかりだ。優れた運動選手がそうであるように優秀な頭脳もより高いレベルでの学習や研究を求めるから流出の心配もある。19-9-19

 

さらに続く。返金になった理由は12時間の予定で借りていたのに6時間以内に帰って来たので、6時間レンタル料金にしてくれたというわけ。その良心的な対応がとても嬉しかった。時間に関してはまったく意識せずに行動していたので奇跡的な偶然とも言える。もしも5分前でなく5分後だったらすごく残念な思いをしていたはず。その場合はあえて告げられずに終っていたのかもしれないけど。19-9-18

 

軽トラは快調に走り予定より早くアトリエに到着。壊れた石油ストーブや古キャンバスなどを積み込みちょっと作業をしてから自宅へ向かう。ここで布団や椅子などを積んでゴミ処理場へ。比較的スムーズに進み無事終了。再度自宅に戻り夏タイヤを積み自動車工場へ。最後にガソリンを満タンにしてレンタカー会社に帰る。偶然5時間55分の利用で千円の返金に喜ぶ。次は気楽に借りられそうだ。19-9-17

 

初めての軽トラ。自宅と隣町のアトリエの不要品を大型ゴミ処理場に運ぶのとまだ家にあった夏タイヤを自動車工場に持ち込むために軽トラックをレンタル。2月以来の半年振りの運転だけど、運転席に座るとすぐに運転感覚は戻った。軽トラは座席が高いのと背もたれが直角という違いはあっても運転操作は同じだからまったく戸惑いはなく、それよりも久し振りの運転が楽しく感じられた。続く。19-9-16

 

最近、夕方の散歩をしていて感じるようになったのが暗くなる早さ。6時頃には薄暗くなり、6時半にはすっかり夜のようになってしまう。こうなると散歩の時間も早めねばならない。散歩の目的のひとつには遠くを眺めて目を休めるというのもあるから暗くなってはこまる。とくにたくさん制作したときは体よりも目の疲れがより多く出るのでなおさら遠くの手稲山を眺め目を癒しながら歩きたい。19-9-15

 

ようやく今年のリンゴが店頭に並び始めた。それまでは200円もしてちょっと手の出せない状態だったのが半額の100円になったから嬉しい。リンゴはそんない高いものではないという認識が頭に残されているから200円だとすごく高く感じてしまうのだ。これからしばらくはリンゴが続きそう。そして、もう少し待てば大好きな柿の季節もやってくる。ブドウもあるしくだものの秋は楽しみ。 19-9-14

 

中秋の名月。散歩をしているあいだに陽は沈み暗くなってきたので月を探したがなかなか見つからない。雲はほとんどないから雲の陰ではないはずなのになぜか見えない。どうしてと思いながら散歩を続け家の近くに来たときにようやく発見。月は東の空のかなり低いところにあったのだ。久し振りに出会えた満月はまぶしいばかりに光り輝いていた。月の輝きは本当に優しく安らぎを与えてくれる。19-9-13

 

『もし昼寝をするなら、その前にコーヒーを飲むのがいい』との話を耳にして試してみた。すると、目覚めがかなりすっきりしていたのだ 。何度かやってみないと、コーヒーの効果なのかは定かでないにしても一回目はありと出た。これはカフェインが体内で効いてくるのが20〜30分後になるからとのこと。だから短かめの昼寝がいいらしい。疲れを引きずるなら昼寝でリセットしたほうがいい。19-9-12

 

中心街の地下の歩行空間には歩行者の流れの方向が自然に出来上がっている。お互いにスムーズに歩くためにはこの流れに乗るといい。それなのにときどき流れに逆らって歩く人を見かける。こうなると逆走しているようなものでどちらかが正面 衝突を避けねばならない。ほんのちょっと視野を広げれば反対側に大きな流れが見えると思うのだが、こうする人はあえて逆歩行を選んでいるのだろうか。19-9-11

 

暑さのせいで夕方の生活リズムに変化が。これは最近始まったわけでなく8月初旬の真夏日の連続から始まった。とにかく、夕方になってもまだ暑いあの中に散歩に出る勇気は湧いてこなかったのだ。そのため、それまでの行動パターンが1時間から1時間半もずれることに。5時過ぎに家を出ていたのが6時になり6時半になってしまった。それが定着したけれど本当の秋になったら元に戻したい。19-9-10

 

中途半端な卓球で疲れが出てしまった。先週約束していた相手が始まりの時間になっても顔を見せず、30分ほどサーブ練習をしていたら隣の知り合いが気を使ってくれて30分も相手をしてくれた。おかげでいい汗をかきシャワーを浴びてスッキリして帰って来たはずなのに、気だるさが抜けないのだ。そこで、いつもよりちょっと多めの散歩をしてようやく解消。短時間は変な疲れが残ってしまう。19-9-9

 

夕方に入る4時頃の小学生の会話。暑いので窓を開けて部屋で仕事をしていると「ねぇ、ねぇ5時半まで何する?」「私は5時まで」という話声が聞こえてきた。聞こえてきたのはそこまでで、そのあとどう進んだかはわからない。でも、二人とも遊べる時間がはっきり決められていることに時代の違いを感じた。60年以上前だから比較にならないが、『暗くなる前に帰る』が決まりだった気がする。19-9-8

 

激しい揺れと棚から崩れ落ちたモチーフの損壊と初めての経験だったブラックアウトと食糧難を引き起こした胆振東部地震から1年が過ぎた。早かったというよりもっと前の出来事のような気がしないでもない。電気のない不便な生活を3日間も強いられたのに、その記憶も防災意識も薄らいできたせいかもしれない。本当は昨日のことのように意識しておくべきなのに日常にすっかり慣らされている。19-9-7

 

女子ゴルフの渋野世代がすごい。卓球にも伊藤、平野世代があるように同時期に大活躍する選手が重なってたくさん出てくるときがある。野球でも松坂世代というのもあった。具体的な理由はわからないけれど、もしかしたら競技を始めるきっかけになった時期に大ブームを起こした選手がいたのかもしれない。そうだとすると15年後辺りにまた女子ゴルフに◯◯世代が生まれる可能性もありそうだ。19-9-6

 

引き出しのなかのポケットティッシュの数が次第に減ってきた。これまでは常に補充されてきたのに、すき間ができるようになった。そういえば、街頭でのポケットティッシュ配りの人が随分少なくなった気がする。配ってもそれに見合う対価が得られなくなったのだろうか。無料でもらうクセがついてしまっているから買う意識ができていない。ポリ袋と同様に買うものになっていくのかもしれない。19-9-5

 

意地のぶつかり合い。それは、対等な関係の証明とも言えるのだが悪い方に出てしまった。一方が強気の発言で相手を責めると、受けた側も同様に責め返す。そうなるとさらにヒートアップしてより過激な方に向かってしまう。日本と韓国が今そんな状況に置かれている。お互いに意地を張り合うこんな関係はよくないとわかっていても落し所が見えていない。何とか早く収めないと両方が深く傷付く。19-9-4

 

HP(ホームページ)の継続に新たな問題。3、4年前にそれまでネットのプロバイダが提供していたHPのサービスがなくなり、現在の有料のものを利用し始めたのだが、それを使い続けるには変更の必要があるとのメールが入った。かなりの年月が経っているから変更の必要性はわかるが、その方法や問題についての説明があまりにも一方的なのだ。すべてはこちらの責任として見放された感もある。19-9-3

 

去ったはずの夏の暑さが戻ってきた。夜は肌寒くなり窓を開けて寝る夏の夜は終ったと思っていたのに昨晩は開けたままで、今夜もそうなりそうだ。暑い夏が過ぎ去ったと感じ始めると散々苦しめられたとしても一抹の寂しさを感じたりする。すると、それならばと戻されてしまう。暑くなるとやっぱり秋がいい。秋が続いてくれるなら夏の終る寂しさなんて感じないのに、次に来る冬がそう思わせる。19-9-2

 

日ハムは最悪の8月に。8月の始まりには首位に0.5ゲーム差の2位にいて、すぐにも1位 になるのではと期待していたというのに・・・。なんということか8月は5勝20敗1分けで、ついに最下位 に落ちてしまったのだ。3位になることすら想像していなかったのに、まさかである。もう優勝は望めない状態なのでせめてAクラスを目指して頑張ってほしい。これなら可能性は十分残されている。19-9-1

 


 

8月5日以来の久し振りの卓球で気持ちのいい汗をかく。それほど激しく動いたわけでもないのに、一旦出始めた汗は留まることを知らずに流れ出る。まるで体にたまった毒素を吐き出すかのように。昨年の8月には合計で13回もやっていたというのに今年の8月はたった2回と激減してしまった。回数が減ったのは車を手放した3月からだけど月2回はもっとも少ない。最低月4回はしたいもの。19-8-31

 

すぐに起動しないという綱渡りの状態は続いているけれど、いつもの『ひとこと』に戻ることにする。つい先日、強い雨のなか傘を差して歩いているとき、ふと思い付きリュックを背中でなく胸の方に掛けてみた。これまで傘を差してもリュックがかなり濡れるのが気になっていたので試したというわけ。最初は違和感もあったが前の方が濡れないのがわかった。これから強い雨のときはこうしよう。19-8-30

 

さらに続く。最後の日はいつか突然やってくるはず。その日を予測することも逃れることもできない。やって来たらもう諦めるしかない。突然とはいえ今回のように何かの前兆があればいいのだが、それが最後とも限らない。できるなら20年近くも続けてきた思いを残しておきたい気持ちもあるが、当然ながら更新できなくなればなぜ途絶えたかだって書けないのだからこだわる必要もないわけだ。19-8-29

 

続き。今日もパソコンの起動は冷や冷やだった。なんと2回続けて起動しなかったのだ。最初のマック特有の元気な『ドーン』という音はなるけれどすぐに『プシュ−』という情けない音と共に起動は止まってしまう。これはもう最後の手段と思い電源を抜き5分待ってからやり直した。すると、ちゃんと起動してくれほっとする。これまでも最後の手段に何度も助けられてきた。最後の最後が怖い。19-8-28

 

ちょっと心配になる兆候が出始めた。それは体ではなく古い方のパソコン。起動ボタンの反応が鈍ってきたのだ。これまでは一度で起動してくれたのに何度か押さねばならなくなってしまった。これは昨日からで今日も5、6回は押しただろうか。1999年からのものなので20年も頑張ってくれてるわけだからたとえ不具合が起きてもおかしくないけど『ひとこと』のためにまだ頑張ってほしい。19-8-27

 

若いときには外見が気になり、年寄りになると体の中が気になる。まだまだ元気で成長過程にあるときは体の内部の心配よりも、体の見栄えの方が大事になることが多い。でも、歳を重ねるほどに外側より内側、つまり内臓や脳や血液や骨の心配が増していく。目に見える異変なら容易に気付きすぐに対処もできるけど体の中だとそうはいかない。もちろん、外見も大事だけど中はもっと大事になる。19-8-26

 

北海道マラソンの沿道応援に行く。寸前までテレビを見ていて15キロの関門を過ぎたところで歩いて5分ほどの近くの沿道に向かった。すると、まさにぴったりで、着くとすぐに男子の先頭集団がやって来てまたたく間に走り去った。この集団はず抜けて速く第二集団まではかなりの差があった。女子の先頭を応援して家に戻る。例年になく涼しく大雨があったとはいえ走り易かったにちがいない。19-8-25

 

急に涼しくなり始め、北海道らしい夏になってきた。それは、昼間は暑くても夕方から涼しくなり、夜には肌寒いくらいの気温になるということ。そのため夕方の散歩のときには長袖を腕まくりして出掛けたらそれでちょうどよかった。寝るときに窓を開けなくてもいいので、朝方の冷気を気にせずに安心して眠れるのも助かる。これで蚊に刺される心配もしないで済む。いよいよ暑い夏も終りかも。19-8-24

 

続き。でも、企画展の前に見た常設展示の北海道の成り立ちは興味深くおもしろいものだった。二度目だけど最初は何十年も前なので初めてのような新鮮な気持ちで見られた。そして、せっかくなので近くにある開拓の村にも足を運んだのだが、こちらは以前とたいして代わり映えしていなくてちょっとがっかりした。せっかくの施設なんだからもっと増やしてほしいけれど、予算がないんだろうな。19-8-23

 

伊能忠敬の地図を含む『アイヌ語地名と北海道』という企画展を見に北海道博物館へ。伊能図の正確さに驚くとともに書かれている文字の小ささときれいさにもびっくりした。昔の新聞や本もそうだが、どうしてあんなに小さな文字が読めていたのか不思議な気がする。展示物との距離もあって読むのは大変で企画倒れの気もした。そして、自分の生まれ育った日高地方の地図がないのが残念だった。19-8-22

 

あおり運転をして逮捕された男が「危険な運転をしたつもりはない」と言っているらしい。こんな自分勝手な言葉が出てくる意識こそ大問題。そんなつもりはなかったと言えば罪が軽くなると思っての言葉だろうが、さらに重くすべきものになっている。つまり、一切の反省がないうえに危険極まりない行為を正当化するのだからかなりの重症だ。こんな危険な人間には免許証を与えるべきじゃない。19-8-21

 

タブレットの新たな活用法。これまでの作品やスケッチなどをたくさん入れたおかげでかなり充実してきたけれど、出来上がりの作品でなく制作中の過程を記録するにも便利だと気付いた。カメラでもできるけど画面 の大きさがまるで違ううえに拡大もできる。自分のためというより作品の作られていく様子をわかってもらうには最適だ。自分も含めて制作者は制作の過程に興味と関心を持っている。19-8-20

 

プロ野球の試合で気になることがある。バッターが打席に立つときにはアンパイヤーに、塁に出たときには塁審に軽く会釈をするのはどうして。お互いにプロで仕事中であり対等な立場のはずなのにテレビで見るかぎり選手の側からするのがほとんどの気がする。まさか『手心を加えてください』とお願いしているとは思えないのだが。アマならまだしもプロの世界では必要ないしするのはおかしい。19-8-19

 

「死ぬまで会えないと思っていたから」ふとこんな会話の一部が聞こえてきた。つまり、生きている間は会えないと覚悟していたのだろうから、会ってびっくりしたに違いない。だから最初の言葉には驚きの気持ちも含まれていた。「死ぬ まで」とは死んでから葬式かあの世でで会えると思っていたのだろうか、それともちょっと大袈裟に言ってみただけなのか。とにかくこの世で会えてなによりだ。19-8-18

 

猛烈な暑さがぶり返す。台風一過の影響で急激に暑くなった。8月の初旬まで続いていた猛暑も収まり過ごし易くなってきたと気持ちも体も馴染んできたところにやってきたからたまらない。環境に適応するために慣れという大事な習性を持っているけれど、突然の変化に対応するのは大変。ただの暑さならまだしも湿度の高さがこたえる。明日からまた涼しい日に戻りそうなのでもう少しの辛抱だ。19-8-17

 

今日は友人の野菜畑の草取り。去年までは車で行っていたけれど今年はJRで40分ほど掛けて向かう。草取りは新鮮な野菜をたくさんいただくせめてもの恩返しのつもり。わずか1時間弱の草取りで南瓜、大根、茄子、じゃがいも、タマネギ、ズッキーニ、ゴーヤ、サヤエンドウ、とうきび、ミニトマトをもらう。リュックには入り切らず手提げ袋にも詰めた。肩と手にずしりときても有り難い重み。19-8-16

 

明日は月に一度の草木を捨てられる日なので家裏の草取りをした。1ヶ月前にやっているし除草剤もまいておいたので、ぱっと見はかなり少なめだったので30分ほどで終るかなと思ったのにやっぱり1時間掛かってしまう。本当に不思議なものでだいたい目算の倍になるこがほとんど。それは大きな草しか目に入ってないせいで、いざやり始めたら小さな草が結構あってそれに手間取るというわけ。19-8-15

 

続き。そして今朝、その熊は銃によって射殺された。駆除すべきでないと考えているわけではなく、あそこまで人間社会に慣らさせてしまえば駆除せざるを得ないと思う。日常生活に恐怖と不便を与えるだけでなく人的被害が出てもおかしくない状況だった。前日と同じように警戒することもなく気楽に山から下りて来たら突然撃たれて『なぜ』と感じたはず。だからこそ人間の怖さを教えるべきだ。19-8-14

 

まさに今日の『ひとこと』に書こうとしていた懸念が現実になりそうだ。札幌市内の住宅街に5日連続して出没していた熊の駆除を決めたという。懸念とはこのことで、最初の対応からしてまちがっていた。ただただ熊を見守るか後を追うだけで絶対来てはいけない場所だと何らかの恐怖を与えて教える様子はまったく見られなかった。安心な場所だと思わせておいて駆除するとは騙したようなもの。19-8-13

 

随分たくさんのものを処分してすっきりしたのはいいのだが、集中的にやったせいかすべてを把握しきれていないのが問題だ。古いリュックを使おうとして、いつも置いてあるはずのところを見たがそこにはなかった。もしかしたらと何ケ所か探すもやっぱりない。長年使ったし傷んでもいたので捨てようか迷ったのは覚えている。でもゴミ袋に入れた記憶はない。処分してもこんなもやもやは残る。19-8-12

 

暑さのせいもありしばらく家の近くでの散歩をしていなかったので、夕方に久し振りに安春川を辿り牧場を一周するコースを歩く。かなり久々で懐かしい気さえしてしまった。広々とした牧場からは手稲山が見張らせていつも清々しい気持ちになれる。ただ残念なことに、もっと手前にもあるかなり大きな空き地からも手稲山を望めていたのにフェンスで囲われていた。どうやら宅地化されるようだ。19-8-11

 

虫の音と電動のこぎりの音。このふたつの音が非常に似ていることに気付いた。最初は近所で新築工事をやっているので電動のこぎりの音だと思った。その音はずっと続けてではなく途切れ途切れに聞こえてくる。でも、窓ガラスとプチプチの間に挟まれ、そこから必死に抜け出そうとする虫の姿が目に飛び込んできてその音の正体が判明。不思議なつながりだ。もしかしたら両方だったのだろうか。19-8-10

 

8月も中旬になり10月の教室展の話題も出始めている。そんな話が出ると「もう、そんな時季になったんだね」「早いよね」と時の流れの早さを互いに確認し会う。まだもう少しは夏らしさが続くだろうけど、一旦秋の気配が忍び寄るとまたたく間に深まっていく。猛烈な暑さから解放されるのはありがたいにしても陽が短くなってしまうのが何とも寂しい。夜型だった若い頃とは異なる心境になる。19-8-9

 

先月の9日、一度出始めると止まらなくなる痰が気になり近くの耳鼻咽喉科に行ってみた。問診と鼻と喉を診た後の診断はきわめて明快で「鼻と喉に問題はないです。痰が喉に溜まるのは水不足のせいなので水分をたくさん取ってください」という内容だった。その説明もわかりやすく納得できたのでとてもいい医者に思えた。もちろん薬はなし。それから1ヶ月、かなり改善されて適格な診断に感謝。19-8-8

 

札幌ではついに10日連続の真夏日になった。記録的な長さでこれ以上があるのかと思っていたらもっと上があり、これでも4番目だという。さらに驚いたのは1番と3番は1924年(大正13年)同年の17日と11日連続になっているのだ。現在と違い気象予報の精度の低さや情報不足を考えると当時の人々の恐怖は計り知れなかっただろう。ちなみに2番は1951年(昭和26年)の12日。19-8-7

 

あいちトリエンナーレ2019の『表現の不自由展』が開幕3日で打ち切りに。こうなるきっかけを作ったのは名古屋市長の発言と言っても過言ではない。視察後に「これは皆が不快に感じる」と記者に応えたのだ。『皆が』ということは自分の考えや感じ方がすべてで他はまったく認められないと言ってるようなもの。それで中止を迫る脅しのメールも来たらしい。自由をそして芸術を否定している。19-8-6

 

同じ汗をかくにしてもどうしてこれまで気分が違うのだろうか。片方は不快、そしてもう一方は爽快。何もしていないときや寝ているときのものは前者、好きなことをしているときのものが後者。特に動いていないときのが不快で動いているときのは爽快なのかもしれない。動いて大汗をかいているその最中は決して爽快ではないけれど終ったあとの気分がまったく違う。卓球でいい汗をかいて大満足。19-8-5

 

国民の平均年齢というおもしろい統計を知った。自分が15歳だった64年の東京オリンピックのときは30.4歳で、26歳だった札幌オリンピックの3年後の75年は32.5歳で、70歳になった今年のは47.5歳になっている。そして、札幌市が冬季オリンピックを目指す30年には50歳に達するらしい。その後もしばらく上がり続けると考えれば、その先の施設の運営や管理には無理がある。19-8-4

 

高血圧対策として長年塩分控え目を実行してきてすっかり定着しているところに、熱中症予防のために塩分を取るようにとさかんに言われている。汗をかくとそれだけ塩分も減るのだろうが補給すべき量 がよくわからない。体がそれなりに反応してくれればいいのだが多分そうではないはず。それについても説明してほしいのに中々耳に入ってこない。とりあえずしょっぱいお菓子を多めに食べている。19-8-3

 

お墓の草取りの帰りの特急列車のこと。19;32分発なのにすでに芽室駅の駅員はいなくて乗り場を確認できず、改札口にあった案内板もあやふやだった。そこで反対側に停車していた普通 列車の運転席まで行き教えられた番号辺りで待っていると、そのホームに違う普通 列車が来たのだ。これはおかしいと慌ててその列車の運転手に尋ねると札幌行は連絡橋を渡ったホームだという。危うい乗車に。19-8-2

 

2日続けての熱帯夜は観測史上初めてだったのに、今夜もその可能性があり4日連続になりそうだ。暑さも寒さも続けて体験すると多少慣れてくるものだけどこれはそうはいかない。昼の暑さなら何とか耐えられるのに夜のこの不快感は何なんだろう。同じ室内にいて昼と変わりない室温なのに熱気のこもったこのモヤモヤ感は明らかに違う。今夜もそんななかで床に付かねばならないとは気が滅入る。19-8-1

 


 

日本人の平均寿命がまた延びて女は87歳で男は81歳だという。しかし、この平均寿命をこれまでまちがえて捉えていて勝手に今の自分に当てはめていた。正しくは『その年に生まれた0歳児が平均で何歳まで生きられるかを予測する数値』とのこと。つまり、自分の平均寿命は70年前の予測を知る必要があるわけだ。そう考えるとすでに平均を越えているような気もしてくる。問題は健康寿命。19-7-31

 

これまでの涼しさが嘘のような暑い暑い夏がやってきた。それもいきなり熱帯夜になるとは・・。いくら昼に暑くても夕方から涼しくなり夜には肌寒いくらいになるのが北海道の夏のはずなのに、最低気温が25℃以上の寝苦しい夜になってしまった。もちろん扇風機を回しているけれど冷風になってくれずすぐには寝つけなかった。体が暑さに慣れていないだけになおさら辛い。熱帯夜は続きそう。19-7-30

 

昨日も暑かったが今日はさらに暑くなる。そんななか、昨日は外で今日は体育館で大汗をかく。体育館はサウナ状態なのに激しく動き回るわけだから汗は滝のように流れ出る。600ミリリットルのお茶はからになり、満杯に補充した冷たい水も最後には飲み干す。そしてシャワー後にも自宅に戻ってからも水分を取り続け、今日だけでまちがいなく3本分は優に越えているのに体はまだ求めている。19-7-29

 

燃え上がる赤い炎と赤く染まる太陽。借りている郊外のアトリエの周りにある昨年の地震の残骸だった枝葉の処分をした。持ち運びやすい大きさにカットしたあと広い場所に集めて火を付けた。郊外の農村地帯だからこそできる。炎天下に勢いよく立ち上がる赤い炎を汗を拭きながら見つめていると『燃え尽きる』という言葉が浮かんできた。そして、帰りの列車の窓からは真紅の太陽が。しみじみ。19-7-28

 

続き。幼い子に絵を描かせていると、40年近く前に10年以上講師をしていた子供絵画教室時代を懐かしく思い出した。そのときは2才から中学生までがいた。初めての水彩 がよほど楽しかったようでお母さんがもう行くよと言っても止めようとしなかった。それだけ夢中になってくれるのは嬉しいけれどキリがないので 、「じゃ、またね」と絵が好きになってくれるのを願いながら諦めてもらう。19-7-27

 

かわいい出会いと初めての水彩。安春川で水彩スケッチをしているとき、お母さんと一緒に散歩をしていた女の子が絵に興味を持ったらしく近寄ってきたので見せてあげると「もっと描いて」と言った。じっと見ている前で仕上げたあとに「描いてみるかい」と聞くと「うん」と即答。筆を持たせてあげると楽しそうに描き始めて止まらなくなった。3才にして初めての水彩 だという。嬉しい出来事。19-7-26

 

迷った末にようやく手に入れたタブレットにも徐々に慣れてきている。使用法の説明書はないので試しながら覚えていくしかない。どうしてもわからなければサポートセンターに電話をして助けを求めることになる。説明書があればすぐわかっていいのに付けない理由はなんなんだろう。とにかく怖がらずにいろいろ試すのが大事。おかげで多少わかったとはいえまだまだ入口なので挑戦は続きそう。19-7-25

 

目から足。1週間前の昼、大きめの虫が突然目に飛び込んできた。その虫が目のところでバタバタするものだからこのまま目に挟まったままになったらどうしようと大いに焦った。幸い最悪の事態は避けられたが異物感があるので帰宅後急いで目を洗った。とくに痛みはないので問題ないのかと思っていたら、何と、翌日の夜に突然の痛みの後1センチ弱の足が出てきたのだ。これにもびっくり仰天。19-7-24

 

バスの優先席に座っている高齢者の4人のうち3人がスマホに夢中。それを見て、スマホを手放せなくなるのは若者だけでなく高齢者もそうなっていく気がした。孤独に感じていたりとくに興味のあることや楽しみが少ない人ならおさらそうなるだろう。何を見ていたのかはわからないがすでにその世代に向けたものがあるのかもしれない。とにかく、便利なのは確かだからこれから増々増えるはず。19-7-23

 

芽室のお墓の草取り。車がないため初めてJRを利用して向かう。芽室駅から歩いて20分程のところに町営墓地があるのでそうしたが、たとえ倍以上歩いても高速バスにすべきだったと反省。とにかく1時から5時までの4時間掛けて目に見える草を抜き取った。年に何度か来ればもっと楽になるとわかっていてもこうなる。その後、墓地横の並木をスケッチ。たとえ疲れても列車なので安心できた。19-7-22

 

続き。今までと違って長距離を歩くわけではないのでのんびりとした気持ちで水彩 スケッチができた。時間を気にせず描けるのは楽しく3時間余りはあっという間に過ぎた。まだ描き続けたい気もしたが木田金次郎美術館も大事な目的なのでそちらに足を向けた。想像していたより立派な建物だし、何よりも素晴らしい作品が何点もあり感動。これまでの木田金次郎の認識を改めさせられる旅になった。1-7-21

 

自分が歩いた道を辿りたいという思いから、早めにバス乗り場に行き一番目に乗って最前列の入口側に座った。運転手側よりこっちの方が見晴らしがいい。高速道路を走る札幌西から小樽の間は残念ながら辿れなかったが小樽から余市まではしっかり確認できた。道路を見ると歩いたときの記憶が鮮明に甦り懐かしさが溢れ出る。いつかはトンネルだらけの神威岬までのバスにも乗ってみたいものだ。19-7-20

 

高速バスで岩内へ。高速とはいえ停まる停留所も多く2時間半掛かる。それはそれで最前列でバスの旅を楽しむ。余市までは『歩く旅』の懐かしい道を、その後は新たな道を走る。11:28岩内着。薄曇りでスケッチをするにはちょうどいい。さっそく港の方に向かい岸壁と防波堤で水彩 スケッチをする。3時過ぎ、木田金次郎美術館へ。見応えあり。郷土館も見て17;54のバスで帰札。続く。19-7-19

 

どの機種にしようか散々迷ったタブレットをようやく手に入れた。その期間は1ヶ月以上なので自分のものとなったときには解放感さえ湧いてきた。これからはそこに作品の写 真を入れていく作業が待っている。パソコンやSDカードから取り入れたり、新たに撮影するケースも考えられる。とにかく作品だけでなく思い出深い写 真もたくさん入れてこのタブレットをライブラリーのようにするつもり。19-7-18

 

7月に入ってからの血圧は130から140の間で上下している。これまでは140から150の間で推移してきたのでその変化に驚く。嬉しいけれど今までなかったことなので本当なんだろうかという疑いの気持ちがどうしても湧いてしまう。でも、半月以上続いているんだから信じてもいいはずだ。それにしても、昨年の4月に飲み始めた降圧剤を1週間で止めたのは正解だったとしみじみ思う。19-7-17

 

整理をしていたときに高級ちり紙が出て来た。ボックスティッシュが世に出回るまではちり紙を使っていてそれにもランクがあった。今のティッシュに比べると固めでごわごわしていてもその当時は柔らかく感じたはず。それよりもっと前の子供の頃にはときどき新聞の文字が混ざっている茶ちりだった。茶ちりはさらに固かったけれど新聞紙よりは柔らかかった。ということは柔らかさへの歴史だ。19-7-16

 

JRとバスを乗り継いで隣町のアトリエへ向かう。列車に乗るのは3ヶ月振りでそれだけでもわくわくする。列車の窓から見える街並やうっそうと繁る森の木々を飽きもせず眺めていた。バスの窓からは風にそよぐ稲が緑の絨毯のように輝いて見えた。じーっと眺め続けられるのは列車やバスだからで自分で運転する車だとこうはいかない。これが列車やバスの楽しさ。とにかく、緑の風景に癒された。19-7-15

 

すでに夏本番に入っているはずなのにそれなりの暑さはあっても暑くてどうしようもないという猛暑はまだない。5月末に30℃越えを記録したけれどあれは夏とは関係ない異常気象のせい。この程度でいってくれれば非常に過ごしやすくていいのだがどうなることやら。それでも、夏を感じさせる花火の音が聞こえ始めた。かつて大爆音で迷惑だった暴走族はすっかり鳴りを静めたのはありがたい。19-7-14

 

部屋の整理と処分はようやく家全体を一周してかなりすっきりした。やり始めから3週間ほどでやっと終了。空間だけでなく精神的にも余裕が生まれた感じがする。いらない物を捨てると同時にすべての物が目に入り容易に手に取れるように置き換えた。つまり、可視化ということ。これを頑張ったおかげでこれまで忘れ去られていた物の所在もわかり、一応すべての置き場所が頭に入ったのが収穫。19-7-13

 

岩内行きを断念。『歩く旅』に代わる『スケッチの旅』の最初として今日を予定していたのに天気予報では一日中雨マークなので泣く泣く諦めた。待ちに待ったこの日なのに雨になるとはついてない。歩く旅なら雨天決行もできるけどスケッチは無理。屋根のある場所なら描けるにしても描く場所を自由に選べなければつまらない。これから数日は雨天が続く予報なので岩内行きは来週の天気次第に。19-7-12

 

作品や持ち物の整理や処分はまだ続いている。作品では残したいと思うものより残したくない思うものの方が圧倒的に多いのは悲しいけれど、制作時より観る目が肥えたと考えれば当然かもしれない。おかげでちゅうちょなく捨てられるのは助かる。それにしても、木枠は誰かに再利用してもらえるし、マットは紙資源として再生できるのに作品は燃えるゴミになってしまうことには一抹の寂しさも。19-7-11

 

最悪の運。半年毎にやっている貸室の予約をする順番を決める抽選で、何と108人中の106番を引いてしまったのだ・・・。これまでの最悪は87だったがそれを大きく上回ってしまった。その数字を目にしたときは体の力が抜けていくようなショックを受けた。これまでは100番台の人と比べたらまだましと慰めていたのに逆の立場になってしまうとは。運というのは本当にわからないもの。19-7-10

 

歓迎できない夏が来た。手の親指にかゆみを感じて目を覚ました。今年初めての蚊の襲撃だ。深夜の2時半、我慢しようかと迷ったあと起き上がってかゆみ止めを塗り蚊取り線香を探し出して火を着ける。このところの暑さのせいで夏恒例の蚊も発生したのだろう。でも、かゆみ止めと蚊取り線香のおかげで間もなく眠りに戻れた。億劫がって起きずにいたらもっと長い時間寝付けなかったに違いない。19-7-9

 

『ある日のひとこと』の半年分を印刷。これをすると改めて今年もすでに半年が過ぎ去ったのだと強く感じる。毎日の積み重ねの日々がここにはっきりと形になって現れてくるのだ。たとえ早いと感じようともそれぞれの一日は確かにあった。その大切なある日を一日も欠かさずに書き残してきて、今はもう18年目に入っている。10年、15年とそこを超える度に延長した目標の20年ももうすぐ。19-7-8

 

スーパーで買物をして汁気のある惣菜を備え付けの薄い袋に入れようとしたのだがなかなか開いてくれない。指の水分が少ないのかとスポンジで湿らしてもやっぱりダメ。どうしてと思いながらも繰り替えすが指はすべるばかり。少し焦りが出てきた頃、反対側を開けようとしていたことにようやく気付いた。何と、最初の確認のときにまちがっていたのだ。指の乾燥の問題ではなく目の衰えの方とは。19-7-7

 

続く。過去の作品を削っていく作業は整理とつながっているところがあるような気がする。どちらも本当に大事なそして必要なものだけに絞っていく作業なのだ。かつては多くを語ろうとしていた作品にもよりシンプルでストレートな含みと発信を求めている。制作や生活の場でも同じようにたくさんのものに囲まれている安心感から、選ばれたものを活かしきれる環境での充実感を目指したいと思う。19-7-6

 

かなり昔、もしかしたら20年以上前に作ったような気がする白い紙粘土での小さな人物像3点に手を加えた。そのときには完成と思ったはずのものがどうにも納得できなくなったのだ。余計な部分をヤスリで削っていき新たなイメージに近づけていく。盛り付けるのは難しい(粘土が渇くまでの時間が必要になる)ので大胆かつ慎重に進める。久し振りの立体制作がおもしろく長い時間夢中になれた。19-7-5

 

不思議な電池切れの一致。血圧計を使おうとしたら電池切れのマークが出たので新しいのと取り替えた。ちょうど在庫が4本あったので無事計測もできた。その後、カメラを使おうとしたらこちらも電池切れの警告が表示された。あまりの偶然の重なりに驚く。もう残りの電池はないので血圧計から取り出してカメラに入れた。たまたまにしてもこんなこともあるものなんだ。買い置きの大事さを痛感。19-7-4

 

あえて鯨肉をまた食べたいとは思わない。国際捕鯨委員会を脱退して7月1日から商業捕鯨を31年振りに再開。今どうして世界の流れに逆らってまでの鯨の肉なのか理解に苦しむ。子供の頃から20歳辺りまではよく食べた記憶がある。もちろんおいしかった。でもそれは食料事情のまったく違う時代のごちそうであって、この飽食の時代に昔の味を求める人がいっときはいても継続はしないだろう。19-7-3

 

6月から7月に入ったということは半年が過ぎ去ったわけだ。個展の準備などでそれなりに忙しい日々を送っていたせいかいつの間にかここまで来ていたといった気もする。旅もそうだが半分を過ぎてからはもっと早く感じてしまうのでこれからの半年はもっと加速されてしまうのだろう。長く思わせるには先に楽しみな予定を持つことが大事と聞いたことがある。夏にも秋にもそれを作っておきたい。19-7-2

 

ようやく『歩く旅』に代わる小旅行を考えた。まずはバスによる岩内への旅にしようと思う。これまで木田金次郎美術館へ行ってなかったのも選んだ理由のひとつ。往復はバスにして美術館のあと岩内の町をスケッチをしながら歩いてみるつもり。今までと違って気楽に構えていられるのは日帰りなので宿の予約をしないで済むのと行く日もかなり自由に選べるから。待っていたわくわくが生まれ出た。19-7-1

 


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01 - 12-31〜00-11-11のひとこと

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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さ17