ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

ようやく辿り着いたギャラリーの入口の前で唖然。本日定休日の看板がさがっている。この光景は3年くらい前に初めてここに来たときとまったく同じだ。無駄 足にすごくがっかりしたはずなのにそのこともすっかり忘れていた。案内状には定休日水曜とちゃんと書いてある。自分の都合で今日と決めたときには定休日のことはまったく頭になかった。また辿らねばならないツルツル道を空しく戻る。07-2-28

 

列車で小樽へ。昨年10月以来の列車に懐かしささえ感じる。車窓のすぐ目の前に広がる冬の海の水平線はかすんでいた。市立美術館で96才でなお制作してるという一原有徳展を観る。何度も観ている版画の作品だけど新たな感動がある。とくに初期のものが好き。無心の行為によって生み出された連続するパターンが無限の世界に導いてくれる。しばし、彷徨う。帰りの海もやっぱり靄のなか。07-2-27

 

ふと、ビートルズが聴きたくてカセットテープの入ってる箱を押入れの下から取り出した。他にも懐かし名前がたくさん収まっている。レコードから録音したわけだから随分昔のテープということになる。レコードプレーヤーを使わなくなり部屋から消えたのはいつ頃だったのだろう。今度はテープの寿命がくる前にとりあえずCDかMDに録音しておかなくては。それらもすでに時代遅れなのかも。07-2-26

 

10日も前に風邪から回復したと書いたのにその後も何度かぶり返し、早めに寝たり1日中寝てることもあった。その間に、もう大丈夫と思ったのが2度もあったのに情けない。とにかく回復力が弱くなったのは確かだ。それでも今日はまちがいなく回復したと、制作に対する意気込みでよくわかった。具合が悪いと中途半端な意欲しか湧いてこない。今は久々の満足感と心地よい疲労のなかにいる。07-2-25

 

『ノルディックスキー世界選手権の地上波中継、なぜ少ない?』という新聞記事に同感。開会式とその日の競技の時間帯のテレビ欄を何度も見返した。そして、どうして放送がないんだろうという疑問が湧いた。これでは世界大会の意義も薄れる。独占放映権を取るならそれなりの決意もほしい。ドームでの距離は視聴率だってかせげたはずだし、迫力とおもしろさを伝える貴重な機会だったのに。07-2-24

 

引っ越しをしたのは3月25日だけど、今住んでる家を紹介され決断したのが2年前の2月21日。家の前には雪が高く積もっていて1階の窓の半分は隠れていた。でも、家の中に入ると日差しが部屋の奥まで届いていてその明るさと陽気にびっくりするほどだった。それだけでも気持は決まりかけていた。早いものでそれからもう2年が過ぎた。とにかく即決したのが大正解だったとつくづく思う。07-2-23

 

ノルディクスキー世界選手権の札幌大会が始まった。好成績を期待できる選手が見当たらないせいか単独大会としてはアジア初の開催だというのにいまひとつ盛り上りに欠けてる気がする。札幌オリンピックや長野オリンピックのときのような劇的なシーンは望めないにしても、声援と地の利を活かした活躍を期待したい。せっかくの世界大会だから雨が降ったりしなければいいのだが、それが心配。07-2-22

 

2月もあと1週間しかない。3日少ないのはすごく大きい。あと10日というのとあと1週間では随分違う。それでなくても1月のほうが長く感じて2月のほうが短く感じるからなおさらあっという間に過ぎていく。1月が長く感じるのはなんでだろう。今、考えたことだけど正月という大きな節目があるからかもしれない。とにかく3月に入れば雪解けが一気に進むわけで雪かきの季節もあとわずか。07-2-21

 

昨日の続き。もしも日本の心を忘れてしまったというならそれが今の日本の心。時代と環境の違う昔を懐かしんでもどうしようもない。ところで『日本の心』っていったい何なの。日本人ほとんどすべての人が持っている特有な心とは何。どの時代かでも随分違うし、立場によっても異なる気がするし。『日本の心』を唱える反対側でカタカナ言葉を多用する国だからその定義はすごくむずかしい。07-2-20

 

「日本人以上に日本の心を持っている外国人」と謙遜してるつもりで自慢げに言う人がいる。これは変。それならもともと『日本の心』はないと言ってるのと同じ。どの国にもその国独特の文化があり心があるのは当たり前のこと。もちろん、いいところも悪いところもある。そこの環境や歴史があったからこそ生まれた文化や心なわけで単純に他国と比較はできない。そして、時代が文化をつくる。07-2-19

 

ビール会社だけでなく百貨店の統合の話も進んでるようだ。それは大丸と松坂屋で、去年の旅のときたまたまそのふたつの百貨店に入っている。名古屋の松坂屋でデュフィ展を観たとき随分大きな建物だなと感じたけどそれが本店とは知らなかった。大丸は神戸の店で店内の看板に感激したのを覚えてる。出入口近くに大きな吊り看板があり、そこには矢印と一緒に『海側』『山側』と書いてあった。07-2-18

 

風邪はほとんど治った。今朝から普通に仕事ができたからひき始めから2日間でもとに戻ったことになる。へたをすると1週間以上もかかるから今回は早めに養生したおかげだろう。風邪の最初のうちはこのぐらいなら平気だろうと無理をしがちだけど、自分が信じてる抵抗力はすでに過去のものだと何度か知らされてから無駄 な抵抗はしなくなった。抵抗すればするだけ時間が奪われるわけだから。07-2-17

 

昨日の朝のこと。湯気が立ちこめているはずの浴室がスッキリしている。『え、もしかして』と思ってシャワーに触れてみると、それは冷たい水。ボイラーを確認したらちゃんと運転になっている。入る前に浴室を暖めておこうと事前にシャワーを出しておいたというのに・・・。裸でどうなることかとあせったけどまたやり直すと正常に戻ってくれて無事入浴。それが風邪のきっかけかもしれない。07-2-16

 

朝から鼻水が止まらない。地下鉄に乗ってるときはいちいちかんでられないのでティッシュに吸い取らせる。夕方、帰宅してからも治ってないし、くしゃみも出るので夕食後すぐに寝ることにした。それほど具合が悪いわけでもないけど中途半端にずるずる長引かせるより早いうちに完全に治すほうを選んだ。何度も目を覚まし、トイレにも起きたけど『ひとこと』も無理せず休ませてあげることに。07-2-15

 

1月10日以来の耳鼻科へ。いつものように聴力検査をしてから診察。検査のグラフはほとんど変化なし。ただ「わずかだけど良い結果 も出てますよ」との医者の言葉に救われる思い 。次の診察の1ヶ月後に期待しよう。病院に来てる人達は幅広くてあらゆる世代がいる感じ。待合室には子供の絵本があり遊び場もある。大人はじっと待つ人がほとんどで持参した本を読んでいるのはほんのわずか。07-2-14

 

嬉しいようなこまったような。友達が体にいいからと野菜ジュースをくれた。それはそれでおいしいから喜んで飲んだけどその缶 に『1日分の野菜が取れる』と書いてあったのが気になった。これで1日分が取れてしまったらせっかくの食べる楽しみを奪われてしまうと。幸いまだ健康な口があり胃があり腸があるんだからできるだけそれらを働かせて使ってあげたいと思う。元気でいてほしいから。07-2-13

 

ついに1周年!!魚のモンク・ホーシャが我家に来てから1年が過ぎた。最初は7匹だったのに今はたった1匹に・・・。6匹にはかわいそうなことをしてしまったけどそれぞれ好きな居場所があって特徴もあったのでちゃんと覚えてる。仲間がいなくなり1匹になってもよく生き延びてくれたと感謝の気持でほめてあげたい。今では4Bくらいで倍に成長して立派になり、もうすっかり大人の風格。07-2-12

 

雪まつりを見てみようかなと思ったのは新聞で『美ら海水族館』の雪像があることを知ったため。大きな水槽でゆうゆうと泳いでいたジンベイ鮫が雪の土台の上にどっしりと横たわっていた。実物よりもちょっと太めだったけどあらためてその大きさに圧倒される。初めての沖縄への旅は2003年の10月だったからもう4年前になってしまったけど南の島の太陽と海での感激がよみがえってきた。07-2-11

 

さっぽろ雪まつりを見る。大通公園の会場を人の波に乗って半分くらい回った。以前と違うなと感じたのは大雪像が減ったぶん参加型の催しものや施設が増えたなというところ。滑り台や子供達を乗せて走るミニSLには長い列ができていたし北海道の旨いものコーナーも人だかりで大混雑。全体の迫力はなくなったけど観光客中心だった雪まつりが市民も楽しめるものに変わっていくのかもしれない。07-2-10

 

NHKが国の力を借りていよいよ本格的に強引な手を使い始めた。真面目に真剣に生きてる人達からおどしで金をまきあげようというのだからあきれる。自分達の行いを正すどころか反省してる態度さえも疑わしいのによくも金を出せと言えるものだ。NHKの考えは見えている。お上には逆らえないはずとの読みで押し切るつもり。そこまでするなら国営放送にしたほうがすっきりする。今もそんなもの。07-2-9

 

椅子から立ち上がったとき腰のあたりに筋肉痛のような軽い痛みを感じた。『今日はとくに無理な動きをしたり体を酷使したわけでもないのにどうしてだろう?』とそのときはその原因が思いつかなかった。しかし、もしかしたらとあとで気づいたのが2日前の雪捨て。どう考えてもそれしか思い当たるものはない。しっかり汗をかくほど頑張ったのはたしかだけどその疲れが2日後の出るとは・・・。07-2-8

 

さっぽろ雪まつりが始まった。昨日の初日はあいにくの雨。それも傘が必要なくらいの雨だから、せっかくの雪像が溶けてしまってかわいそうだし、楽しみにして来た観光客にも申し訳ない気持になってしまう。できれば会期中だけでも雨は降らないでほしいと思ってたら今日は大雪。この雪が化粧直しになって雪まつり気分をさらに盛り上げてくれるだろう。晴れてて寒いのが一番だけど雪ならいい。07-2-7

 

頭の部分だけではあるけど裁判を傍聴して感じたことのひとつは白熱したやりとりはほとんどなくシナリオに沿って淡々と進んでるという印象。考えていたほど論理的でもなかった。検察と弁護側の主張は平行線のままで真実を明らかにする場というより互いのメンツを賭けた駆け引きの場のよう。正直、これではいけないと思った。話は飛ぶけど、映画『それでもボクはやってない』を観てみたい。07-2-6

 

まだ続く。裁判スケッチの仕事で3つの事件の法廷を最前列で延べ8回体験してる。どれも殺人事件の法廷で独特の緊迫感が漂っていた。すべてが間近で進行するわけで最初のときは少し緊張もしたけど関心のほうが大きかった。テレビ局で急いで描き直して着色しなくてはならないので簡単なスケッチを終ると30分ほどで退廷したができればもっとじっくり傍聴していたかった。もう1回続ける。07-2-5

 

昨日の続き。だからといって今の裁判のあり方がいいと思ってるわけではない。裁判も非常に危ない方向に向ってるのを感じる。最近でもいくつかの『疑わしきは罰する』の判決や『被告人が無罪であることを自ら証明しない限り有罪』という怖いものもあった。これでは警察と検察の怠慢を許してるようなもの。えん罪は必ず起こるから裁判は大事な問題。まず先に分立してるかどうかを問うべき。07-2-4

 

参加に消極的78%。これは裁判員制度に「参加したくない」などと消極的な回答をした人の割合。当然の数字だと思う 。とくにここ数年は討論どころか話し合うことさえ避け、意見の違いを尊重するどころか拒絶するか無視するか最悪は抹殺しようとする国の流れのなかで 自分の考えを正しく伝える自信がないと答えるのはすごく自然で素直な感情の表れ。09年5月までに導入するなんて無茶。07-2-3

 

100号2点のキャンバス張り。しばらく振りに大きなサイズのキャンバス張りをした。100号は4年振りくらいだろうか。やり慣れた作業なので順調に進んだが終る頃には指にマメができた。それでもそんなことは気にならずまだ張り続けたい気分。綺麗に張れたキャンバスを見るとわくわくするからそんな気になる。いよいよ5月の個展の全体構想が固まり、作品を仕上げていく段階に入った。07-2-2

 

札幌市民会館が昨日を最後に48年の幕を下ろした。いくつかの生演奏を聴いた大ホールも懐かしいが、若い頃、会議室でやっていたデッサン会にも随分通 った。仲間達と展覧会をしたことも思い出す。そんななかでも一番懐かしいのは大学1年のときのブラザーズ・フォアのコンサート。有名人を初めて生で見て聴く体験だったので感激したのを覚えてる。そこには青春時代のほろ苦い恋もだぶる。07-2-1

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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