ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

演劇に感激。先日、友人の出演する演劇を鑑賞してきた。その会場は30人ほどで満杯になる大きさで舞台と観客が大接近している。すでに5、6回観ているので大分慣れてきたが最初の頃は演技者のあまりの近さに照れもあって落ち着かない気分だった。しかし、今回の劇では脚本も演技も素晴らしかったせいで知り合いが演じているという照れも緊張感もなく2時間の最後まで没頭できて大満足。10-11-30

 

朝、カーテンを開けてびっくり。一面が深い雪に覆われ完全な冬景色になっている。昨晩の『ひとこと』に天気予報のはずれを書き込んでいた頃にはすでに降り始めていたのかもしれない。それにしても急激な変化に驚いた。初雪のときも今度も何の前触れもなく突然一気にやって来る。1日遅れではあるけれど天気予報も見事に当った。それに従ってやったタイヤ交換 は正解だった。冬の始まり。10-11-29

 

天気予報は見事にはずれて雪はまったく降らず道路は乾いたままだった。昨日の疑いは当っていたことになる。明日も雪マークになっているけど、これも怪しくなる。降らないでくれるならそれはそれで嬉しいはずれだが、もしそうなったら積雪どころか降雪ゼロの11月になるわけだ。きっと記録的なことだと思う。雪なしを喜んではいられない深刻な温暖化が早い速度で進行しているのだろう。10-11-28

 

ようやくタイヤ交換。まだ大丈夫かと考えていたけど新聞の週間天気予報で明日、あさっては雪マークになっているので急きょ重い腰を上げることにした。今日は穏やかな天気なので、雪のなかでやるよりいいなとの思いもあった。やってみると気掛かりも簡単に消えて身も軽くなる。いつもなら、冬を迎える覚悟も付いてくるのに今年はそれがない。まだ、本当に冬が来るのかと疑っているようだ。10-11-27

 

子供の頃からじっとしているより動き回るのが好きだった。だからか、一番最初に憧れた職業はお決まりのように男の子のナンバー1の機関士だった。駅に停まっている汽車を飽きもせず眺めていたのを覚えている。それも、煙突から煙を出し何箇所かから水蒸気を吐き出しているときの生きているような力強さがとくに好きだった。こんなときは動かずにいたかったが、より憧れたのは運転する姿。10-11-26

 

雪は降らないし、厳しい寒さも来てないけれど外では冬の準備が進んでいる。昼には勢いよく流れていた安春川の水が夕方には止められていて濡れた底を見せていた。流れのない川底を見せられると動きのある季節の終りを告げられたようで寂しい気持になる。雪は積もるばかりで流れることはない。根雪になってしまうと春まで待たねばならないからこまったものだ。やはり、動きのある方が好き。10-11-25

 

季節感がずれている。11月の末というよりどうしても10月末のような感覚になってしまう。寒さや暖かさが交互にくるわけでもなく、ずっと穏やかで暖かな天気が続いているからなおさら12月が間近に迫っている暦が信じられないほど。10月の初雪以来雪はまったく降っていないせいもあって未だに車は夏タイヤのままになっている。タイヤ交換をしなくてはと焦るのはいつになることやら。10-11-24

 

今回の旅の十和田湖畔でおもしろい体験をした。湖畔を歩いて民宿に向っていたとき、幅が2mほどの小川に掛かる橋を渡りながらふと横を見ると川を挟んで左に青森県、右に秋田県と書かれた大きな看板が立っている。青森県だけでなく秋田県にも足を踏み入れていたのだ。何故かそのかわいらしい県境に興味と微かな感動さえ湧いてきた。市町村の境界には感じたことのない不思議な感覚だった。10-11-23

 

事故の話をもう少し続けたい。いくら事故を起こさないように運転者が気を付け注意しても相手のあることだからどうしても限界がある。今回のケースは状況から判断して運転者により大きな過失があると判断できるけど、新聞やテレビで知る事故のなかには運転者に同情したくなる場合もある。散歩をしている間にも一旦停止の標識を無視する自転車をよく見かける。こうなると運、不運の世界。10-11-22

 

一昨日の夕方の散歩の途中に交通事故現場に遭遇。遠くから見えていた赤色灯は救急車だった。多分被害者が乗っているのだろう。車のバンパーに自転車が挟まった状態になっている。出合い頭の事故のようだ。最初に思ったのは被害者も加害者も今夜は家に帰られないのかもしれないということ。そして、車を運転する立場なのでどうしても加害者の側から見てしまう。今一度、強く肝に銘じよう。10-11-21

 

明日搬入する30号の絵画作品を制作してしているが、ぎりぎりまで奮闘することになりそうだ。今回も以前にも触れた立体と絵画の制作過程の違いをしっかり体験している。絵画は何となく目指すイメージはあっても絶対的な完成形があるわけでないので、そのときどきの心の揺れ動きに影響されて作品の満足度も上がったり下がったりする。ときには方向さえ変化してしまう。もうひと頑張りだ。10-11-20

 

印象やイメージという意味で、長年の知り合いや教室の人達にときどき「・・・(自分の呼び名)もそんな失敗をするのがわかってほっとした」と言われるときがある。かなり慎重で計画的で堅い生き方をしているように思われているのだろう。確かに時間や行動にはそんなところはあると思う。でも「僕だって失敗や忘れ物だって結構しますよ」と正直に応えてより安心してもらうようにしている。10-11-19

 

「意外だった」。今月仕事で知った30代の女性に現在地下通路に展示してある作品を観てもらった感想を聞いたとき、最初に出たのがこれ。そして「おしゃれな作品だった」とも言った。どんな人にも第一印象によるその人のイメージというのがあるわけで、おしゃれとはほど遠い自分がそのまま言い当てられた気がした。それでも、作品を気に入ってもらえるのはとても嬉しいことだから大満足。10-11-18

 

風邪を引いたせいで、旅から帰ってすぐ始めるつもりだった絵画制作を先送りにしていた。中途半端な体調ではうまく描けないだろうし、さらに悪化させ長引かせてはいけないとの判断からそうしたがこれほど長引くとは想像もしていなかった。それでも先週の金曜日には30Sのキャンバス張りをしてジェッソを塗り制作を開始している。残された3日間でさらに集中力を高めていかなくては。10-11-17

 

こんなはずはないと思いながらも、ここ何年かで、もう何度も同じことを繰返しているからこれが今の自分と認めなくては。ようやく風邪が治ったとはいえ、まだ完治ではない。これだけ時間が掛かるのは以前より体力が落ち抵抗力や快復力も弱くなった証拠だ。風邪とわかってからは無理をせず早めに薬を飲みたっぷり寝て養生してたのになぁ。だから今は、こんなものだと受け入れるしかない。10-11-16

 

旅から帰って次の日あたりからその兆候は現れた。喉の奥がひりひりする。『これはまずい』と直感して風邪薬を飲み早めに横になる。それなのに予感は適中して、いつもの順序に従って症状が進んでいく。喉の次は鼻水、そして鼻汁、咳、痰と続く。風邪を引くときはだいたいいつもこのパターンだから喉の時点で治すのが肝心だったのに・・・。多分、制作と旅の疲れがたまっていたのだろう。10-11-15

 

旅の話は終りにして今に戻ることにする。札幌駅の待ち合わせスポットのひとつになった石の彫刻のところで中学時代の同級生と会い、居酒屋で祝杯を上げる。これまで10Hのマラソンは何度となく完走してきたが20Hの完走は今日が初めてだという。それもシーズン最後の大会で達成できた点も喜びを大きくしているようだ。競争意識を捨て自分のペースを守り抜いて完走したのは素晴らしい。10-11-14

 

旅での反省点は靴。靴に水が滲みることはわかっていたので防水スプレーを念入りに掛けておいたにも拘わらずその効果 は発揮されなかった。それぞれ靴は違うが屋久島でも横須賀でも東京でも、そして今回も滲みる靴に悩まされた。屋久島の大雨と横須賀の台風はしかたないにしてもちょっとした雨にも濡れてしまうのはこまったものだ。次の旅のときには雨の心配をしなくて済む靴で出掛けたい。10-11-13

 

いつものことだけど、旅に出ると普段よりさらに歩く距離は増える。携帯電話の歩数計のおかげでそれもしっかり記録されている。28日/10,236 29日/16,716 30日/23,742 31日/15,443 1日/20,864 2日/24,352になっていて合計で111,353歩で1日平均18,559歩になった。この数字を見ただけでものんびりした旅でないのがよくわかる。10-11-12

 

駅前のホテルの部屋は最上階の1401。駅に出入りする人や車が見渡せておもしろい。それに見入ってしまいそうだったが、さらに靴を乾かすため古新聞紙をもらいにフロントへ。係の若い人は新聞紙を使うのを初めて知ったと驚いていた。靴を乾かすのはドライヤーだと思っていたという。もちろん、外側はドライヤーが有効だけど内部は新聞紙がいい。これも新聞紙の活用の大事なひとつの例。10-11-11

 

足に手袋とマフラー。白神山地から弘前駅まで帰るバスでのこと。一旦、乾かした靴と靴下を河原での石拾いのせいでまた濡らしてしまったので両方を脱いで胡座座りをした。それでは足が温まらないので手袋をはめて、マフラーでぐるぐる巻きに。ふと思い付いて初めてやったことだけど、これは効果 があった。不思議な恰好がおかしくてスケッチも。一人きりのバスだから気にする必要もない。10-11-10

 

白神山地の麓にある施設の軒下のベンチでスケッチをしていたときのこと。隣のベンチにやって来た老年の男女が煙草を吸い始めた。それを見た同じツアーの人が「もう、時間なんだからすぐバスに戻らなくちゃ」と声をかけると、その男は「タクシーで帰るからいい」と応えた。次に添乗員が来てすぐ戻るよう促されようやく重い腰を上げた。これからもツアーの旅はないだろうが、増々嫌になる。10-11-9

 

棟方志功記念館は小さな館だが見応えのある作品がたくさんあって充分満足できた。花札の図柄に刺激されて作ったという12ヶ月(12枚)のシリーズがとくに気に入った。これを観て感じたことだけど勢いだけでなく構成する才能にも長けていたことがよくわかる。ビエンナーレで大賞を取った作品も本人は即興で作ったと語ったらしいが、後に綿密な下絵が見つかったという話も興味深かった。10-11-8

 

三内丸山遺跡に復元された大型縦穴住居には驚き感動した。まずはその大きさにびっくりした。長さは32m、幅は約10mで高さは5、6m余りだろうか。全体の3分の2を占める重厚な茅葺き屋根が圧倒的な存在感を醸し出している。これが縄文時代とは。そして、内部がまたすごい。太い柱と梁によって造られた広々とした空間は厳かな空気と静けさに包まれていた。しばし、悠久の昔を偲ぶ。10-11-7

 

にわかカメラマンだらけ。名勝地や記念の建物などを前にしたとき、自分の目でゆっくり眺める暇もなく携帯やデジカメを構える人が随分多い。自分の心に刻む記憶よりカメラに記録することを優先しているようだ。もしかしたら、後から自分で見るためというより誰かに見せるために撮っているのだろうか。はたまた、そのどちらでもなくただただ撮ることだけが目的になっているのかとも思える。10-11-6

 

今回の旅で楽しみにしていた十和田市現代美術館は期待はずれで残念だった。一作家一部屋という造りはいいのだが、中味は乏しかった。美術館の売りにしている巨大なおばさんと暗いレストランの窓からハイウェイが見えるのと椅子に昇り穴から覗く作品はよかったが、あとの12作品はどれも中途半端な気がした。野外はまだましでも、予定していた時間の半分ほどで終えてしまってがっかり。10-11-5

 

列車で海峡線を走るのは2度目だけど、最初のときはすでに暗闇だったので風景を眺めながらは初めてになる。函館山がまるで島のように見えるのもおもしろい。ここら辺りまで来ると北海道というより本州の風景に似てくる。それは山沿いの狭い土地に立つ家々と杉の木の多さだと思う。自分の持つ北海道のイメージとは明らかに違う。海峡を隔てているとはいえ本州の風土が伝わって来たようだ。10-11-4

 

今年の旅でもいろいろな体験や感じることがあったのでそれを書き留めておきたい。函館港の岸壁には青函連絡船の摩周丸が係留されていた。それほどたびたび乗船したわけでもないが懐かしさが込み上げてくる。全部で4往復だろうか。一番思い出すのは大学受験のため東京に向うときのこと。行きは戦いに挑む強い気持で乗船ブリッジを渡り、帰りは次の戦いへと気持を切り替えるときになった。10-11-3

 

ついに旅の最終日。今日も雨。傘を差しながら弘前城に向う。お堀の内側の広さにびっくりする。それに比べて天守閣がやけに小さく見えた。城内を見学したあと、近くにある武家屋敷へ。立派な造りだけど部屋の火鉢が寒々と見える。それなら平民はよくぞ生き延びたと感心してしまう。弘前から青森、青森から函館、函館から札幌へと列車を乗り継ぎ地下鉄と徒歩で夜の11時40分に我家に戻る。10-11-2

 

雨のなか7時38分発の列車で弘前へ。ホテルに荷物を預け、バスで白神山地を目指す。山あいに入ると『猿出没注意』の看板が。『熊』『鹿』でないところが新鮮。黄金色のブナ林を過ぎ、渓流と岩肌に沿って歩き、急斜面 を登ってようやく暗門の滝に到着。奥入瀬よりずっと激しい道のりだけどこれも楽しい。下に戻って靴下を履き替え、靴に新聞紙を詰めて乾かす。帰りのバスはまたひとりきり。10-11-1

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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