ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

セゾン美術館に大満足したあと、少し早めに帰りのバス停に向う。これに遅れたらどうしようもない。それなのに到着時刻になってもバスは来ない。早く来てくれと首を長くして待った。3分遅れでようやく到着。貴重な6分のうちの3分が失われた。運賃を握りしめこれ以上遅れないでくれと祈るばかり。幸い3分を維持したまま駅前に着く。ドアが開くと同時にホームに向って猛ダッシュ。続く。09-11-30

 

この後の出来事は今回の旅を象徴していた。軽井沢駅に降り、セゾン美術館へのバスを調べると1時間後になっている。そんな余裕はないので観光案内所で相談すると違う経由を探してくれた。落ち込んでいた気持が一気に回復。念のため帰りのバス時刻と乗り場も確認。そのバスが駅に到着後、新幹線の時刻まで6分しかない。万一を考え一旦ロッカーに入れたバッグを持っていく。これが大正解。09-11-29

 

無言館では戦争のため若くして亡くなった画家やその卵達の作品に感動したが、その近くの信濃デッサン館ではさらに深く心に沁み入るものがあった。そこには村山槐多、関根正二、松本俊介などのデッサンが展示してある。そして、この3人も22才、20才、36才の若さで亡くなっている。信じ難いほどの深さと鋭さの描写 にただただ感服。館内にたった一人で鑑賞できたのも幸せだった。09-11-28

 

真っ暗闇のなかを進む善光寺のお戒壇巡り。本当の真っ暗闇に包まれる恐怖感。頼りになるのは右手で触る壁や柱だけで目は何の役にも立たない。頭上がどのくらいあるのかも、どこで曲るのかも、暗闇がいつまで続くのかさえもわからない所に立たされると不安でいっぱいになる。それでも、そこを出るには前に進むしかない。そして、最後の角を曲ったその先に見えたほんの微かな光に救われた。09-11-27

 

松本から長野へ向う列車で初めての体験をする。まだかなり高い山の上の駅に列車は止まった。登山姿の人が降りたから登山口があるのかもしれない。見晴しは抜群で遠くまで見渡せて、眼下には街並が小さく見える。見とれていると列車が突然バックし始めた。500mほどバックした後、再び前進することに。その駅への引き込み線だったのだ。きっと、鉄道マニアにはたまらない地点だろう。09-11-26

 

高山から松本に戻るときのバスでは一番前に座って景色を充分に堪能したが、運転手のすぐ後ろに座った男性の行動はどうにも理解できなかった。人のことだからどうでもいいといえばそれまでだけど、座るなり本を取り出し読み始めた。風景には目もくれない。本を読んでないので外を見てるのかと思ったら寝ている。それなら、どうしてわざわざ窮屈な一番前の席に座るのだろう?わからない。09-11-25

 

どこの町にもその町の表情というのがある。松本の市内を歩いていて落着いた雰囲気が何となく金沢に似てるなと感じた。街並は小綺麗で歩道もゆったりしている。高山はちょっと違って新旧が雑居しているようなところがあり変化に富んだおもしろさがある。町家造りが連なるさんまちは道幅も狭く夕刻には薄暗くなり昔の雰囲気が漂う。それにしても5時にはほとんどの店が閉まるのには驚いた。09-11-24

 

旅の最初に慌てて失敗しそうになったおかげでその後はしっかり確認するようになった。そのまま甲府行きに乗ってたとしても甲府で乗り継げるのだが松本まで一気に走るほうがのんびりできる。気づいてよかった。でも、ちひろ美術館へは歩くかタクシーしかないのは誤算だったし、駅に降りたのに入れなかった録山美術館の閉館時刻も勘違いしていた。旅の前に確認しておくべきだったと反省。09-11-23

 

今日は今年の歩く旅を決行。どうせ歩くなら紅葉の時季がいいと考えて定山渓に向うつもりだった当初の予定をモエレ沼公園に変更して11:10に自宅を出る。12:10丘珠空港前。収穫後の畑を横目に歩き続け13:00モエレ沼公園着。同じルートを戻るのではなくアーティスト展に寄るため大きく迂回する。自宅到着は16:50。歩いた時間は4時間40分。これで今年の旅も無事完了。09-11-22

 

新宿から松本に向うホームに降りるとすでに列車が入っていたので慌てて飛び乗った。自由席は比較的空いていて窓際を確保。いよいよ始まる列車の旅が嬉しくてわくわくしていると車内放送で途中の停車駅の案内が流れた。知らない町が多いのは初めてだから当然だと思ったが何かひっかるものを感じた。そして、発車間際に車掌に確認すると甲府行きだという。急いで飛び下りて、危うくセーフ。09-11-21

 

旅の話のあいだに今日のことを。グループ展のあとに描き始め、旅から帰って仕上げた30号の作品の搬入と飾り付け。この展覧会は自分が住む北区の画家や美術作家、版画家など30名による『北区のアーティスト展』というもの。最初から参加していてすでに11回目になった。この搬入が済んでずっと続いていた忙しい流れにようやくひと区切りがついた。それでもいくつか予定が待っている。09-11-20

 

ネタはたくさんあるので旅の話がしばらく続きそう。今年は家の灯の心配も耳の不安もなく安心して旅立てたのが嬉しかった。おかげで、千歳空港に向うバスから見えた真っ赤な朝焼けに素直に感動できたし、搭乗前も機上でも飛行機に乗る嬉しさで心は満たされていた。去年は耳を選ぶか屋久島を選ぶかの重大な決意のうえでの飛行機だったから大違い。でも、楽しみの窓際は雲ばかりでがっかり。09-11-19

 

去年の屋久島とは打って変わって、今年の旅はかなり目まぐるしく動き回る旅だった。旅に出るとゆっくりのんびりできないのはいつものことながら今回はとくに忙しかった。東京は別 にしてまた訪れることはできないと思うからなおさら頑張ってしまう。動き回るのが好きだということは、どうせ行くなら新しい場所に行きたいとの気持が強いということ。とにかく慌ただしくも楽しい旅だった。09-11-18

 

いよいよ最後の日。寂しさが湧く。そのうえ、あいにくの強い雨。世田谷美術館での企画展はパスして収蔵展だけ観る。目黒美術館では企画の『炭坑展』。写 真、絵画など見応えあった。駅前で焼き魚定食を食べ、東京現代美術館の『レベッカ・ホルン展』へ。おもしろかった。もっとのんびりしたかったが国立近代美術館の『河口龍夫展』へ向う。見応え充分。20:50発の最終便で千歳に戻る。09-11-17

 

朝6時にホテルを出て善光寺へ。スケッチをしてからお戒壇めぐりをする。真っ暗闇の中を進む恐怖を味わう。長野駅で東京までの新幹線の乗車券を購入。信濃美術館で『POP ART展』を観る。期待はずれ。10:22発の新幹線で上田へ。無言館と信濃デッサン館を回る。デッサン館により感動。今度は軽井沢で降りてセゾン美術館へ。ここは素晴らしい。三度目の新幹線で18:32東京着。09-11-16

 

朝7:50発松本行きのバスに乗る。一番前に座る。見晴らしはいいが足が少し窮屈。10:10松本着。JRに乗り換え長野へ向う。土蔵と軒下の柿に旅の情緒が漂う。たくさんのトンネルをくぐって長野に入ると林檎が目立つようになった。長野で乗り換え松代の池田満寿夫美術館へ。有名になる前の作品に触れて改めてその才を知る。長野へ戻って夕暮れの善光寺を眺め、その威容に圧倒される。09-11-15

 

6時起床。シャワーを浴び、サービス朝食を食べ、8時にホテルを出て雨の中を歩いて松本城へ。小振りだけど力強い感じ。城内は展示物が少なく今までの城で最も城そのものを体感できた。松本市美術館では草間弥生展に出会う。大感激。美術館も素晴らしい。11:10発のバスで高山へ。紅葉は過ぎていて残念。高山着後、飛騨の里、高山陣屋を回る。見応えあり。さんまちを散策後ホテルへ。09-11-14

 

朝5:50発のバスで千歳空港へ。羽田に到着後、新宿へ行き、ホームで秋野菜弁当を買ってあずさ13号に乗る。弁当も田園風景も味わい深く大満足。松本駅で乗り換え信濃松川へ向う。駅からちひろ美術館まで徒歩30分。施設は素晴らしいが展示内容はいまいち。ハイヤーで駅に戻り隣の穂高へ。しかし、4時なのに碌山美術館はすでに閉館。残念。松本へ戻りホテルへ。散策後10時就寝。09-11-13

 

明日、今年の旅に出る。今年の旅という言い方も変だけど、年に一度の旅が今回で7度目にもなるのでそれが自然な気持。沖縄の波照間島から始まり、倉敷、直島、金沢、京都、大阪、名古屋、豊田、神戸、東京、埼玉 、横浜、鎌倉、横須賀、屋久島などへ行き、今年は信州へ向う。今回は東京経由で松本、高山、長野、軽井沢と回り、再び東京に戻る4泊5日の予定。1年振りの飛行機が楽しみ。09-11-12

 

数合わせ。いつも朝食用に6枚入りの食パンを買う。毎朝きまって2枚ずつ食べるので3日でなくなる。間違って5枚入りを買ってしまったとき、一瞬こまったなと思ったけど何のことはないもう一度5枚入りを買えばいいのだ。そして、パンの上には薄切りハムととろけるチーズを載せてトーストする。こちらは9枚入りと8枚入りで数が合わない。それでも、ハム2枚の日が1日あれば数が合う。09-11-11

 

壊れた3本を作るのに費やした10日あまりの時間と材料費の3万円も消えてしまった。と非観的に書き込んだあとで、いやそうではないと思い直した。もし、まだ観てもらう前の飾り付けのときならそうだけど、自分と観てくれた人達の記憶に残ったわけだから最後でよかったと考えればいい。そして、唯一絶対のものでないということが救い。同じ時間とお金をかければ再現できるんだと慰める。09-11-10

 

昨日の続き。真ん中のひと塊の部分が離れる瞬間は目にした。でも、落下の途中の記憶はない。次に目にしたのは大音響とともに砕け散り床に散乱している作品の片割れだった。頭が真っ白になり言葉が出ないとはこのこと。慎重にやってたはずなのに・・・。落下によって巻き添えをくったのが2本で合計11本の内の3本がこなごなに。まさに過ぎたるは及ばざるがごとしだ。何ともつらい学習。09-11-9

 

悲しい出来事。グループ展も終りの時間がきて搬出作業を始めた。組み立てたときと逆の順序で解体に取りかかる。最初は最も高い所なので念のためひとりに片側を支えてもらいながらはずそうとするがなかなか離れない。万一の分解を心配して多めにつけた両面 テープが強力過ぎたようだ。それでも徐々にはがれてきたので、ちょっと多めの力を加えたときに悲劇は起こった。それは一瞬の出来事。09-11-8

 

今日はギャラリーに顔を出さずに一日中家で絵を描く。久し振りの絵筆のせいもあってかイメージはしっかりあるのにそう簡単には現れてくれない。2歩進んでは1歩下がり、1歩進んでは2歩下がり、また一歩進むを何度も繰返す。そうするうちに、少しずつ先が見えてくる。それでも、急につまらなく見えてくることもあるから不思議な世界だ。落ち着き先は行ったり来たりのあとに待っている。09-11-7

 

グループ展の当番日。朝10時から夕方6時までずっとギャラリーに詰める。有難いことにほとんど途切れる間もなく多くの人達が観に来てくれて時間を持て余しはしなかった。グループ展だからその分来場者も増える。それでも、お昼時の30分ほどは途切れたので、その時間を利用して写 真撮影をした。うまくやっておかないとタイミングを失って最後に慌てる場合もあるので撮り終えて一安心。09-11-6

 

木枠に張ったキャンバスにジェッソで地塗りをして描くための下準備をする。この辺りから徐々にイメージを膨らませ制作モードへと入っていく。今回は制作したい世界の関係でキャンバスを寝かせて描き始める。やはり、昨日の『ひとこと』で書いたようにただ黙々と進める作業とは違って新たな展開の連続になるから、その先をどう表現していくかでちょっと離れては眺めて思案するときが必要。09-11-5

 

久し振りにキャンバス張りをする。グループ展への出品も済み、次の展覧会のために30号Sを準備した。今度は絵画なので立体とはまったく違った気持と過程で制作ができるので楽しみ。立体にもいろいろな制作方法があるが自分の場合は完成図に従い決められたサイズのパーツを黙々と作り続けるので変更の入る余地はない。ただただ、完成した姿を見たいがために頑張る。絵画に完成図はない。09-11-4

 

冷たい空気のなかを歩き、地下鉄に乗ってギャラリーへ。飾り付け後の作品と初めて接するときはいつも楽しみと共に多少の緊張も伴う。そこには、作品がしっかりその場に落着き、自らで主張をしているかどうかの心配も含まれている。そして、作品を目にしたときの印象は 『自分の手を離れてしっかり自立している』というものだった。これは嬉しい感じ方。新たな発見があったらもっと嬉しい。09-11-3

 

ふわふわと風に舞う初雪を浴びながら出品作品を車に積込む。気温は急激に冷え込み寒さが身にしみる。やっぱり天気予報は当って冬への移行を告げられた。何とか自分の車に作品を収め展覧会場のギャラリーへと向う。搬入飾り付けは自分の作品の全容を初めて見る機会になるわけで大きな期待と多少の不安が入り交じる。予定よりも組立てに時間がかかり、ゆっくり眺めるのは初日へと持ち越す。09-11-2

 

いよいよプチプチの段階。制作は終了して梱包作業に入れるというわけ。ホームセンターでもプチプチはしっかり通 じた。以前、正しい呼び方を聞いたのに忘れてしまった。作家名と作品タイトルのプレートを作るためノリ付きのパネルを買おうと「ハレパネはどこにありますか」と聞いたけど、こちらは通 じなかった。これは『貼れるパネル』をもじった商品名で、画材屋ではわかり合える言葉 。09-11-1

 



ウィンドウズで御覧の方は文字の表示を最小にしていただくと私のレイアウトに近づきます。

 

NAKAHASHI OSAMU

作品の著作権を侵害することのないようお願いします