ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

その場で手持ちの1万弱の迷惑料を払い、翌日再び会う約束をしてそこを離れた。翌日の夜、誰かを連れてくるようだと面 倒だなと心配しながら約束のファミレスで1時間待っても来ない。携帯にも出ない。なぜ?ようやくかかってきた携帯で違う場所のファミレスで待ってるうちに寝てしまったという。やはり正直な人だ。そちらに急行し、体の無事を確認してからさらに慰謝料を渡して一件落着。07-6-30

 

さらに幸運なことはそのライダーがとても正直で真面目な若者だったということ。そして、冷静なひとことにさらに助けられた。ぶつかりはしなくても事故になるのかと思いすぐ警察に連絡をした。すると、彼は体は擦り傷だけで大丈夫だしバイクも問題ないから警察を呼ぶのは止めましょうと言ってくれ自らの口で断ってくれた。一抹の不安もあったけどその選択は大正解だった。その結末は明日。07-6-29

 

このままだとまちがいなくぶつかると覚悟したとき、その寸前でバイクが倒れてくれたのだ。もちろん倒れるもの大変なことだけどぶつかる比ではない。これにはふたつの幸運が重なっていた。道幅が狭いからバイクもノロノロ出てきたこと、そして運転者の反応が素早かったこと。車とバイクを歩道に移動してからライダーに体のことを聞くと肘の擦り傷だけだというのでものすごくほっとした。07-6-28

 

それは3日前の夕方のこと、頭のなかが一瞬真っ白になった。片側1車線の交差点で右折しようとしたら対向車のワゴン車も右折のウィンカーを出しているので右に曲り始めたそのとき、ワゴン車の横からバイクがこちらに向ってきた。もちろん見えてなかったからびっくり仰天。『え〜〜』っと思ったけどできるのはしっかり見つめて息を飲むだけ。そして、次に奇跡的な瞬間を目にした。続く。07-6-27

 

個展のカード、HPが済んだらつぎはファイル。どの作業もそうだけどやり始めるまでが大変。やる気になって始動すればあとは流れで出来上がっていく。そこは作品制作と似たところがあって出来上がりを早くみたいという欲求が頑張る力になってくれる。間を空けずに始めたいと思いつつ・・・。07-6-26

 

朝から夕方まで頑張ってようやくHPの中の個展報告を作り終えた。最初はどうしても戸惑いながらで時間もかかる。慣れてたはずの作業も1年振りとなると忘れてしまう部分がある。流れで手順を覚えてるはずなのに突然記憶が途切れてしまうのが悲しい。前回も苦労して、そのとき書き留めた手順ノートが役立った。これからはさらに詳しく『なんでここまで』というとこまで書き込んておこう。07-6-25

 

男の旅と女の旅。男の一人旅はもともといるし、最近は女の一人旅もめずらしくはない。しかし、何人かの旅となると圧倒的に女が多い。というより男どうしの二人旅や三人旅は想像するのもむずかしい。時代劇なら思い浮かぶけど・・・。車の旅ならまだしも列車やバスに並んで座ってる姿が浮かばない。これはどういうことなんだろう。男は目的が定かでないと一緒に行動できないということ?07-6-24

 

10年近く何度も車で通い慣れた道を初めて歩いてみた。風景の違いよりも足で感じた坂道の傾斜が心に強く残った。1歩1歩踏み締めながらゆっくりゆっくり坂を下った。こんなにゆっくり歩いたのは久し振りの気がする。懐かしい思い出のある家から遠ざかるのを惜しむかのように歩を進めた。そして、街路樹や建物は穏やかに映り、人も犬も車も音のないまま行き交っている。無音の夢のよう。07-6-23

 

夏至の長い一日。朝方、個展の報告を兼ねた礼状の宛名書き。昼は真夏のような炎天下にアトリエの周りの草取り。汗が滝のように流れる。帰りの車から見えるのは青空と上へ上へと勢いよく伸びる入道雲。ポプラの綿毛が舞い込み、暑いのを我慢して車の窓の開きを小さくして走る。夕方、礼状を投函。そのまま徒歩と地下鉄でキャンドルナイトの会場へ。空には半月が。夏至の過ぎ去る寂しさ。07-6-22

 

日ハムは開幕当初負けることが多く、今年は燃え尽き症候群かと思ってたら連勝で勢いを取り戻し『もしかしたら今年も』が夢ではなくなってきた。それには応援の力も重要なんだと思う。その応援の話をしていておばさんパワーにすっかり圧倒された。気合いの入れかたがまるで違う。プレーやゲームを楽しむというより応援そのものを楽しんでいるのだ。強力なおばさん応援団は見事に定着した。07-6-21

 

大事な人を失う哀しみ。自分のことをというより自分の作品を気に入ってくれる人は有難い。もちろん自分だって気に入られたい、でもそればかりで作品に関心を示してくれなければ寂しい。もし、両方気に入ってもらえたら最高に嬉しい。ここ10年の間、好意的にそして強い関心を持って僕の作品を観続けてくれてた大切な人が亡くなった。まだまだ語り合いたいことがたくさんあった。悲愁。07-7-20

 

個展が終って1週間が過ぎ、ようやく疲れもとれてきた。それと同時に個展が随分前のことのような気がしてくる。昨日、ギャラリーに顔を出してみると次の人の作品が展示してあり、自分のときとはまったく異質な空間になっていた。そのとき、個展がますます遠ざかり同じ場所に作品があったことさえ遠い昔の出来事に思われた。でも、本当に区切りがつくのは作品ファイルを作り終えたときだ。07-6-19

 

昨日のことをもう少し書きたいので続く。自分の国の文化がそれも自然発生的な風習が受け継がれて残ってるのは嬉しいことで、僕なら『ハロウィーンとは無関係だそうだ。よかった。』となる。ちなみにハロウィーンを調べると『万聖節の前夜祭、10月31日。キリスト教国では悪霊退治の日とされ、子供達が仮装して練り歩く』とある。『残念』がピンとこないしどうしても真意がわからない。07-6-18

 

『北海道の常識は本州で非常識?』という見出しで北海道独特の「歳事記」などを書いてある新聞記事に納得できない『?』の部分があった。『七夕に「ろうそくだせよ」と歌いながらお菓子をもらいに近所の家を回る』という行事の起源は『松前藩で寺子屋に通 う子供たちが灯篭を手に行列したのが始まり』とのこと。それに対して『ハロウィーンとは無関係だそうだ。残念。』とはどういう意味?07-6-17

 

続き。夜10時20分頃、映画館を出るとアーケードの下には音楽に合わせて創作ダンスをしたり、ギターをひきながらオリジナルらしい曲を唄い、それを聴くため道路に座っている若者達が大勢いた。夜の街はまだまだこれからといった雰囲気で賑わっている。それぞれの真剣さが伝わってきて、興味もエネルギーもいっぱいだった青春時代の思い出がふとよみがえり懐かしさを胸に地下鉄駅へ。07-6-16

 

『奈良美智』は『ならみち』でなく『ならよしとも』と読む。何年か前、雑誌で初めて作品と名前を見たとき『ならみち』と読んでしまい女性と勘違いした。そのころは睨みつけるような顔の女の子を描いていたが最近は穏やかな目になってきている。大勢の人達と一緒に作品を作るうちに以前のような目は描けなくなったという。作品が変わったのではなく自分が変わったのだと。うなずける言葉。07-6-15

 

2日続けて映画を観る。今日は夜の8時20分から上映の『奈良美智との旅の記録』。2時間のドキュメントは内容が濃く充分楽しませてもらった。しかし、映画とは違うところで驚いた。観客に男がいない。入場前と上映後に軽く見渡したが男はひとりも発見できなかった。少なくとも40人程の中にはいなかった。いるのは20、30代の女性ばかり。まるで男性タレントのファンクラブのよう。07-6-14

 

今日も暑い一日。蒸し暑い家に帰る気になれず昨日とはまったく違う小さな映画館に足を運ぶ。そこへ向う途中すごい穴場を発見。長い地下通 路が冷房が入ってるかと錯覚するほど冷えきっていた。立派で広々してるのに人通 りが少ないからなおさら涼しい。目的が違うのではと勘違いしてしまう。観た映画は『魂萌え(たまもえ)』で風吹ジュン主演。すっかり入り込み、終ってからも余韻に浸る。07-6-13

 

気温は上がり29℃に。2日続けての夏日。涼しいところを求めて本を読んだりしていたがそれにも飽きたころ映画を観たくなる。最初は美術家のドキュメントを観ようとしたのに夜の8時からだという。そのときは昼の3時だからあきらめて劇場がたくさん集まってる映画館に向った。15本もあるのに興味がそそったのはその内たったの1本。それも運悪く15分前に始まっている。ついてない。07-6-12

 

今日は26℃もある夏日。まるで夏の日差しのようだった。強い太陽を受けるのがつらくて日陰を探して歩いてた。知り合いの展覧会に行くのに車にするか地下鉄にするかちょっと迷ったけど結局地下鉄を選ぶ。しばらく歩いてないし、この暑さなら車のほうが大変と判断。この時期は意地でクーラーを入れない。地下鉄は正解で往復の50分近くをぐっすり寝てた。疲れはまだたまってるみたい。07-6-11

 

個展が終了。いつものことながら終った瞬間は寂しさがつのるもの。もう観てもらえない寂しさが80%で緊張が解けてほっとするのが20%といったところだろうか。ギャラリーにすっかり馴染んだ作品を降ろすのは明日だけど、気分的にはもうそこから消えている。自分のというより作品にとっての晴れ舞台が終ってしまった感じで、作品が自宅に戻ったら『お疲れさま』と言ってあげたい気持。07-6-10

 

場との出合いは人との出合いにもつながっている。ましてや発表の場での出合いは作品を介してのうえだからなおさら嬉しい。長年、真剣に追い求め探し続けてきた世界を表現した作品達は自分そのもの。うまく伝わってくれるかどうかは作品の出来にも関係してくるがその部分も含めて語る言葉以上に今の自分を表わしてくれるはず。その作品に触れてもらったうえでの認識は素直に受け入れたい。07-6-9

 

個展はあと2日。火曜の定休日を除いてすでに9日通った。これは今までで最長。嬉しい意味で長いと思ってた会期もあと2日になってしまった。新しい人達を含めて随分多くの人達に観てもらってるが、終りが近づくとまだ来てない友人、知人になんとか観に来てほしいという願いも強くなる。07-6-8

 

今朝、昨日の天気予報では一日中傘マークになってたので当然雨が降ってるものと思ってカーテンを開けると薄日が差していた。そのまま昼までいったので予定していたカルチャーセンターの風景スケッチを決行することにした。しかし、描き始めて15分 経ったころ雨が降り始めて中断。すぐに止みそうにないと判断して教室に向う人と続行する人に分れたら最後には晴天。天気の読みはむずかしい。07-6-7

 

生活のリズム。早起きの習慣はすっかり定着したようで、目覚ましなしでも6時前後には目覚めるようになった。そして、すぐに起きることができる。かつては目覚めてから起きるまでがつらくてもう少しもう少しと布団の中にいる時間を引き延ばそうとする欲求と早く起きねばという気持との闘いだった。起きた夢を見て安心してしまいあせってこともある。今の睡眠時間はだいたい7時間がいい。07-6-6

 

火曜日はギャラリーの定休日。個展が始まってから6日間ずっと通っていたので疲れがたまっていて、ちょうどいい休みに。3日目あたりからそれまでの疲れも出て夜の9時にはもう眠くなり早々と布団に入っていた。明日からは後半に入り、終りに近づく寂しさが徐々に湧いてくる。解放されてほっとしたいめんもあるけどギャラリーにすっかり馴染んだ自分の作品を撤去する寂しさのほうが大きい。07-6-5

 

フィルムはもしあるとすればあそこという場所にちゃんとあったので一件落着。なくなるはずはないと思っていても心配だった。でも、見つかってしまえば『な〜んだ』という感じ。バッグに入れてたフィルムがなくなったのはギャラリーでカメラを取り出すためいったん机に出したのがそのままだったということ。なにげなくやった行動というのはなかなか思い出せないものだ。とにかくほっとした。07-6-4

 

夕方6時にギャラリーを閉めたあと、昨日撮影したフィルム4本を出すため写 真屋に向った。途中、フィルムを取り出しておこうとバッグの中に手を入れたが手に当たらない。『え、どうして』と思いながら信号待ちするたびバッグとリュックの中を探すがやっぱり見当たらない。どうしてないのかがわからない。今朝、まちがいなくバッグに入れたはず。家に帰ってもやはりない。いったいどこへ?07-6-3

 

初めてのギャラリーで発表するといつも新たな出合いがある。今回はとくにたくさんの人達に作品に触れてもらえるのが嬉しい。もちろん、以前から個展に来てくれてる人もいるから、ずっと会場につめていても寂しい思いをしないですむ。4日目になるとさすがに疲れもたまってくるけどわざわざ来てくれる人達の優しさと作品との触れあいを喜んでくれる姿に癒される。貴重な機会を大事にしたい。07-6-2

 

今朝も会場で作品の配置替えをしてようやく安定した状態になった気がする。これは壁面 全体(幅13.5m×高さ3.5m)をひとつのキャンバスのように考えて、青と黒の大小様々な60点 あまりで構成した作品。それでも一番最初の設置から7、8点の作品が下ろされた。流れをよりはっきりするためと間を活かしたくてそうした。これからもイメージがさらに進展したらそれに合わせたいと思う。07-6-1

 



ウィンドウズで御覧の方は文字の表示を最小にしていただくと私のレイアウトに近づきます。

 

NAKAHASHI OSAMU

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