ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

 

続き。ダビングをするための作業をやっていてわかったのは、これまでいかにレコーダーを使いこなしていなかったかということ。極めて基本的なそして簡単な操作しか使っていなかった。だから、手引書片手に悪戦苦闘の連続になる。たとえ、経験のある操作でもしばらくやってないと忘れてしまうくらいだから戸惑って当然だ。もっと早い段階でいろいろな機能を試すべきだったと少し反省する。16-3-31

 

レコーダーのハードディスクからのダビングに苦労している。なにしろ修理に出そうとしていたわけだからいろいろな操作がスムーズに進んでくれない。起動さえも気まぐれでしたりしなかったりする。しないときは電源を切るしかない。それもそれなりの時間が必要になる。一時間以上待って、もう大丈夫かと思って試しても駄 目なときはどっと疲れてしまう。ダビングの作業でも中断の繰り返し。16-3-30

 

ついに昨日、札幌の積雪が0に。これは長い冬も終り春に入ったという宣言のようなもの。それにしても雪の少ない冬だった。札幌市の統計では例年の75%というが、自分の住んでいる場所では50%と言ってもいいくらいの感じ。昨年も少雪で早い春だったから、これで2年連続同じような天候になったことになる。こんな冬になってくれると楽で助かるのだが喜んでばかりもいられないのかな。16-3-29

 

修理に出したレコーダーに入っている大事な録画を思い出し、急きょ戻してもらう。実は、依頼したとき「ハードディスクの中味が消える可能性がありますがいいでしょうか」と言われていたのにそのまま渡していたのだ。大事なものとは『ハルカヤマ芸術要塞』のテレビの特集番組。そこには地中階段に溜まった雨水をバケツで汲み出す自分の姿と作品の全体が映っていた。これは無くしたくない。16-3-28

 

自分の悪事を自ら動画サイトに投稿する人間の真意は何なのか。当然それが決定的証拠となるのはわかるはずなのにそうするのは何故なんだろう。ただ単に目立ちたい欲求を満たすためだけだとしたらそれなりに達成できるかもしれない。しかし、いくら本人が軽い気持でやったにしても犯罪となれば悪ふざけでは済まされなくなる。そして、その代償は本人の想像を越える大きさになっているはず。16-3-27

 

いよいよ北海道にも新幹線が走り始めた。新聞やテレビでは大いに盛り上がりを伝えているが、いまいちその気になれないのは、札幌から遠い函館北斗駅までだということと失うものの大きさも影響している。もし乗るとしたらそこまででも3時間以上掛かかるし、東京行きの飛行機と比較しても便利とは思えないからだろう。その上料金も高い。もう嘆いてもしかたがないが寝台列車の廃止が残念。16-3-26

 

3月31日が今年度の期限の市の『とくとく健診(特定健診)』を受診。昨年も同じ頃だったのであえてこのときを選んだ。期限が迫っていると行かねばという気持も強くなるからちょうどいい。体重、身長、血圧の計測、尿検査、心電図検査、医者による問診と聴診器の診断、そして採血で終了。問題があると指摘されたのは血圧の高さ。薬の服用を勧められるが薬に対する不安と不信感が大きい。16-3-25

 

延長保証サービスの内容確認を怠っていたせいで損をしてしまうかも。レコーダーの不具合が出たのは買ってから2年も経っていなかった気がする。でも、自然に直ったのでそのまま放置していた。その後もあったが5年保証の期間内だからと安心していたのだ。それが4年も過ぎたので、今日ようやく修理に出すと1年毎に保証金額が減ってすでに50パーセントになっていると知らされた・・・。16-3-24

 

街の真ん中で火事の現場に遭遇。最初はかなり遠く(4、5丁先だろうか)の煙と赤色灯を目にして気付く。近づくとすでにかなり手前に規制線が張られていたが、そこから見ても煙の勢いはすさまじく何台もの消防車が懸命に放水していた。ニュースで見ることはあってもその現場に出くわしたのは初めて。かなり広範囲の規制のため至るところで渋滞が発生。街中での火事の被害の広がりも見た。16-3-23

 

豊かな社会とは選択肢が増えることのはずなのに今はどんどん狭まっている。寝台列車もそのひとつ。ついに『カシオペア』と『はまなす』も消えてしまった。廃止の理由が新幹線開業によるものだというから残念だし悲しい。スピードで時間の短縮に貢献する新幹線の良さもわかるけど、時間を掛けてゆっくりのんびりできる夜行の楽しさも残しておいてほしかった。これからもこの流れは進みそう16-3-22

 

ふと思い立ち大工仕事をする。制作する机の幅を広げるために収納できるサイドテーブル的なものを作りたくなったのだ。もともとの机も手作りだからそれの延長といった感じ。幸い自宅にある材料で仕上げられたので作業に専念できた。簡単な設計図をもとに木を切り、木工ボンドと木ネジで台を組み立て、脚を作ってそれらを蝶番で繋げた。やり直しもあったが無事完成。やっぱり木工も楽しい。16-3-21

 

「女性にとって最も大切なことは子供を二人以上産むことで、仕事でキャリアを積む以上に価値がある。子育てをした後に大学で学べばよい」と中学校の全校集会で発言したのがそこの校長。あきれてしまうが決して許されない発言。個をまったく無視してそれぞれの生き方さえも決めつける考えはまさに管理の発想そのもの。こんな横暴で我がままな人間が人の上に立っている現実に憤りを感じる。16-3-20

 

いくらパソコンの前に座ったところで、書きたいものが浮かばないかぎりは何も進まない。とにかくこんなときが一番こまる。始まりがあればそこから次を引き出すこともできるが、それがなければ頭の働かせようもない。絵画の場合も同じで真っ白の画面 に線を引くか色を置いたところから動き出す。それが刺激となって新たな線が生まれイメージが膨らんでいく。どっちにしてもきっかけが大切。16-3-19

 

パソコンでつまりキーボードで文章を打ち込むのにすっかり慣れたので、筆記具で書くよりもスムーズにできるようになった。確かな理由はわからないが、とにかく次の文章が浮かんできやすいのだ。こっちの方が頭が働くのはどうしてなんだろう。ひとつ言えるのは書き直しのしやすさで付け加えたり削除や変更も簡単にできる。しかし、これの辛いのは保存の前に何らかのトラブルで消えたとき。16-3-18

 

随分陽が長くなったのは嬉しいんだけど夕飯どきの明るさが微妙。だいたい6時前前後に食べていて、食べ始めは外の光で大丈夫と思っても途中からは暗さを感じてしまう。食事を中断してカーテンを閉め明りを付けるのも嫌なので食べる前にカーテンを閉めている。それに、薄暗いとせっかくの食事のおいしさが半減するので明りは大切だ。もうすぐそんな心配をしないで済む日がやってくるはず。16-3-17

 

心配の種が以外とあっさり解決。これまで20年近くに渡って教室展を開いてきたギャラリーが今年を最後になくなってしまうと知らされたのは昨年の9月。それからはその後釜を探さねばならないという責務をずっと背負っていた。それが最近になってようやく重い腰を上げて目星を付けたギャラリーに出向いて予約をしたところほぼ希望が叶ったのだ。このタイミングの良さに我ながらびっくり。16-3-16

 

続き。負かされるのとはちょっと違うけど、スマホに見入る大勢の人達を至る所で目にするとすでにコンピューターに支配されている象徴に見えてしまう。いずれ管理しているはずの人間が管理される側に回される恐れがある。これを取り上げたのがキューブリック監督の『2001年宇宙の旅』で、生死を掛けたコンピューターとの戦いは壮絶そのものだった。だから今回の勝利に少しホッとした。16-3-15

 

ようやく1勝。囲碁ソフトとプロ棋士との対局でプロ棋士が3連敗していたが、やっと一矢を報いることができたのだ。これまでチェスや将棋ではプロを負かすソフトはあったが、囲碁はその展開の多さから無理と言われていたのにそれが覆された。今回のソフトは人間の脳のように自ら学習して判断能力を高めていくという。これからますますコンピューターに負かされる分野が増えていきそうだ。16-3-14

 

住宅街の生活道路もアスファルトが顔を出して春の装いになってきている。今月初めの大雪の前に道路の氷はすでに解けていたので残雪はみるみる少なくなった。おかげで去年と同じように随分早い春を迎えられそうだ。北国での冬と春の境ははっきりしていて雪があるかないかで決まる。雪のない地方では梅や桜がその役目になっている。この様子だと雪山や軒下の雪が消えるのも間もなくだろう。16-3-13

 

学校も被災地も問題の根本は同じ。それは人が中心になっていないところ。学校は管理するための組織を大切にし、被災地は土台や堤防を優先し過ぎている。形や体裁にこだわる姿は日本的といえばそれまでだが、外側や器にばかり気をとられていると大事な心を失う。仏作って魂入れずとはまさにこのことだ。どちらも上から下への一方通 行だからこんなことになってしまう。逆方向が少な過ぎる。16-3-12

 

東日本大震災から5年。大きな出来事ほど記憶が鮮明なので、もうそんなに経ったのかと感じてしまうもの。もちろん、立場が違えばその長さはまちまちだろう。それにしても復興が遅すぎる。5年経ったというのにスタートラインにさえ立っていないような被災地もある。この間にもまちがいなく年齢を重ねていてもう待つ余裕はないはず。土台ができてもそこに人がいなくてはどうしようもない。16-3-11

 

学校側によって進路を断たれた中学三年男子生徒が自殺した。事実確認を怠った担任の先生に責任があるのは当然だが、その体質を生んでいる教育現場そのものに根本的な原因がある。先生達の目は生徒でなく管理者の方に向いている、いや向けさせられているのだ。そして、管理者は上につまり国に向いている。だから国策が生んだ悲劇と言っても過言ではない。これは一端であって先は真っ暗闇。16-3-10

 

7世帯に9人。ニュースで間もなく廃止になるJRの駅が取り上げられていた。地元の人にとって思い出深い大事な場所だけれどやむを得ないという声も聞かれた。今、駅を訪れるのはなくなることを知って駆け付けた旅行者がほとんどのようだ。そのナレーションのなかで駅のことよりももっと気になったのが最初のフレーズ。これは駅近くの住民の数。田舎の厳しい現実を改めて知らされた気がする。16-3-9

 

雨と暖かさのせいで雪解けが一気に進んだ。その前の先週の土曜日に家横にできていた雪山の排雪作業を済ませておいたのは正解で、雪を運ぶ道が今日にはアスファルトが顔を出していた。そのときもきっと今季最後の排雪と思ってやっていたがそうなりそうだ。まだ3月の初旬だから大雪もありうるけれど雪山を作れる余裕があるから焦らないで済む。今年も去年と同じように早い春を迎える気配が。16-3-8

 

卓球の世界選手権を存分に楽しませてもらう。女子は2大会連続で男子は39年振りの決勝進出をしたおかげで大会の最後の最後まで観戦できた。中国との決勝での女子は実力が接近していると感じさせる善戦だったが、男子はまだまだその差は大きいと知らされる完敗だった。それにしても決勝に進んだだけでもすごい健闘。とくに準決勝は男女共まさに手に汗握る激戦で卓球の醍醐味を再認識した。16-3-7

 

『ひとこと』の文章を書くのは今の自分との対話にもなっている。そのときどきに思いついたこと感じたことだけでなく過去を振返りながら書くこともあるので、今とこれまでの自分を見つめ直すいい機会とも言える。会話との違いは常に自ら話題を探し出し自問を重ねるところだろうか。何を考えどう生きているのか、そしてどう生きてきてどう生きていきたいのかを知りたくて書いている気がする。16-3-6

 

パソコンには辞書も百科事典も入っているようなものなので何かを知りたかったり調べたいときにはとても役立つ。これで何度も教えられ救われた。スマホにもこの機能はあってほかにも様々な情報を瞬時に得られるという便利さもある。そして、それを常に携帯してられるのだからすごい。いつどこででも疑問をスッキリできるのはうらやましい限り。とは言ってもまだしばらくガラケ−は続きそう。16-3-5

 

閏年の29日の誕生日の疑問が解決。法律上は誕生した前日の午後12時に年齢が加算されるという。これは知らなかった。てっきり0時だと思っていた。だから、29日生まれは28日になり、平年も同じ。こまるのは3月1日生まれで閏年は29日になり平年は28日になってしまう。つまり、平年は2月29日と3月1日が同じ28日になるというわけ。ネットの検索のおかげでスッキリできた。16-3-4

 

続き。そこで食べるとき、品切れで無い限り幕の内弁当を食べる。同じおかずをたくさんというよりいろいろなものを食べるのが好き。次に口にするのはどれにしようかと一瞬考えるのも食事の楽しさのうち。とにかく、御飯も味噌汁もおかずも平均的に食べていく。始めに味噌汁を少し飲み御飯を一口食べておかずに移る。それらを繰り返し最後に御飯を食べつくし味噌汁を飲み干してごちそうさま。16-3-3

 

街での仕事のときによく食事をする市役所の大食堂でのこと。食事中に少し離れた席に座っている人が定食の御飯を勢いよく食べているのがたまたま目に入った。随分豪快に御飯を食べ続けるので『もしかしたら』と思ってときどき見ているとやっぱりそうだった。御飯を平らげてから味噌汁を飲み干し次にポテトフライ、サラダを食べつくし最後にハンバーグに箸を付けた。自分にはできない食べ方。16-3-2

 

3月に入ろうとするときに冬の嵐がやってきた。積雪は30B位だったけどこの冬は小雪だったのでこれでも大雪に感じてしまう。それよりも強烈だったのが風。屋根が吹き飛んだり、工事中の足場が崩れたり、ホワイトアウトのせいで追突事故が起こったり、休校になったり、運休になったりと強風の影響が至るところに出た。つい先日には雪解けが進み春はすぐそこと喜んでいたけど春はまだ遠い。16-3-1

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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