ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

 

個展は4日目を終えあと3日となった。いつものことだがこの辺りが疲れのピークになる。後半に入ってさらに疲れがたまっていきそうだが、半分を過ぎるとあと何日しかないという残念な気持が疲れを忘れさせる。もちろん肉体的にはつらくなっていくのでそこから解放される喜びはあったとしても、終ってしまう寂しさのほうが勝る。明日からはそのふたつの思いが交錯する3日間になっていく。18-5-31

 

『年齢と制作との関係を考えると残された時間はそんなにない』という話を年上にすると、「まだまだそんな歳ではないのに」と返されるときがある。決してその人の歳を意識して話しているわけではないのに勝手に自らの歳と比較して言おうとするのだ。残された時間の捉え方は人それぞれで、やりたいことがたくさんある人は同じ時間でも短く感じるだろうし、そうでない人は長く感じるだろう。18-5-30

 

お墓の形の変遷。20年前までは伝統的な縦長が90%だったのが今では90%が横型になっているという。1997年つまり21年前に父が亡くなったときのお墓のデザインをしたのは自分で迷いなく横型にした。全体的にも簡素にしたのは無宗教で権威を好まなかった父にはそれが似合うと思ったからだった。墓石には母の希望で和の文字を刻印した。その墓は今もなお高いお墓に囲まれている。18-5-29

 

今回の個展のギャラリーは月曜日の午前中が搬入飾り付けの時間になっているので、朝9時前に自分の車に作品を積んでギャラリーに行き展示作業を始めた。ここでやるのは3回目なのでいろいろな要領もわかり展示もスムーズに進んで11時半には終了して余裕で12時の開始を迎えられた。ここまでこぎ着けてようやく一段落できる。会期中ずっと会場にいる大変さはあっても気分はまるで違う。18-5-28

 

いよいよ個展の搬入の前の日に。定かではないけど、前日をこうしてゆっくりと迎えられるようになったのは10年ほど前からだろうか。それまでは睡眠時間をかなり削らねばならなかったり、最悪のときは徹夜なんてときもあった。ぎりぎりまで頑張るといえば聞こえはいいが、準備の始まりが遅すぎたという方が正しい。無茶も体力があったからできることで、今は早め早めの行動になっている。18-5-27

 

やっていれば『ひとこと』が突然途絶えてしまうところだった。万一を考え工事は秋まで延期してもらうことにした。秋にこだわった理由はもしも途絶えるにしても区切りなりそうな70歳の誕生日までは続けたかったのだ。その後の会社の説明では大丈夫だと言われたが、一度不信になると素直に信じるのが難しくなる。11月末が期限なのでとにかく10月25日以降にしてもらったというわけ。18-5-26

 

この『ひとこと』にも重大な影響を与えかねなかった危機をとりあえず乗り越えられた。じつは現在利用しているネット回線が廃止になり光回線に移行せざるを得なくなるというので会社に問い合わせると、何の問題もないと言われ今日を工事日にしていたが、間際になって書類が届き更新ができなくなる可能性に気付いたのだ。急きょ工事を延期してもらっからよかったけど、もしそのまま。続く。18-5-25

 

近所を歩いていて耳にした会話。家の玄関先の椅子に座り犬とたわむれながら行き交う人を眺めていた高齢の女性が目の前を通 ったこれも高齢の男性に「元気だね」と声を掛けた。すると男性は歩きながら「これから病院に行くんだ」と応えた。ちょっと矛盾するようだがそうではないとすぐに気付いた。高齢者がひとりでそれも歩いて行くには元気でないとできないのだと。歩けるのは元気な証拠。18-5-24

 

日大のアメリカンフットボールの問題を見ていると、政治家の無責任体質が官公庁だけでなく教育現場の大学にも蔓延しているのがよくわかる。自分の保身のためには部下どころか守るべき学生でさえも嘘を重ねて平気で裏切る。どうにも信じ難い言動だが、これは巨大マンモス大学である日大のナンバー2だというからあきれる。そんな人間がその立場にいられるのも不思議だがそれが現実の世界。18-5-23

 

個展に出品予定の15点がようやく出来上がり、その他の準備に取り掛かる。まずは作品の写 真撮影。幸い晴れていて部屋の中は充分明るい。これは絶対必要条件。自然任せのライティングなのでいつも苦労している。次には額装。これは結構時間が掛かる作業になる。ガラスをきれいに拭いてから作品を入れたはずなのに、また汚れを見つけたりするのだ。もちろん、すべてをなくすまでやり直す。18-5-22

 

3日前の夕方、最近すっかり定着した散歩コースで遠望できる手稲山がすごく近くに感じられた。山の緑が迫ってきて、これまで感じていた距離の半分くらいにしか見えないのだ。どうしてなのか不思議だったが雨上がりの薄曇りと新緑のせいだったのだろう。昨日今日は晴れていて斜め後ろからの夕日を浴びた手稲山はいつものように霞んで遠くにそびえていた。遠くに見えるこっちのが方が好き。18-5-21

 

個展まであと1週間と迫ってきたが制作はまだ続いている。しかし、3日ほど前から手掛けている小品が意図するようにできずに3度もやり直した。行き詰まりを何とか抜け出そうと試行錯誤するのだが悪い方に進んでしまうのだ。しまいには打つ手もなくなり、失敗作として制作の継続をあきらめる。それまでの積み重ねが消えるのはつらかったが、失敗から得るものもあり4回目でようやく完成。18-5-20

 

午前中で終る運動会が増えているようだ。その一番の理由が小学校でも始まる英語の授業時間を確保するためだというから情けない。それでなくても子供の外遊びが減り体力低下が社会問題になっているのにさらに運動する機会を減らそうとしている。長い目で見れば小学生時代の英語よりも基礎的な体作りの方が大事なのは明らか。英語は後からでも身に付けられるけど基礎体力はそうはいかない。18-5-19

 

続き。明るくて外も眺められ晴れていればひなたぼっこもできるのでそこに座りたい気持はよくわかる。他にもひとりなのに立ち止まったりきょろきょろしてなかなか座る場所を決められない人、こちらもひとりで水やお茶をコップふたつで持っていく人、コップひとつでまた汲みに行く人、仲間なのにひとつ席を開けて座るなど人それぞれ。そして、自分のこだわりの席は出入りのしやすい端の席。18-5-18

 

窓際の陽のあたる場所を求めて。市役所の大食堂で食事をしていると、おもしろい行動パターンがいろいろ見えてくる。どの年代もその傾向があるが、特に年配者が座りたがるのは配膳場所から一番奥つまり遠くにある窓際の席。トレイを持ってそこまで移動するのは大変なはずなのにそこに行きたがる。埋まっているときは近くに座り、空いたらすかさず移動。とにかく、窓際にこだわる人が多い。18-5-17

 

朝方は涼しかったのに昼頃から気温は上がり24℃になった。暑いというほどの気温ではないのになぜか不快なものを感じた。これは何年か前からだけど、冬の寒さよりも夏の暑さのほうが辛く感じるようになったのだ。寒さには防寒で対処できても、暑さにはせめて日陰を探すより対応のしようがない。こうなったのも年齢が関係しているのだろう。でも、まだ寒さには適応できているからいいか。18-5-16

 

シルバー川柳が的を射ていておもしろい。シルバーが何歳からなのか定かでないが仲間入りしているのはまちがいなく、納得できるものもいくつかある。『目覚ましのベルはまだかと起きて待つ』は度々経験するのだがどうして少し前に目覚めるのかが不思議。『動かないエレベータや 押し忘れ』これも何度かしたことがある。閉じるを押して安心してしまうのか1階を押し忘れてしまうのだ・・。18-5-15

 

同い年のいとこからの葉書。生まれてからずっと住み慣れた仙台を離れ、娘さんのいる大阪へ引越したとの報告。2年前に突然旦那さんが亡くなり、かなり落胆していた。最近、元気に動けるうちに新しい生活を始めたいとも言っていた。2011年に仙台に訪ねたとき「今度は札幌で会えるといいね」と話したのに、さらに遠いところに移ってしまった。大阪弁に慣れて元気に楽しく暮してほしい。18-5-14

 

制作をひと休みして個展の案内状の宛名書きをする。友人や知人、長年作品を観てくれている人や知り合いの作家など顔のわかる人から書き始めていく。次に前回の芳名帳を参考にして書くのだが、どんな人だったかわからないので出すかどうかで迷う場合も多い。そこで、前回は芳名の横に気に入って観てくれた人かそうでないかの小さな印を書き加えておいた。おかげで迷う時間は随分減らせた。18-5-13

 

6月末に予定している『歩く度』の予約を済ます。今度は北海道最南端の岬で松前町にある白神岬への旅になる。昨年秋に到達した五稜郭から歩き始めて木古内町に行き、次の日は福島町そして3日目に白神岬を目指すという計画。無事に木古内と福島町の宿を確保できたので安心して個展の準備に専念できそうだ。『歩く旅』の場合は宿が決まらないと実行できないから、宿の予約はとっても大事。18-5-12

 

続く。そして、座席の座り方にも問題がある。これに関しては高齢者に限らずすべての世代に言えるのだが、6人が座れるよう座席に記された印を無視する人が結構多い。それに加えて座った横に平気で荷物を置き誰かがその前に立っても膝の上に置かない人もいる。自分が座ってしまえば何も気にならないということか。譲り合いの精神が見えてこない。そんな人達を目にする度に譲る気持は萎む。18-5-11

 

自分よりも高齢者であっても積極的に席を譲ろうという気持になれない理由のうちのひとつ。70代後半と思われる杖をついた女性は地下鉄の優先席を示す乗り口から入ってきたのに、空いている優先席に行かずに普通 席に座ったのだ。これではいったい誰のための席なんだろうと思ってしまう。細かいことに気を遣えなくなるのも高齢者の特徴ではあるけれど、その真意がどこにあるのかわからない。18-5-10

 

桜が満開のときには桜色に目を奪われていたが散ってしまうと今度は新緑の若葉が目に飛び込んできた。これも桜に負けず劣らず美しい。黄緑色の葉は若々しく活力をみなぎらせて輝いている。これから日に日に緑が増えていき安春川の遊歩道が緑に覆われる日もそう遠くはない。秋には見事な紅葉を楽しませてくれるし、冬には雪の積もった木の枝が青空に映えてこれも美しい。安春川の四季に感謝。18-5-9

 

その昔デザインやイラストの仕事をしていた頃、『巧遅拙速』という言葉が身に沁みた経験がある。この意味は『上手だが仕上がりの遅いこと、まずくても仕上りの早いこと』で急いでいる場合や仕事が混んでいるときには拙速の方を求められた。納得できるまでやりたい性分だったので、これが結構難しくつらいところで、その辺りもとことん追求できる美術作家になりたいと思った理由でもあった。18-5-8

 

昨日までの雨が嘘のような五月晴れに。しかたがないとはいえ天気の流れが不運。とにかく連休を終えて、個展がかなり近づいてきた感じがする。まだ制作予定の作品は4点あるので気を抜けない日が続く。すでに完成した作品は額装して壁に掛けられてあり、それらを眺めながら個展会場での展示レイアウトをイメージしたり、あと何点必要かを確認している。間もなく案内状の宛名書きもやらねば。18-5-7

 

ゴールンウィークの後半は雨にたたれがっかりした人が多いに違いない。観光や行楽に行こうとしていた人は楽しみにしていた予定が変更になったり、その人達を迎え入れようとしていた人も当てがはずれてしまっただろう。天気ばかりはどうしようもないがタイミングが悪すぎる。自分にとっては制作の日々なので天気は関係ないようでいてそうでもない。日中の陽の暗さが微妙に影響してくるのだ。18-5-6

 

満開の桜を眺めながらの散歩ができるのは今しかないと思い最近は安春川の遊歩道を歩いている。すでに花びらはひらひらと舞い落ちゆらゆらと川を流れ、遊歩道には寄り集まってピンクの塊になっている。散歩は遊歩道の先にある大きな牧場へと続いていく。ここからはまだ残雪のある手稲山を一望できるので急に雄大な風景に一変する。牧場を1周したあとはまた安春川の桜に出会う贅沢なコース。18-5-5

 

そして、薬を飲み始めて5日目の朝に飲むのを忘れて出掛けてしまったのだ。でも、とくに頭の変調は起きず血圧もそれまでと変わりはなかった。これが後にいいきっかけになってくれた。それから3日飲んでもいい意味で同じ状態が続いたので、そこで薬を止めることに。飲まずに済むならそれに越したことはない。最初の目的は頭の変調を治すことだったが、薬の使い方がわかったのも収穫だった。18-5-4

 

続き。とくとく健診のとき、医者に伝えたのはこの頭の変調だった。案の定というかやっぱりというかそれは血圧のせいと即断されてしまった。そして、降圧剤の服用を勧められたのだ。これまではその度に断ってきたが頭の変調を早く治したいために受け入れる決意をした。とりあえず2週間分を出してもらい翌朝から飲み始めると、その日から血圧に変化が出て3日後には頭も治まり始めた。続く。18-5-3

 

幸いなことに長時間制作をしても頭の変調は起こらなくなってくれた。これがなによりも嬉しい。でも、調子に乗ってやり過ぎるとまた起こりかねないので休憩タイムを入れるの忘れないようにしなくては。集中してやっているともう少しもう少しとどうしてもやり続けてしまう。これが危ない。だから休憩は意識的に取る必要がある。これから最後の大事な追い込みに入るのでなおさら気をつけねば。18-5-2

 

気になる言葉遣い、それは『素直に嬉しい』とか『純粋に嬉しい』などとあえて『素直に』や『純粋に』を付け加える言い方。そうするのは普段の『嬉しい』には素直でも純粋でもない違う気持が含まれているというのだろうか。そうなると本当の気持を伝えるときには『素直に悲しい』とか『素直に楽しい』などと素直を付けねばならなくなる。いつも素直にしていれば『嬉しい』だけで充分伝わる。18-5-1

 

 

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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