ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

朝方は曇り空で涼しかったのに昼頃には一転して夏の日差しが照りつけた。そんな中での北海道マラソンを家のすぐ近くで観戦した。しかし、あまりの日照りの強さに10分ほどで退散。トップランナーと第二集団の走りは見届けたので続きはテレビにする。約25H地点で独走してたそのトップはそのまま優勝のテープを切った。最初に拍手で応援した選手がずっとテレビに映り続けたことになる。08-8-31

 

霧雨ならぬ霧の思い出はいくつかある。育った場所は日高沿岸の浦河で夏でも気温の上がらない涼しい日が多く、その分霧の日も多かった。『ボォ〜〜〜ボォ〜〜〜』と港の霧笛は昼夜を問わずBGMのようにしょっちゅう鳴り響いていた。忘れられないのは“霧の展望台”。大学2年のとき自転車旅行で行った摩周湖は深い霧に包まれていてその方角さえわからなかった。だから摩周湖は今も霧の中。08-8-30

 

小雨にはポツリポツリの涙雨、しとしとのこぬか雨などもある。突然降り始めてあせるけど雨宿りが似合うにわか雨や通 り雨。それがもっと激しい大雨になるのが夕立ちや雷雨。近年、豪雨が増えて各地に被害をもたらしている。台風シーズンになると暴風雨になる。去年秋に体験。幸い北海道には縁のない梅雨。演歌を連想してしまう氷雨。五月雨や時雨は風情のある呼び名。嬉しい雨は恵みの雨。08-8-29

 

昨日、久し振りに霧雨に包まれた。しとしとというのではなく本当に噴霧器で水をかけられている感じ。傘を持っていたからいいけれどこれでも結構濡れてしまう。どうして霧状にと思って調べると雲の粒子が細かい層雲が雨を降らせると細かい霧雨になるという。反対に積乱雲は大粒の雨を降らす。雨の降りかたにもいろいろあってその呼び名がまたおもしろい。雨の多い国ならではの産物。続く。08-8-28

 

「思い出さえ残らない」。新聞記事にあった日雇い派遣の男性のこの言葉が心に残った。『思い出が残らない』ということは生活に変化がなく日々が知らず知らずに過ぎ去っていくことになる。それならば囚われの身になったにも等しいわけだ。理由があるならまだ耐えられもしようがそれも見つからなければつらいだろう。未来の希望に支えられるときがあり、過去の思い出に救われるときもある。08-8-27

 

手袋探し。作品制作で黒の塩ビを扱うときに指紋を付けないためと静電気を防ぐための手袋を探した。きっとあると思った東急ハンズにはなく、工芸店にもなかった。しかし、そこでいろいろな店の情報を教えてくれた。その中でなるほどと感心したのはカメラ屋。近くのビッグカメラに行くと手袋は置いてないという。それでも諦めずに行ったヨドバシカメラには6種類もある。この違いは何なの。08-8-26

 

夕方の散歩。まだ陽が高く暑いときの散歩は夕方でなく食事後の7時過ぎにしていた。それも、随分陽が短くなったので以前のように5時頃のパターンに戻そうとしている。やはり暗いなかを歩くより風景を眺めながらのほうが気分もいい。夜だとただ歩くことだけが目的になって『散歩』とは違ってくる。花や木を眺めて季節の変化を感じることもできないし遊ぶ子供達を目にすることもなくなる。08-8-25

 

北京オリンピックが終った。そんなにたくさんは見なかったけど終るとなると寂しさも感じる。後半にいろいろ考えさせられたのが団体競技。一人にかかるプレッシャーは個人種目に比べると断然大きくなる。勝った場合はいいが負けると、ましてや個人のミスや不調が原因とされたり思われたりしてしまうと非常につらいものがある。参加できたのは名誉なはずなのに悔いばかりが残っては・・・。08-8-24

 

『はしご展』の搬入までちょうどあと1ヶ月になった。20日の夜には2回目の打ち合わせがあり、出品作家それぞれから作品のイメージと進行状況が報告された。内容だけでなく取り組み方もそれぞれで異なりこれもグループ展ならではのおもしろさか。そこでポスターとチラシと案内状も渡され、展覧会が近づいてきたことを実感した。残りの30日を活かしきって満足できる作品に仕上げたい。08-8-23

 

時期と時間帯を考えて『レオナール・フジタ展』へ。会期は7月12日から9月4日までなので中頃にしようと思ったが夏休みは避けて今週に。金曜日の今日を選んだのは7時半まで開館が延びているから。6時ちょっと過ぎに入館するとまばらではないけど列はできてない程度の混み具合で並ばずにゆっくり『乳白の世界』を鑑賞する。昼間の混雑ぶりはわからないとはいえ多分正解だったのでは。08-8-22

 

買物とレジ袋と段ボール。近くのスーパーで食料品を買ったとき最近はずっとレジ袋を断っている。それは袋を持参してるからでなく段ボール箱を手に入れるためのこと。作品を収めるのにちょうどいいサイズがあったので毎回それに入れて持ち帰る。少ない数の買物だとなんか気が引けるのでついつい買う品数も増えてしまう。それにかさ張るものを選んでこれでなければみたいに格好つけたりも。08-8-21

 

眼鏡に曇りが出てきて見づらくなったので新しい眼鏡を買った。昨日から掛け始めているけどすべてがすっきり見えて気持いい。今回も遠近両用にしたがもうすっかり慣れていたので何の違和感もなかった。できたばかりの眼鏡の出来を店内で確認していると爽やかに微笑む荒川静香が飛び込んできた。価格は以前の半分以下なので随分助かる。使用期間が3年以上になってくれればそれでいいわけだ。08-8-20

 

無心に作り続けるその姿に何の迷いもてらいも見当たらなかった。親指と人差し指でほんの少しの粘土をつまんで丸めて怪獣の背中にくっつけていく。坦々とその作業は進む。数えきれないほどたくさんの小さな怪獣が並ぶ『怪獣展』という個展の会場の一角でその作者が制作していた。自閉症だというその少年の作品は活き活きしていて造形的にも見事なものだった。自分を力強く表現している。08-8-19

 

お盆が過ぎ、ひと雨降って朝晩は急に肌寒くなったというのに昼の陽はまだ熱い。寒暖の差がかなり激しくて朝は秋の気配が忍び寄り半袖ではきついかなと感じていたのに昼には夏の暑さがまだまだ残っていた。少し前というよりもっと昔は、お盆が過ぎるともう半袖ではいられなかったのに最近ではそうでもない。それでも、ひと雨ごとに暖かくなる春とは逆にこれからはひと雨ごとに秋は深まる。08-8-18

 

もうすっかり暗くなった公園の丘を上り下りしているとき、夜空に輝く満月が目に入った。久し振りの出合いに感激。一往復の帰りの丘の頂上に立つ度に満月に対面 できる。そこで力をもらってまた歩き続ける。公園を出てからも満月と離れ難くしばらく月を追っての散歩をした。太陽は見つめることができないけど月はゆっくり眺められるところもいい。日光浴ならぬ 月光浴で疲れも癒される。08-8-17

 

この期間に何とかメドをつけたいと思っていたがようやく先が見えてきた。急にこの『メド』ってどんな字なのか気になって調べてみると、〈めど[目処]目あて、目ざすところ〉とあって意味の目ざすところがそのまま字になっている。もうひとつの意味は〈糸を通 すための針の穴〉とある。ずっと針の穴に糸を通すと言ってきたけどそこにも名前があったとは。こっちも目ざすところに違いない。08-8-16

 

今朝、さっそくいつもより30分早い5時半に起きる。この30分が随分違う。朝食、新聞、パソコンのセットをゆっくり済ませても7時には仕事を始められる。とりあえず12時までとしても午前中に5時間続けて制作できるのは大きい。極端に言えば夜の1時間は午前中の30分に値するかもしれない。もうひとつのいい点は夜まで気力も体力も残っていたらその分仕事量 も増えることになる 。08-8-15

 

お盆週間は予定通り制作の日々だけどちょっと予定外だったのは仕上げにかかる時間の長さ。制作中の作品は15×15×30Bと15×15×60Bの箱状のものをたくさん作り積み上げて『はしご』にするという計画。集中力を高めることで時間の短縮はできると考えていたがそれはわずかのようだ。ならば、さらに制作時間の確保をしなくてはならない。明日からはもっと早起きをしよう。08-8-14

 

朝6時に起きて、まずはコップ1杯の水を飲む。そして、ハム、チーズ、レタスをはさんだトーストとマーガリンとジャムを塗ったトースト、ミニトマトとスティックの胡瓜、コーヒーの朝食を新聞を読みながらとる。そのあと、6時50分にパソコンの前に座ってメールと自分のHPの確認をしてから美術関係のHPやブログを読む。7時半、アクリル板による作品の制作始める。今朝はこんな感じ。08-8-13

 

夕方になると『シャンコ♪シャンコ♪シャンコ♪シャシャンがシャン』とかわいい子供盆踊りの歌が流れてくる。これを聞くとお盆を実感。今週はカルチャーセンターだけでなく絵画教室として部屋を借りてるキリスト教会もお盆休み。無宗教の身としては有難く平和な国。おかしかったのは『○○のお盆だよ全員集合』というイベントが14日から17日は休み。これってシャレそれとも意味なし?08-8-12

 

『あかり〜、あかり〜、ひかる〜、ひかる〜』柔道会場に大きな叫び声が響いた。金メダルを獲得した直後の日本の柔道選手が観客席に向って妻と子供の名前を大声で叫んだのだ。それは感動的な場面 だった。先に妻の名前を叫んだところも男としてかっこいい。誰のために頑張ったのかを表わす正直な態度もさわやか。国旗を仰ぐ表彰式よりずっとずっと心に染みる。これこそ目が潤んでしまう。08-8-11

 

昨日、懐かしい友と飲む。個展のとき約40年振りに再会した中学時代の同級生と酒の席を持てた。ギンギンに冷えたビールで乾杯のあと、たくさん注文したおいしい肴をつまみながらの語らいは大いに盛り上がり楽しいときを過ごせた。かつての呼び名のままで語り合えるのが嬉しい。家ではまったく飲まないビールも焼酎も随分飲んだ。楽しい会話と美味な食べ物があれば酒の旨味も感じられる。08-8-10

 

北京オリンピックが始まった。スポーツ観戦は好きなのにそれほど興味が湧いてこないはなぜだろう。多分、オリンピックに対する中国の姿勢が影響してるんだと思う。オリンピックを国威発揚の場に利用するのは東京でもソウルでもそうだったし他のもその傾向は強かった。しかし、発展途上としての発揚というより大国意識を前面 に出しての盛り上げかたに違和感を感じているからかもしれない。08-8-9

 

個人の住宅での展示では貴重な体験がある。それは98年のこと。その話を持ちかけられたときは迷っていたが自宅を訪ねて玄関に入った瞬間、ワクワクが始まった。その後も素敵な空間の連続で早くもイメージが湧いてきた。もちろん快諾。生活する空間すべてに自分の作品を展示するのはギャラリーとはまったく違う恒常性と共生の意識が必要になり、場と人と作品の結びつきを強く認識できた。08-8-8

 

この前訪ねた個人宅では苔と草木の組み合わせの作品が玄関や庭や日本間に展示されていた。とくに庭のものは自然な落着きのなかにも適度な刺激と揺らぎを感じさせた。作品と空間の妙。そして畳の間の作品もいい雰囲気を漂わせていた。とにかく、人の日常の営みのある住宅という場つまり生活とどう関わるかによって作品そのものの質さえ変えてしまいかねない難しさとおもしろさがそこにある。08-8-7

 

コバルトブルー一色に塗りつぶされた空に真っ白い団子を重ねたような入道雲がニョキニョキ伸びている。夏だ。これに蝉の鳴き声が聞こえてきたら子供の頃に戻れるのに、聞こえてくるのは車の走る音。それに混じって遊んでる子供達の賑やかな叫び声も飛び交う。自分もそうだったが子供達は暑さも寒さも楽しさに変えてしまうからすごい。こちらはもう太陽を求めた日々は過ぎ日陰を探す身に。08-8-6

 

今度は家のなかでの探し物。何日か前からあるはずのノートがあるべきところに見当たらない。それほど緊急性はないけど『どうして』の思いがあるから気になる。最近これが多いな。最後に見たのはここだからどこかに移動してるはずはないと同じ場所を何度も探す。でも、ない。ところが、その場所にちゃんとあったのだ。ノートの中味だけを切り取って形を変えていたのを忘れていた。いやはや。08-8-5

 

先日、車を1時間ほど走らせて個人の住宅での作品展示を観に行ったときのこと。その家が見つからないので歩いてる人や庭にいた人、遊んでる子供達にも聞いてみたがわからないという。住所はまちがいなくこの一角なのに辿り着けない。そこで、車を降りて歩いて探してみるとすぐに見つかった。そこはちょっと前に車で通 っている。車では見えなくて歩くと簡単に見えるものがあるということ。08-8-4

 

迷いの雨宿り。公園の丘の上り下りを始めた途端にポツリポツリと雨が落ちてきた。しとしとの雨ではなく本格的な降りになってきたので大きな木の下に逃げ込んだ。ちょっとの雨宿りもいいもんだとのんきに構えていたのに次第に激しくなってきて出るに出れなくなった。15分近く経っても一向に衰えないので意を決して走り出した。結局それは正解で雨が弱まったのは家に着いて40分後のこと。08-8-3

 

昨日、10月末の屋久島への飛行機の予約をした。以前インターネットで負けたので電話1本での挑戦。発売開始時刻の9時半に掛けたのにすでに話し中。しつこくリダイヤルを繰返す。やっと繋がったと思ったら『ただいま大変混合っております。そのままお待ちいただくかもう一度お掛け直しください』とのアナウンス。『もちろん、待ちます』と心で喜びの返事。これでさらに仕事に打ち込める。08-8-2

 

「また2ヶ月分のカットお願いします」「2ヶ月分ってどのくらいでしたっけ?」。2ヶ月振りに同じ床屋に行く。そこには3、4人の女性の理容師がいて手の空いてる人に当るから同じ人になるとはかぎらない。たまたま最初にカットしてもらった人だったが4ヶ月も前のことだし大勢の客のうちのひとりだから覚えてなくて当然。かなり短くカットされてスッキリした。これで暑くなっても大丈夫。08-8-1

 



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NAKAHASHI OSAMU

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