ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

個展の報告のためホームページのそのコーナーの更新作業開始。この作業は去年の9月以来だから半年ぶり。やる前には手順をちゃんと覚えているだろうかと不安がよぎった。案の定、最初は少し戸惑ってスムーズに進めない。『たしかこうだったはず』と行きつ戻りつしながら徐々に思い出してほっとする。苦労して覚えたのに知らずに忘れてしまうのは悔しいから間を空けないようにしなくては。04-4-30

 

最近、寒暖の差が非常に激しい。昨日の最高気温は10℃を切るほどだったのに今日は20℃近くまで上昇。車の窓を全開にして郊外を走った。田んぼの水はまだはってない。この前見たのは雪解け水だったようだ。今、苗は温室の中で育ってることだろう。風にそよぐ苗を見られるのももうすぐ。04-4-29

 

地下鉄を降りて地下道を通って角を曲がるといい臭いが漂ってきた。階段を昇るとそれはさらに強くなってくる。それに誘われるように階段を昇っていく。その正体はスーパーの入口の横に店をかまえた焼き芋屋さん。久し振りに買ってみようと近づいたのに値段を見たらその思いも覚めてしまった。1本300円のしかない。結局あきらめた。もう少し小さくて安いのも売ってくれたらいいのに。04-4-28

 

『反日的分子』とはめちゃくちゃだ。なんと前時代的発言だろう。かつて過激派が使ってた言葉そのもの。人質になった人達へのものだがルールを守らないからという論理なら閣僚にも『反日的分子』がいることになる。それも自衛隊のトップの防衛庁長官もそのひとりに当たるわけだ。またおかしな質問をする記者がいた。「撤回しないんですか」と聞くなら「絶対撤回しないですね」と言うべき。04-4-27

 

電線に届きそうなナナカマドの枝を切り落とすためはしごに昇った。片手は枝を握って体を支えもう片方でのこぎりを使って枝を切る。幸いまだ怖さは感じない。以前に比べると高い所に恐怖を覚えるのは万一のときの体の反応に自信がなくなったからだろう。考えてみたら随分しばらく高い所から飛び下りた記憶がない。だから軟着陸できるかどうか不安になる。でもその分だけ慎重になればいい。04-4-26

 

久し振りに兄弟姉妹で会食をしたときのこと。めったにない機会だからとちょっとふんぱつして高級牛のしゃぶしゃぶにした。値段はいいのに従業員はいまいち。そのうちの笑える話。食べ終わる頃に鍋にうどんでなくラーメン?を入れるという。そこで鍋に何かを足してるので「それは水ですか」と聞くと「いえ、お湯です」との答え。『それなら一緒だろ、そうじゃなくって』と返す気も失った。04-4-25

 

それにしても『自己責任』を主張してた人達はどこで声をあげてるのだろうか。マスコミでもそのことに触れないのが不思議。マスコミ自体がすでにコントロールされてると言えばそれまでだけど、とにかく人によって態度が一変するところが嫌。本来なら民間人より数倍重い責任を背負っているのだから数倍の集中砲火を浴びてもいいのにそれが聞こえてこない。お上には逆らわないということか。04-4-24

 

しばらく「ひとこと」を休んでしまったのは母の一周忌と庭仕事がまた始まったため。『自己責任』をあれほど強く求めてた閣僚達が国保を払ってなかったという。これは国民の義務。知らなかったうっかりしてたでは決して済まされない。ましてや『自己責任』を強く求めた人達だからとても世間に顔向けできないはず。『自己責任』をきちんと果 たす立場にあるのにそれもしない。これが国の姿。04-4-23

 

『日本は病んでいる』それもかなり重傷。ここまで来たらそうとしか言いようがない。自覚がない分なおさらやっかいだ。すでに症状はかなり進んでるのに原因を調べようとも知ろうともしない。『なぜ』『どうして』の単純な思考さえ放棄したから、人間としてまともな反応ができないのもしかたのないことか。こんなになってしまった日本人が情けないというより恥ずかしくて寂しくて悲しい。04-4-22

 

昨日、ようやく車のタイヤ交換をした。走ってもスパイクタイヤのときのような明らかな変化は感じとれないけど気分は軽い。雪との決別 を宣言する儀式みたいなもの。これも春を迎える準備のひとつ。これから始まるという気持ちの強さですでに1年の3分の1が 過ぎ去ろうとしてる実感がない。04-4-21

 

まだまだ書きたいことは山ほどあるけどちょっと別の話。去年の秋の旅を自分で編集したビデオテープをドイツの友達に送ったら何度試みても映らず観られなかったと手紙で教えてくれた。送るときほんの少し不安だったのも事実。でも日本のアニメも人気らしいから大丈夫と判断した。しつこいほど確認したのだからカラを送ったとは思えない。日本とヨーロッパでは再生方法が違うんだろうか。04-4-20

 

まさに呆れ果てるとはこのことだ。大した働きもしてないのに救出にかかった費用を負担すべきだと主張する閣僚達。山登りの遭難と同じレベルでとらえてるところなど信じがたい思考回路。自衛隊の派遣には何十億、何百億という大金を注ぎ込んでおきながら人道的な人を助ける金は出せないという。税金は閣僚の私財ではなく国民全体の大事なお金である。まるで犯罪者のような扱いは言語道断。04-4-19

 

大きな出来事がおさまると自分が手柄を立てたかのように現れる政治家は必ずいる。今回の人質解放も同じ。自分達は責任を取るどころかそれを自覚してないような言動が多いというのに、閣僚たちは『自己責任』という言葉を連発してる。個人の生き方や行動にさえ規制を加えようとする考えには恐ろしさを覚える。責任感と勇気を持たない『匿名』の人達ばかりが元気になるのはこまったもの。04-4-18

 

西本智実指揮のコンサートを聴く。相変わらずエネルギッシュで華麗な指揮と演奏を堪能。微妙な音の違いなどはまだまだわからないが指揮者と演奏者が究極のレベルで一体となり情熱と全精力を傾ける姿にはいつも感動する。高揚した気分のせいかみぞれになりそうな帰り道も心地よく感じた。04-4-17

 

日本人の人質が無事解放されほっとした。勇気と信念と行動力のある人達だから日本にとっても大事な存在。武器を持った自衛隊ばかりでなく本当に人道的な人間もいることをわかってくれたと思う。それにしてもそんな彼等を責める風潮が情けない。本人が詫びるならまだしも家族にあそこまで謝らせるのはおかしい。これでは日本はますます無気力、無関心、無責任の方向に進んで行く気がする。04-4-16

 

「公家の出」と語る人間を会社の会長におさめたが結局大金を奪われてしまった社長が会長を訴えたというニュースがあった。まだまだこんな人がいることに驚いた。だましたほうでなくだまされたほうに。利用価値があると判断したから会長職を与えたわけで同情する気にはなれない。そんな人を看板に掲げてもうけようとするなんてたぶん同じ血が流れてるのだろう。「公家の出」だから何なの?04-4-15

 

写真展をしたメンバーと隣の隣町のレストランで待ち合わせ。スキー場の向いにぽつんとあるので郊外のレストランというより山の麓のロッジのよう。1時半でも混んでいて20分近く待たされた。そんな時間はなんのその昼食会のはずなのに居心地のよさもありいろんな話がはずんできれいな夕日も眺め店を出たのは夕食を食べた後と言ってもおかしくない真っ暗な7時半。こんなのは久し振り。04-4-14

 

穏やかな春の一日。朝、地下鉄で街へ行く。うとうとしてたわけではないのにひとつ前の駅で降りてしまった。そこは水曜と木曜に仕事で降りる駅。今日は火曜日。急ぎ足で目的の場所へ向った。ひと駅なので予定時刻に大差なく到着。少し汗をかいてる。帰りは陽気に誘われてのんびり歩いてるうち自宅にたどり着いた。途中、昼食に塩鯖定食。ほぼ1時間の散歩。さわやかな充足感に満たされた。04-4-13

 

トーストに塗るマーガリンとジャムを出そうと冷蔵庫を開けたら小さな灯りが消えていてモーターの音も聞こえないことに気付いた。『あれ』。コードはちゃんとつながってる。2、3回開け閉めしても直らない。『15年は経ってるから故障だろうか』と思いながらふと目を上にやると電子レンジの時計がピコピコしてる。そこで胸をなで下ろす。原因は電気ストーブとトースターのセット使用。04-4-12

 

「自衛隊を撤退すれば世界の物笑いになる」と叫んでる人もいる。随分狭い世界に住んでるようだ。世界にはいろんな国がありいろんな人達が生きていていろんな考えがある。物笑いなんて言うならすでに自衛隊を派遣した時点で物笑いの対象になっているのだから心配ない。たとえ好戦的な人達に笑われたっていいじゃない悲しみに泣くよりずっとまし。主体性のないところはいかにも日本的発言。04-4-11

 

まるで一番最初にテロがあるような言い方をする人が随分多い。それはおかしい。本当にそう思っているんだろうか。順序が違う。テロという言い方自体アメリカにとって都合のいい勝手な解釈で正しくは抵抗というべき。理不尽な大きな暴力に対する抵抗。そこには必ず原因があるわけでそれに目を向けないで『テロに屈してはならない』なんて叫んでも解決しないどころか問題は深まるばかり。04-4-10

 

イラクで日本人3人が人質として捕らえられた。小泉首相はたいした驚きもなく『全力を尽くす』と言いながらも『自衛隊の撤退はあり得ない』と断言する。こんな事態が起こることは最初からわかりきってるわけですでにシナリオはあるはず。自衛隊の派遣そのものが一番の目的だから人の命が奪われようが考えを変えるはずはない。本当に人道的な人が犠牲になり自衛隊は囲いの中で銃を構えてる。04-4-9

 

たまたまぶらっと入った無印良品の店でガラスのカップが目に止まり手に取ってみた。透明だから色はないけどシンプルなデザインが気に入った。一度は棚に戻してぐるっと回ってるうちに「あれで紅茶を飲んだらおいしそう」と思い始めUターン。器にほとんどこだわらない僕には始めてのこと。消費税込みで367円。家に帰ってさっそく紅茶を飲んでみるといつもよりうまく感じるから不思議。04-4-8

 

今日もうひとつの春を体感。今年初めて車の窓を開けて走った。運転席で受けるさわやかな風は秋以来だから久し振りのこと。先日は郊外で北に帰る白鳥の群れと田んぼにはった水を見た。これからは草や木の緑が日ごとに増して花が彩 りを添えていく。少しのあいだはゆっくり春を味わえそうだ。04-4-7

 

6日間の個展が終わった。発表することで見えてくるものがたくさんあるからやる意義は充分ある。自分の作品に囲まれた空間にいると落ち着いに気持ちにさせてくれる。作品は自分の子供や分身というより気心の知れた友達か仲間のようだ。それぞれが異なる顔を持つ。それらもプチプチにくるまれて部屋に戻って来た。今は役目を終えてほっとしているのか作品の山が以前よりおとなしく見える。04-4-6

 

個展と重なって忙しかったせいもあるけど、いつの間にかプロ野球も始まってたという感じ。そしてあれよあれよという間に阪神が巨人に3連勝。去年や一昨年のような大きな喜びはない。嬉しいのは当然だけど『よくぞ勝ってくれた』という悲願達成的な興奮がないからだろう。巨人ファンにとっては屈辱の3連敗だが阪神が巨人に3連勝しても普通 のことのように受け止められるようになった。04-4-5

 

朝、ほぼ同じ時間に家を出て同じ場所に向う。勤めてる人にしてみれば普通で当たり前のことなんだけど自由業の身としては年に数回しかない。その4日目が過ぎて慣れたとまでは言わないけれどようやくリズムができてきた。それなのに個展の会期もあと2日。わずかに寂しい気持ちも湧いてくる。04-4-4

 

絵画と立体作品の制作と完成における意識の違い。平面は少しのきっかけや抽象的なイメージから始めることができる。そして途中で膨らんだり方向転換する場合もある。どこで完成かもはっきり決まってない。その点、立体は具体的な構想のもとに制作を進める。とくに最近作ってる立体は最初の寸法取りの段階ですでに完成度に大きく影響してしまう。変化できるかできないかの異なるおもしろさ。04-4-3

 

4月に入ったというのに昨日は雪が降り今日はついに積もるまで降ってしまった。長いこと待ってた春の日差しを期待してたというのにまた冬に戻された気分。セーターが再び登場。個展の開始に合わせたように寒い日が続いてる。せっかく足を運んでくれる人のためにも暖かくなってほしいもの。04-4-2

 

食事中に口の中にプチンと小さく飛び出たものを舌先で発見。それが徐々に膨らんでくる。『うぅ〜ん何だこれは』。舌で触るとわずかに痛みもある。『あれれ〜』。初めての症状なのでほんの少し不安になる。しかしその膨らみはは突然プチンとつぶれて一瞬にしてもとの平らに戻った。どうやら軽い火傷だったみたい。おかげで不安も一気に解消。これからは小さな異常も気になるんだろうな。04-4-1

 



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NAKAHASHI OSAMU

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