ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

制作はほんの小さなきっかけから始まることのほうが多い。だいたいは『こんなのはどうだろう』という思いつきのスケッチから入る。そのスケッチを重ね発展させて『よしこれでいこう』となったら小さなマケット(模型)を作る。そこでさらに変化し改良される。ある意味つねに生き続けているようなもの。それは本番制作に入ってからも続く。つまり完成してもなおいい意味で流動的なもの。05-6-30

 

作品を観たあと「わからない」という人がいた。僕は「わからないからアートなんです」と応えた。決して嫌味ではなく「作者の意図を探そうとするから『わからない』のであって自分自身で感じたものが正しい判断なんです」と説明した。アートには決して共通 のそして唯一絶対の答えがあるわけではないことも話し、ここに至った過去の作品ファイルも見てもらうとその意味をわかってもらえた。05-6-29

 

自分の作品と接する時間がたっぷりあるのでそこから新たなイメージもいろいろ湧いてくる。自宅ではこんな時間はどうしてもつくれない。決定的に違うのは作品の置かれた空間の雰囲気。次へのイメージは作品内部からの触発もあるが周りとの関係から生まれる場合もある。とにかく貴重な時間。05-6-28

 

個展の初日。ちょっぴりの不安とたくさんのわくわくを心に秘めてギャラリーへ向う。搬入飾り付けのときはその仕事に追われてゆっくり眺められないが始まってしまえば客観的な目で観ることもできる。そのときは制作者の立場から多少なりとも鑑賞者の側に移る。そこで意図してなかったおもしろい発見をするととても嬉しい。単純であるからこそいろいろな世界にふくらんでいく場合もある。05-6-27

 

いよいよ個展の搬入飾り付けの日となる。今回は自分の車で運べる作品の量 なので赤帽は頼まなかった。それが結果的に助かることになった。昼頃、搬入を計画してた時間だとギャラリーの都合が悪いことを知り急きょ1時間近く早めに作品を積んでギャラリーへ。赤帽を頼んでたらあせるところ。05-6-26

 

天気予報は大きくはずれて曇り空の肌寒い一日。夕方からは本格的な雨になる。農作物にとっては待ちに待った恵みの雨。しかし昨日の暑さに刺激されて張り切って海水浴やキャンプに行った人達はかわいそう。テレビで海開きの様子が映ってたが人影はまばらだった。テントで聞く雨音は寂しい。05-6-25

 

いきなり夏がきた。それも真夏。今日は31,8℃まで上昇。明日も30℃を越えたらかなり記録的なことらしい。予報では30℃になっているから達成するのはまちがいないだろう。これだけ暑くなったら当然夏の定番、スイカと冷やし中華の出番となる。冷やし中華はきゅうりの緑卵の黄色トマトの赤と彩 りもきれいで食が進む。そして汗で奪われた水分補給にはスイカが最高。どっちも大満足。05-6-24

 

おとといの夏至以来暑い日が続いてる。とくに今日は猛烈で31℃に達した。そのうえ湿気もあったからうだるような暑さというやつ。全国の最高気温の上位 5位までに北海道が3ケ所も入っていた。涼しい北海道をイメージしてあてにしてきた修学旅行生や観光客はがっかりしてるだろう。5月までは日照不足でかなり深刻だった農作物が今度は雨が少なくてこまってる。なかなかうまくいかない。05-6-23

 

飛行船は世界に20そして日本には2つしかないという。そんなに少ないものだとは知らなかった。ということは先日見られたのはとてもラッキーだったわけだ。そして5、6年前に散歩中に飛行船を頭上に発見してカメラにおさめたのも貴重な瞬間だったことになる。今度は何年後になるやら。05-6-22

 

今日は大事な節目の夏至。すごくこだわってる年に4回のうちの1日。それなのにカレンダーには書いてないのが寂しい。意味のよくわからない先勝と書いてあるだけ。今年は春が遅かったというかなかったようなものだからいつもより一層早く感じてしまう。これは毎年言ってることだけどこれからどんどん陽が短くなるとは思えない。それはしかたないとして今日はまさに夏に至る暑さだった。05-6-21

 

ひとつの作品が完成してほっとしているとき足の指が2本赤くなってるのに気付いた。どうして赤いのだろうとよく見るとそれは血。制作中にあやまってアクリル板を落としてその角が足にあたったのを思い出した。もちろん痛かったがすぐ制作に戻ったので血が出てるとは知らなかった。そして、赤いのが血だとわかってから急に痛みを感じるのも不思議。まるで血を見てから泣き出す子供のよう。05-6-20

 

芸能界に関するおじさん度は確実に高まってる。夜8時のいわゆるゴールデンタイムの歌番組の出演者の名前をテレビ欄で見たがほとんどわからない。正確に言えば名前を知っていたのは8人中たったひとり。もともと歌番組は見てないけどもう少しわかってたような気がする。このまま進行すればそう遠くないうちにはやりの歌手さえわからないときが来るのだろう。今ヒットしてる曲はあるの?05-6-19

 

夕方の散歩のとき久し振りに月を眺めた。白い半月のそばには赤い飛行船がゆっくりと流れてる。これも久し振りだがのどかな夕方にぴったり。帰宅後、家の窓から空を見上げるとさらに輝きを増した白い月があった。2階の窓からは何にも邪魔されない月が見える。これも嬉しい発見のひとつ。05-6-18

 

この試みを雑誌で読んだのは随分昔で30年位前かもしれない。それは北欧の公園の道の話し。街のなかに公園をつくることになりまず予定地を全面 芝生にした。木も植えず歩道もつくらなかった。そしてそこを自由に使ってもらい歩いてもらった。 半年後、草のない道が自然にできていた。それを道にして他の使われかたを考慮して木やベンチの位 置を決めた。これを読んだとき感激したものだ。05-6-17

 

スーパーのレジ袋を有料化しようという考えが進んでるようだ。これには大賛成。どうしても必要なものに金をかけるのはしかたのないこと。あまりにも無駄 が多すぎる。必要以上に袋をもらう人、そして詰め込む台で小分け袋をぐるぐる巻きにして持っていく人を見るとその思いはますます強くなる。リュックを背負ってるときは袋はもらわない。買い物袋も入ってるからたくさん買っても大丈夫。05-6-16

 

乳母車を押してるお母さんの腕の間に女の子が立ってるのを見かけた。あれっと思ってよく見てみると乳母車の赤ちゃんの乗る場所の後ろに幅10センチ程の台が付いている。これはアイデア商品だ。赤ちゃんと3、4才の子供のいるお母さんにとって一緒に乗せられる乳母車は助かるだろう。子供が疲れたらすぐ乗せられるし人込みでも腕の中なので安心もできる。なにより子供が嬉しいはず。05-6-15

 

引越し以来早起きがすっかり定着したおかげで生活のリズムがかなり変化した。そのうちのひとつは朝のシャワー。大きな窓から入る朝日も気持ちいい。以前は窓のない浴室だったしそれだからというわけではないが朝に入ることはほとんどなかった。今は朝の時間がたくさんあるから落ち着いて浴びることができる。いずれ時間と気分にもっと余裕ができたら浴槽の風呂に入るようになるだろう。05-614

 

『とかくデジタルブームに圧倒される今日ですが・・・人間の原点であるアナログなる羅針盤を見直して欲しいと願うのです・・・』これは最近の版画界に対するある版画家のコメント。その気持ちもわからないではないが版画そのものがすでに段階的で間接的制作そして複数性などデジタル的要素を含んでるわけでブームは表現手段の幅が広がったに過ぎない。絵画の世界のアクリル絵の具も同じ。05-6-13

 

朝刊には今日と明日のテレビ番組欄が一枚になって届いた。ということは明日は新聞休刊日だ。大事な朝のセットのうちのひとつが欠けてしまうのは寂しい。新聞配達の人はのんびり寝てられる朝になるわけだから嬉しいはず。以前より増えた感じがするけど新聞休刊日は年間何日あるのだろうか。05-6-12

 

今、札幌はYOSAKOIソーランで盛り上がっているようだ。生では観てないが新聞やテレビで盛んに取り上げるのでその様子は伝わってくる。これはあくまでもテレビでほんの少し観た印象にすぎないが一糸乱れぬ 踊りはきれいだけれど踊らされてる感じがしないでもない。踊ってる本人が楽しいんだからそれでいいと言われればその通 り。でも、背中に大書きされた=オロナミンC=が見えた。 05-6-11

 

プロ野球の話しをもう少し。深い原因はないんだろうが不思議なことに一位 と最下位の勝敗が勝ち負けを逆にするとほぼ一致する。9日の時点でセ・リーグの一位 は32勝25敗、最下位は23勝32敗になっていてパ・リーグは48勝18敗と16勝45敗。もうひとつ、西・ロ・ロ・ソ・ソ・ソ・ロ・オ・ロ・ソ。パ・リーグを知らない人にはわけのわからないおまじないに聞こえる打撃10傑。05-6-10

 

巨人の元オーナー、通称『ナベツネ』が1年も経たずに復帰するらしい。「たかが選手」とめちゃくちゃを言い多くの批判を浴びたにも関わらず戻ってくる理由がわからない。辞めたはずなのに絶対的権力は持ち続けてたからこそ戻れるわけだ。球団の私物化もいいとこ。心配する必要は何もないが増々巨人ファンは減るだろう。今回盛り上がってる交流戦にも強く反対してたのは『ナベツネ』である。05-6-9

 

95人中7人。88対7。これは美術の公募展、全道展の札幌の入選者の女性と男性の数。以前から女性が圧倒的に多かったがここまで進んでるとは思わなかった。1割にも満たないというのはあまりにも差がありすぎる。これならまるで男は戦地にかり出されるみたいだ。公募展にも何か問題があるに違いない。このまま進めばいずれ女の会員ばかりになり、男もいるんですかってなったりして。05-6-8

 

人里に降りて来て人間を襲う猿のときもそうだけど、明らかに深刻な被害があり危害を加えられた人がいるにもかかわらず捕獲すべきでないと主張する人達がいる。まさかそのままにしておけばいいなんて無責任なことは言わないと思うが具体的な対策が聞こえてこないのはなぜ。動物を守ろうとする精神は大事だと思う。しかし、そこで生活してる人達の被害をなくすことを第一に考えるべき。05-6-7

 

増え過ぎた鹿の肉を食用に使うため工夫を始めてるという。遅すぎるくらいだけどこれはいいと思う。子供の頃、山で育ったからおすそわけでもらった鹿と熊の肉を食べたことがある。熊はあまりおいしくなかったけど鹿はまぁまぁだった気がする。今まで食用にされるのはほんの一部でほとんど廃棄処分してたというから勿体無い話。こんなとき必ず出てくる動物愛護団体はどう反対するのだろう。05-6-6

 

個展まであと3週間となり集中力はますます高まってきた。疲れも迷いも感じてる暇はない。追い詰められているようだけどこの緊張感は結構好き。今回の立体作品は細かい作業が多くて予定より時間がかかってるのでなおさら集中する必要がある。とにかく単純なミスによるやり直しを減らしたい。05-6-5

 

ガードレールに挟まってる金属片が全国各地で発見されてるが、これは何とも不思議なこと。挟まってるのが不思議なわけではない。事故によるものか人為的なものかそしてさらに模倣犯によるものかは横に置いといて、それを今まで発見できなかったのは何故だろう。道路管理者は道路を見てたから見逃したといってもガードレールも道路の一部のはず。注意力不足と職務怠慢としか思えない出来事。05-6-4

 

かつてソ連とアメリカの関係を鉄のカーテンと例えたことがある。それだけに互いの諜報活動はさかんでスパイが暗躍した時代。厚いカーテンは機密を増やし疑心暗鬼をつのらせた。カーテンの存在は誰の目にも明らかだった。しかし今、カーテンが何重にも重なり現実が見えづらくなっているにも関わらず一枚一枚が薄くて圧迫感が小さいせいかカーテンで目隠しされることに慣らされてしまった。05-6-3

 

白いカーテンといえば中学も高校もそうだったから白いカーテン、イコール学校なんだ。日差しをさえぎるにしても半分は透過して教室内には優しい光が満ちあふれていた。それも午後のイメージが強くある。眠りを誘う穏やかな心地よさもつくり出していた。さらに印象に残ってるのは外からの風をいっぱいに受けて大きく膨らんでる白いカーテン。青空とさわやかな風と白いカーテンはよく似合う。05-6-2

 

南と西に大きな窓があるので陽当たりはすごくいい。明るくて暖かくてありがたい。家が南西角にあり西日が日没近くまで部屋に入り込むから夏の暑さは覚悟しなくてはならないだろう。でもありがたい悩みで暗くて寒いよりはまし。光をさえぎることはできても光を入れることはできない。晴れた日はレースのカーテンでは頼り無いので薄手の白い布をカーテンにしたら小学時代の教室を思い出した。05-6-1

 



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NAKAHASHI OSAMU

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