ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

 

ついに2017年の最後の日に。この年を振返って一番印象深いのはやっぱり『歩く旅』かな。6月の釧路から納沙布岬までの道のりははっきりと思い浮かぶ。、そして、10月の洞爺から五稜郭への旅も同じく脳裏に深く刻まれている。これは足裏の水ぶくれにも負けずに歩き続けたおかげで得られた達成感のせいだろう。来年の大晦日にはより上の段階での達成感に満たされることを願っている。17-12-31

 

喉のヒリヒリ、痰、鼻水、黄色みをおびた鼻、そして咳。風邪を引いてしまった。最近、風邪を引くときはだいたいこの順序で進む。今回はどれも比較的軽く済んでいるが、大事なのはぶり返さないこと。いつもだが熱はほとんど出ていない。中途半端なところで油断すると長引くから気を付けたい。とにかく、年を越すのを絶対避けるためにも、おいしいものをたくさん食べてゆっくり寝なくては。17-12-30

 

昨晩は今年最後の卓球を楽しんだ。これは小学校でなく区の体育館の話。こちらにもときどき顔を出していて、区の体育館は65歳以上の高齢者には割引きがあり、6枚つづりの回数券が650円になっている。つまり、1回100円ちょっとで済む。この値段で3時間以上楽しめてシャワーを浴びることさえできるのだから有り難い。ちなみに65歳以下は1.950円だからその差は結構大きい。17-12-29

 

高校生の近視が60%を超えているという。この割合に驚かず納得してしまうのが恐ろしい。近視の低年齢化も進んでいるようだから、これから増えることはあっても減ることはないだろう。小さいときからゲームやスマホを長時間見続けていたら当然そうなる気がする。子供や若者が遠くを眺めている姿をほとんどイメージできないのは何とも寂しいものだ。それは先を見る眼にもつながっている。17-12-28

 

ゴミ収集の人達の愛想がとてもいい。ゴミ収集の車が来たので集積所に出すのを忘れていたゴミ袋を持って急いで外に出た。実はゴミ集積所は家のすぐ向いにあるのでそれでも間に合う。その人に手渡ししたのだが「おはようございます」と明るい返事で受け取ってくれた。その挨拶はコンビニやスーパーでのマニアルにのっとった冷めたものではなく心がこもっていて清々しい気持にさせてくれた。17-12-27

 

随分遠い日になってしまったが両親がいて実家があった頃には大晦日に帰っていた。その日まで忙しい日を送り、その日も午後の列車に乗って夕方過ぎに着くという状態だった。あるとき父から「もう少し早い時間に来られないのか」と言われたことがある。そのときは「そうしてみる」と返事したものの次の年にもやっぱり同じになっていた。今思うといつもの時間に食事をしたかったはずなのに。17-12-26

 

作業部屋の片付けをしながら捨てる作業もする。やっているうちに捨てる方が主な仕事になっていた。立体作品のための紙や塩ビのマケット(作品の原寸や縮小された試作品)が結構残されていたし、そのときの切れ端なども残っていた。マケットは作品を生み出すときの決断やひと押しに役立ってくれたものなので思い入れもあって取ってあったのだ。でも、過去に埋もれるスペースは減らしたい。17-12-25

 

今年もあと1週間余り。ここまできたら年末感がもっと強くなってもいいはずなのにほとんどそんな気分にならないのはなぜだろう。来年のカレンダーを手に入れ、年賀状を出し、それなりに家の掃除も済ませたというのに。多分、大晦日やお正月に対する特別 な思いが次第に薄れてきているせいかもしれない。でも、スーパーで華やかなお正月商品が並んでいるのを見ると多少その気にさせられる。17-12-24

 

午前中に途中だった年賀状の宛名書きを終えてちょうど昼には投函できた。道外、道内分は先に出してあるので今回は市内のもの。遠いのは早く出したほうがいいと思ってそうしてる。とにかくこれでホッと一息といったところ。毎年の悩みなのが出すべきか出さないべきかで迷う人。こっちの思いもあるけれど、相手の思いも考えねばならないから判断が微妙になる。これはこれでそれなりに大変。17-12-23

 

いよいよ冬至。スーパーの入口近くには南瓜がたくさん並んでいて冬至を実感させてくれた。いつから冬至に南瓜を食べる習慣が生まれたのだろう。今は桜餅や柏餅だけでなくいろんな食べ物の『○○の日』がたくさんあってとても覚え切れない。それぞれに何らかの意味があるように南瓜を食べるのは寒い冬を乗り切るためだと聞いていた。そうすると、最近なら肉を食べる日になってしまいそう。17-12-22

 

続き。『もしかしたら』の予測が当たって無事カレンダーを手に入れられた。昨日は営業時間外の3時過ぎに行っていたので、時間内に行ってみると、やはり表には出ていなかったが欲しいと伝えるとカウンター内から出してくれたのだ。数が少なくなってからは自由に取れる所に置いて、ひとりにたくさん持ち帰えられては困るのでそうしているのかもしれない。これで安心して新年を迎えられる。17-12-21

 

銀行の1年カレンダーが手に入らない。ちょっと前から気になっていたが今日ようやく銀行に行ってみると「すでにありません」と言われてしまった。焦る気持で中心街の3つの銀行を回ったがどこにも置いてなかった。それならばと自宅近くの2つに顔を出したがここにもなし。世の中の年末は自分が感じていた以上に進んでいたようだ。何とかして手に入れたいので明日も銀行回りをするつもり。17-12-20

 

この『ある日のひとこと』を1日も欠かさず書くようになって16年が過ぎ17年目を迎えようとしている。今、69歳なので53歳のときから続けてきたと考えると、さらに長く感じる。そして、もっと長く続いているのが長距離の歩き。これを始めたのは50歳のときの石狩当別 までの20キロだった。こちらは20年経ち、北海道の岬制覇にもつながっている。ふたつともよくぞ続いたと思う。17-12-19

 

ついに札幌市の根雪が確定し、観測史上2位タイの早さで昨年より2週間以上早かった。根雪とは積雪が30日以上続く状態を指すという。つまり、11月17日に降った雪が解けなかったわけだ。これまで根雪の意味を春まで解けない雪と思っていたけど、もしかしたら根雪が年内になくなる場合もあることになる。今年に関していえば強い寒気に覆われているのでそれはなさそう。雪の根は深い。17-12-18

 

年賀状の準備を始める。まずは今年の作品の中から採用するものを選び、プリンタで印刷する。木版画でやっていた頃は絵柄を考え、彫り、そして刷りと随分時間が掛かっていた。その分年賀状としての出来上がり感は大きかったが、30枚程度ならまだしも100枚近い刷りに追われるしんどさを感じていたのも事実。プリンタなら勝手に刷ってくれるので、後は簡単なひとことと宛名書きで済む。17-12-17

 

続き。そして、不安材料を早めに取り除いたと考えるとよいことになる。歯の場合、一旦悪化したものが治癒するのはあり得ないので、歯を失うのは惜しいとはいえこの時点で治療できたのは幸いだった。今日、抜歯部分の消毒をしてもらい今後の予定を聞くと治療できるのは歯茎が安定するまでの少なくとも2ヶ月後になるという。穴の状態がせいぜい2週間の辛抱と思っていたのにそれほどとは。17-12-16

 

抜歯。歯のクリーニングの5日後に突然奥歯の冠がはずれ、診察してもらうと支えている歯にひびが入っているためだと言われた。炎症しているようなので抜歯したほうがいいとの診断。歯磨きはうまくいってたが内側には問題があったのだ。そして今日抜歯を終え一安心したが、新たな治療を始めねばならない。歯が一本減ってしまったかと心配してたら、すでに×印の歯だったので諦めもついた。17-12-15

 

中途半端に解けて雪がガタガタ道に。大きな道路はアスファルトが顔を出すなど随分解けたが歩道はそうはいかずにいくつもの足跡がそのまま凍ってしまいデコボコだらけの非常に歩きづらい道になってしまった。もちろん、つるつるも怖いけれど足の置き場はそれほど選ばなくて済む、でもデコボコは慎重に選ばねばならない。斜めのところが一番危険。とにかく、転ばないよう十分気を付けねば。17-12-14

 

今月の8日、少し早めに年賀用の切手を買おうと郵便局へ行き90枚を求めると36枚しかないという。早めどころかすでにたくさん買われていてびっくり。次のところでは余裕があって、場所によって在庫は随分違うようだ。買うまで62円と思っていたのが52円だったのは嬉しかったが、それには適用期間がもうけられていて今月15日から来年の1月7日になっている。これも知らなかった。17-12-13

 

昨日はプラス7℃まで上がりかなり雪解けが進んだ。しかし、市内や北広島市では融雪による水が道路に冠水し、水たまりで何台もの車が立ち往生しているニュースが流れていた。行くかとどまるかの判断は非常に難しかったと思う。車高が同じでないから前の車が行けたから大丈夫とは限らない。とどまるか迂回をすれば何らかの支障を来すかもしれない。でも、冬どきの水没なんて想定外のはず。17-12-12

 

日ハムを去り大リーグのエンゼルスへの入団を決めた大谷の潔さに感服。大リーグへの移籍を発表してからの彼の言動を見ていると強い信念だけでなく誠実さも感じられ非常に好感が持てる。早い段階で可能性のない球団にその意向を告げ、残された7球団の交渉期限のかなり前に最終決断をした。もちろん、多少の迷いはあったかもしれないが必要以上の時間を掛けないところも大物を感じさせる。17-12-11

 

同地区で学校解放の卓球をしている同士の交流大会が行われた。10人編成の6チームがすべてをダブルスで戦い、わがチームは見事優勝した。自分も3勝2敗と勝ち越しそれなりに貢献できたのだが多少納得できる試合はたったひとつだった。ほとんどは本当に情けなくなるほど体が委縮してミスを重ねてしまうのだ。こうなるとドンマイうんぬ んの問題ではない。もっと精神的に強くならねば。17-12-10

 

昨日からドイツの友人への手紙を書く準備を始めた。準備をするのにはわけがある。その準備とはまず今年届いた3通 の手紙の和訳から始める。もちろん届いたときに読んでいるが文章化はしてない。これをするときは直訳でなく翻訳のつもりでやる。それに応えるために出す手紙を最初は日本語で書く。そして、最後にそれを英語に書き換える。去年から始めたこのやり方は大変なようで結構いい。17-12-9

 

11月の真冬日が105年振りの多さだったという。すごいはずなのに近年は気象に関する何年振り、何10年振りにすっかり慣らされていて、100年振りでさえ大して驚かなくなってしまった。異常が異常でなくなってきているのはまちがいない。生き延びるためには環境に慣れていくしかないから自然な現象だ。昨日までの12月の4日連続の真冬日は15年振りらしい。そして今日も真冬日。17-12-8

 

ドンマイ。ドントマインドつまり気にするなだろう。卓球のダブルスの練習試合をしているとき、こっちが失敗したときにこれを連発する相手がいる。正直言ってあまり嬉しくない。大して気にしてなかったはずなのにかえって気になってしまう。できれば失敗は何も言わずに軽く流してくれればいい。同じ失敗でも攻めたときのは「いいよ」と言ってもらえると有り難い。ドンマイは妙に気になる。17-12-7

 

ようやく同じ考えのまともな意見を聞けてホッとしている。日馬富士の暴力事件で最初から持っていた疑問は白鳳が日馬富士の暴行を止めたらしいが何10発も殴られカラオケのリモコンで傷付けられた後に止めたなんて止めたうちに入らない。1発目で「やめろ」と強く言っていればそれ以上にはならなかったはず。その点で日馬富士と同罪に近い。なぜ多くの人がそこを指摘しないのか不思議だ。17-12-6

 

97、95、94、94、92、90、83、82、55。今年はこれまでに9枚の喪中はがきが届いた。そのはがきに記された方の年齢が最初に書いた数字。ひとりだけ若くして永眠されているが他は80代よりも90代のほうが圧倒的に多くなっている。これだけを見ても高齢化社会が進んでいるのがよくわかる。100歳以上はまだ珍しいかもしれないが、90代はそうではなくなったようだ。17-12-5

 

オフロードを何日間も走り続けるアドベンチャーランナーが、かなりきつい状態で走っているとき「止まったら、もう走れない気がする」と言ったのがすごくよくわかる。慣性の法則じゃないけれど、たとえどんなに辛くても継続している方が楽なときがある。一旦、止まってしまうと始動にかなりのエネルギーを必要とするし、元に戻すには時間も掛かる。だから歩きも休憩のタイミングが難しい。17-12-4

 

来年5月に新元号になることが正式に決まった。これで『昭和は遠くなりにけり』の感がますます強くなる。自分が子供の頃、明治の人と聞くとずっと昔から生きてきた人のように感じていたが、今度は自分がそう思われる側に立とうとしている。昭和は64年と長かったのですでに歴史の一部になっているのがほとんどで、これがさらに加速度的に進むのだろう。でも、昭和の人の多数はまだ続く。17-12-3

 

寒い日が続いているが、それだけで雪が降らなければまだ有り難い。隣の岩見沢では大雪が重なりすっかり雪に埋もれているようだ。でも、去年の札幌での60センチの大雪は12月10日だったから決して油断はできない。1時間で済む雪かきならまだしも大雪となると3時間も4時間も掛かってしまう。そうなるといい運動だなんて言えなくなり強いられた無償の労働になる。どうなることやら。17-12-2

 

記憶を辿るときの順序。長年、漢字の書き取りを趣味として楽しんでいるが、たまに書けるのに読めない字に出会う。平仮名から漢字への移行で記憶しているのでその逆だと頭が働かないときがあるのだ。今日は『儚げ』が読めなかったのに『儚』と書いているうちにふと『はかなげ』が頭に浮かんだ。そこでこの順序もあるのだと気付いた。よく、読めるけど書けないと言われるが違う場合もある。17-12-1

 

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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