ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

5月最後の日。ずっと制作で忙しかったので何だかいつの間にか済んでしまった感じがする。そして個展の2日目。朝方、昨日持ち帰った作品に手を加え、訂正した案内状の宛名書きをする。途中、案内状を投函してから会場へ。作品を壁に掛け直し黒くて丸い木の玉 の作品を中庭に設置。それで完了のはずが作品の配置が気になり脚立を持ち出す。これだと日々変化する作品になっていきそうだ。07-5-31

 

今日こそはのんびりできると思っていたのに案内状の地下鉄出口の番号間違いの訂正と再発送に時間を取られてしまった。一番最初にギャラリーに来てくれた人にそれを言われ申し訳ないと同時に自分のミスが情けなかった。以前の案内状を頼りに作っただけで出口の番号をきちんと確認しないのが悪い。地上に出ていきなり違っていたら迷うのは当然。地下鉄で来るだろう人には早く伝えなくては。07-5-30

 

個展が搬入、飾り付けの翌日から始まるのでなく1日おいてからだととても助かる。飾り付けが終るまではずっと制作や準備に忙しい日々を送り続けているわけで、いきなり個展が始まるとひと休みがないまま緊張を継続することになりけっこうつらい。今日はのんびりのはずだったがやり残しの仕事もあって休養と緊張が半々といったところ。明日の朝、鑑賞する側の感覚で会場に入るのが楽しみ。07-5-29

 

朝の花火が聞こえなかっので運動会は延期されたと決めつけてたら朝刊には『待ちに待ったよ運動会』の見出しが。“順延は正しかった“なんて書いて恥ずかしい。再延期になった学校も多いが一番近い小学校では開催したという。話は代わって今日は個展の搬入日。晴れてくれて本当に助かった。朝10時から夕方5時頃までたっぷり時間をかけての飾り付け。制作と同じくこだわるときりがない。07-5-28

 

今日も花火はなし。元気はもらえなかったけどすっきりしない天気だったので運動会の順延は正しかった。今朝は迷ったことだろう。それにしても学校も親もそして子供達も次週まで不安と緊張の日々を過ごさねばならないから大変だ。とにかく今度は晴天のもとで開催できることを願うばかり。07-5-27

 

朝の花火は打ち上がらずほっとした。6時ころは雨も降ってなく曇りの天気だったけど中止にしたのは大正解。日中は雨も降り風が強くて肌寒かった。中止の決断ができたのは天気予報のおかげだろう。そして今度は明日。昨日の予報も今朝の新聞でも明日は雨だったけど夕刊では『曇りのち晴れ』になっている。天気が早めに回復しそうだから明朝は花火が上がるかもしれない。元気をもらおう。07-5-26

 

暖かい日が続いてたのに今度は寒い日が続きそう。運の悪いことに明日もあさっても雨の予報。今も強い風と雨の音が聞こえてくる。どうせなら中途半端な天気よりしっかり降ったほうがいい。なぜかというと、運動会が予定されてるから。雨が降ったり寒いなか震えながらの運動会はあまりにもかわいそう。できればさわやかな青空のもとで走ってほしい。無情にも「月曜から天気は回復」という。07-5-25

 

またもまったく別な場所でビルの谷間を飛ぶ1羽のカモメを発見。カモメはあんまり群れない鳥なのか、それともたまたま2度続けて単独飛行を見ただけなのか。カモメが街に住み着いたということはそこに食料があるわけで何を食べているのかも気になるところ。やっぱり生ゴミなんだろうか。カラスと一緒に生ゴミをあさってる姿はあんまり見たくない。カモメは魚と波と潮風の海にいてほしい。07-5-24

 

昨日の大変な勘違いは逆でなくて本当によかったと思う。勘違いとは違うけど20年近く前に1度寝過ごしたことがある。ある朝、電話の音で目が覚めた。「今日はどうしたんですか」のひとことに飛び起きた。あわててのぞいた時計は5時で止まっている。始まりは10時なのにすでに10時半。原因は目覚まし時計の電池切れ。その失敗が寝床に目覚まし時計をふたつ用意するきっかけになった。07-5-23

 

元気よく「おはようございます」と言ったのにけげんな顔をされた。そして、「あれ、今日火曜日ですよね」と返されてようやく水曜日と勘違いしたことに気づいた。カルチャーセンターでの講師は水と木。どこから勘違いが始まったのか必死に思い返す。今朝ではない、寝るときすでに出かける気分でいた。そうだ、昨日の夕方モチーフに使う卵をスーパーで買った時点だ。高めた集中力は何処へ。07-5-22

 

個展まであと1週間に迫ってきた。すべての仕上げと最終チェックが入るのでさらに集中力を高めるとき。今回は平面 作品を制作してるが立体のときと同じようにかなり細かい作業なのでメガネをはずして描くことが多い。ある年令に達した人はわかってもらえるが、近眼の場合至近距離はメガネをはずしたほうがよく見える。こんなときは近眼でよかったと思う。遠視の人はどう見えてるのだろう。07-5-21

 

夕方の散歩のとき1羽のカモメを見つけた。強い風のなか白いカモメがまだ青い空を背景に飛んでいる。上だけ見てると海と錯覚してしまいそう。10年ほど前、夜中の街の真ん中で群れて飛ぶ白い大きな鳥を見つけて驚いたことがある。カモメのようだけどそんなはずはないと思っていたら後に街に住み着いたカモメと知った。カラスの黒に慣れているからカモメの白は新鮮な輝き、でも違和感が。07-5-20

 

キャベツのおかわり。2、3ヶ月に1度くらい無性にとんかつを食べたくなる。そんなときに行く店はとんかつがおいしいのはもちろんだけどキャベツのおかわり自由というのが重要な決め手。食べたい気持はとんかつと同等に近いくらいある。そのくらいキャベツもうまい。家で食べるよりとんかつ屋のキャベツのほうがうまいのは千切りの違いだろうか。今日もおかわりの一山を食べて大満足。07-5-19

 

まりちゃんの続き。具象的な絵を描くとときもそのものをどう感じて受け止めているかを描き、そこに願いや思いも加えて見事に表現した。ときには物語に発展して何枚もの画用紙をつないでまりちゃん絵巻を作ったこともある。言葉にも感性の鋭さは出ていて、タイトルはいつも詩的で「なるほど!」「さすが!」とうならされた。今もその感性が活かされてるといいんだけどどうしているのかな。07-5-18

 

「先生、わたし今日、げいじゅつする」と宣言してから描き始めることがときどきあった。何色かの水彩 絵の具をチューブから直接画用紙の真ん中にたっぷり出して一息ついてから両手の手のひらで勢いよくこねくり回す。お母さんには決して見せられない光景。紙の外にはみ出したってまったくおまないなし。表情はいきいきして楽しそう。自分が満足すると「あ〜、すっきりした」で出来上がり。07-5-17

 

まりちゃんには鋭いひらめきや発想のおもしろさもあったけど作り始めたときの集中力もすごかった。彫刻刀で木版画を作ってるとき、彫刻刀の正しい使い方と下絵に従って進めているのを確かめてから絵を描いたり工作をしてる子供達のほうに移った。つぎに戻ると一生懸命彫り続けてる。しかし、その版木を見て驚いた。ぽっかり穴があいている。「彫るのがおもしろいから!」と明るく言う。07-5-16

 

まるで連想ゲームのようになってるけど『順序』で思い出すのがまりちゃん。もう20年以上前、ある文化教室で子供絵画の講師をしていたときに4才位 から小学校卒業まで来てくれてたまりちゃん。天才肌の子で忘れられない言葉や行動をいくつも残してくれた。そのひとつが「習字は書き順が決まってるからいやだけど、絵は決まってないから好き」というもの。とにかく鋭い感性を持っていた。07-5-15

 

味噌汁に始まり、味噌汁に終る。御飯を食べるときこだわってる順序がある。お腹に入ってしまえば同じとひとつずつたいらげてしまう人もいるけど僕には無理。最初は味噌汁をほんの少しすすり、御飯をひと口、おかずに箸を伸ばしながらときどき御飯と味噌汁に戻る。それを繰り返しながら平均的に食べていく。おかずがなくなったら残った御飯を食べ最後に味噌汁を飲んで『ごちそうさま』。07-5-14

 

『何のため』という言葉で思い出すことがある。もう20年程前、美術講師をしていた女子高での授業中に生徒から出た素朴な質問。それは、『先生、こんなことして何のためになるんですか?』というもの。とっさに『何のためでもないからいいんだよ』と応えた。表現することの大切さとその意味を詳しく説明すると少しはわかってくれたようだった。『何のため』ばかりになると本質を見失う。07-5-13

 

できれば何々のためという意識を減らしたいと思う。それ自体を目的に近づけたい。食事も散歩も睡眠もそして制作も。何度も触れてるけど食べることと生きることは同じ意味だから目的そのもの、散歩は体を活性化したいからであえて言うなら足や腕を使ってあげるため、睡眠は絶対必要な休息、制作は自分を具体化する行為として大事。それぞれを生きてる証しとして受け止め、喜びとしたい。07-5-12

 

昼食は焼うどん。最初に野菜を炒めてからうどんを入れてほぐしながら炒め、焼き上がったらソースを加えてかき混ぜからみ合ったら出来上がり。ラーメンのときと同じように野菜たっぷりなのでうどんもあるという感じ。今回入っているのはキャベツ、茄子、玉 ねぎ、人参、ピーマン。野菜の食べ過ぎなんて心配はないのかなと気になるほど。決して健康のためではなくおいしいから食べてるだけ。07-5-11

 

3日前からついに5時起床。曇りのときはちょっと薄暗いけど晴れだと充分明るい。届いて間もない朝刊を読みながらの朝食。ゆったりいろいろ済ませても6時半には制作を始められる。すると、午前中だけで少なくとも5時間はできる。疲れがたまってないぶん集中力も高まるから仕事もはかどる。昼食後、夕方までは維持できても夕食後はけっこうつらい。それもあと20日あまりの頑張りだ。07-5-10

 

勘違いに始まり、人違いにがっかり。街の中心部で信号待ちをしてると向側に知り合いがいて互いに軽く会釈をした。その人が待っててくれたので急いで渡る。ある場所を訪ねたらその人に関連するような話題が出たのでてっきりその本人と思って話したら違っていた。そして、その人は「今度、帯広でやるんですね」と言う。そこで人違いされてることに気づいた。ちょっと寂しい思いを味わう。07-5-9

 

最近、バレリーナ吉田都のドキュメントに刺激を受けた。吉田都は41才になった今も英国と日本の舞台のプリンシパルとして活躍。小柄で日本人的な顔だちにコンプレックスを感じながらもそれを乗り越え英国のバレエ団で長年プリンシパルを続けてきたというから驚く。そして、吉田都の言葉も心に残った。『いつも崖っぷち』『自分を信じる強さを持て』『プロとは言い訳せずに闘い続けること』07-5-8

 

画家の肩書きを付けたのは28才の頃。自分がその世界で生き抜く決意を持ち続け、日々努力するためにも必要なことだった。そんなのどうでもいいと言う人もいるけどそうは思わない。自分がどんな意識でいるかを伝えるのも大切。95年あたりから立体作品も作り始めるうちに画家と名のることに疑問を感じ始め、より幅広い創作活動に合うよう美術作家に変更。すると、新たな意欲も湧いてきた。07-5-7

 

野球選手の夢は小学生までのこと。中学生になると将来の仕事の夢はかなり具体的になってきた。その頃、浮かんできたのは学校の先生か画家。担任の先生とそのことで話したのを覚えてる。高校に入ってからはグラフィックデザイナーにも興味が湧いてきた。大学ではデザイン科を専攻。卒業後はデザイナーを3年やり、その後は様々な講師で稼ぎながらの画家の道。中味はともかく夢が叶って幸せ。07-5-6

 

今日は子供の日。小学生以下を対象にした『大人になったら何になる?』のアンケート結果 が新聞に載っていた。男の子は「野球選手」で女の子は「食べ物やさん」が1位 。野球選手は相変わらず人気がある。自分を振返ると最初は蒸気機関車の「機関士」、次に「漫画家」「野球選手」と続く。怪獣より乗り物のおもちゃが好きで、絵を描くことも楽しくて、走り動き回ることも大好きな子供だった。07-5-5

 

連休の後半に入って急に暖かくなり行楽地も大賑わいのようだ。陽気とは関係なく家にこもって個展に向けての制作の日々を過ごしてる。何年にも渡って連休期間中に実家に帰っていたが去年からそれがなくなり落着いて仕事のできる期間になった。たとえ忙しくても夕方の散歩はかかさないようにしているが、今日の散歩では鮮やかに咲きほこる桜を発見して疲れも吹っ飛んだ。さわやかな春の色。07-5-4

 

魚が弱って死んでいくとき、始めに変化が現れるのがひれ。ひれの透明度が鈍り、次第に白い部分が多くなっていき、そしてひれの先のほうが欠け始める。つまり、新陳代謝が行われなくなったということ。弱っていくものは張りとつやがなくなる。魚も人間も元気でいるためにはつやが大事なんだ。それを保っているのが新陳代謝。汚れがたまっていてはそれも促せない。それなら顔も洗わねばと。07-5-3

 

最近、毎朝しっかり顔を洗うようになった。こんなことを言うと驚かれるが出かけない日は洗わずにいた。どうせ大差ないだろうというずぼらな考えでいたのに、あるひとことと魚の死が僕の意識を変えた。たまたま顔の肌の話が出て「顔を洗うだけではだめなんだよ」というのを聞いたとき、顔さえ洗ってない僕はいったいどうなるんだと思った。それで最低限のことはしておかなくてはと。続く。07-5-2

 

少し前、おかしな記事を目にした。それは『大卒なのに高卒と詐称』というもの。学歴詐称というと政治家や有名人が自分の経歴に箔をつけるために卒業どころか入学もしてなかったりする大学名を嘘で書くものなのに、これは逆。理由は役所の高卒採用募集に合わせるためだったという。就職の際に大学を出たことがプラスどころかマイナスになったわけだ。卒業したその大学はがっかりしただろう。07-5-1

 



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NAKAHASHI OSAMU

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