ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

 

今回の旅は宿と日程の関係で変則的になる。釧路のふたつ先の駅から8:30に歩き始めた。晴れでこの地方にしては暑い一日のようでがっかり。1時間ほど歩くとスイッチが入り、足が無意識に前に出るようになる。緩やかな丘陵地帯がしばらく続き快調に歩く。交通 量は予想より多くて驚いた。15:50厚岸駅着。厚岸大橋まで往復後17:56発の列車で釧路に戻る。歩いた距離は45キロ。17-6-30

 

17:50札幌駅バスターミナルで釧路行き高速バスに乗車。昨年同様、早朝出発のため出発地で1泊することにした。バスに乗ると納沙布岬への『歩く旅』の始まりを実感する。釧路到着は23:25の予定。しかし、バスの中で少し急いでいればもうひとつ前の15:40に乗車できてたはずだと気付いた。そうすれば2時間早く着けたというのに・・・。気付かなかったのが不思議でならない。17-6-29

 

まだまだ先と思っていた『歩く旅』への出発が明日になった。いつものリュックサックには着替えのシャツや下着、靴下、手拭い、治療セット、スケッチ用具、100円ショップのレインコート、予定表と地図のコピー、飴、チョコ、チーズ、菓子などの若干の食料、などなどが詰め込まれている。幸い、釧路、根室の週末は晴れか曇りの予報で雨の心配はなさそうだ。納沙布岬に立つ日はもうすぐ。17-6-28

 

個展の礼状作りでは納得のいく色になってくれなくて苦労した。比較的淡い作品を選んだのも原因のひとつだが、プリンタの限界のみならず写 真そのものが正確でない可能性も高い。立体に比べると平面作品の撮影の方がずっと苦労する。ライティングのない状態で作品にあたる光を均一にするのは極めて難しく、どうしてもムラができてしまう。絵画は色で勝負なのでそこにはこだわりたいのだが。17-6-27

 

昼に歩けなかったので夕食後に散歩に出掛ける。夏至からまだ5日目で、7時ならまだ明るくていいはずなのに厚い雲のせいですでに薄暗くなっている。効率よく代謝を稼ごうと近くの公園へ行き、小山の上り下りをした。ふと、屋久島へ行く前にここで足腰の鍛練をしていたことを思い出して、家に帰ってから調べてみると屋久島は9年前の2008年の旅だった。縄文杉までの道のりが懐かしい。17-6-26

 

世界卓球のビデオを見ていると気になる点がある。『互角で負けていない』とアナウンサーが叫ぶが、実際はセットカウント2:0で負けている。これがどうして互角なんだろう。自国の選手をひいき目で見たいのはわからないでもない。しかし、行き過ぎると客観性を失う。セットカウント3:1で10:3のマッチポイントを取られても『勝負はこれからだ』と叫ぶ。言葉があまりにも軽すぎる。17-6-25

 

『歩く旅』の足慣らしのためにちょっと長い距離を歩く。ただ歩くだけでなく知人が個展をしているギャラリー回りを兼ねることにして家を出る。あいにく雨にも降られたが、2時間強で一ケ所目に到着。コーヒーをごちそうになり30分ほど話して次に向う。30分後に着き、ここでも作品を観て少し話をする。帰りは時間が足りなくなり地下鉄に乗る。目標には満たなかったが16.5キロ歩いた。17-6-24

 

2013年に第15回で幕を閉じた『北区のアーティスト展』が4年振りに復活することになり、一回目の実行委員会が行われた。15年に渡って続けられた展覧会には多くのファンもいて、作家のみならず終了を惜しむ声はその当時からいろいろ聞こえてきていた。それらの後押しもあって第16回として続けられることになった。忙しさは増えるが自分の力が役立てられるならそれもありがたい。17-6-23

 

地下の歩行空間で左右に大きな人の流れができているのに、あえてその流れに逆らって歩く人の心理がわからない。そんな歩き方をすると歩いている人どうしが向かい合わせになって、どちらも歩きづらくなる。それを何度か繰り返しても、なおかつ逆らって歩く人は流れが見えていないのか、それともどうあってもそちら側を歩くと心に決めているのか。どちらにしても、迷惑なのはまちがいない。17-6-22

 

夏至だというのに夕方の厚い雲が恨めしい。日の入りは7時18分のはずが、6時半には薄暗くなり50分には部屋の灯りを着けねばならなかったのだ。もっとも長い日照時間がこんなに短くなるとは寂しすぎる。それにしても、夏至を迎えることをすっかり忘れていたから昨日の新聞で知ったときには驚いた。年齢を重ねると月日の経つのが早く感じられるらしいが、自分もその域に達したのかも。17-6-21

 

ドレッシングがどうしても好きになれない。友人から自分で作った新鮮な野菜をたくさん戴いた。根にはまだ土が付いていて、いかにも取り立ての感じがいい。そして、気遣いでドレッシングも一緒にプレゼントしてくれた。さっそく食べたのだがドレッシングを掛けるとそれぞれの微妙な味がわからなくなってしまい、掛けないと違いがよくわかりよりおいしいのだ。サラダのおいしさは生が一番。17-6-20

 

12日振りの卓球。個展をはさんだため、随分しばらく振りの卓球を楽しんだ。最初は少しぎこちない部分もあったがせいぜい5分程度で、その後は今まで溜まっていたエネルギーを発散するかのように全開になった。個展会場ではしばらく来場者のいないときには狭い会場内を歩き回っていた。とにかく、じっと座っているほうが疲れてしまうのだ。卓球も歩きもそうだが、やっぱり動くのが好き。17-6-19

 

ついに7日間の個展が終了。いつものことだが、作品を壁から下ろすときにはいちまつの寂しさを感じてしまう。作品の晴れ舞台が終るのだから当然だが、それと同時に解放感と安堵感も湧いてくる。額装された作品を箱に収めるまでは、違った感情が交互に入り交じり複雑な心境になる。しかし、箱に収まった後からは搬出作業を淡々と進める。これから少しの間はのんびりして疲れを癒すつもり。17-6-18

 

どうしても来場者が重なってしまう。それだけ人の動きに共通性があるというわけだ。来ないときには30分間誰も来ないのに、来始めると次々とつながって来たりする。たくさん来てくれるのは嬉しいのだが、重なるとそれぞれへの対応が中途半端になるのが辛い。今日もそんな状況が何度かあった。自分が来場者のときにはその場の様子を判断して早めに去ったりもするが気を付けねばならない。17-6-17

 

個展は5日目を終え、残りもあと2日となった。さすがにここまでくると疲れもたまってきている。朝の10時から6時まで、狭いギャラリーでの拘束状態の継続はかなりの忍耐を必要とする。友人や知人やフリーの鑑賞者が来ているときはさほど感じない疲れも誰もいないときにはどっと出てきてしまう。しかし、それもあと1日の頑張りだ。最終日は初日とは異なる気分の高まりのなかで迎える。17-6-16

 

インクをプリンタにセットしようとしたがうまく収まってくれない。なぜ?と思ってインクを見ると番号がまちがっている。これは店員に確かめて買ったものなので、何の疑いもなく開封して番号は確認していなかった。自分のミスもあるが交換してもらえることを願ってレシートと一緒に買った店に。すると、「申し訳ありませんでした」と謝られすぐに交換してくれ、恐縮するほどの対応に感激。17-6-15

 

友と飲む。ギャラリーを閉める少し前に作品を観てもらい、施錠後近くの中華料理店に向う。会うのは去年の忘年会以来で半年振りにお互いの近況などを語り合いながらビールを飲み料理を食べた。5年ほど前の退職時はせっかく自由になったのにいまいち気力が湧かないと悩んでいたのに、今はやりたいことがたくさんあって忙しいくらいだと語ってくれるのが嬉しい。前向きの会話は活力を生む。17-6-14

 

個展会場のギャラリーへは開始の10時の10分ほど前に行く。ギャラリーの鍵を開け、電灯を付け、額の水平を確かめ、芳名帳と案内状を用意し、スタンド式の案内板を外に出して準備が整う。それから6時の終了まで、トイレタイム以外はずっとギャラリー内に詰める。それを1週間続けるので結構疲れる。しかし、その間に懐かしい人との再会や作品への共感の言葉を耳にするとそれも弱まる。17-6-13

 

朝9時から個展の搬入飾り付けをする。それ自体は順調に進んでいたのだが、その真最中の10時半頃、知り合いが3人連れで個展を観にやって来た。案内状には12時からと書いてあるのに3人共見てなかったという。せっかく来てくれたけど、ちゃんと観てほしいので12時過ぎに来てくれるようお願いして了承してもらう。去年もあったのだが、日にちは確認しても時間は確認しない人がいる。17-6-12

 

続く。12時から『ハルカヤマ芸術要塞』のオープニングとしてバーベキューやピザ焼きをして作家と来場者で最後の開催を惜しみながら祝う。8年前に初めての野外での作品制作発表を経て、その後2回の『ハルカヤマ』でもそれまでの室内とは違い、大地や風や光を重要な素材として作品に取り入れられたため、自然との共生を意識する8年でもあった。大事な一時期になったのはまちがいない。17-6-11

 

最後のハルカヤマ。これまで3回開催してきた『ハルカヤマ芸術要塞』が今回で終了することになり、最後の搬入となってしまった。野外で作品を制作し発表する初めての機会だったので、おもしろさも多くの収穫もあり貴重な体験になった。そして、仲間と共同で全体をまとめ仕上げていくやりがいも感じていたので、これで終りと思うと寂しさは拭えない。個展と重なり会場に行けないのも残念。17-6-10

 

連敗同士の戦いになった日ハム対巨人戦。日ハムは5連敗で巨人は13連敗中というどん底状態から抜け出すのはどっちになるのか。日ハムが北海道に来るまでは80%から90%が巨人ファンで、球場も巨人ファンで埋めつくされていたのが今ではほとんどが日ハムになっている。親の影響もあって子供のときからのアンチ巨人なので、とても好ましい状況に映る。何としても日ハムに勝ってほしい。17-6-9

 

安春川の遊歩道の草刈りに勘違い。業者の人達が5、6人のセットになって大きな音を立てながら草刈り機で草を刈っているのを見て、ふと『どうしてこんなに早くやるのだろう』と思ったのだ。なぜか、自分の頭の中の安春川はまだ5月の中旬にとどまっていたというわけ。よく見るとすでに草はかなり長く伸びている。4月から2ヵ月以上経っているのだから当然だ。どうしてそう思ったのだろう。17-6-8

 

個展の搬入の5日前になったが、準備はほぼ終了しているのでのんびり構えていられる。もっともっと若かった頃は搬入の日を徹夜で迎えたなんてこともあった。とにかく、ぎりぎりまで焦ってやるのがほとんどだった。こんなに余裕でいられるようになったのはいつ頃からだろうか。これには年齢が関係しているのはまちがいなくて、もう無理がきかなくなったのだ。だから、早め早めの準備になる。17-6-7

 

言葉の意味は時代によって変化するとわかっていてもなかなか受け入れ難いものもある。『全然』が否定でなく肯定で使われるようになって随分経つけれどまだ使えない。言葉遣いもそうで、『〜なくない』もおかしい。そのまま『ある』でいいのに二重の否定をしている。つい最近耳にした『普通 にすごい』はどう受け止めればいいのだろう。すると、『素直に全然大丈夫でなくない』と返されそう。17-6-6

 

5月の末に「もう、寒いと感じる日はほとんどないだろう」なんて書いたのに、ストーブの暖かさが恋しくなるような寒い日が続いた。暑さに慣れようと体も心も準備していただけにこの寒さはこたえる。何度も書いているように、その気になって身構えていれば何なく受け入れられるものも、まったく予期していないと変化についていけなくなってしまう。風邪をひかないよう、十分注意しなくては。17-6-5

 

80歳で自分の歯が20本以上あるようにしようとの運動があるようで、この20本というのは、入れ歯なしにほとんどのものを食べられる目安らしい。最近の調査によると80歳で20本以上ある割合はほぼ51%なったとしている。これは微妙な受け止め方ができて、半分は自分の歯で食べられるけど、半分は入れ歯に頼らざるを得ないわけだ。今のところ25本あるから、これを維持しなければ。17-6-4

 

世界卓球の快進撃はまだ続いていて目を離せない。そこで、こちらも続く。直接試合には関係ないのだが、アナウンサーの言葉に気になる点が多々あった。ゲームで負けている日本人選手に対して「守りには入ってません」とはどういうこと。結局はそのまま敗戦。「勝っているとはいえ油断できませんよね」油断できるような選手は出てこないし出てこられない。スポーツのわかる人がやるべき仕事。17-6-3

 

世界卓球が熱くておもしろい。女子も男子もシングルもダブルスも大活躍で存分に楽しませてくれている。この後も快進撃を続けてほしい。とくに目立つのが若手の台頭。16歳の伊藤美誠と早田ひな、そして17歳の平野美宇もすごいのに、今度は13歳の張本智和がリオ五輪銅メダリストの水谷準を敗るという信じ難いような快挙をやってのけたのだ。これは日本にとどまらず世界にとっての衝撃。17-6-2

 

[あて所に尋ねあたりません]との赤色のスタンプを押された個展の案内状のはがきが戻されてきた。本来の役目をまっとうせずに押された切手の上の消印が悲しい。はがきを手にして最初に思うのが『どうして?』。改めて住所を確認すると単なる書きまちがい。気を取り直して新たなはがきに正しい住所を書く。そして、切手を貼るときに悲しさが再び甦る。今日から62円になっているとは・・。17-6-1

 

 

 

 



ウィンドウズで御覧の方は文字の表示を最小にしていただくと私のレイアウトに近づきます。

 

NAKAHASHI OSAMU

作品の著作権を侵害することのないようお願いします