ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

小さなペンギンが先に挑むのがおもしろい。先に行きたいのに高さ15Bほどの紐に遮られて戸惑うペンギン達の動画の話。大小様々いたが最初に転びながらも渡り切ったのもそれに続いたのも小さめのペンギンだった。大きめが挑戦したのは5、6番目のこと。若者の勇気というか怖いもの知らずというべきか。そして、年配者は体験的判断や行動には強いが初体験には弱くなる。若いと逆になる。14-3-31

 

いよいよプロ野球が始まった。開幕を2勝1敗で終えたからいい出発と言えるだろう。それにしても、その1敗の張本人だった斉藤にはがっかり。少しは逞しくなったのかと期待してテレビ観戦したが見事に打ち砕かれた。何しろ覇気が感じられない。もはや比べられる存在ではなくなった田中との差は開くばかりだ。高校野球の決勝で田中に投げ勝ったあの斉藤のコントロールはどこへ消えたのか。14-3-30

 

袴田さん48年ぶり釈放。長過ぎる年月に言葉を失う。自分に置き換えると17歳からで、その間の自分の意思による自由な行動や体験がいっさいないなんて想像もできない。それも冤罪の可能性が極めて高く、証拠とされた衣類から考えるとでっちあげられたのは明らか。恐ろしいのはそれを仕組み加担した側の人達はまったく責任を追求されない点だ。せめて袴田さんの穏やかな日々を祈りたい。14-3-29

 

3月の下旬に入り、暖かい日が続いたおかげで雪割りをする間もなく一気の雪解けで道路が顔を出してくれた。これからは下を向かずに安心して歩けるのが嬉しい。毎年、こうなると本当に春が来たんだと実感できる。そして、今季も雪道で転ばずに乗り越えられてよかった。一昨年、不覚にも自宅の階段から滑り落ちて肩甲骨を骨折してからは、家でも外でもそれまで以上に転倒に気を付けている。14-3-28

 

卓球をすると大量の汗をかく。とくに月曜日は1時から4時までほとんど休みなく激しく動き続けるので半端じゃない。それがよくわかるのは、終了後に1P以上の水分を補給したとしても寝るまでのトイレに立つ回数が極端に少なくなるのだ。その日は始まる前の午後1時に行った後、次に向ったのは午後10時のことでその量 も少なめ。それだけ新陳代謝が行われたのだと良い方に解釈している。14-3-27

 

映画『メイジーの瞳』に感激。両親の喧嘩そして離婚、10日ごとに両親の家を行き来するなど大人の都合と我がままに翻弄されながらも親の愛を信じる6歳の娘の健気さといじらしさと無邪気なかわいらしさがたまらなくいい。離婚後は出来過ぎたストーリーではあるけれどその子の幸せを願う気持がどんどん強くなるからハッピーエンドにホッとする。子供の眼の冷静さも見事に表現されていた。14-3-26

 

古いほう、つまり1台目のパソコンは1999年に手に入れたもので、すでに15年の付き合いになろうとしている。詳しくは知らないがパソコンの寿命としては長いようだ。故障のためだけでなくそこまで使い続ける前に新しいものに変換する人がほとんどなんだと思う。でも、この『ひとこと』のソフトは新しいパソコンに移行できないので終りのときを共にしている。一日一日が綱渡りの心境。12-3-25

 

続き。万一の覚悟もして息を詰めて待っていると無事再起動してくれた。このときは『これでまた「ひとこと」を続けられる』との喜びで一杯になる。しかし、問題はまだ解消されてなかったのでもう一度再起動してみる。今度はさっきほどの緊張感はない。すると、ようやく完全復活してくれて一安心。今回は無事復活してくれたけれど、いつかは終りのときが来るはずなのでそれを覚えておこう。14-3-24

 

自分が凍り付いてしまいそうな事態に一瞬陥ってしまった。いつものように『ひとこと』を書き込もうとしたらそのファイルが開かない。そこで再起動しようとすると『このまま操作を続けるとコンピュータを再起動できない可能性があります。それでも続けますか』という警告文が出てきた。一旦キャンセルして気を落ち着かせ、しばし迷った後に意を決して『続ける』を押した。祈る気持で待つ。14-3-23

 

選抜高校野球に久し振りに登場した駒大苫小牧を応援しようとテレビで観戦しているとアナウンサーが「ここは3人で終りたいところですか?」とか「もう点数をやりたくないですか?」などと言って解説者に何度も問い掛けるのだ。そんな戦況でもないというのに当たり前のことを聞いてどうする。「終らないほうがいいです」とか「点数はやったほうがいいです」もあると思っているのだろうか。14-3-22

 

家電店などでは4月からの消費税アップの前に買物しようとする客で普段より混雑しているらしい。高額な買物ならわからないでもないが、日用品まで買いだめする人もいるようだ。オイルショックや米不足のときのような大騒ぎにはなってないようだがなかには踊らされてる人もいるだろう。高い商品の購入予定が一切ない身としてはこれからもいつものような買物をいつものようにしていくだけ。14-3-21

 

絵画教室でのモデルがポーランド人だったので、少しでも和んでもらおうとの気持もあって「もう40年も前だけどワルシャワの街を数時間歩いたことがあるんですよ」と言ってみたけれど軽く「そうですか」と返されただけだった。考えてみればもっともな反応で20代の人にとってみれば遠い過去の話をされても返事のしようがないのも当然か。世代の差を実感させられた会話になってしまった。14-3-20

 

随分陽が長くなってきたと思っていたらそれもそのはず明後日は春分の日だったのだ。一年の大きな節目のひとつとしていつも強く意識していたというのにうっかり忘れていた。この日が過ぎるといよいよ本格的な春の訪れになる・・・はず。今年のこれまでの天候を考えるとこの後の突然の寒波を想像するのは難しい。天気に関してはどうしてもいい方に予測したがるが今度は当ってくれるだろう。14-3-19

 

『アカハラと指導 難しい区別』。新聞のこの見出しを見たとき、その文章がまったく理解できなかった。まず思い浮かんだのが魚のアカハラだけど、それだと増々訳がわからない。本文を読んでようやくその意味がわかった。『アカハラ』とはアカデミック・ハラスメントの略語だという。『セクハラ』や『パワハラ』は知っていたけど『アカハラ』は知らなかった。次の『・・ハラ』何なのかな。14-3-18

 

追われることのないのんびりした生活に慣れてきたせいか『これでいいんだろうか』という強迫観念も弱まったような気がする。だからといってボーっとしているわけではない。三つ子の魂とでも言うべきか、何もしないでいるのは落ち着かない性格なので何かを探す。そうするとやりたいことはいろいろ出てくる。その中でもすっかり趣味になった漢字の書き取りなんかは一日中やってもあきない。14-3-17

 

ようやく雪との闘いにもひと区切りがやってきた。雪捨て場としてずっと助けられていた流雪溝の使用が今日で終了したのだ。もうママさんダンプの出番はなくなり、これからは剣先と角スコップの活躍のときがくる。天気予報では天気のいい日が続いているので雪解けもどんどん進みそう。剣先スコップでの雪割りは春を迎える儀式みたいなものだし、気分も爽快になるので楽しみ。その日は近い。14-3-16

 

年齢を重ねると昔を振返るときが増えるというが、自分ももうその域に達しているようだ。ついつい過去の思い出や出来事も書きたくなってしまう。これからの時間よりこれまでの時間のほうが圧倒的に多いのだからそうなるのも自然な流れだろう。そして、思い付いたときに語らねばそのときが次にいつ来るかもわからないとの気持もある。懐かしい思い出は今を生きる支えにもなってくれている。14-3-15

 

同じテーマの映画で心に焼き付いているのが『ニュールンベルグの裁判』。それを観たのは中学のときだった。戦時下の上からの命令に従った人間の罪をどこまで問えるのか、逆らえば死が待っている、もし自分がその立場だったらどうするのか。とても重い問い掛けだった。雄弁な弁護士の奮闘も虚しく『死刑』の宣告で終る。50年のときを隔てても理不尽な力に反発したい気持に変わりはない。14-3-14

 

夕方までの時間つなぎに久し振りの映画館へ行き、選んで観たのが『ハンナ・アーレント』。これが大正解で非常に感動的な内容だった。ナチス戦犯アイヒマンの裁判レポートをする女性の真実に立ち向かう不屈の精神と知性が描かれている。『私は民族を愛したことは一度もない、愛するのは友達だ』という言葉が忘れられない。この映画も心に響いた一本としてしっかり残りそう。もう少し続く。14-3-13

 

偽作曲家の佐村河地氏と旭川リバーネットの岡田氏には同じ臭いが感じる。実質の伴わない陳腐な見た目にこだわるところやいかにも誠意のなさそうな顔つきも話し方も一緒だ。そして、彼等に共通 しているのは悪いことをしたという罪の意識がない点。多分、本気でそう思っているんだと思う。なぜなら、あのように自分本位 にしか考えられない人にとっては他人の痛みを理解するのは困難だから。14-3-12

 

忘年会のつもりが新年会になり更に先送りになっていた友達との飲み会をようやく実現。半年振りの乾杯に大いに盛り上がる。この友は大学時代の同級生で受験のときから不思議な縁があった。最初は東京での受験のために泊ったホテルで知り合い、札幌での受験会場ではすぐ前の机に彼がいた。彼の名前の頭が『と』だったのでそうなった。つまり、高校と大学の狭間からの付き合いというわけだ。14-3-11

 

きりがなくなりそうだからこの話はもう終りにしようと思ってたけれどもう一回だけ続く。そのときの判断は冷静で正しかったと思う。外国のひとり旅だからたとえ行方不明になったとしても気付くのは何日か後のはずだし、しつこく抵抗していたらもっと悲惨な目に遭ってたかもしれない。しかし、何だかんだで最終的には1万円で済んだから、悪いやつらでも極悪非道でなかったのが幸いだった。14-3-10

 

続き。高い授業料だったが他にも学んだことはいくつかある。そのひとつは引き際のタイミングと大切さ。コーラ一杯で3万円を請求され納得がいかないので料金書を書いてほしいと求めると、態度が一変して新たな屈強な男が奥から出て来た。ここで身の危険を察して強気の抗議は一切止めて「憧れのローマでこんな目に遭うとは・・・」と小声の泣きに入った。これが功を奏して今がある気もする。14-3-9

 

騙されてお金を取られたのはもう38年も前のローマでのこと。口惜しくて情けない思い出として心に深く焼き付けられている。夕方、街角で知り合ったイタリア人と話しているうち、もっとゆっくり話そうと誘われて飲み屋に向ったのが始まり。その店の入口を見てちょっと違和感を覚えたのに入ってしまったのがまちがいだった。話が長くなりそうなので結論を言うと、ここで騙されたというわけ。14-3-8

 

騙されてお金を取られたり作品を持ち去られたことはあるが、幸い財布ごと無くしたり盗まれた経験はない。僕の場合は財布を身に付けているので盗まれるというより奪われるわけだからもっと怖い話になる。とにかく、財布を無くすとお金を失うだけでなくカードや免許証の手配も必要になるから大変だ。今回被害にあった女性が「お金だけ持っていけばいいのに」と憤慨し落胆していたのが頷ける。14-3-7

 

ショックな事件。それは絵画教室に来ている女性のもとに起こった。トイレにバッグを置き忘れたのに気付き急いで戻ったがすでになく、事務所に届けられるの待つしかなかった。間もなく届けられたがその喜びも束の間のものでバッグから財布が抜かれていたのだ。警察官を呼んでの窃盗事件になってしまった。せっかくの楽しいはずの時間を悲しい時間にされた生徒の苦しみを思うとやり切れない。14-3-6

 

詐欺師に向って「詐欺じゃないんですか?」はないでしょ。以前にも書いたテレビ番組での撲滅キャンペーンのなかで、明らかに詐欺と思われる相手にスタッフが投げ掛ける言葉がおかしい。そんな問い掛けをしても「そうですよ」と言うはずはない。どうせするならもっと突っ込んだ質問をしてほしい。ギャンブル詐欺なら「当りがわかるのにどうして自分達だけで金儲けをしないんですか?」とか。14-3-5

 

朝、ふと目を覚まして寝床の目覚まし時計を見ると鳴るはずの時間が過ぎている。変だと思ったが前日30分遅らせたままだったことに気付いた。慌てて起きて台所に向い朝食の準備を始める。そこで、電子レンジの時計を確認すると思い込んでいた時刻より1時間も前だった。どおりで目覚まし時計が鳴らなかったわけだ。逆でなくてよかったと胸をなでおろす。おかげでゆっくりとした朝になった。14-3-4

 

意識的に長い距離を歩く機会を作ろうとしたのは2000年のことだった。そのときの行き先は自宅から20H余り先の当別 駅。その後13年間、様々な方向に歩き続けてきたがその距離で最も辛かったのが最初のもの。そこからも、継続すればかなり快復できる証明になってくれた。今では20Hはノンストップでも無理なく歩ける距離になっている。これからも歩きと卓球はずっと続けていきたい。14-3-3

 

体力維持。いくら努力したところで若い頃の瞬発力や持続力や筋力などが戻ってこないことは重々わかっている。しかし、使わなければ増々衰えていくのは紛れもない事実。だから、少しでも維持して温存させるためにできる限り頑張りたいと思う。幸い運動大好き人間だから歩くのも卓球も楽しい。とくに卓球は楽しくてしょうがないと言ったほうが当っている。その卓球もまもなく3年目を迎える。14-3-2

 

地下鉄に乗って座席に座りドアが閉まった直後に『どんどんどん』という音が聞こえてきた。そちらを見ると外側からドアの窓を手で叩いてる人がいた。70代と思しき男性が何かを叫びながら叩き続けている。長年地下鉄に乗ってきたが初めて見る光景だ。多分、ドアは閉まったけれどまだ目の前に車両があるから開けてもらえると思ったのだろう。もっと小回りのきくバスの感覚だったに違いない。14-3-1

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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