ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

個展まで1ヵ月半を切ったので案内状作りを始める。まずは作品を選んでの写 真撮影。これには条件があって、日差しが強すぎず弱すぎずの真ん中がいい。たまたま今日はそれを満たしていて無事撮り終えた。次に、撮ったなかから良さそうなのをパソコンに取り込みいろいろ手を加える。大した作業ではないのに久し振りにやるので手順を思い出すのが大変。おかげで完成はもう少し先になりそう。17-4-30

 

続き。ちなみに札幌は全国計61ケ所のうちの59番目。地震の確率は少ないわけだが、安心はできない。札幌での大きな地震の体験は2回あり、最初は浦河から札幌に移り住んですぐの大学1年の授業中だった。地震もさることながらそれに驚き慌てふためく学生達の姿が印象的だった。慣らされているかそうでないかの違いだろう。2回目は自宅で、部屋が悲惨な状況になって茫然自失に陥った。17-4-29

 

出身地の浦河にピンとこない人には『地震の浦河』と言ってわかってもらおうとしたことが何度かある。そう言いたくなるほど『震源は浦河沖何H』というのをしょっちゅう耳にしていた。その浦河が30年以内に震度6弱以上の地震の起こる確率は65%で道内1位 、全国でも7番目になっている。地震が度々あるのは適当にガス抜きされていると思っていたが違うようだ。ないのを祈るしかない。17-4-28

 

続く。もし、撤回ですべてが許されるなら発言の重みはさらに低下してしまう。あまりにも当たり前のことだが自分の発言に責任を伴わなくでどうする。こんな場合は本音の部分を聞かせてくれたわけだから、その人の真意としてしっかり受け止め、撤回など求めてはいけないというわけだ。へたに撤回を認めてしまうとその発言さえなかったことにして本心を隠し続けるだろう。こっちの方が問題。17-4-27

 

復興大臣が失言で辞任と新聞に出ているが、そもそもこの『失言』という言い方がおかしい。失言とは『言ってはいけない事をうっかり言ってしまうこと』であって、自信を持って堂々と主張しているあの発言は正に本音。正直といえば非常に正直な言葉で決してついうっかりではない。こういったときに発言の撤回を求める場合が多いがこれも変。決して撤回させはしないと言うべきと思うのだが。17-4-26

 

コーヒーとお茶と紅茶。朝に飲むのがコーヒー、昼と夜の食後はお茶、その他の時間に飲むのが紅茶。昔はというか20代から50代あたりまではコーヒーばかりで、一日に5、6杯は飲んでいたのに最近はほとんど朝の一杯だけになった。パン食のときはやっぱりコーヒーになるが普段の食後は日本茶がいい。食後以外にも日本茶を飲むこともあるが紅茶の方が多い。嗜好は年齢と共に変わるもの。17-4-25

 

日ハムがひどすぎる。20試合戦って4勝16敗とはまったっく想像していなかった泥沼状態に。両足どころか両手も埋まってしまったようだ。大谷、中田の欠場が大きいとはいえ、何とかその穴を埋めるべく野手や投手の奮起を期待したが応えているのは近藤ただひとり。つながりがなければたったひとりの踏ん張りでは勝てるはずもない。こんなときこそ台頭すべき新人が眠っているのも悲しい。17-4-24

 

いくらなんでももう雪が積もることはないだろうとタイヤ交換をした。これも春を迎える儀式のようなもの。車の衣替えを済ますと気分はすっかり春へと傾く。松前では桜の開花宣言が出されていたから、桜の季節が札幌に届くのも間もなくだろう。何となく去年のタイヤ交換を調べてみると、偶然にも同じ日になっていて驚いた。どうやら、この日は雪の季節は完全に去ったと思える時期のようだ。17-4-23

 

春が足踏みどころか遠のく寒さ。道東の天気予報では季節はずれの雪マークだらけになっている。札幌は最低気温が2℃で最高が7℃なのでストーブを点火せずにはいられなかった。何度も触れているけれどどうしてここまで極端な変化になるのだろう。徐々に寒くなったり暖かくなってほしいのだが地球規模の気候の大きな流れはそれに逆行しているようだ。どこまで進むのか心配になってしまう。17-4-22

 

卓球のラケットのラバーを張り替える。フォアで使っていた面は去年の5月にしているのでまだ使えそうな気もしたがバック側は3年近く経っていてツルツルの状態になっていた。この際、心機一転しようと同時に新しくした。それを決意させたのは昨年のくじで当てた1等賞の1万円の商品券のおかげ。ラバーだけでなく練習用のTシャツと球3個もそれでゲット。これが上達につながってほしい。17-4-21

 

世の中には信じられないようなすごい人っているけれど、この人もそのひとり。まだ20歳の女性冒険家が世界7大陸の最高峰と南極点、北極点の九つすべてに到達したという。高校3年の2015年1月から始まり今月の13日にすべてを制覇したわけだが、その間わずか2年と3ヵ月しかない。本格的な山登りの経験はないから本当のすごさはわかっていないかもしれないが驚異的なのはわかる。17-4-20

 

二日続けての雨。天気予報では曇りになっていたので傘を持たずに出掛けたら昼過ぎには雨になった。移動中の地下鉄を降りて地上に出ると激しくはないが、小降りを越えた雨だったので歩き出すのをちょっと躊躇した。しかし、出口のすぐ横に100円ショップがあるのを思い出してそこに駆け込んだ。幸い100円傘は売り切れでなく108円で救われた。もし、300円でも買っていただろう。17-4-19

 

春の嵐。横殴りの強い風と雨が止まないので地下鉄駅へはバスで向った。帰りに地下鉄からバスに乗ることはあっても、出掛けるときに乗ったのは数えるほどしかない。それなのに乗ったのは荷物の多さと傘が壊れるのではという心配のため。荷物を抱えながらあらゆる方向から迫ってくる強風に合わせて傘の向きを変えるのは非常に難しい。この選択は正解でバス停まででさえ結構濡れてしまった。17-4-18

 

4月に入ってからは月(昼)、水(夜)、土(夜)と順調に卓球ができている。おかげで心身共に快調だ。行く前にふと『こんなにやっていていいのかな』と思ったりもするけれど、終った後はいつもやってよかったと思う。それだけ充実感に満たされる。今の自分にとって体と心を安定させる一番の手段がこれなんだから、多少優先されてもいいだろう。そのせいか制作の集中力も増した気がする。17-1-17

 

制作はときとして徒労に終る。もちろん、すべてが無駄という意味ではない。たとえ失敗してもやった後には必ず収穫はある。こうしてはいけないという技術的な学習になるし、まだまだ挑戦べきことがたくさんあると教えられる。今、制作してる透明水彩 は修正可能な場合もあるが、まったく無理なときもある。今回のはそれで、途中までいい感じだっただけに悔しさも大きい。やっぱりがっかり。17-4-16

 

制作はときとして無酸素運動に近づく。とくに、細かな立体作品のときにはそれが顕著に現れる。ある一点に精神を集中するためと息遣いさえも手の震えにつながりそうな場合には息を止める。そのとき、息を吸ってから止めるのでなくしっかり吐いてから止める。その方が落ち着けるし集中できるのだ。緊張が解けたときに思いっきり吸い込む。作っている間はその繰り返しになる。だから疲れる。17-4-15

 

春を感じる車の窓からの風。昨日の雪の降る寒さとは打って変わり、春の日差しが戻ってきて、走らせる車のなかは暖かさで包まれ、今年初めて窓を開けて外の空気を招き入れた。心地よい風の流れが顔を横切っていく。外の風を浴びるのは去年の秋以来になるわけで、これも春を実感する内のひとつに上げられる。昨日のような歩いているときの突風はいただけないが、優しい春風は心も爽やかに。17-4-14

 

『胴揚げ型』『騎馬戦型』『肩車型』、これらは今後高齢化社会が進んでいく深刻な様子を非常にわかりやすく例えたものになっている。1965年には65歳以上の1人に対して9人で支えていたのが2015年には2人になり1965年には1人なってしまうらしい。このままでは現役世代だけでは到底支え切れなくなるので、高齢者の基準をどんどん押し上げていくのではとの懸念が生まれる。17-1-13

 

極端に暖かい日のすぐ後に極端に寒い日がやってきたりして寒暖の差がとても激しい。今日も積りはしないけど雪が舞い降りた。明日の予報では気温は5℃だけど雪マークが付いている。そして、驚くことにあさっては16℃になっているのだ。たった1日で11℃の差ができている。こんな現象も異常でなくなるのかもしれない。とにかく、こんな変化に順応して風邪を引かないよう気を付けねば。17-4-12

 

車検の車がようやく戻る。でも、途中のウィンカーカバー(レンズ)の損傷は余計だった。3.000円か高くても4.000円と思っていたのに7.450円にもなっていた。それでなくても大きな出費がさらに膨らんでしまうとは・・・。ついうっかりとはいえ、今までぶつけたことのなかった箇所をぶつけてしまったのだから注意力の問題。これもひとつの警告として強く受け止めるようにしたい。17-4-11

 

久し振りの朝焼けに感激。朝5時半に起きてカーテンを開けると目の前の風景が赤く染まっていた。空は紅梅の雲に覆われていて、劇的なシーンになっている。これを見て、ふと40年近く前の朝焼けの体験を思い出した。まだ30前の若いときだったので早起きでなく朝方まで起きていて、日の出を見ようと車で出掛けて石狩川のほとりで遭遇したのが感動的な朝焼けだったのだ。記憶が突然甦る。17-4-10

 

水彩画の制作をしていて最初のイメージとまったく違う作品になる場合がある。これは決して珍しくもないし悪いことでもない。具体的な下絵を描きそこに着色する作品のときにはあまり変化はないが、抽象的なものはいろいろ試行錯誤しながら描き進める。描きたい世界が見えたり、見えなくなったり、急におもしろく感じたり、つまらなく感じたりを繰り返す。この行ったり来たりが大事なところ。17-4-9

 

車検に出した車はまだ戻っていない。長引いているのには情けない理由がある。修理の部品の到着を待つ必要があるので、もし車を使うなら一旦引き取ってもいいと言われ、先週の日曜日に引き取った。その足で初めてのスーパーの屋内駐車場で駐車券を取ろうとしたときウィンカーカバーを損傷してしまったのだ。ひびでも車検では許されないとのことで、また部品の調達が必要になったというわけ。17-4-8

 

新小学1年生の就きたい職業を尋ねたアンケートによると、1位は男の子はスポーツ選手で女の子はケーキ屋・パン屋になっていた。どちらも1999年の調査開始以来、19年連続の首位 。実は昨日の話にもつながるのだが教育の場では信じ難い偏向が進んでいる。道徳の教科書に書かれていたパン屋を日本の伝統を重んじるため和菓子屋に書き換えたという。子供の夢を摘んでまでどこに導く気だ。17-4-7

 

中学と高校共か高校だけかは忘れたが、体育の武道のなかに銃剣道を加えた。そんなものがあること自体知らなかったが、その初まりは人を射し殺すところにあるわけでそんな恐ろしい銃剣を用いて養いたいものとは何なのか。もちろん、剣ではなく棒になっているがそれで相手を突く競技(?)らしい。スポーツとしての楽しさはまったく感じられず、生徒がこれをやりたいと願うとは到底思えない。17-4-6

 

6月の個展のあとに予定している釧路から根室の納沙布岬への『歩く旅』の計画を考え始めると楽しくてやめられなくなる。まだ2ヵ月半も前のことだけど日程だけは早めに決めておく必要がある。なぜなら宿の確保が『歩く旅』の絶対条件になるからだ。毎回、これが決まるまでは僅かな不安を抱えている。今回は宿の心配な場所が1ケ所あって、それによっては計画の変更も余儀なくされてしまう。17-4-5

 

夕食どきの部屋の明るさが微妙な段階に入っている。だいたい5時45分あたりから食べ始めることが多く、その時点では大丈夫でも途中から薄暗くなるのではと心配になる。食事中にカーテンを閉めて灯りを着けるのは何か嫌なもの。それで今日は灯りのもとで食べ始めた。食事は明るいなかで落ち着いて中断せずに食べたい。今日の日の入りは6時5分なのであと何日かでその心配はなくなりそう。17-4-4

 

卓球で思いっきり汗をかき体も心も最高に爽快。3月にできなかった分を埋め合わせするかのように1時から5時まで休みなしでフルに動き回った。有り難いことに5人が代わる代わるに相手をしてくれたので続けられたのだ。やる前はブランクを多少心配していたがまったっく問題ないどころか、溜まっていたパワーを十分に発揮できて大満足。何度も言ってるが、やっぱり卓球はスポーツは楽しい。17-4-3

 

ど忘れにショック。今月の絵画教室でのモチーフにしようと買った花が昨年12月に使ったものと同じだったとは・・・。同じ花が続かないよう気を付けていたはずなのに12月の花をすっかり忘れていた。花を決めるとき春らしい黄色かピンクのどちらかにしようと色を優先して選んだためそうなってしまった。おかげで、違う花を探しに再度出掛けるはめに。きちんと確認しておかねばと反省する。17-4-2

 

車検に出した工場からの電話で残念な報告を聞かされる。いろいろな箇所に不具合が見つかり、部品交換も必要となるその修理に7〜8万円も掛かるというのだ。20年を越えている車だから何か問題があるのは覚悟していたが想像していたより高くてがっかり。しかし、乗り続けるためにはやむを得ない出費なので修理を依頼した。2年前の車検のときは9万円だったから、それよりましと思わねば。17-4-1

 

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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