ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

フィギュアのほかに注目を浴びたのがカーリング。これは日本人にも向いてる競技だと思うしなによりわかりやすくおもしろいゲームだ。アイスホッケーのスピードや激しさに比べカーリングのゆっくりでちみつなところも対照的でいい。その違いはサッカーと野球にも似ている。何回かのトータルで勝敗が決まりきちんと交代して攻め合い作戦タイムもあるのは野球と同じ。これもはやるだろう。06-2-28

 

トリノオリンピックもついに幕を閉じた。最後は荒川一色。何度も何度も金メダルの演技がテレビに映るが優雅で気品があり風格も漂わす滑りは見るたびに感動する。とにかく美しい。イナバウアーは流行語のように知れ渡った。スケート場の入りが急に増えたのもうなずける。少し前は子供にゴルフを習わせる親が大勢現れ、今度はそれにフィギュアも加わりそう。荒川フィーバーはまだまだ続く。06-2-27

 

暖かい日が続き雪解けが一気に進んだうえに昨日は町内会の排雪作業のおかげで道路が顔を出した。そして今日は一日中雨。つい先日までの雪山に囲まれてた近所の様子が一変して雪かきの苦労も遠い昔のことのように思われる。もしもこれが雪だったらすごくがっかりするところだった。まだ2月の末だというのに春の気配を感じさせてこのまま雪のない生活になるんでないかと期待してしまう。06-2-26

 

それまでのトリノオリンピックは低調とか不振とか言われる以前からどうしても見たいという欲求が涌いてこなかった。だからニュース以外はほとんど見てない。ただひとつ女子のカーリングの1試合だけは録画で見た。それはイタリア戦で劇的な勝利のせいもあり充分楽しめた。技だけでなく様々な駆け引きもありおもしろいゲームだ。アイスホッケーが動ならこちらは静のスポーツ。新たな発見。06-2-25

 

目覚ましを朝5時にセットして布団に入る。もちろん、最初の音で起床。下に降りてすぐにテレビをつける。トリノオリンピック女子フィギュアの日本3選手の演技を生中継で見るために早起き。日本の多くの人が早起きしたに違いない。そのかいは充分過ぎるほどだった。とくに荒川静香の滑りは金メダルに相応しい華麗でいて堂々たるものだった。ライブで見る良さは緊張感をも共有できること。06-2-24

 

他の6匹は落着きなく動き回りその1匹だけがゆったりというか悠然と泳いでいた。しかし次の日、それまでは下のほうにいたのに水面 近くでじっとするようになった。そこでなんか変だなと感じた。そのうち力なくゆらゆらと落ち始めついには底に横たわりそのまま動かなくなってしまった。すぐに馴染んだのでなく体が弱っていたのだ。勝手な思い込みでかわいそうなことをした。それで6匹に。06-2-23

 

魚の話しに戻る。店員のアドバイスよりさらに少なめの7匹を買う。これをすぐに水槽に入れるのもいけなくて買ってきた袋に水槽の水を徐々に足して慣らしていき泳がせるまでに1時間半もかかった。それだけに元気に泳ぐ姿に喜びもひとしお。7匹は微妙に大きさが違うだけでなく性格の差もあった。一番早く新しい環境に慣れたのは最も小さな1匹だと思ってたらそれは大きな勘違いだった。06-2-22

 

魚の話しはもう少し続けるつもりだけど今日は特別な日なのでそっちにする。ちょうど1年前の2月21日はこの家を見せてもらった日。今日と同じく晴れた日だった。午後2時くらいだったと思うが室内の奥まで強い日差しが入り込んでたのを覚えてる。それが決め手になった。迷うことなく借りる決心ができたのは太陽のおかげもある。もし、あの日吹雪きだったとしたら即決できたのだろうか。06-2-21

 

1週間後つまり1週間前、ようやく魚を飼える日がきた。水槽はおよそ30×35×20だから小さい魚に決めていた。その基準は原色は避ける、全体がいつも群れているのは駄 目、めずらしい形もパス、一般的な形で元気で安いものをポイントに探した。ウグイの小さいのみたいなのが希望だがそれはなくめだかと小さい鯉のようなのが候補に上がる。形が最後の決め手となり鯉もどきに決まり。06-2-20

 

今、同じ部屋に6匹の熱帯魚がいる。2週間ほど前のこと、水槽と魚と水草を買おうと張り切って店に出かけたのにまず水槽を買いその中の水を1週間くらいかけて馴染ませる必要があると言われた。すぐに飼えるものと思っていたのでがっかりしたがしかたないのでとりあえず水槽を買って帰りさっそく水を入れて循環させた。それからは魚のいない水槽を眺めながらの待ち遠しい1週間だった。06-2-19

 

ここ1ヶ月ほどはずっとアクリル絵の具による作品を作っている。木枠へのキャンバス張りも平行して進めその数をどんどん増やしていく。この作品はいわゆる一点ものの絵画のように単独で完成というわけでなく発表する場によって組み合わせも構成も違ってくるものだから作品のパーツの制作といったほうが当たってるかもしれない。これらが場と空間と合体することによって初めて作品となる。06-2-18

 

トリノオリンピックでさらに増えてしまったがそれ以前から北海道新聞のスポーツ欄が随分多くなった。まるでスポーツ新聞になってしまったようだ。ほとんど飛ばしてしまうので紙面 がもったいない気がする。半分でも多過ぎるくらい。どれほどの読者が喜んでるのだろうか。それに対して文化や国際的ニュースは極めて少ないのが寂しい。とくに文化欄は毎日1ページくらいは使ってほしいもの。06-2-17

 

おととい歯科を終了。はずれたブリッジを入れ直したあと他の2ケ所も治療。とにかくひとつの心配事が済んで一安心。今後はいかに上手に磨いていくかにかかってる。歯の磨きかたもていねいに教えてもらった。歯周病対策に今まで使ってなかった歯間ブラシも使うことにした。これは歯と歯の付け根のすき間を磨くもの。そんなすき間があることさえ知らなかった。用心のため1ヶ月後も予約。06-2-16

 

雪まつりの始まった途端に雪の少ない穏やかな天気になり、終ってからは急に暖かい日が続くようになった。それまでの今季は暖かい日が少なくて路面 がツルツルにさえならなかったがここにきておっかなびっくりの滑る道路に急変。慣れてないぶんなおさら慎重になる。そして今度は深い雪が解け始めグチャグチャな道に、これもまた歩きづらいけど春を感じさせる嬉しい現象。最後は雪解け水だ。06-2-15

 

イラクのイギリス兵が集団でイラクの少年達に執拗に暴行してる場面が放映された。それを見ても驚きはしない。どうでもいいことという意味ではなく残虐な行為を平気でできる彼等だから日常的に行われていたと考えるほうが自然。ブレア首相にしても暴行にはそれほど驚いてないはず、それよりもなぜあの映像が世界に流れてしまったかのほうが重要な問題だろう。「捜査する」のは多分そっち。06-2-14

 

昨日の補足。円谷とはマラソンの円谷のこと。わからない人は50才以上の人に聞いてほしい。話は変わって、歯科の待合室にいたときテレビで殺人事件を報じてた。『修容疑者は・・、修容疑者が・・』とレポーターはさかんに修を繰り返す。たくさんいる名前だからしかたないけどやっぱり嫌な気分。どうして名字でなく名前かと思ったが殺されたのは妻で名字が同じだからだろうか。何か変。06-2-13

 

ジャンプの原田がまたやってくれた。スキーの長さと体重の規定に違反して失格になった。初めてのオリンピックならず5度目だというのに。場慣れしてリラックスしてたかもしれないがいい意味での緊張感に欠けてたとしか言いようがない。自分の競技のルールを守れずに『ミス』という釈明では済まされない。円谷(つぶらや)になる必要はなくても国の代表としての自覚は持っていてほしかった。06-2-12

 

トリノオリンピックが始まった。一番注目が集まるのはメダルの可能性の高い女子フィギュアに違いない。代表選考のときからすでに盛り上がっていたので期待もふくらむ。しかし、他の国の代表もハイレベルな闘いを乗り越えてきたわけだから楽観はできない。何といってもタイムや距離の競技でなく採点競技なのでいろんな思惑が入り込む場合もある。採点方法はわからなくてもやっぱり楽しみ。06-2-11

 

借りてるアトリエの屋根の雪下ろし。この前は脚立に昇って雪の層を崩して落したが今回の場所は軒下にできた雪山に立つと作業をするのに充分な高さがあった。やはり長い棒を使って雪下ろしを始める。足場が脚立より安定してるのと要領がわかってるのでスムーズに進んだ。降ろした雪の上に立つと棒はさらに高い所に届く。雪山は軒下に届く高さにまでなった。北国というより雪国の光景。06-2-10

 

藤沢周平の文庫本は6册目に入っている。おもしろさにすっかりはまってしまった。今までにも同じ作家を続けて読んだことが何度かある。そんななかで随分昔のことだけどよく覚えているのは松本清張と新田次郎。そのふたりほどの册数まではいかないだろうがもうしばらく藤沢周平が続きそう。06-2-9

 

グッドタイミング!!。随分前から冬用としてコーデュロイジーンズを買おうとしてしてたのになかなかその機会を作れずにいた。ようやく行ってみると売り場から冬用衣類は消えていた。まだ冬まっさかりと思ってたのにすでに春の準備に入ってる。あきらめきれず店内を回ってるとセールの台にコーデュロイを発見。幸い欲しかった色とサイズも残っいてそれが半額の千円。迷わず2本をゲット。06-2-8

 

ニートとは=通学も仕事も職業訓練もしない15〜34才の若者=だという。34才を若者と呼んでいいのか疑問だがそれは置いといて35才からはただ単に=無職=となるのだろうか。この言葉が出てきて何年経ったか定かでないが34才を過ぎたかつてのニートもたくさんいるはず。病気のひとつだというならわからないでもないが、そのまま40代、50代を超えてしまうなんて理解に苦しむ。06-2-7

 

そりのヒモをほどこうとしたがうまくいかないようだ。そこで、ひとりがそりを後ろに引きそれに合わせて車をバックさせて何とか前の車が通 り抜けられるようになった。そのとき、助手席の黒いウィンドウが開き若い男が「なんですぐバックしねえんだよ。こら、聞いてんのか」と捨て台詞を残して走り去った。老人二人の耳にはばか者の叫びはまったく届いてないようで穏やかな表情のままだった。06-2-6

 

老人力を見た。家の角で雪かきをしてるとき町内会の人が二人で軽のワゴン車で古新聞の回収に来た。車の後ろには雪捨て用のそりを引っ張りそこにも新聞を乗せている。何ともほほえましい。交差点内で止まり新聞の回収をしてるとき前方から乗用車が来てクラクションを鳴らした。二人はあわてることもなくそりを結んでるのでどうやってバックしようかと悩んでる。とにかくあせらない。続く。06-2-5

 

事件があったときなどその犯人の印象を近所の人に聞くと『普通の人でしたよ』と応えることがある。それではその人の個人的認識はほとんどないに等しい。つまりグループの一員に過ぎない。ところで『普通 の人』の定義は一体どうなるのだろうか。いろんな人やマスコミにも是非聞いてみたいものだ。それは際立った個性のない多数派を意味する。『普通 の人』と言われる人にはなりたくない。06-2-4

 

「四季節の分かれ目」それが節分。そして立春の前日。新たな春を迎えるために古い厄をつまり邪鬼をはらうために豆まきをする。大豆のかわりに落花生をまくのは北海道から始まったという。子供の頃、家でも豆まきをした記憶がある。そのときも落花生だったと思う。まいた後に食べるにしても汚れる心配もなくとってもいいアイデア。大豆だとかき集めるのも大変。 明日は立春でも外は猛吹雪。06-2-3

 

今日はこの冬一番の寒さだったという。家に帰るときの足取りはいつもよりずっと速くなっていた。早く家に帰りたいというより少しでも体を温めようとしてそうなった。それでも体の芯から温まることはなく家に到着。明日はさらに寒くなるらしいが雪かきに追われ寒さに身を縮めるのもあと1ヶ月だと思えばもう少しの辛抱だ。陽当たりのいい家に越したおかげで太陽の高さの変化がよくわかる。06-2-2

 

今年の運試し。1ー14、2ー9、3ー9、4ー15、5ー12、6ー8、7ー9、8ー5、9ー19、0ー10。これはお年玉 年賀状のそれぞれの枚数。合計110枚では結構片寄るもので確率は当てにならないようだ。8と9では約4倍も違う。それはさておき当選の末尾は1か7。ここで他の数は一気に脱落。当選は51か07。該当の23枚を調べる。当りはたったの1枚。『はずれ』の気分。06-2-1

 



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NAKAHASHI OSAMU

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