ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

たまに、ふと『歩く旅』のときのある光景が頭に浮かんだりする。この『ふと』というのはそのときの状況やつながりに関係なく出てくるから不思議だ。そして、それは特に印象的だったり感動的な場所でもないところがまた不思議というかおもしろい。意識して思い出そうとすることはないような、ただ黙々と歩いていた記憶にも残らないような『あるとき』がどうして急に浮かんでくるのだろう。18-2-28

 

随分陽が長くなってきたのが家のなかでもよくわかる。これまでは向かいの家の影になっていた陽が部屋の奥まで届くようになったし、夕刊も外の光だけで読めるようになった。陽が部屋に入ると暖かさもかなり違って、これからはストーブを消すときも増えてくる。着けたり消したりとめんどうではあるけれど灯油代の助けになるからありがたい。3月になると太陽の恩恵を膚で感じる季節に入る。18-2-27

 

オリンピックに明け暮れた感のある2月も終りに近づいた。はまり過ぎないよう気を付けねばと言っていたのに日本人選手の活躍もあって、ついついはまってしまった。スポーツは全力を出し切る爽快さと緊張の極限に達するハラハラドキドキの合体がたまらなくおもしろい。そして、それだけではなく様々な感動を与えてくれる。筋書きのないドラマといえば小平と韓国の選手の姿が一番印象深い。18-2-26

 

女子カーリングは劇的な勝利で銅メダルを獲得して笑顔で終えた。試合中の「そだねー」は微笑ましい北海道弁としてすっかり全国に広まったのも彼女達のおかげ。それに対してその試合の解説者の「そうですね」の連発はちょっといただけない気がした。同意を求められたときならわかるけど、必要のないときにも話の始めに必ず入ってしまうのだ。いくら口癖にしても多すぎて少しイヤな気分に。18-2-25

 

オリンピックを楽しませてもらっているが、最も長い時間観たのはカーリングにまちがいない。男女すべての試合を観たわけではないけれど、なんせ一試合に2時間以上掛かるうえに10チームのリーグ戦、つまり総当たりなので最低でも9試合はあるのだ。さらに女子は準決勝に進み残念ながら負けはしたが今夜3位 決定戦が待っている。これが最後の試合なので笑顔で締めくくれるといいのだが。18-2-24

 

いつもの2ヶ月毎の床屋でスッキリ。街での仕事の関係上ほとんどがその月の最終木曜日の3時に行くのがパターンになっている。ワンパターンと言えば、椅子に座って言う言葉も「2ヶ月分お願いします」といつも同じに。その後はすぐに目をつぶりカットはお任せになる。この、身を任せている30分ほどのひとときは結構気持いい。支払いを終えて出るときの言葉も「今度は4月に」で決まり。18-2-23

 

戦う人の顔。あくまでも自分の勝手な好みの問題だけど、厚化粧の高梨沙羅よりすっぴんに近い高木美帆の方に好感を持つ。化粧するのはいいと思うけど、メダルを狙う選手がどうしてあそこまでする必要があるのかわからない。高梨はもともときれいな顔だちなんだから、薄化粧で十分な気がする。その点、高木はより自然体で戦う意欲が顔にも現れていた。おしゃれに無頓着な年寄りの男の感想。18-2-22

 

誰が広めたのか知らないが『大丈夫』の使い方がおかしい。画材店で梱包の仕方に問題があったのでやり直してもらうとき、店員から「大丈夫です」という言葉が返ってきたのだ。いったいこれはどういう意味で使っているのだろう。流れからすると「わかりました」と応えるところなのに、「大丈夫です」では立場が逆転したような気にさせらた。言葉は変わるものとはいえ、どうも納得できない。18-2-21

 

これぞオリンピックの精神と言えるような感動的な光景。女子スピードスケート500メートルで金の小平が銀の韓国の選手に寄り添いねぎらいと尊敬の言葉を掛けると、韓国の選手は素直に受け止め小平を称える言葉を返したというのだ。それまでの深い絆があったからこそで、人と人とのつながりの大切さを世界が注目している大舞台で見せてくれた。とにかく、ふたりの姿は美しく輝いていた。18-2-20

 

オリンピックで「自分の力を出せなくて残念」と言って泣くのはちょっと違う。もし、許されるとしたら世界記録保持者かそれまでのメダリストだろう。泣いた選手の悔しさはよくわかるが、それが今の自分の力と認めなければ次へのステップにはつながらない気がする。実力はもちろん、本番での緊張感とプレッシャーに打ち勝つのも大事な力の内で、メダリストはまちがいなくそれを持っている。18-2-19

 

日々の生活のなかで何となく感じたり、ふと思ったりするようなさりげないことをもっと書きたい気持があるのにどうしても思考のほうに向かってしまう。そっちのほうが導入と展開とまとめがはっきりしていて書きやすいのだ。じつは、この『ひとこと』を書くときに費やす時間の多少に関係している。ずっと以前は今より平仮名の多い文章になっていたのはそれだけ時間を掛けていたというわけ。18-2-18

 

続き。そして、善の銃が銃を持たない人を撃つケースも出てくる。疑心暗鬼から恐怖心が募るとやられる前にやろうとする気持が生まれる。ハロウィンのときがそうだった。そうなると、善と善の撃ち合いも十分あり得る。発砲後に誤りに気付いても取り返しは付かない。これを国の武器に置き換えても同じことが言えるから恐ろしい。アメリカの銃社会の現状はいろいろな問題の根幹を成している。 18-2-17

 

アメリカの銃社会の必然。またしても銃の乱射によって大勢の人が命を落した。その場は高校で容疑者は19才の元生徒だという。10代で簡単に銃を手に入れられること自体信じ難い。しかし、全米ライフル協会は「銃を持った悪人を止められるのは、銃を持った善人だけだ」と主張し、それを受け入れる社会があるのだから銃の惨事を根絶するのは不可能だ。この考えなら銃を増やす方に向かう。18-2-16

 

つい先日起きた世界同時株安はコンピューターによる自動取引のせいらしい。株の世界とはまったく無関係だし知識もないが、すでにコンピューターに管理されている現状に恐怖も感じた。つまり、人間の意思が働く前にプログラムが勝手に取引をしてしまうというのだ。東京証券取引所でもその自動取引が3分の2を占めるという。これからはすべてがコンピューターに支配される可能性が大きい。18-2-15

 

冬期オリンピックの女子アイスホッケーとスケート、それと男女のジャンプを見た。アイスホッケーは僅差で惜しかったが決定力不足が敗因に。ジャンプは寒さとの戦いで、スケートは感動的で見応え十分な試合だった。そして、カーリングを見たらこれが結構おもしろい。アイスホッケーはあのスピード感がいいのだろうが、こっちはゆっくり感がいい。さらに頭脳プレーであるところも興味深い。18-2-14

 

続き。多分、隣で怒る母親の声がうるさいというより、人前で怒られ委縮している女の子がかわいそうに思えたのでないだろうか。何か問題があったとき、そこを指摘したり注意するのは大切だけどその言い方とタイミングも大事だ。関係のない人達の前で叱られたら辛さだけが心に残ってしまう。あの様子からすると、日常的にやっているみたいなので心配になった。聞き流せるのならいいのだが。18-2-13

 

地下鉄に乗っていたとき、ある駅で小学校の低学年と思われる女の子と母親が向かいに座るなり、親が娘への強い叱責を始めた。それも小声ではなく、周りにも聞こえる大きな声で。どうやら習い事でのミスのようだが娘はただただうつむいていた。すると、母親の隣に座っていた40代らしき男性が「その話は家に帰ってからにしてください」と言ったのだ。そこで母親は黙った。その男性に共感。18-2-12

 

学校解放で卓球をしている札幌の様々な地区の同好会が集まって戦う大会が中央体育館で行われた。一昨年は初めて参加したが去年は辞退していた。それは、朝8時に出掛けて3時に帰宅したのだが、それだけの時間を費やしてたった3試合しかできなくてつまらなかったから。そして、人数が足りないので是非と言われて出たが、試合は同じく3試合で待ち時間ばかりの気がした。今年も待ち疲れ。18-2-11

 

冬期オリンピック平昌大会が始まった。それほど強い関心を持っていなくても、テレビや新聞報道を見ているうちに興味は徐々に高まってくる。どうしても活躍が期待される競技を見てしまうけれど、普段あまり見る機会のない競技も見てみたい気もする。一旦見始めるとおもしろくなることもあるから、はまり過ぎないように気を付けなくては。でも、時差のないおかげで寝不足の心配はなさそう。18-2-10

 

日ハムの新球場とまったく同じように札幌駅の新幹線ホームをどこに作るかで二転三転している。本気で検討してきたのかを疑われるほどの迷走ぶり。西案、東案、地下案と出ては消え、結局0番案と東に延長する案が残った。新たな東案だってどうして最初から提案しなかったのか理解に苦しむ。とてもそこに携わる専門家達の仕事とは思えない。長い目で見ると最後に出てきた案が最善の気がする。18-2-9

 

早起きがすっかり定着。今朝もふと目覚めて枕許の目覚まし時計を見ると5時だった。幸いトイレに起きずに眠り続けられたせいかすっきりしているのでそのまま起床。それにしても、このほぼぴったりに目覚めるのが不思議でならない。いくら体内時計があるとはいえこの正確さには驚く。眠りに入る瞬間の時刻はわからないが大体7時間後に目覚める。つまり、最近は10時前に布団に入っている。18-2-8

 

人口の動き。札幌への一極集中についてはこの前書いたが、都市間でも動きがある。苫小牧の人口が釧路を上回り道内4位 に浮上したのだ。それも苫小牧が増えたのでなく減少の差でそうなったというわけ。そして、6位 の帯広との差も5千人弱になっている。釧路の激減は明らかで道東の中心都市としての役割も帯広に奪われてしまいそうだ。昨年の釧路では人の少ない中心街の寂しさを肌で感じた。18-2-7

 

スーパーで買ってきた食料を冷蔵庫に入れているときに牛乳のないことに気付き、再びスーパーへ向かう。朝食用のパンもそうだが毎日欠かしたくないものがいくつかある。他には納豆、ヨーグルト、朝食用のとろけるチーズと薄切りハムとジャムとミニトマトと胡瓜など。だから、それらの残り具合はしっかりチェックしているはずなのに忘れてしまった。とくに朝と風呂上がりの牛乳は欠かせない。18-2-6

 

新聞のない朝の時間。寝室のある2階から階段を降りてくると玄関になり、そこで差し込んである新聞を手にして居間兼仕事場へ入るのが日課なのに今朝はその新聞がない。そう、今朝は年に何度かある新聞休刊日。朝刊は情報を得る源であり、眠っていた頭を活性化させる大事な手段でもあるので、それがないとどうにもすっきりしないのだ。でも、いつもの新聞を読む1時間がのんびりの1時間に。18-2-5

 

昨日までスーパーの特設の棚に山積みされていた節分用の豆菓子はもちろんもうなくなり、今日からはひな祭りの歌が流れていた。まだ1ヶ月も先のことなのにかわいい歌を聞くともうすぐ春のような気分になってしまう。厳しい寒さはあと1ヶ月の辛抱だから早く来てほしい気もするけれど、あっという間に過ぎてしまうのもこまるのだ。すでに5月末の個展の準備に入っているからその気持は強い。18-2-4

 

同じシェルターでも核シェルターとは意味合いが大違いの救命艇シェルター。釧路の河口近くの眼科病院が万一の津波から患者や職員を守るために25人乗りでエンジン付きの救命艇シェルターを1艇設置したという。非常に現実的で有意義な緊急避難対策に感心させられた。今後あと3艇を導入する計画のようでその誠実さも伝わってくる。それに対して個人や集団用の核シェルターには悲哀が潜む。18-2-3

 

かなり早めの春を迎える準備。昨日、町内の排雪があった。2月1日に行われるのは早い感じもするけど、やり始める場所を隔年で替えているためこうなった。自分の家は町内でいうと端の方にあるので必ず最初か最後になるというわけ。まだこれからもしばらく冬は続くのに、近所の雪山が消えて道路幅も広がって、春が近づいた気分にさせられる。あとは、あの雪山が再び現れないのを祈るばかり。18-2-2

 

日ハムの新球場の候補地が二転三転してきたがどうやら北広島に決まりそうだ。そもそも、札幌ドームを最大限活用すべきという考えなので、これまでの右往左往には呆れていた。北大なんてもってのほかで、ドームの近くも問題が多過ぎるし、真駒内だってせっかくの公園がもったいない。狭い場所に押し込めようするから無理がある。そんなわけで、どうしても作りたいなら北広島が無難だと思う。18-2-1

 



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NAKAHASHI OSAMU

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