ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

 

今日も晴れ。コンビニで昼食用のおにぎりとパンと多めのお茶を買い、7:30出発。今日は南稚内までの40H。昨日は52Hだったので短く感じる。相変わらず強い日差しを浴び牧草地のなかを歩き続ける。とても稚内の近くを歩いているとは思えない暑さだ。そのうえ、日陰がまったくないもの辛い。でも、残雪の白い筋を残した雄大な利尻山を目にいすると北の端を意識する。16:45着。16-6-30

 

7:10中川駅前出発。今日も晴天で朝から日差しが強い。幸い体は回復している。今回の『歩く旅』で最も長い52Hを歩くためにも昨日の選択が役に立つ。昼前後はずっと背中に太陽を浴びて歩いているので北に向っているのがよくわかる。風景は丘陵地帯を上り下りする牧草地ばかりで変化がなく前に進んでいる実感が乏しい。暑さと戦い、ようやく豊富に着いたらトラブルが。これは後ほど。16-6-29

 

朝に体調が万全なら歩くつもりだったがまだ熱があるので音威子府から左久まで列車に乗る。この間はカーブだらけの難所で疲労だけでなく危険も伴うと考え断念した。この選択は正解だったと思う。時間的余裕ができたので左久駅前で水彩 スケッチをしてから歩き始める。今日も快晴で気温も高く暑さにまいる。目的の中川までは12Hで予定より随分早い12:20に着き公園で昼寝とスケッチ。16-6-28

 

朝8時、札幌駅バスターミナルで名寄行高速バスに乗車。8:15定刻出発。いよいよ宗谷岬を目指す『歩く旅』の始まりだ。晴れ。11:40名寄駅着、待合室でパンとおにぎりの昼食を食べ温根内行のバスに乗る。直前に引いた風邪が完治せず、本来なら美深で降りる予定を変更して終点まで。行程の10H余りを短縮。悪化を恐れて決断した。残りの18Hを歩き16:45音威子府の宿に到着。16-6-27

 

いよいよ明日、宗谷岬を目指す4泊5日の『歩く旅』に出る。宿の手配は済んでいるし、高速バスも予約済みで、持参するリュックにはすでに替え着や雨具、脚のための簡単な治療用品などが詰め込まれている。この後も再度の荷物の点検をやるつもり。幸い、歩く予定の地方の週間天気予報は晴れと曇りが続いていて、気になる気温も20度前後なのでいいところだ。そして、強風のないのを願う。16-6-26

 

嫌なこと大変なはできるだけ早回し。年齢を重ねるごとにその考えは強くなっている。どうせしなくてはならないのなら、心の負担を長引かせたくない。後になればなるほど重みは増すし、忘れてはいけないというプレッシャーも出てくる。もちろん、それでも後回しになってしまう場合もある。そんなときはやるべきことを記すボードに書き込む。早め早めに済ませておきたいのは歳をとったせい。16-6-25

 

更に続く。それはそうだろう。自分の産んだ子供に「ばあちゃん」と呼ばれて亡くなるのが嬉しいはずはない。「かあさん」「おかあさん」と呼んでほしいのは当り前だ。姉は「子供(母にとっての孫)がいればそうなる」と反論したが、子供がまだ幼いうちはそうだとしても20歳を越えてもまだそう言い続けるなんてどう考えてもおかしい。幸い亡くなる前に言い改めたので母は母として逝けた。16-6-24

 

一昨日の「ばあちゃん」の続き。すでに10年以上前の話だが、母の容態が悪くなり兄弟姉妹で集まったとき、「ばあちゃん」との呼び方で姉と喧嘩になったことがある。母のことを「ばあちゃん」と呼ぶので「それは、おかしい」と言ったが姉は納得しなかったのだ。そもそも自分の子供の立場から見て親を「ばあちゃん」と呼ぶのはまちがっている。それを母に聞いてみると「嫌だ」と即答した。16-6-23

 

昨日は大事な節目の夏至を危うく忘れるところだった。用事のため夕方のニュースは見られず、夕刊を目にしたときはすでに夜11時を回っていた。せっかく気付いても深夜では意味がない。残念だったのは一年で一番長い夕方を意識してしっかり浸れなかったこと。それでも、来週月曜日からの『歩く旅』では陽の長い夕方の恩恵を存分に授けてもらうつもりでいる。この時季の旅にしたおかげだ。16-6-22

 

「ばあちゃんが」「ばあちゃんが」の連発。世間的には立派な『ばあちゃん』と思しき(60代後半か70代)ふたりの会話が聞こえてきて、そのうちのひとりが「ばあちゃんが」をしきりに口にする。話からして自分の母親のことのようだ。他人の言葉遣いを気にするのは余計なおせっかいとわかっていても気になってしまう。本当は「母が」と言うべきで、せめて「かあさんが」と言ってほしい。16-6-21

 

雷鳴で朝の目覚め、枕許の時計は5時。起きるにはまだ早い。遠いところの雷を聞きながら布団のなかでゴロゴロ。たとえ稲光りがわからなくても、その音で大体の距離はわかる。今朝のは恐怖感のまったく感じない、余裕で構えていられるものだった。直下となるとそうはいかない。地響きと共に腹の底からえぐられるような大音響に包まれる。さすがにこれは怖い。おかげで今朝は少し早起きに。16-6-20

 

二人展の飾り付けのときには朝から夕方まで8時間近くも掛かったのに搬出作業は1時間ほどで終了。余りの時間の差に驚く。位 置や高さや平行を気にする必要もなくただただはずしたり降ろせばいいだけなので瞬く間に済んでしまう。そこには高揚感も緊張感もない。あるのば解放感と一抹の寂しさのみ。これは相反するようだがいつも味わう複雑な思い。でも、今はもう解放感の方が勝っている。16-6-19

 

10日間の二人展も残すところあと1日。今日は土曜日ということもあって数多くの知り合いが観に来てくれて、朝から閉廊の時間まで途切れることはなかった。それはとても有り難く嬉しいのだが、まったく同じ時間に何人も重なるとそれぞれにゆっくり対応できなくなって残念だし申し訳ない気持ちになる。もちろん、作品を観てもらうのが第一だが、久し振り会った人との会話も楽しみのうち。16-6-18

 

続き。検査日は希望した7月8日に決まり、同時に胃カメラもやることにした。一緒にやったほうが負担が軽くなるし、両方共一区切りを付けておきたい気持もあった。その他にもいくつかの検査を説明されたがそれらはパス。受けた方がいいのはわかるがあっちもこっちもとキリがなくなるような気もする。そして、安心を得るための基本的な情報は3月末の市の検診ですでに得ているせいもある。16-6-17

 

午後3時に受付をして診察してもらえたのは5時半。覚悟していたとはいえ待合室の2時間半は長かった。今回は2年振りになる大腸の内視鏡検査の予約をするためのもの。これは手術から5年目にも当りひとつの節目になる。一応5年をクリアすると再発の危険性は排除されるので待っていたときとも言える。体調から判断してまったく問題なしと楽観的に構えているが覗いてみないとわからない。16-6-16

 

展覧会の鑑賞者にはいろいろな人がいる。今回は二人展なので個展のときとは違って立体やインスタレーションにあまり触れていない人の戸惑いも目にする。慣れていないから反応のしようがないのもわからないではない。しかし、立ち止まるわけでもなく作品に近づき「これは何?」といきなり素材を聞いてきてそれで終った人には呆れた。その人は公募展の審査をしてきたと自慢げに語っていた。16-6-15

 

いつもの朝のようにトースターに食パンを入れようとフタを開けると、なんとそこにはひからびたチーズと薄切りハムの乗ったパンとこんがり焼き色の付いたパンが並んでいてびっくり。昨日の朝セットしてそのままだったのだ。つまり、信じ難いが朝御飯を食べなかったわけだ。それは新聞休刊日のためテレビをつけたのが失敗の始まり。少し見てから、これも朝の日課になっているパソコンの前に移動。この時点で食べ終っているモードに入ったのだろう。それにしても・・・。ちょっとショック。16-6-14

 

ほぼ10日振りの卓球で大量の汗をかく。やっぱり最高に気持ちいい。体がリニューアルされた気分。体外に絞り出された水分の補給をしても飲んでも飲んでも飲み足りない感じがする。すでに1リットルを越える水とお茶とジュースを飲んだけれどまだまだ体が求めている。これがお酒を飲む人なら驚く量 ではないだろうがそうではない。家で飲むのはノンアルコールのお茶やジュースや牛乳のみ。16-6-13

 

2ヶ月半後にようやくスッキリ。以前住んでいた住人が捨てた(もしかしたらその前かもしれないが)タイヤが家裏に放置されていたので、管理会社に撤去を依頼したのが3月末のこと。その後、2度も催促したのにそのままにされたままだった。さらに電話をしなくては思っていたら、帰宅したときには消えていて心底ホッとする。やっと信頼関係が回復された。タイヤが今まであった理由は省く。16-6-12

 

二人展をやっているギャラリーへはあえて地下鉄で往復。地下鉄の乗り換えもあり車で向うことが多かったのだが、今月末の『歩く旅』のウォーミングアップのつもりで歩いている。これで大体1万2千歩なのでそれなりの歩数を稼げる。できればもう少し多くていいのだが、車で行って限り無く0に近づくよりはずっとまし。5日間で200H弱を歩くのは今度が初めてなので万全にしておきたい。16-6-11

 

続き。JRでなくバスに乗りたいのは料金の問題だけではなく、自分の足で歩いた道をもう一度目と頭にしっかり焼きつけたいという思いがある。見える風景はまったく逆なのと目線の高さが違うのでわかりずらさはあっても『あっ、あそこだ』と来た道が甦る。しかし、国道を離れて高速に向うとその願いは断たれてしまう。時間の短縮はありがたいが歩いた道を辿って戻れないのが残念でならない。16-6-10

 

バスの話が続く。今月末の『歩く旅』の都市間高速バスの予約も完了。行きの札幌から名寄までと帰りの稚内から札幌までのもの。急いで予約するほど混んでないのかもしれないけれど、これですっかり落ち着いた気持になれる。これまでの『歩く旅』でも随分高速バスのお世話になってきた。JRに比べると3割近くも安くなるからとても助かるのだ。そして、地方バスも戻りの大事な足になっている。16-6-9

 

新聞の一面に『赤字バスの補助減額も』の見出し。ここでもまた国の地方切り捨て方針が如実に表れている。それでなくても疲弊している地方をさらに痛めつけようとする考えがどうしても理解できない。大都市だけで国が成り立つとでも思っているのだろうか。地方の限界集落が増え都市に人口が集中すれば次には都市の破綻に繋がる。つまり、共倒れになるのは明らか。これは財源の使い方の問題。16-6-8

 

札幌駅前通りの放置自転車を即日撤去をするというニュースを見てようやくそこまでいってくれたのかと嬉しい気持になった。歩道に置かれた自転車は歩行者にとって邪魔になるだけでなく景観上も非常によろしくない。これまで散々警告しても一向に減らなかったのだからそうせざるをえないだろう。その対処に大賛成の気持を伝えたくて『市民の声を聞く課』に足を運んだ。何とか持続してほしい。06-6-7

 

朝9時から夕方6時半まで二人展の搬入飾り付け。ギャラリーの企画として提案され、それを受けての二人展。作品の傾向はかなり異なるけれど、それがかえっておもしろいのではとの考えもあって乗ることにした。出来上がった展示会場はまさにそれを感じさせるものになった気がする。これまでの発表は個展がほとんどでその間にときどきグループ展が入る状態だったので、今回は新たなページに。16-6-6

 

子供のとき山村で育ったので山道の思い出はたくさんある。そのなかでも忘れられないのは、小学校の高学年の頃、昼過ぎにふと隣の村に繋がる山道を越えたくなりひとりで歩き始めた。そして、山を越えて下りたところで引き返せばいいのに同じ道を歩くのが嫌になりもうひとつの村を経由して戻る道を選んだのだ。我家に辿り着いたのはすっかり暗くなってからで、すごく叱られたのを覚えている。16-6-5

 

昨日は行方不明だった小学2年生の男の子が無事保護された嬉しいニュースで埋めつくされていた。6日間続いた懸命な捜索も縮小される矢先で、ここまで日にちが経つと最悪の事態も想定される状況だっただけに本当によかった。それにしても、6日間も食料のないなかたったひとりで生き抜いた体力と精神力に驚く。多分、自分の力でなんとかしようとする自立心や独立心もかなり強いに違いない。16-6-4

 

続き。もし、これが郵送での入稿だったとしたら到着するのが今日あたりで、誤りが見つかって送り返されるとなるとこちらに戻るのは2日後になり、誤りを修正して送り返すとさらに2日が掛かってしまう。スムーズにうまく運んだとしても1週間も要する。送るスピードは格段に速くなったうえに郵送代も必要ないので非常に助かる。今回、無事クリアできれば苦労した甲斐もあったと言えそうだ。16-6-3

 

知人に展覧会の案内状制作を頼まれ、パソコンで作ったところまでは順調だったがその後は難儀している。今後の自分のことも考えて初めてのWeb入稿(インターネット経由)をしてみたのだが戸惑いの連続だった。それでも何とか無事送れてホッとしたのも束の間、いくつかの不備があるので修正後再度送信してほしいとのメールが入る。修正にも苦労したが、このやり取りの速さはネットならでは。16-6-2

 

『二人展』と『歩く旅』の予定でいっぱいに詰まった6月に突入。忙しくもあり楽しくもある月になりそうだ。ところで、昨晩は曇天のため火星の接近を確認できず残念な思いをした。晴れが続いていたのに運悪く夜空は厚い雲で覆われていた。今回の中接近を越える大接近は18年の8月31日になるというのでそのときはぜひ見てみたいものだ。あとはその頃に意識して待っているかどうかが問題。16-6-1

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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