ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

 

その作品は個々の特徴がはっきり出ていて感動するほど素晴らしかった。それぞれが自分のものを見事に表現していた。誰しも持っているその表現能力に驚かされる。描き方も様々でとにかくおもしろい。違っていていいのでなく、違っているからいいのだ。本人が納得するならば、ばかボンのパパのように『これでいいのだ』と思えばいい。などなど言い足りなかったことがたくさんあって悔やむ。16-7-31

 

続き。授業の2時間の中味は実技と説明や講義がほぼ半々。絶対的な答はなくそれがそれぞれの中にあるのが絵の世界だと説明してから、個々に渡した消しゴムとフィルムケースを鉛筆でスケッチしてもらう。次に同じくサインペンで。数点をボードに張り、それぞれがいかに違うかを見てもらい、それらの独自性とその大切さを解説。そして、鉛筆とサインペンで自分の手を描いてもらった。続く。16-7-30

 

北区高齢者教室の一日講師を勤めた。その学習内容は『絵を描こう』。教室は2時間で1回限りなので時間の割り振りを事前に念入りに計画。人前で話すのは慣れているので心配なかったが、時間内にうまく収められるかどうかが気掛かりだった。参加したのは65歳以上の40名で教室は満杯状態。全員が真剣に聞き絵を描いてくれ時間もうまくいってまずはホッとした。でも、言い残しの反省が。16-7-29

 

夏といえば素麺もあるけれど冷やし中華のほうが好き。味もさることながらあの色合いがいい。胡瓜の緑、トマトの赤、卵の黄色、しっかり三原色がそろっている。そこに多少赤みがかったハムが加わる。野菜とタンパク源がそれなりに入っていて栄養的にもバランスが取れている気がする。素麺だとほかに何かおかずが欲しくなるが、冷やし中華ならそれで十分。まだ何回か食べる機会がありそう。16-7-28

 

ショックは続く。朝から雨は弱くても風は強かった。それも決まった方向からだけでなく突然風向きの変わるやっかいな突風。午後になってもその風が収まらないので、地下鉄からバスに乗り継いだ。そして、バスから降りて傘をさした瞬間突風に煽られて傘はひっくり返り、その勢いであっさり骨が折れてしまったのだ。何度か繰り返したならまだしもたった一回で壊れるのは余りにももろすぎる。16-7-27

 

8月末からの個展の案内状が予定より1日早く届いた。出来上がりを確かめたくて、すぐに開封するもショックを受ける。なぜか印刷されてる紙が薄くてペラペラなのだ。求めていたものの半分以下といった感じでがっかりした。もちろん記憶にはないが注文の段階でまちがったとしか考えられない。今回は迷いもなくスムーズに発注できたと喜んでいたのにこんな失敗をするとは・・・。情けない。16-7-26

 

新しい眼鏡を手に入れる。これまでのと違って遠近のすべてがきれいに見える。近眼や老眼の度数に合わせたから当然だけどレンズに傷がなく澄んでいるのも大きな違いだろう。一番大きな変化は近くの字が無理なく読めること。これでいちいち眼鏡をはずさずに済みそうだ。それにしても慣れるのも早くて3分と掛からなかった気がする。嬉しいのだが、新しくなった喜びをもう少し感じていたい。16-7-25

 

葉書や手紙のいいところはその人の字を読めるのと壁にも張れること。字には人柄だけでなく気持も表れるし、それをいつも目にできるようにもなる。メールのやりとりはほとんどしてないけれど、これだと字からは何も伝わってこないし、プリントしたものを張ったとしてもなんだか味気ない。こうして続けて届くとその有り難みをさらに強く感じる。できるだけ早くハンガリーにも届けなくては。16-7-24

 

そして、遠いはずのハンガリーのブタペストからも絵葉書が届いた。5月の初めにハンガリーに旅立った同級生の友からの便り。すでに2ヶ月が過ぎ、異国での生活にも慣れて来ている様子がうかがえる。酒好きなのでちょっと心配でもあるが、ビールやワインの価格が日本の半分以下だと喜んでいる。また、ネットで日本のテレビも見られるので在宅時は日本にいるみたいとも。世界は狭くなった。16-7-23

 

『歩く旅』のときに泊った宿からの嬉しい葉書。ここにも書いた中川町の旅館での優しい心遣いに感謝の気持を伝えようと中川町でのスケッチを再び描き、おかげで無事宗谷岬に到達できたことをしたためて葉書を出していた。すると、それへの礼状が届いたのだ。これまで、泊った宿に葉書を出したことなどなかったのに、初めてのことをしたらそれに応えてもらえて感激している。本物の優しさ。16-7-22

 

歯のクリーニングでスッキリ。3ヶ月に一度なんだけど、そのときがやってくると『えっ、もう』という気になる。予約をするときの3ヶ月後はずっと先の感じがするのにきてしまうと早いものだ。この前が春になったばかりの4月だったとは思えない。次の予約日は10月25日にしたが、また同じような気にさせられるのだろうか。10月の予約を入れた時点ですでに秒読みに入っているのかな。16-7-21

 

時の流れの不思議。日差しが強くて思わず日陰を選んで歩いたが、それもそのはずですでに7月の下旬に入っている。つまり、夏まっさかりと言ってもいい時季なのだ。それなのにそんな気になれないのは暑い日が少なかったせいもあるが、時の経つ早さに付いていけない自分がいる。二人展の準備やその本番そして宗谷岬への『歩く旅』など決して淡々とした日々ばかりではなかった。それなのに。16-7-20

 

8月末から9月に掛けて開催する個展の案内状の注文をする。ここで役立ってくれたのが、先月知人に案内状制作を頼まれて初めてのweb入稿を体験済みだったこと。このときは初めてだったので戸惑ったりやり直しがあったりで苦労したけれど、そのおかげで今回はスムーズに入稿できた。初回は大変な目に遭っても、その失敗や教訓を次のときには活かせるというわけ。これで戸惑いも一切なし。16-7-19

 

何事も違いがわからなければそれを当たり前と受け止め、多少の疑問を持ったとしても慣れようとするもの。でも、明らかな違いを知ってしまえばより良い方への願望が出て来てしまう。今回の眼鏡屋での検査がまさにそう。最初はとりあえず価格を調べてみようなんて軽い気持ちで入ったのだが、詳しい目の検査を受けているうちにすっかり買うモードに変わっていた。1週間後には違いがわかる。16-7-18

 

外出用として使っている遠近両用眼鏡が合わなくなってきたので眼鏡屋に行く。とくに近いところの焦点が合わなくて眼鏡をはずして見る機会が多くなってきていた。いろいろな検査を受けると近眼は止まった状態だけど老眼が進んでいるとのこと。定かではないが、この眼鏡を作ってから10年以上経っている気がするので進んでいて当然だ。試しに矯正された仮の眼鏡を掛けてみてその差に驚く。16-7-17

 

映画『ブルックリン』に感動。ひとりの女性の変遷を淡々と追うのだがこのストレートさがいい。必要以上に話を大袈裟にせず、あり得る日常のなかでの心の機微を上手に捉えているところが素晴らしい。何よりも主人公の女性が素敵。本年度アカデミー賞の作品賞、主演女優賞にノミネートされているというのも納得できる。たまたま時間が空いて、映画館内で観るのはこれだと決めた直感に感謝。16-7-16

 

90人中の73番。前回は運良く13番だったので、高望みはせず真ん中辺りの40番前後ならいいかなと控えめに願っていたというのに・・・。これは半年ごとにやってくる部屋を借りるための受付け順を決める抽選でのこと。当然、順番が早いほど希望はかないやすくなる。2時間半近く待たされ、諦め半分で受付けに座ったのだが、意外にもほとんどの希望が叶ったのだ。先はわからないもの。16-7-15

 

『歩く旅』のことを書いているうちに7月も半ばになってしまった。この間にも大事な出来事がいくつかあった。その第一は8日に受けた胃カメラと大腸の内視鏡検査。いくら大丈夫と思っていても調べてみるまではわからない。万一の一日入院も覚悟の内視鏡だったがポリープの切除もなく胃も大腸も問題なしでホッとする。これで手術から無事5年が経過したわけで再発の可能性も0に近づいた。16-7-14

 

これで目標にしている六つの岬のうちの神威岬と地球岬と宗谷岬の三つを制覇。気分はようやく半分まできたというところだろうか。残すは納沙布岬と白神岬(松前町にある北海道の最南端の岬)と襟裳岬。次の難関は納沙布岬で帯広からではあるけれど、ほぼ旭川から宗谷岬に等しい。ここをクリアすれば随分楽になる気がする。そして白神岬に行き、最後に故郷の先にある襟裳岬で決めるつもり。16-7-13

 

宗谷岬に到達できた達成感はもちろんあったが、岬そのものにはがっかり。断崖が飛び出しているわけではなく、ただ平坦な地があるのみ。最北端の碑がなければ通 り過ぎてしまいそうな何の変哲もない場所だった。岬のすぐ近くに民家があるのもその思いを強くした理由のひとつ。最北端の地と生活の場が混在しているのだ。岬をイメージさせるものがもう少しあれば感動ももっと大きかったのに。16-7-12

 

歩いているとき、ふと脳裏によぎったものがある。照りつける太陽、風に揺れる草の影、そして白い大きな風車。そうだ、これは日本の最南端の島、波照間島を歩いているときに体験した風景だ。今、自分は最北端の地を目指しているのに最南端の島の記憶と見事に重なったことに驚いた。日本の旅の始まりとして最初に選んだのが波照間島で、そのときから13年経ってようやく両端がつながった。16-7-11

 

今回の『歩く旅』で辛かったのは暑さだが、もうひとつ上げると風景の変化の乏しさだろうか。とにかく豊富町を過ぎてからはどこまで行っても同じような丘陵地帯の景色が続くのだ。その丘陵地はほとんどが牧草地になっていて白や黒のロールがアートのように点在していた。おかげで、そこがどの地点なのかもわからない。いつもの旅なら何ケ所かの印象的な場所が記憶に強く刻まれているのに。16-7-10

 

それでも、車で迎えに来るというので待つと10分程で到着。歩けば2時間は掛かる距離で国道からも離れている。宿に向う車中でも自分も迷惑していると主張し自分に責任はないと言い張った。それを放置しているのが無責任なのに認めようとしない。宿に到着後「もし、嫌な気分なら宿を代えますか」と言うので「できるならお願いします」と応え手配してもらう。もう言い訳は聞きたくなかった。16-7-9

 

そして、最悪だったのがその日泊る予定だった豊富町のホテル。52Hを歩きようやく地図にある場所に辿り着いたのにそのホテルが見当たらない。近くの店で聞くとそこにホテルはないという。予約もしてあるし、信じ難いがホテルに電話すると、まったく違う場所にあるとのこと。その言い方には申し訳ないとの気持は感じられなかった。「グ−グルが勝手に出した地図」との弁解ばかりに呆れた。16-7-8

 

朝、中川町駅前の旅館を出発するとき見送ってくれた女将が「次の町までコンビニはないからこれを持っていくといいよ」と氷で冷やされたペットボトルの水を渡してくれた。これは命の水になる。そのうえ栄養ドリンクも戴く。料理も部屋も満足だったのに最後の優しい心遣いで大大満足に。前日、宿に着いたとき迎えてくれた人も感じのいい人だった。経営する人の人柄が宿全体に行き渡っている。16-7-7

 

ホテル、旅館いろいろ。たとえ同じ料金でも部屋の設備には随分差があるもの。部屋が暗すぎて読み書きに苦労したり、部屋にトイレがないのはまだしも、共同トイレには和式しかないのところもあった。そして、一番気になる違いが経営者やフロントの応対、というか人柄。ここではっきりしたのは設備に問題のあるところほど応対にも問題があるということ。今回その善し悪しの典型的な宿を体験。16-7-6

 

初日のバスと2日目の列車の一部利用はその後の『歩く旅』を継続させるための大事な選択だった。歩くのに適当な時季の連続した休みの確保と予約済みの宿のことを考えたら、このときを逃すわけにはいかなかった。つまり、今回の旅で何としても宗谷岬に辿り着きたかったのだ。すべての行程を歩きで繋ぐという目標は途絶えたが苦渋の選択のおかげで無事宗谷岬に立てたと受け止め満足している。16-7-5

 

今回の『歩く旅』は暑さとの戦いでもあった。出発前から稚内地方の天気予報は気にして見ていた。すると、名寄は暑くても稚内は涼しくなっている。それを願って北に向って歩いていたのだが、一向に涼しくならなかった。それもそのはず、歩いた5日間全てが快晴で全道的にも高温の日々だったのだ。暴風雨よりいいのは確かだけど、汗を拭き拭き歩くのもつらい。そのため腕は日焼けでヒリヒリ。16-7-4

 

しばらく『歩く旅』の話が続く。旅に出る前の不覚は風邪を引いてしまったこと。出発の3日前にその兆候が微かにあったが早めに寝れば乗り切れると軽く見ていた。そして、次の日は友人と飲む約束が決まっていた。しかし、前日になっても鼻水と痰は止まらないので、ようやく栄養ドリンクと風邪薬に頼ったが、時すでに遅しで一晩で治るはずはなかった。こうして風邪薬も持参する『歩く旅』に。16-7-3

 

昨日は稚内から6時間のバスで22:30札幌駅に戻り、23:20我家に帰還。宗谷岬への『歩く旅』は無事終了した。バスの中では足を少しでも楽にしてあげようと靴を脱いでいたのだが、降車近くに履こうとしたら足はパンパンに腫れていてようやく履けたほどだった。とにかく、多少足を引きずりながらも我家に辿り着けて本当にほっとしている。地図に新たに書き加えた赤い線が眩しく輝く。16-7-2

 

ついに北海道のいや日本の最北端の地、宗谷岬を目指す日がやってきた。今日も晴天。岬までの31Hを朝7:40に出発。しばらく東に向うのでタオルで顔を覆って歩く。もちろん、帽子は初日から被っているし、2日目からは日焼け防止に長袖にしている。13:58宗谷岬到着。何だか岬を感じさせない平坦な地で拍子抜け。ちょっとがっかり。1時間後にバスで稚内に戻り、高速バスで札幌へ。16-7-1

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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