ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

いよいよ個展の搬入日が迫ってきた。制作は一昨日終了しているので作品の埃を落し梱包する作業に入っている。おかげで焦ることなくサッカーの日本とパラグアイ戦をPK戦まで見ることができた。残念ではあったけど大健闘だった。世界と対等に戦える力を身に付けたことを教えてくれたワールドカップでもあった。日本が勝っていてもおかしくない互角の内容で、ただ最後に運に見放されただけ。10-6-30

 

一昨日、風邪を引きそうになって気を付けようと心に留めたはずだったのに、夜中の4時頃咳で目を覚ましてしまった。パジャマを着て夏布団を掛けていたから大丈夫と思って窓を開けたまま寝たのがいけなかったのだろうか。とにかく初期の風邪を撃退するために風邪薬を飲んで再び眠りにつく。今回もセーフだったからいいようなもので同じ過ちを繰返すとは・・・。三度目はもう許されない。10-6-29

 

一緒に向ってたはずの二人の姿が見えなくなった。『いったいどこへ行ったのだろう』と不安になる。目的の建物に着いたけれど外にも中にも見つけられない。捜し回っているとき、持ってた荷物を手にしてないことに気づく。どこに置いたかまったく思い出せない。『こまったな・・・』。そんなところで夢から目覚めた。夢はすぐに忘れるからいいんだが、つらい体験は忘れられないから悲しい。10-6-28

 

危うく風邪を引きそうになる。昨晩は蒸し暑かったので窓を開けたまま、パジャマは着ないでタオルケット1枚で寝た。おかげですぐに眠りにつけたのだが、朝方くしゃみで目を覚ましてしまった。起きてからは鼻水が止まらない。個展の間際に風邪を引いては大変だと思い、体を温めるために長袖のシャツを着てホットミルクを飲む。まもなく鼻水も止まってくれて一安心。もっと気を付けねば。10-6-27

 

急に真夏日に。朝から風のない晴天で気温はどんどん上昇して30℃を越えて31℃にまでなった。今年初めての真夏日。昨日、冷やしラーメンを買っておいて本当によかった。さっそく昼食に食べて夏を味わう。夏本番に備えて次は冷麦か素麺を買っておかなくては。日本の夏とくればこっちが本命。いつもなら夕方から急に冷えるはずなのに、夜の10時を過ぎても室内は27℃を越えている。10-6-26

 

毎年更新の自動車の任意保険金を支払う。10年以上保険会社の世話になっていないので、何年も前からもう下がりようのない金額に落着いている。嬉しいような寂しいような微妙な心境。その金額は24,730円。かなりの額なのでつらいけどあくまでも万一のための保険だからしかたがない。僕もそうだが、多くの人が『保険を使わずに済んでよかったと思わなくては』と考えて諦めるのだろう。10-6-25

 

『あれ、もうひとりはどうしたんだろう』と思いながら建物に入ってまもなくちょっと慌てた様子で出ていく一人の女子高生がいた。うまく合流できればいいのだがと心配になった。少ししてから中央ローンに戻ってみるとさっきの女子高生があのベンチに左右をうかがいながら一人で座っている。彼女達の間にどんな事情があり状況なのかはわからないが、つらい思い出にならないことを願うだけ。10-6-24

 

どうすることもできないけれど気になったことがある。絵画教室のスケッチのため、2時間ほど北大中央ローンにいたとき、たまたま目にした修学旅行の女子高生5人組の出来事。最初にその5人を見たのはベンチに4人が座り1人がが立っている場面 だった。ふと、もう少し詰めて5人で座ればいいのにと思った。その30分過ぎくらいだろうか、今度は建物から出てくる4人とすれ違った。続く。10-6-23

 

いろいろお騒がせの大相撲が今度は野球賭博で揺れている。その件で、ある相撲解説者が「暴力団に屈してはいけないから名古屋場所は絶対開催すべきだ」と力説していた。しかし、それはまったく的外れだし論理的にもおかしい。暴力団が開催中止を訴えてるとは聞いてないし、暴力団と付き合ったらいかに甚大な損害を数多くの人達に与えることになるかの事実を示すためにも開催すべきでない。10-6-22

 

今朝の新聞を読むまで、今日が大切な日であることをすっかり忘れていた。そう、今日は夏至。1年で一番陽の長い日がもう来てしまった。陽が次第に長くなる喜びを味わうことなく峠を越した気分。そして、1年の半分が過ぎ去ったという事実を知らされる。夕方はあいにくの曇り空で薄暗くなるのも随分早くて、夏至の恩恵を受けずに寂しくカーテンを引いた。また、正月とは違う1年が始まる。10-6-21

 

最初は何の芽かわからなかったけど、トマト、茄子、胡瓜、トウキビ、サヤエンドウ、南瓜、長ネギなどなど今では大きく伸びてそれぞれがはっきりわかるようになった。散歩の途中にある老人農園の野菜が順調に育っている。かなり広い農園で200区画以上はありそうだが、そんななか、作業をしている人が5、6ケ所にいる。収穫はもう少し先のようだが楽しみは日々膨らんでいくに違いない。10-6-20

 

ようやく宛名書きを終えて案内状を投函。この作業が済むと一区切りが着いた感じでほっとする。制作とは異なる仕事内容のため流れが一旦中断されるのがつらい。制作に戻る前にもうひとつの気掛かりな作業に入る。それは、展示のときの案内に使うポスター作り。やり始めると順調に進み半日も掛からずに出来上がった。あとはデータを入れたMOをプリント屋に持参してB2にしてもらえばいい。10-6-19

 

個展の案内状の宛名書き。100枚以上になるし、それなりに面倒なことではあるけれど年賀状のときと同じように顔を思い浮かべながらだと書く手に気持もこもる。年賀状と違うのはまったく顔がわからない人もたくさんいるというところ。展覧会のときの芳名帳を元にして出すのでそうなってしまう。どれほどの関心と興味を持って芳名してくれたのかは計りようがなく、迷いが出るときもある。10-6-18

 

今日の新聞のなかに気になる文言があった。それは『健康な人は傲慢を自覚してない』というもの。幸いにも今までの人生では健康の側にいたが、そう言われてみると何となくわかるような気がする。自分にも肉体的に弱い部分が現れてきたからこそ受け入れ理解できるようになったのだろう。『できて当り前』の感覚からは『できない人への思いやり』は生まれにくい。今からでも肝に銘じよう。10-6-17

 

運転免許更新などの業務を道警から長年独占的に受注してきた北海道交通安全協会の業務の一部が一般 競争入札の結果、民間企業に移ったという。一部と言わず全部を移してくれるともっと嬉しい。免許更新の際にやらされていた無意味で税金の無駄 遣いの適正テスト( いつも一切記入しないで持ち帰ってない)は是非止めてほしいし、講習(これは眠いだけ)の元警察官の尊大な講師も必要ない。10-6-16

 

『なんだかめんどーだなー、もうひと頑張りするのも疲れるし』『明日の朝に回してしまおうかな』『でも、まだ10時だから今日やってしまったほうが楽かなぁ』『これが11時過ぎなら迷わず明日の朝にしちゃうんだけどなー』などなどいろいろ頭によぎりながら歩いて帰って来た。5時半から飲んでの帰り道、今日の『ひとこと』をどうするか迷ったというわけ。そのまんまを書いて一件落着。10-6-15

 

窓から勢いよく入り込んでくる風を浴びながら車を走らせアトリエへと向う。最近は制作の場というより作品の保管場所の役割が大きくなっているが、ここがあるからこそ安心して制作できるという大事な意味を持つ。アトリエに到着してすぐに草取りを始める。1時間程度のつもりが終ってみれば3時間余り。やり始めるとしつこい性格がもろに現れる。おかげでここも風通 しがよくなり涼しげに。10-6-14

 

他人の体の問題はわかりづらいけど、それ以上に心の問題は見えづらい。体の不調の度合いを具体的に伝えるのが難しいように、心の痛みとその深さを的確に表わし理解してもらうのはさらに難しい。様々な問題が複雑に絡み合ってしまうと本人もわけがわからなくなってしまうのだから、外側から簡単に見えるはずがない。自他共に心の奥底にある見えない部分の重みを感じられるようになりたい。10-6-13

 

「こう見えても、実は・・」との前置きで自分の体の不調を度あるごとに口にする人がいる。本当だろうけど、人前でも繰返し話しているのを聞かされているうちにその言葉が軽くなってしまった。5、6年前から体のいろいろなところに異変が出るようになって、人それぞれ見えないところに体の問題を抱えているんだろうなという思いをさらに強くするようになった。たとえ、そう見えなくても。10-6-12

 

安春川の両岸に生えていた草が丸刈りに。今ではすっかり見かけなくなった少年の坊主頭のようで清々しい。風通 しもよくなり、最近の夏のような暑さも涼しげに受け止めている。ほんの少し前に芽を出し、ようやく伸びてきたらすぐに刈り取られたような気がするのは、4、5月がずっと涼しいというより寒いくらいの日が続き春を満喫できなかったせいだ。6月中旬だと認識してない脳細胞がある。10-6-11

 

同じ言葉の受け止め方の違い。個展のテーマは相変わらず『内包』だけれどタイトルは『累積』にした。その『累積』から連想するものの違いがおもしろかった。似た世代の人がイメージしたのは僕と同じ『赤字』だった。ところが、二人の若者(20代男)からはまったく考えていなかった応えが返ってきた。「累積といえばイエローカードだよね」と頷き合っている。他には何があるのだろうか。10-6-10

 

何日か前に2008年度の都道府県別食料自給率が新聞に載っていた。嬉しいことに道は過去最高の211%で11年連続の日本一だという。何だか頷ける気がする。その前は秋田か岩手あたりだったのだろうか。全国最低は、これも納得のいく東京都の1%。逆に1%もあるのかと驚くほど。全国の自給率は1ポイント増の41%になっていた。微増でもいいから着実に数字を伸ばしていってほしい。10-6-9

 

今は腕に点滴の針こそ差していないがしっかり湿布を貼っている。手首に現れた違和感がやっぱりというか残念ながらズキズキに変わり、それが徐々に上に向っていつもの場所の痛みになってしまった。制作に腕を使っているとはいえ、一昨年や去年に比べるとかなり優しい使い方だったのに痛みが出てきて恒例のようになってしまったのが悲しい。山は越えているけれど、まだしばらく道のりは続く。10-6-8

 

散歩のとき、たまにふと思い浮かべることがある。それは、4年前の秋に突発生難聴になって3週間近く点滴を打ち続けていた頃のこと。その時間帯がだいたい4時から6時の間で、思い出すのは散歩の時間と重なっているせいもあるのだろう。あのときは腕に針を刺され、点滴の袋と繋がれてじっとしているより他なかった。そして、その後には会計が待っていた。それに比べて、只で歩ける喜びに。10-6-7

 

自分の考えや心の在り処を再確認するという意味ではこの『ひとこと』も追い続けるうちのひとつになっている。始めたのは00年の11月で02年1月からは1日も欠かさず書いてきた。最初の頃は字数が少ないこともあったが、これも02年辺りから現在のようになった。継続するためには一定の型を作ってそれに慣れたほうがいいとの考えで、これが10年近く続けられた理由のような気がする。10-6-6

 

追われるより、少しずつでもいいから追い掛けていたい。「そりゃ、そうだ」「できるものならそうしたい」と返す人がいる。問題はやるかやらないか。人それぞれ求めるものは違ってもできる範囲で探せばきっと何かあるはず。それを見つける努力も追い掛けるうち。追われるつらさがあるように、追い続ける難しさもある。どちらも、流れにうまく乗れるかどうかで苦労の受け止め方も違ってくる。10-6-5

 

[札幌市老人農園]。散歩をするコースのなかにこんな看板を見つけた。かなり広い土地が5m×10m程に区切られ、個人に貸し出されている。すでに畝から芽を出している所もある。そこで、気になったのは農園でなく看板の老人のほう。あえて[老人]に限定したところがすごい。老後の楽しみにという主旨で作られたものだろうが、老人というくくりはいったいどの年令でされているのだろう。10-6-4

 

スーパーでときどき見かける理解に苦しむ人。それは、両手に1個ずつならまだしもお腹を支えにして品物をたくさん抱えながら買物を続けている人。あえて店の買物カゴを使わない理由は何なんだろう。カゴは入口だけでなく数カ所に置いてあるのに使おうとしない。そして、カゴの中に入れた自分の買物袋の口を大きく開けたまま買物してる人。わざわざ怪しまれるような行動を取るのはどうして。10-6-3

 

鳩山首相が退陣した。多くの人の期待を裏切ってしまったからしかたない気がする。それまでの首相があまりにも頼りなく無責任なうえに短期間で交代を繰返していたので、もっと長い年月を掛けてじっくり政治に取り組んでくれることを願っていたのにそれも断ち切られた。これほど短い間に辞任するとは思わなかった。せっかくの政権交代を台無しにしないためにも今まで以上の努力が求められる。10-6-2

 

爽やかで暖かくのんびりとした春を迎えないうちに6月に入ってしまった。冷夏の予報が出ているので「もしかしたら、このまま秋になってしまったりしてね」という冗談にも笑えないから寂しい。それでなくても短い大切な北国の春がほとんどなかったようなものだから、知らず知らずのうちに時が過ぎ去った感じがしてしまう。せめて夏は暑くなって減り張りのある季節感を味わせてほしいもの。10-6-1

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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