ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

 

片付けついでにカレンダーを来年のと張り替える。仕事としてはあっという間に終る簡単なことでも、気分としてはそれなりの重みを感じる。はがされるものには過ぎ去った一年の様々な出来事が刻まれているわけだし、新しいものにはこれから一年のすでに決まっている予定を書き記すと新たな意欲が注入される。ずっと先のような気がしていた予定もそうではないと気付かされ来年が見えてきた。15-12-31

 

少し雪が積もったので今季初めてママさんダンプで流雪溝まで雪を運んで捨てた。そのときわかったのは、例年ならアスファルトが見えるほど綺麗に排雪されているある家の前が積もったままになっていたのだ。そして、もう一軒の玄関前は雪が積もり足跡さえない。こちらは初雪のときからそうなっていたので気になっていたがもう在宅してないようだ。雪かきは雪国ならではの安否確認にもなる。15-12-30

 

今、三つの小説が進行中。ひとつははここでも触れた『約束の冬』、そして、新聞小説のふたつ。書かれている世界が違うので混乱することはないが、同時に三つは珍しい。これは朝刊と夕刊の小説両方を読む機会が少なかったせいだろう。そこの理由はいろいろあった。それぞれのタイトルは『沈黙法廷』と『ウォーター ゲーム』。ところが、夕刊が4日まで休みになるのでそっちはおあずけに。15-12-29

 

いつもは月末の仕事帰りの木曜日と決めていた床屋へ行く。じつは先週の木曜日の朝に電話で予約をしようとしたらその日だけでなく金曜日も予約でいっぱいだという。空いているのは月曜日の4時半とのことで、そのためだけに街まで出掛けたのだ。年末には頭をすっきりしてお正月を迎えたい人が多いようで一年で一番の稼ぎどきだと床屋さんが言っていた。爽やかに年を超す儀式のようなもの。15-12-28

 

やっと年賀状を書き終え投函する。道外の分はすでに25日に出してある。そして、道内札幌市内へと進めていく。遠い所は少しでも早めのほうがいいような気がしてそうしている。本当ほ25日までに出す予定だったのに延びてしまった。木版画を彫り刷った後に宛名書きをして一言添えるのだが、どちらも同じくらいの時間を要してしまう。さらにそこに加わるのが出すか出さないかで迷う時間。15-12-27

 

今年最後の忘年会。忘年会前の2時に集合して『ハルカヤマ藝術要塞』のカタログ発送作業をする。20名ほどで宛名貼りや封筒詰めなどを流れ作業でこなした。これを終えてようやくすべてが終了したことになる。その後の忘年会なので安堵と満足と解放感に浸りながらの楽しい飲み会になった。準備期間を入れてこの1年間共に奮闘してきた仲間との次回の2年後までの別 れが寂しくも感じた。15-12-26

 

ホワイトクリスマスに。18日の大雪以後、また暖かい日が続いて積雪0に近い状態まで解けたので街中でのクリスマスのデコレーションもいまいち雰囲気を出せずにいた。これで雪国らしいクリスマスになって旅行者も喜んでいるにちがいない。それにしても天候が極端から極端に走る。昨日の昼には春を思わせるような陽気で歩いていると汗ばむほどだったというのに今は膝まで来そうな積雪に。15-12-25

 

後になってA案が隈研吾の設計とわかり、すぐに選べた理由がわかった。3年前の北関東への旅のとき、栃木県では隈研吾の建築を見るためにレンタカーを借りたほど関心と興味があったのだ。そのときは馬頭広重美術館と石の美術館とちょっ蔵広場を見て回ったがどれも期待に応えてくれた。そして、東京ではサントリー美術館にも足を運んだ。これらに流れる感覚の響きがA案にも含まれていた。15-12-24

 

A案とB案。国立競技場の2案のスケッチを見たとき、直感的にAがいいと思った。Aには包み込む優しさがあり、Bは荘厳だが威圧感もあるのでまったく違った印象を受けた。無責任極まりないオリンピック組織委員会の森会長が「B案がいい」と発言していたからなおさらA案に決まってほしかった。立場をまったくわきまえないその軽はずみな発言もA案決定に影響したのと報道もあるくらいだ。15-12-23

 

厳しい冬が待っているのはつらくても、これから日毎に陽が長くなるんだと思うと多少気も楽になる。冬至は大切な境い目の日として受け止めているので、北海道産の南瓜を買う。せっかくの日の南瓜がまずかったら気分も落ち込んでしまう。いくら道産でも、南瓜には結構当りはずれがあるから心配だったが幸いおいしく味わえた。これを糧に寒い冬を何とか元気に乗り越えて春分の日を迎えたい。15-12-22

 

映画を観ようといつもの映画館に行くが時間がかみ合わず、諦めて中古本の店に行く。タイトルを眺めて気になった本を手にして1ページを読み、購入を決める。それは『約束の冬』で、この前の『冬の標』と冬つながりになった。作者は宮本輝で以前何冊か読んだ記憶はあるが、どんな内容だったかは覚えていない。だから、いいのか悪いのか初めての人と同じ気分で読める。すでに、耽読のなか。15-12-21

 

いよいよ待っていた路面電車のループ化が始まった。もともとたったひと区間だけが途切れていたわけで、ようやくまともな姿に戻ったとも言える。東京の山手線も一周しているからいいのだ。これで今までとは違って逆回りもできるので利便性が高まるのはまちがいない。新設された狸小路駅も中心街の活性化に役立ちそう。配送車やタクシーの不便はあるがそこは相対的に考えるとやむをえない。15-12-20

 

夫婦別姓の最高裁判決では違憲となったが、ある意味象徴的だったのは3人の女性裁判官が反対だった点。もうひとつ非常にわかりやすいアンケートがあった。その集計によると50代までは別 姓に賛成が6割を超えているのに70代まで入れると半々まで押し戻されている。つまり、これから結婚する多く人達の意見が反映されていないわけだ。ちなみに60代は半々70代は反対69:賛成27。15-12-19

 

一昨日の天気予報は見事に当って20B以上の積雪。積雪0になった途端にどっさり降って一気に銀世界に早変わり。おかげで久し振りの雪かきをする。今までのパターンだとまた解けていくのだが、今度はどうなるのやら。イベントやスキー場や様々な冬商売のことを考えると、ここまで楽をさせてもらったから根雪になってもいいのかななんて余裕の気持にもなったりする。でも、ないのがいい。15-12-18

 

友との忘年会。彼と飲むときは決まったパターンがある。最初に居酒屋でビールと食べ物を頼み、次にワインを注文。近況などいろいろ語り合いほろ酔いでいつものスナックへ。そこでは、彼のキープしているウィスキーの水割りを飲み、談笑も弾む。そして、最後はこれも彼が行きつけのこじんまりとした飲み屋へ行き、ここでも水割りを。お酒の好きな彼のいつもの巡礼に付き合うといった感じ。15-12-17

 

ついに積雪0に。先月の24日に62年振りという記録的な大雪で40Bも積もった雪が徐々に減っていき、最近の暖かさで0になった。それにしてもあの大雪は何だったんだろうか。いや、それよりもこの極端から極端に移り変わる天候は明らかにおかしい。まるでこの積雪0を待っていたかのように、明日は20B近くも積もる予報が出ている。冬への覚悟をさせられたり解かれたりの繰り返し。15-12-16

 

そうこうしているうちに、とはいっても大したことはしていないのにすでに月の半分の15日を迎えてしまった。最近はずっと暖かい日が続いたおかげで年末に入る気分はいまいちだが、忘年会を重ねる度に少しづつだが高まってはきている。英語の手紙を書き終えた解放感にいつまでも浸っていると、年賀状の制作に焦ることになるから早めに手掛けねば。何とか25日までには投函しておきたい。15-12-15

 

本当は金曜日にはやっておきたかった用事とはドイツの友人ふたりへの英語での手紙。クリスマスに合わせて毎年書き続けてちょうど40年が経った。最近はすっかり年に一度の手紙になってしまったが、それがかえって英語の手紙を書く大変さを増している。単語を忘れる分には辞書を引けばいいが基本的はフレーズを忘れてしまうとそこに辿り着くまでの時間が必要になる。今日、ようやく終了。15-12-14

 

さらに続く。昨夕はいつもの卓球に行くかどうか直前まで迷ったが、断念したのは大正解だった。かなり快復してるとはいえ、夜には黄色い鼻が出て来たのだ。こんな中途半端な状態で行ってればまたぶり返すところだった。今日も用心して朝食後再び布団へ戻る。熱もまだ残っていた。ようやく昼には元気が戻り、この間やりたくてもできなかなかった用事を始める。これは風邪とは違ったのかも。15-12-13

 

続き。今朝までの快復を願っていたがそれはかなわず、朝食後再び布団へ。昼にはほとんど治った感じでひとまずホッとする。風邪を引くときの最近のパターンは、喉のひりひりから始まる。これがきたら要注意というわけだ。次に鼻水、タン、咳と続く。でも、今回はちょっと違って、その後に熱が出てきて、寝ている布団の暑さに何度も目を覚ましてしまった。ここで安心せず治しきるのが肝心。15-12-12

 

ほぼ一日寝て過ごす。風邪の兆候は2日前の朝からあった。しかし、その日は忘年会もあり帰宅は11時を回り、昨日は午後の仕事でゆっくりできなかったので、今日は朝食後すぐ布団に戻り、昼食後2時間もテレビを見てしまったがこれではいけないとまた布団に入る。そして、夕食後に今これを書いているというわけ。この後も布団に戻るつもり。これが早期快復に繋がってくれるといいのだが。15-12-11

 

40年前のスケッチブックを懐かしく眺める。それは、ヨーロッパを周遊していたときのもの。どのスケッチも時間を掛けて描いたので、そのときの状況が瞼の奥に甦る。この辺りが写 真とは異なるところで、一点に30分はおろか1時間以上掛けた作品もたくさんある。そのせいもあってか、不思議と40年という隔たりを感じさせない。今でも26歳のときの感性に触れられる幸せをかみしめる。15-12-10

 

水彩画教室の忘年会。いつもより教室の時間を延長して5時直前までやり、近くの居酒屋に向う。暖かい穏やかな天気にホッとする。昨年の忘年会の日には『できるだけ外出を控えてください』という注意報が出て、数名の欠席者が出てしまったのだ。予報ははずれたのだが先は読めない。今年はそんな心配はまったくなく全員出席の楽しい宴となった。来年もよろしくと乾杯して暖かさの残る外へ。15-12-9

 

何かを身に付け始めると次第に力の抜き方もわかってくる。ただ力任せにやっていたときとは違って、状況に応じて力の入れ加減の調整ができるようになるといったところだろうか。これはスポーツのみならず芸術にも当てはまる。とくに細かな制作をするときなどはそれが大事になる。少しはずれるが、長年一所懸命やってきた漢字の書き取りのおかげもあってか書く字にもそれが出てきたようだ。15-12-8

 

続き。相手がどの程度の実力なのかわからないから、期待もなければ落胆もない。それは相手からしても同じ。つまり、プレッシャーを感じる必要はまったくないわけだ。知ってる人や仲間内だとそうはいかない。知られている実力に対する期待に応えようとするから緊張も増してしまう。とにかく、のんびりした気持で試合に臨めたのが今回の収穫のようだ。仲間とやるときもそうなりたいと思う。15-12-7

 

ふたつの組織の交流卓球大会に出場。1チームの10人が対戦ごとに新たなメンバーとダブルスを組み6チームの総当たりで戦う。個人的には4勝1敗で大満足できたし、チームとしても5勝0敗で優勝と最高の結果 になった。交流が目的なのでダブルスを組むのは初めての人ばかりだが、それがかえって気分を楽にさせていた。失敗してもうまくいってもそんなもんだと受け止められるから助かる。15-12-6

 

この時季は喪中の葉書が何枚も届く。このときになって始めて今年の喪中を知らされる人ばかりだ。年齢は同世代から百歳までと幅広くいる。それぞれの状況は知り得ないが、まだまだこれからという人がいれば、天寿を全うしたと思われる人もいて、その受け止め方にも差が出てきてしまう。ただ単に年齢を重ねればいいわけではないが、もしも健康寿命であるならば30年の違いはとても大きい。15-12-5

 

卓球の基本となるフォアハンドのフォームの矯正を真剣にやり始めて半年が経ち、少しずつだがようやく身に付いてきたような気がする。夏から秋には卓球をする機会が少なかったとはいえ、体に染み付いた悪い癖を直すには時間が掛かるものだ。指導してくれる人のアドバイスは3年前からずっと続いていたがわかったつもりでいてもできないでいた。自然にやれるようになるにはまだ時間が必要。15-12-4

 

昨日と今日、似たような場面に遭遇。まず昨日、歩いて自宅に向っているとき反対側の歩道にほぼ同じ速歩の男がいた。同じ方向を目指しているようで、ある信号で同じ側に立つとその男は青になると同時に明らかにピッチを上げて歩き前に出た。その後はときどき小走りにもなっていた。そして今日は散歩の男を抜いた途端に彼は歩を速めた。単純な男同士の同年代の意地の張り合いがおもしろい。15-12-3

 

夕刊の新しい小説が今日から始まった。今までのは読んでいなかったが、どうしてそうなったのかは覚えていない。最初から読んだがつまらなくて止めたのか、それとも最初を見逃してしまって読むきっかけを失ったのか。どっちだったんだろう。幸い今回は1回目を読めたから、今後続くかどうかは文体と内容次第だ。その文体に気掛かりな点があるのがちょっと心配。うまく入れるといいのだが。15-12-2

 

いよいよ今年最後の月に入る。1年カレンダーも右下隅の1ヶ月を残すだけになってしまった。ここを眺めるだけでも差し迫った気持にさせられてしまう。そのせいか、2月は置いといてその1ヶ月も他の月より短く見える。どの月にもそれなりの忙しさや用事はあったのにこれとは違う感覚だった。やらねばならぬ いくつかの恒例行事が待っている12月はどうしても慌ただしい気分になるようだ。15-12-1

 

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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