ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

いよいよ今年最後の日。今年の出来事のベスト3を上げるとすると卓球を始めたこととパソコン購入そして苫小牧まで歩いたことだろうと思っていた。でも、年末に肩甲骨の骨折という予期せぬ 出来事も起こったからこれも加えなければならない。4というのも中途半端だからもうひとつ増やすとすれば北関東の旅になるのかな。卓球と苫小牧と北関東は幸、パソコンは半々、骨折は不幸ってとこか。12-12-31

 

骨折のことを書いているうちに今年も残すところあと1日となってしまった。最近は雪かき以外の時間は部屋の掃除や片付けをしたり読書等をしていた。手がかなり回復したとはいえまだ不完全なので制作に入る気になれず普段は手の届かない場所の埃を取ったり身を軽くするためいらなくなったものを捨てたり気になる本を読んだりとゆったり過ごす。こんな時間を持てたのも骨折のおかげ?かな。12-12-30

 

もうひとつつらかったのは卓球を思いっきりできなかったこと。医者からはスポーツはしていけないと釘を刺されていた。でも、卓球は手を上げずに返球もできるので27日に今年最後になる体育館へ。この日はレントゲンを撮るため病院に来るよう言われていたが経過を診るだけなので骨折前に交した卓球相手との約束を優先。張り切り過ぎないよう押さえるのが大変だったがやっぱり楽しい時間。12-12-29

 

徐々に手も上がるようになってきたがまだ45度程度だろうか。まったく上がらなかったことを考えればかなりの回復だ。でも、万歳ができるのは1ヶ月後くらいだろうか。原因となった肩甲骨の痛みはないけれど骨折している事実を知らされたのはくしゃみによる衝撃。不覚にも風邪を引いてしまって鼻水とくしゃみが出始めた。急に襲われるくしゃみが骨にまで響いて痛みを伴うのがつらかった。12-12-28

 

右手が上がらなくなり不自由になってみて有り難みを感じたのが左手と無線のマウス。4、5年前から左手で箸を持つようになってすっかり日常になっていたから食事には何の問題もなかったし、左手を使うこと自体にも慣れていたようだ。もうひとつはパソコンのマウス。新しいパソコンと同時に買った無線のマウスが随分役立ってくれた。手が上がらなくても手元で不自由なく使えるので助かる。12-12-27

 

腕が上がらないのは打撲と骨折のせいと診断され何の治療もなくそのまま帰る。あとは時間の経過を待つしかないというわけだ。余計な手当はこまるが何にもしてくれないのも物足りないもの。そんななか、悲劇に追打ちを掛けるように大雪が降り続いた。骨折していても雪かきは待ってくれない。左手だけで時間を掛けてゆっくりゆっくりやる。それにしても異常な積雪でこんな12月は初めてだ。12-12-26

 

ここで手術なんてことになったら年末年始の自由なそして大事な時間が台無しになるところだった。すでにかなり奪われてしまったがこれで済むなら諦めもつく。あくまでも自分の不注意で起こした事故で誰かにされたわけではない。とにかく、頭を打たなかったのを幸いと考えなくては。踏み外さなければという後悔よりもそっちの方がより強い思いになっている。これならしばらくの辛抱で済む。12-12-25

 

医者も疑問を持ったらしく今度は肩甲骨のレントゲンを撮ることになった。するとそこには骨折している肩甲骨が確認できた。「まったく痛がらないから単なる打撲かと考えて、骨折を見過ごすところでした」と医者は正直な感想を言った。骨折ならもっともっと痛がるはずだという。痛くないのは事実で痛み止めの薬も求めなかった。骨折はショックだが手術はしなくてよいとの診断にホッとする。12-12-24

 

痛みで眠られぬ夜だったのに朝にはかなり和らいでいた。でも、強打した側の右手が全然上がらず着替えにも苦労した。この日は午後の仕事をしてすぐ帰宅。夜9時には床につき翌朝の9時近くまで1度の目覚めで12時間も眠り続ける。痛みは引いたのに腕の上がらないのが気になり整形外科へ。肩のレントゲンには異常がなく患部を押されても強い痛みはないため骨折ではないとの診断。しかし。12-12-23

 

とくに階段の昇り降りするときは脱げそうになるスリッパだった。脱げそうになったところを履き直そうとしたためこんな事故を招いてしまった。これでは危ないしもう限界だなと思いながらも履き続けていた。節約とケチるのは違う。危険を察知していたのに買い替えずにいたのはケチったことになる。それがこんなに高く付くとは・・・。その晩は肩の裏の激しい痛みでほとんど眠られなかった。12-12-22

 

どこからどう話しを書き始めるべきか迷うような事態になってしまった。とにかく原因となったいきさつから書くことにしよう。実は2日前の深夜、家の階段を踏み外し肩の裏側を強打した。映画のシーンであるように5、6段は滑り落ち一番下でやっと止まるほどの勢いだった。踏み外した理由は明らかで、それはスリッパ。フニャフニャになったのを履き続けていたのが大間違い。しばらく続く。12-12-21

 

便利なシステム。図書館から借りていた『ジャズのすべて』の返却日が迫ってきた。うっかり忘れてはいけないのでちょっと早めに返えそうとリュックに入れて出掛けた。帰りに借りた図書館に返却しようと考えていたが中心街にも返却コーナーがあることを思い出し寄ってみるとどこの図書館のも受け付けるという。これは有難い。今日は今年一番の寒さだったこともありこのシステムに救われた。12-12-20

 

地下鉄で居眠りして乗り過ごす。昼の忘年会でワインを普段より多めに飲んだせいで三つ先の駅を乗り過ごしいつも降りている終点まで行ってしまった。戻るために慌てて降りて少しでも出口近くで降車しようと一番端まで行って乗車したがこれも大間違いでそのままの場所が正しかった。いくら慣れない昼のワインとはいえ酔ってしまったのが情けない。これで済んだからいいものの気を付けねば。12-12-19

 

初雪がそのまま根雪になり記録が確認できる1961年以降初めてのことだという。その後も雪は降り続き積雪は70Bを超えた。これは平年より50Bも多くて札幌は瞬く間に雪に埋もれた街に一変した。晴天は少なく雪が解けることもなく積もる一方だ。もうすでに道路はパンク状態で除雪だけでは追い付かず排雪作業にも入るらしい。とにかく天候の変化があまりにも激し過ぎて驚くばかり。12-12-18

 

年賀状のひとことと宛名書き。このときが一年のなかで一番集中的にペンを握るときかもしれない。宛名書きだけなら個展の案内状のときと大差ないがひとことはこっちの方が断然多い。その人を思い浮かべながら近況や来年への願いや抱負などを書いていく。出すのは同世代かそれより上がほとんどなのでどうしても体のことが多くなる。年令が増えるほど元気でいたいという願いは強くなりそう。12-12-17

 

投票日の夕方、ふと『愛と哀しみのボレロ』を見たくなり録画を再生する。普段はテレビのニュースを見ながらの夕食なのに今日は映画になった。様々な世論調査から逆戻りするのははっきりしていたので見る気がしなかった。この映画は戦争に翻弄された人々の様々な生き方を2世代に渡って追い続けるける4時間を超える大作で『ボレロ』で始まり『ボレロ』で終る。『ボレロ』に多少救われた。12-12-16

 

人がいない。信頼できる人がいない。託せる人がいない。選べる人がいない。これほどまで選びようのない選挙は初めての気がする。今まではとくに推す候補がいなければ消去法という手もあったがそうすると今回は全部が消えてしまいそう。それでも大事な権利を放棄したくないから投票先を決めなくては。こんな投票は何とも虚しく悲しい。もう迷ってる時間はない。しかし、人が見えてこない。12-12-15

 

国を守り救うのは軍事でなく教育だ。憲法を改めてまで軍備をさらに増強しようと叫んでいる政党が多数を占めそうな状況になっているのが恐ろしい。それでなくても莫大な借金を背負っているというのにそんなところに金を回したら生活が増々厳しくなるのは目に見えているのにどうしてそれを主張するのか理解に苦しむ。日本が本気で生き残ろうとするなら豊かな人材を育てるより他に道はない。12-12-14

 

12月にしては随分雪が多いなと思っていたら現在の積雪は平年の4倍もあるという。平年なら15B程度なのにすでに60Bを超えているわけだから明らかに異常。道路脇の雪山はどんどん高くなり2車線が1車線になっていて1月か2月のような風景になっている。そんな状況を嘆くと「今たくさん降って3月の雪解けが早くなってくれればそれでいい」と応えた人がいた。それならいいのだが。12-12-13

 

ノーベル賞を受賞した山中伸弥氏のコメントにはいい意味で50才という年令を感じさせる言葉がちりばめられていた。『マラソンでいえば折り返し地点に立ったようなもの。後半の方が厳しいのはわかっている。でも、頑張っていきたい』正確ではないがこのような内容だった。本人の気持としてはこれからが本番だと捉えているようだ。まだまだ時間が残されている人の受賞の意味を教えられた。12-12-12

 

いよいよ寝床に湯たんぽが入る。これまでは自分の体温だけで布団を温めていたけれどそれにも限界を感じて湯たんぽの助けを借りることになった。入れてみるともっと早くからそうすればよかった思うほど快適だ。もう、身を屈めて布団に入る必要もない。一旦この至福の温もりを覚えてしまったら離れられなくなるので春までの付き合いになる。お湯はストーブの上の鍋が勝手に湧かしてくれる。12-12-11

 

年に一度の英語の手紙。毎年、ドイツの友達へクリスマスプレゼントに手紙を添えて送っている。この手紙が結構頑張らねばならない。何せ年に一度なものだから単語もフレーズも忘れがちになり辞書とにらめっとしながら書いている。でも、書き進めるうちの書きたい話題も出てきて辞書を引くこともそれなりに楽しくなってくる。とにかく、こうして37年間もつながりを保てているのが嬉しい。12-12-10

 

『孤高の人』を図書館に返却したついでにどんな本があるのかなとぐるぐる回っていたときに目に止まったのが『おもしろいほどよくわかる ジャズのすべて ジャズの歴史から聴き方・楽しみ方まで』。最近のBGMはほとんどがジャズだけれど、ジャズに関しての知識はまったくないのでちょっとは知ってみたいと思って借りてきた。タイトルに嘘はなく非常にわかりやすくてもう少し近づけそう。12-12-9

 

新しいパソコンになってもいいところばかりではない。一番悲しいのはプリントがきれいにできないこと。これはパソコンのせいというよりプリンタに問題がある。写 真だけならそれなりに印刷できても編集したものはまったく駄目だ。何とか方法があるのではと探すが以前はできた細かい設定の項目がないからどうしようもない。せっかく新しくしたものが以前より劣るというのは何ともくやしい。12-12-8

 

友と二人だけの忘年会をしたとき、新しいパソコンの購入とそのおかげでユーチューブを見られるようになったことを話したら「それはよかった」と喜んでくれた。彼もその楽しさを教えてくれたひとりだった。彼は真剣に打ち込んでいる音楽よりも猫の映像に夢中になっているという。愛する猫に癒されていてもなお見たくなるようだ。そういえば僕も美術の世界そっちのけで卓球ばかり見ている。12-12-7

 

新しいパソコンを手に入れたことで今まで見られなかったものが見られるようになった。それはユーチューブ。様々なジャンルの映像が無料で自由に見られるのだ。購入前にもそのことは聞かされていたがこれほど多くの映像が入っているとは思わなかった。最近一番多く見ているのが卓球。技術的なものから試合まできりがないほどある。夢中になってしまいそうだからはまってしまったら大変だ。12-12-6

 

おもしろくてはまってしまった小説は旅に似ていて後半になると寂しさも芽生え始め結末が近づく頃にはそれはさらに高まる。その世界にはまっていればいるほどそこから追い出される寂しさが湧いてくる。今回もその思いを強く感じながら最後のページを迎えた。そのときは、帰りの飛行機に乗る時刻が迫り旅の余韻に移ろうとする時間帯のようなもの。そして、『孤高の人』の楽しい旅は終った。12-12-5

 

一気に大雪が降ったあとには大雨がやってきた。すっかり雪景色になり本格的な冬を覚悟したはずなのに雨がその雪を解かしていく。それはそれで嬉しいのだがグチャグチャ道にはこまってしまう。かなりの積雪のあとだから雪のくぼみには流れられない水がたっぷりたまっていて至る所が水浸しになっている。歩き続けているうちに靴に水が染み込み靴下も濡れてくる。こうなると雪のほうがまし。12-12-4

 

今日も北区体育館で卓球をして心地よい汗をかく。土曜日と月曜日と週2回やるのはちょっと遊び過ぎかなとも思ったけれど300円で楽しくそして思いっきり運動ができるのだから大事な時間なのだと受け止めるようにした。もしかして、いつかリハビリをすることがあるのだとしたらその時間を今使っているのだと考えればいい。すごいこじつけのようだが体力の蓄えのつもりで汗を流している。12-12-3

 

雪かきには1時間半ほど掛かった。それだけたくさんの雪が積もっていた。昨晩から覚悟していたせいでやり始めもそんなに億劫な気にならずに済んだ。何事もそうだがやる気になり動き出すまでにかなりのエネルギーを費やす。動き出してしまえばあとは大した苦ではなくなる。歩くこともそうだが同じ行動や作業を継続するのは結構得意なほうだ。だから1時間半の雪かきもあっという間のよう。12-12-2

 

いよいよ12月に入る。今年は秋らしい秋がなかったせいもありさらに早い感じがする。しかし、外はすっかり冬景色になって冬本番に突入したようだ。今晩一気に20Bほど積もってまだ降り続いているから明日は今年初の本格的な雪かきを覚悟せねばならない。これまでは雪かきもいい運動になると言い聞かせてきたけれど卓球をやってるわけだから余分な運動になる。でも、やらねばならない。12-12-1

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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