ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

ジャズを聴くのが当り前になってくると、どの演奏者も曲もそれなりに良くなってきた。最初の頃は好きな曲は限られていて同じCDを繰り返し聴いていたけど、最近ではどれにしようか迷うことが多くなった。これは、たくさんのCDをプレゼントしてくれた友人おかげでそれぞれの演奏者の違いと良さがわかるようになったからだと思う。あれにしようか、これにしようかと迷うのも嬉しいひととき。13-3-31

 

2年に一度の車検が終了。代車は借りていないので工場まで30分ほど歩いて車を受け取りに行く。車検の年は出費が嵩むから大変。早期予約、代車不要、その他の様々な割引きで基本的な料金は6万2千円 で済んだがオイル交換やマフラーの修理などで合計8万円に。もちろん出費は痛いけどすでに15年近く乗っている車だからこれぐらいで済んでよかったとも言える。まだまだ付き合うつもり。13-3-30

 

想像もしない不測の事態が起こると頭は真っ白になる。その女性もそうだったに違いない。その気持がよくわかるから何も言わずに立ち去っても全然不快ではなかった。それよりも、無事に歩く姿を見て安堵した。その人は自分のこと以上にたとえ短い時間であっても目を離してしまった孫の状態が気掛かりだったはずだ。その子がどう辿り着いたのかは僕も見ていない。とにかく驚きの体験だった。13-3-29

 

続き。の力を要したが何とかできた。こんなときは体力があって本当によかったと感じる。女性の体を支えながら「頭は大丈夫ですか」と聞くと「大丈夫です」と焦ったように応えてくれ一安心する。上り切ったところには女性の前に立っていた3才くらいの孫がきょとんとして佇んでいた。そして、その女性は慌てるように孫の手を引き足早に立ち去った。明らかに動揺した様子だった。まだ続く。13-3-28

 

驚きの出来事に遭遇。乗り始めたばかりの上りエスかレーターの2mほど前にいた60代と思われる女性が突然バランスを崩して徐々にではあるが後ろ向きに倒れてしまったのだ。びっくりしてすぐに駆け寄り抱きかかえたがそのとき頭はもう金属の階段に触れていた。瞬間的に救急車を呼ぶ必要があるかもと思った。動いているエスカレーターで頭を下にした人を起き上がらせるにはかなり。続く。13-3-27

 

『日本人以上に日本人だ』と言って外国人を褒め称える人がいるけどその意味がどうにも理解できない。そのまま受け止めれば現実にいるあるいはいた日本人よりも日本人らしいということは実際には存在しないわけで、その人にとっての理想の日本人の姿になる。つまり『日本人でない』と言っているのと同じ。『りんご以上にりんごだ』と言われたら『それじゃ、それは何?』って聞きたくなる。13-3-26

 

2週間振りの卓球でたっぷり汗をかき気持いい。汗の量は計れないがかなり出ているはず。もともとの汗っかきが激しく運動するんだからたくさん出ないはずがない。卓球後にシャワーを浴びるためにTシャツを脱ごうとしても背中にへばりついてすぐに脱げなくてこまってしまうほど。その後に水を飲み夕食の味噌汁も食後のお茶も飲み今は2杯目の紅茶を飲んでいるのに体はまだ水分を欲してる。13-3-25

 

早いものであと1週間で3月も終ってしまう。雪解けが待ち遠しくて早く春になってほしいとは願うけれど瞬く間に月日が過ぎていくのはこまる。矛盾した思いが行き交う時季。昨日、雪解けの具合を知りたくて1ヶ月振りに『ハルカヤマ』を訪ねてみると積雪はほとんど変わりなく時間が止まっているようだった。やはりというかもちろん海側の立体はない。この消息は1ヶ月後になるのだろうか。13-3-24

 

理解に苦しむ場所はあちこちに見られる。その中でもケンタッキーフライドチキンの店頭の歩道はひどかった。凍った雪の塊が雪解け水の流れを止めてかなり大きな水溜りを作っているのだ。従業員がこれに気付かないはずはない。それなのに放置されている。スコップで水路を作ってあげればすぐに解決するというのに。勝手に自分でやりたい気分だった。マニュアルで動く弊害と店の姿勢を見た。13-3-23

 

商店の前の歩道の雪山や氷を見るたびに思う。『どうして雪かきや氷割りをしないのだろう?』と。儲かっているから客が入って来てもこまるとでもいうのだろうか。雰囲気からしてとてもそうは思えないのだが。それとも、そんな所は関係ないと考えているのだろうか。店の前をきれいにするだけでもその店の印象は随分違ってきて客の入りにも影響する気がするけど。どう考えても理解に苦しむ。13-3-22

 

おもしろい心理テスト。二人の人にある相手と握手をしてほしいと要求する。後にする人は先の人の行動を見ないようにする。そうすると当然違った行動パターンが出てくる。そのパターンで判断するのかと思いきや、それはまったく関係なく問題なのは行動を起こすまでの時間だという。時間の長い人は自分の時間をたくさん作ったことになり、短い人より社会性が劣るとのこと。なるほどと納得。13-3-21

 

この地区では月曜と木曜が生ゴミの収集日になっている。決めているわけではないが月曜日に出すことが多い。それとは関係なく、収集のとき(生ゴミに限らず)の仕事の仕方に疑問がある。室内からもゴミ置き場が見えるのでその仕事振りもわかる。その疑問とは収集車から降りる運転手と降りない運転手がいること。その辺の決まりはどうなっているんだろう。運転手の判断に任されているのか。13-3-20

 

雪解け道がつらい。歩道に高く降り積もっていた雪も次第に低くなり、あともう少しのところまで辿り着いたのは嬉しいがときには水たまりもできているグチャグチャ道を歩かねばならない。歩きづらいのはしかたないにしても靴の中に沁みてくる水が嫌。防水クリームをしっかり塗っていても時間が経つうちにじわじわ沁みて濡れてくる。春を迎える必然の儀式とはいえ早く終ることを願うばかり。13-3-19

 

2月にはひどい風邪のため制作の予定を随分狂わされてしまったが3月に入ってから徐々にエンジンがかかり9月の個展に向けての制作意欲に満ちてきた。気力とかやる気というのは不思議なもので体調不良の頃にはまったくその気になれなかったのに元気を取り戻すと同時にそれもしっかり復活する。今やっている作業は透過する作品のライトボックスの設計。初めてのことで心配もあるが楽しみ。13-3-18

 

事件などでの報道のインタビューに応える人が容疑者や被害者を「いい人だった」と語ることがある。被害者に対しては同情も加わってその割合は多くなる。両方共いくつかの取材の中から選ばれるわけで報道する側の姿勢とも言えるのだが、とくに加害者に対する「いい人だった」との評価は単純に受け入れられない。なぜなら、立場によってその人の評価は違うもの。ときには正反対もあり得る。13-3-17

 

まるで計画されているかのように暖かい日と寒い日が交互にやってくる。おのずから寒暖の差は非常に大きくなる。その度に喜びと落胆を繰り返す。解けてぐちゃぐちゃになった次の日にはガチガチに凍ってしまう。それにしても晴れの日が随分少ない気がするけど統計的にはどうなんだろう。例年ならこんなに雪や曇りばかりではなかったような気がするけど、これも異常気象のうちのひとつかな?13-3-16

 

1990年4月14日。この日は忘れもしない禁煙スタートの記念日。何度もその日を思い出していたせいもあるのか今もその日の朝の出来事は鮮明に覚えている。その日からすでに23年近くが過ぎた。禁煙まで15、6年に渡った喫煙の体内への弊害はすでに完全に消え去った気がする。体力の落ちるこの年齢になってみてなおさらあのとき禁煙に成功できていて本当によかったとしみじみ思う。13-3-15

 

ふと煙草の自動販売機を見て意外なことに気付きちょっとびっくりした。煙草の値段が上がっているのは新聞やテレビの報道で知っていたが、販売機には外国産(多分アメリカ)のものが国産と同じくらいの種類が並んでいるとは知らなかった。そして、値段はどっちも410円から440円と変わらない。それだけ需要があるのだろう。遠い昔はアメリカ土産に買ってきたりしてたものだったのに。13-3-14

 

すでに2日前になったが東日本大震災から2年。もう2年というよりはまだ2年という感覚の方が強い。それは自分の中で今も継続している意識があるせいかもしれない。忘れてしまうと『もう』の感覚の方が強くなる気がする。前日とその日は震災関連のテレビを見続けていた。でも知りたいことのほんの一部を垣間見れたに過ぎなかった。それなのにまた1年後まで待たされてしまうのだろうか。13-3-13

 

ようやくお年玉年賀はがきの当選番号を確認。すでに3月中旬になっていてお正月は遠い昔になっている。1月から気にしていたのに新聞の発表を見過ごし、インターネットで調べようとしてたのにそれも何となくめんどうになり、いつか郵便局で当選番号の紙をもらおうと思っているうちにこんな時季になってしまった。随分楽しみを暖めておいたはずなのに切手シートがたったの2枚でがっかり。13-3-12

 

まるでマジックのよう。『あれ?どうして減ってるんだろう?』。体育館での卓球のときに飲むために持参した水を入れた小さなペットボトルをバッグの底の方から取り出したときに疑問が湧いた。たっぷり入れて来たはずなのに減っているということはフタが緩んでいたのかと思い焦ってバッグの中に手を入れたが濡れていない。『どういうこと?』。帰宅後、バッグにもうひとつのボトルを発見。13-3-11

 

甘い予測、というよりも甘い希望だったのかな。1週間前の排雪のあと晴天が続きそうだから幸運なタイミングだと書いたのにその後も激しい雪が降ってすっかり冬景色に戻されてしまった。排雪の前までは積雪の度にまめに雪捨てに精を出していたのに、後は解ける一方だと勝手に決めつけたせいで雪捨てをする気になれない。もうひとつの理由は今度こそ太陽が解かしてくれるだろうという予測。13-3-10

 

札幌の3月の積雪が130Bを超えたのは67年振りだという。何といっても自分の年令を超えてしまっていることに驚く。生まれ育った日高地方は雪の少ない場所だったので、18歳からの札幌暮らしのすべても含めて生まれて初めての体験を今しているわけだ。そう考えるとこの大雪が信じられないというのも当り前になる。この冬はいろいろな記録ずくめで忘れられない年になってしまいそう。13-3-9

 

昨日の続き。怖いからゆっくり触る勇気はないが、どうやらお湯を沸かしているときに放電するようだ。これもここに引越してきて初めての体験ということはこの前の落雪の衝撃と関係があるのだろうか。次にシャワーを浴びたときもやっぱり電気は流れていた。配管を確認してもどこにも変化はない。そこで近くにあるものを置き直してみる。すると止まってくれたから不思議。それでも心配は続く。13-3-8

 

電気ショック。シャワーを浴びているとき、たまたま配水管に指が触れたら不快な衝撃が伝わってきた。『あれ、どうしてだろう?』と思ったけどわけがわからなかった。しかし、二度目に触れてしまったときにもやはり同じように嫌な鈍い衝撃を受けて『これは電気だ』と理解した。それにしても何故電気が流れているのかはわからない。シャワーを止めて恐る恐るそれも素早く触れると衝撃はない。13-3-7

 

「これ楽しいね」「何だかはまりそう」卓球をしている体育館にあるランニングマシンで速歩をしているとき、隣とその隣でゆっくり走っている女子高生の明るく弾んだ会話が聞こえてきた。ふたりのうちのひとりがとくに楽しそうにしている。「最近汗をかいてないからそれまで頑張ろうっと」「この後、外に出たら気持いいだろうね」「また来ようね」。元気な若者っぽいやりとりが清々しかった。13-3-6

 

窓の外を歩く人達の背丈が急に低くなった。だいたい50〜60Bは縮んだ感じがする。170の人が120になるんだからその差は大きい。150なら100になってしまう。もちろんこれは縮んだわけでなく道路の高さが元に戻ったというわけ。雪のせいとわかっていても異常に慣らされるとそれが自然になって正しい方が異常に見えてくるからおかしい。もうこれからは背丈は伸びないでほしい。13-3-5

 

排雪のタイミング。その前後の天気具合によって運不運が決まる。排雪の終ったあとにどか雪がくる場合なんかは最悪の気分になるし、どか雪のあとの排雪なら嬉しくなる。今年のは暴風雪のあとだし、今週の天気予報を見ると晴れマークが続いていて気温も高いようなので最高に幸運なときだったみたい。排雪したとはいえ電信柱の道路側だけで家の側の雪は残ったまま。でも雪解けは早まりそう。13-3-4

 

昨夜は全道的に暴風が吹き荒れ猛吹雪や吹きだまりで各地に甚大な被害をもたらした。そのせいで9人もの人が亡くなっていて尋常でなかったわけだ。去年2度もホワイトアウトを体験しているのでその恐怖は容易に想像できる。そのときは車で前に進むも地獄停まるも地獄だったが、今回はそれに加えて車にとどまるも地獄離れるも地獄になったのが悲しい。とにかく最後まで判断に苦しんだと思う。13-3-3

 

我家は都市ガスでなくプロパンガスだが地震対策として自動的に供給を止める装置があるとは知らなかった。ここに引越してきて8年になるが初めての体験。それだけ大きな衝撃だったわけだ。もしも、ガス管の破損なら大事故になりかねないとの思いで急いで電話をしたわけだけど駆けつけてくれた人からは「すぐに電話をしてくれる人は助かるし有難い」と感謝された。自分で戻す人もいるらしい。13-3-2

 

昨日の話には続きがある。アーチの雪かきも終り出掛ける前にシャワーを浴びようとしたらいつまでも水のままでお湯になってくれない。ガスコンロで確認するとこれも点火しない。朝は大丈夫だったけど思い当たるのは屋根からの結構激しい落雪があったこと。緊急事態なのですぐに燃料会社に電話をすると30分後に駆けつけてくれた。調べてみると止まった原因は強い振動のためだという。続く。13-3-1

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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