ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

作品を観るときの態度や雰囲気で自ら制作している人かどうかの区別がつくときがある。そんな人は作品を鑑賞するだけでなくどんな素材でどんなふうに作っているかにも関心を持つ。だから、顔をかなり接近させて眺めたりもする。他には、声を掛けたときになぜか構えていることが多い。自分も制作してるんだという自負からそうなるのかその態度は無愛想に映る。見苦しいから気を付けよう。09-6-30

 

会場や作品を写真撮影しておくのは個展後に作る礼状や個展ファイルに使うため。まだフィルムカメラなのでどんなふうに撮れているかわからないから万一のことを考えてどうしても枚数は増えてしまう。実際に使う写 真はかなり限られていて無駄になるのは随分多い。デジタルカメラだとすぐに確認できるし、不用なものは消去できるのも便利。何枚でも撮れるところもいいとわかってはいるが。09-6-29

 

今日は日曜日のせいか午前中はほとんど来場者がいなかった。こんなときは写 真を撮る時間になる。観てもらえないのは寂しいけれどこれも大事なとき。幸い晴れていたので明るい会場の様子を撮れた。この個展会場は2階にあり、片面 が床から天井まで全面ガラスになっている。そのままでは明る過ぎるしビルや動く車を見せたくないのでロールカーテンを下ろす。それでも充分明るい光に包まれる。09-6-28

 

作品についての説明をどれほどすべきか迷うところもあるけど、できるだけするようにしている。作品の意図を伝えることでより深く感じてもらいたいとの気持が強くあり、勝手に解釈してほしいというふうにはなれない。作品がきちんと語ればそれで済むことだが残念ながらそこまでの力は持ってない。説明してくれたおかげで作品と触れあうことができたと言われると増々その気持は強くなる。09-6-27

 

どんな人なのかの見極めはむずかしい。個展をしているといろんな人が来る。知り合いの人は置いといて老若男女さまざまが顔を出す。昨日のような例もあり、どんな人物なのかはなかなかわからない。以前にも観てもらってる人かと思い「案内状を差し上げてましたか」と声をかけても「いいえ」と言われてしまうことがあり、逆に、芳名帳を見たあとに声をかけておけばよかったと思う人もいる。09-6-26

 

紺のスーツにバッグを持ったビジネスマン風の高齢な人は入るとすぐ芳名帳に記名したあと、足早ではないけれど作品の前で立ち止まることもなくすぐに出て行った。そして、定年後らしいラフな格好の人はゆっくり観てから、作品の説明を求めてきたので話をするとなるほどと頷きながら真剣に聞いてくれた。あとで、そのスーツの人は美術館の関係者だと友達から教えられた。そんなものなんだ。09-6-25

 

見て(観て)歩くスピードでその人の興味と関心の度合いがよくわかる。作品の前で止まることもなく横目で見ながら足早に1周する人、足早ではあるけどときどき足が止まる人、作品の前で立ち止まるけどすぐに次に移る人、ひとつひとつをゆっくりじっくり観る人、全部をゆっくり観て1周したあとにまたどこかの作品に戻る人などなどいろいろ。1周するどころか数歩でUターンする人もいる。09-6-24

 

いよいよ個展が始まる。これから7月2日までの10日間ギャラリーに通い続けると思うと自然に気合いも入る。朝9時から夜7時(夏至も過ぎたから7時は夜の始まり)まで拘束されるのはつらいけど多くの人達が作品に接する場でその反応を直に感じられるのは有難い。おかげで今日も多様な反応に出会って作品の新たな見方を教えられたりもした。知り合いとの1年振りの再開も楽しみのうち。09-6-23

 

朝9時から個展の搬入飾り付け。今年は一日いっぱい展示作業ができるので気分的にすごく楽だった。去年は搬入の3時間後には開始というあわただしい状況だったので悲惨だった。今日は納得のいくまでゆっくりじっくりできたので満足できる個展会場に仕上げられた。3時くらいまでかなと予定してのに終ったのは6時。展示作業自体も制作と一緒で自分の思いを具体化する楽しい時間でもある。09-6-22

 

せっかくの夏至だというのに願いは適わず、ときどき薄日は差したもののほとんど曇りの一日。どんよりしたまま夕方を迎えてがっかり。それでも、いつもなら薄暗くなったら早めにカーテンを引き電気をつけるのに日の入りの7時18分までは夏至の太陽を体感することにした。すでに暗くなっている部屋にじっとしているのは不思議な感じがするものだ。これからまた1年も待たねばならない。09-6-21

 

定額給付金だのエコポイントだのエコカー補助金だの場当たり的に無計画にお金をばらまいているけど国の借金は増々増えるばかり。もうすでに国民一人当り650万円近くの天文学的数字になっているから開き直っているのかと聞きたくなる。どうして子供や孫達が悲惨な目に合う将来のことを考えようとしないのだろう。借金の返済は先送りすればするほど膨張して難しくなるというのに・・・。09-6-20

 

[定額給付金決定通知書在中]というはがきが今日届いた。中には振り込みの知らせと金額が書いてある。やっぱりというべきか『あ、そう』と思うだけでわざわざ確認する気さえも起きないほど。横には〈定額給付金でまちに活力を!定額給付金は「地域経済対策」を目的の一つにしています。地元で消費していただくことで地域経済への大きな波及効果 が生まれます。〉とあるが考えが甘過ぎる。09-6-19

 

相変わらずすっきりしない天気が続く。そうしてるうちに3日後には夏至を迎える。この『ひとこと』に何度も書いてることだけど春分の日と夏至と秋分の日と冬至は強く意識する。太陽と共に生きていると考えたらこれらは大事な節目。その中で一番待ち遠しいのが冬至でちょっと寂しくなるのが夏至。秋分の日は覚悟をするときで春分の日は期待の膨らむとき。せめて夏至の日は晴れてほしい。09-6-18

 

ふと見上げたビルの2階の窓がラスに《open17:00〜close27:00》と書いてある。『あれ?』っと思ったけど、すごく遅くまで開店しているという意味はよく伝わってくる。もし、3:00だと遅いというより早い時間になってしまいかねない微妙な時間帯なのでこうしたのだろう。まだまだ夜は続いているんだと思わせる効果 はありそうだ。28:00まで引っ張ると朝になってしまう。09-6-17

 

昨日の制作の心得にも繋がってることで、生きるすべての行為が『何のため』でなくなるような等価値の生き方にできるだけ近づきたい。食事も睡眠も仕事も散歩も読書も友との語らいや友と飲むお酒も旅もそれ自体が目的としての行動と受け止めたいと。全部を含めて『何のため』ではなくて、あえて言うなら『生きるため』で『自分を活かすため』ということだろうか。これも遠いけど目指す道。09-6-16

 

力を入れながら抜くか、力を抜きながら入れるか。まず、力を入れることから始まり、力を入れながら抜くことを覚え、そして力を抜きながら入れることを知る。今、ようやくそこに辿り着いた感がある。あくまでもわかっただけで身に着けるのはこれからのこと。その次には、力を入れるでもなく抜くでもなく自然に自分の意図や作用が伝わるようになれば最高だ。それを目指して努力していこう。09-6-15

 

作品に対する受け止めかたは人それぞれだ。それができるところに芸術の価値とおもしろさと奥深さがある。人それぞれとはいっても勝手に解釈してほしいというわけでもなく、伝えたい思いや考えは作品にしっかり詰め込んでいるからそこをわかってもらえたらすごく嬉しい。しかし、現実は『わからない』と言われることが度々あるから厳しい。ときには意図せぬ 解釈に困惑させられたりもする。09-6-14

 

最近は天気が安定せず曇りや雨の日が随分多い。6月に入ってからの日照時間はかなり少なめだ。新緑が美しく暑くもなく寒くもないちょうどいい気候のときなのにスッキリしなくて残念。今日も昼間は晴れてたのに夕方には曇ってしまって遅い日の入りの恩恵を受けられなかった。こうしているうちに夏至はどんどん迫ってきてあと1週間残すのみ。来週の火曜から続いてる晴れマークを信じたい。09-6-13

 

《かため》から《ふつう》へ。ず〜っと長い間かための歯ブラシを使い続けてきた。ところが歯科ではかためは歯にも歯茎にもよくないという。かためのほうが磨いた実感があるし、そのほうがきれいになると思っていたので1月に言われていたのにすぐには換えられないでいた。最近ようやく《ふつう》にしてみてそのやわらかさに驚いた。《やわらかめ》はどんなにフニャフニャしてるのだろう。09-6-12

 

『ごめんで済むなら警察はいらない』と、今もあるかもしれないが昔はこんな言い回しがよく聞かれた。後で謝っても罪は消えないということ。今回の冤罪で検察は非を認めたが、これこそ『ごめんで済むなら警察はいらない』になる。もうひとつの重要な役割を担った裁判所はどう出るのだろう。謝罪するのかそれとも黙るのか。どっちにしても『ごめんで済むなら裁判所はいらない』になりそう。09-6-11

 

住所を間違って葉書を出したんだから戻ってきてもしかたがない。でもなぁ・・、番地の2違いで戻ってくるのもちょっと・・・、せっかく近くまで行ってたというのに・・・。消印された切手の出戻りは物悲しい。郵便局員に手間ひま掛けさせたのだから50円分が消されてもしかたがないといえばそれまでだけど、切手にしてみれば自分の役目を全うすることなく汚されて無念の思いに違いない。09-6-10

 

(あて所に尋ねあたりません)との赤いスタンプを押されて戻ってきた3通 の個展案内状。全部が知り合いだったので『どうして』という疑問が湧いて調べてみると、住所の番地の28を26と書き間違えたもの、引越し前の住所を書いてしまったもの、そして正しい住所なのに戻ってきたものだった。2番目まではうっかりミスですぐに書き直したけど、3番目はもう送りようもなく寂しい気持に。09-6-9

 

作品を発表する前には自信に満ち期待に胸を脹らませるときと会場で存在感を示せるだろうかと不安になるときが交互にきたりする。とにかく制作に打ち込むことで不安を解消するのが一番いいが、会場での作品群を具体的にイメージし、全体をしっかり把握して軽減させることもできる。昨日の作業がそれになる。そうすると安心できる部分と足りない部分がはっきりして残りの時間を有効に使える。09-6-8

 

個展の搬入まであと2週間に迫ってきた。完成した作品の確認も含めて、会場全体のレイアウトを考える。おおよその配置は頭にあったが、それをより具体的に検討していく。展示の構想をスケッチしていくと会場の雰囲気をイメージしやすくなり新たな案も浮かんでくる。今回は小品をたくさん並べる発表だが、全体をどんな流れにしてどんな世界に誘うかはとても大事な点なのでさらに検討しよう。09-6-7

 

冤罪。17年半もの長い間、刑務所暮しを余儀無くされた人がようやく社会に戻ってこれた。裁判はまだ終ってないが検察も無罪を認めた形で、紛れもない冤罪と言える。本人が当時の刑事や検察や裁判官を許せないと語っていたのはもっともだ。強引に犯人に仕立て上げ警察の手柄にしたわけだが、警察以上に喜んでいたのは真犯人ということになる。もう、追われる心配は一切なくなったのだから。09-6-6

 

立体駐車場からバックで道路に出るとき「ハンドルを切って」と当たり前のことを言われたから「余計なことは言わなくていい」と応えたらけげんな顔をされた。至極当たり前のことを指示されて気分を害すると『大人気ない』となってしまう。たとえ子供扱いされても何の疑問も感じず素直に受け入れるのが日本の『大人』のようだ。きっとこれからもずっとこの国の『大人』になれない気がする。09-6-5

 

街の地下街での用事を済ませ、地下鉄でいつもの駅に戻り、直結のスーパーで食料を買って外に出てみるとまだ明るい。スーパーの出口の時計の針は6時半を指していたというのに、随分陽が長くなったことを実感する。20分歩いて家に辿り着いたときにもまだ明るかった。新聞を見ると日の入りは7時10分になっている。今は嬉しいとき。その喜びも6月21日までだとわかると少し寂しい。09-6-4

 

朝起きて、下の部屋に降りて来ると甘い匂いが漂っている。今まではなかった匂いに『何だろう』の疑問が湧いてくる。決して腐った匂いではないが気になるので発生源を探してもすぐには見当たらない。もう一度しっかり探してみると紙の下にその元を見つけた。それは青い林檎。昨晩食べ忘れて机の上に置いたままだったのだ。1個の林檎がこれほどまでの香りを放つとは驚き。その名は『王林』。09-6-3

 

新聞に興味深いデータを見つけた。『不況になったらモヤシと玉ネギ』だそうだ。不況だった去年とやはり景気が落ち込んだ98年度に支出が増えた主な食品の調査でだんとつだったのがこのふたつ。モヤシは畑で作るものでないから安値で安定してるし、玉 ネギはさまざなな料理に使えて保存がきくことも関係あるのだろう。昔はキャベツが食い繋ぐ食物の代表だったのにモヤシにその座を奪われた。09-6-2

 

パターンが連続する立体作品の制作中に角度や寸法の微妙な誤りに気づいたら、その段階でどう修正していくかがとても重要。ときにはやり直しをひとつ前に遡らねばならないときもある。誤りを見逃したり「まぁ、いいか」と甘い判断をしたりすると誤差は徐々に大きくなりついには修正不可能になったりもする。許せる範囲のぎりぎりを見定めなければならない。『負の連鎖』は絶対許されない。09-6-1

 



ウィンドウズで御覧の方は文字の表示を最小にしていただくと私のレイアウトに近づきます。

 

NAKAHASHI OSAMU

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