ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

 

満開の桜を眺めながら安春川の遊歩道を散歩。ほとんど途切れることなく桜が続いていて、まるで淡いピンクの傘がみごとに連なっているよう。幸い昨日今日と好天に恵まれ、桜の花は青い空と相まっていっそう輝いていた。この花が散ると今度はいっせいに若い葉が芽生えてくる。そして、次には新鮮な黄緑色に染められていく。長い冬の間は白一色の世界だけど、これからは様々な色を楽しめる。19-4-30

 

連休の間は個展のための制作に専念するいい期間になっている。外での仕事は休みのうえに卓球もできないので集中してできそうだ。これまでの3日間は何とか順調にきているので残りの1週間もこの調子で頑張りたい。ここでの頑張りはその後の制作や様々な準備にも影響するから大事な1週間になる。卓球ができないのは非常に残念だけど、その分絵を描ける時間が増えたと思ってあきらめよう。19-4-29

 

昭和23年生まれとしては令和への移行には大した思い入れはない。40歳まで昭和を生き、平成に移ったときすでに自分の時代が去った気分になっていた。そのため、平成への意識は乏しく、あくまでも昭和の続きにすぎなかった。そんなわけで、昭和から平成になった時点から過去を元号で振返らなくなった気がする。しかし、平成生まれにしてみれば寂しさも含めて感慨深いものがあるだろう。19-4-28

 

今までになかった10連休が始まった。国内だけでなく海外へ出掛ける人もたくさんいるようだ。いつもより長い連休のため行きや帰りが分散して混雑や渋滞は多少緩和されるらしいが、混むのは避けられない。そして、近くの行楽地も同じで円山公園などは花見と動物園へ向かう人達で溢れるにちがいない。ただ、予報では好天が続いてないのが気になる。せっかくの連休だから晴れてほしいもの。19-4-27

 

遊歩道には桜が咲き水の流れも戻り、安春川にも春がやってきた。それなのに、今日の最高気温は7℃。歩いているときに手袋がほしくなるほどの寒さだった。本当なら心地よく感じるはずの川の流れは寒さに追打ちを掛けるものになっていた。一昨日は23℃まで上がったのにどうしてこうまで極端に上がり下がりするのだろう。変動する気候に慣らされてきているとはいえついていくのが大変だ。19-4-26

 

事故を起こした本人が「アクセルが戻らなかった」と主張したのに対して、最初は「そんな馬鹿な」と疑問に思ったがよく考えてみるとそれは正しいとわかった。つまり、自分の足で思いっきり踏み続けているのだからアクセルは戻りようがない。だからアクセルが戻らなかったのだ。悲しいかな本人はブレーキだと思い込んでいるから踏む力を強めてしまいどんどん加速する。この思い込みが原因。19-4-25

 

二度あることは三度ある、そして三度あることは四度もあり、さらにそれは当り前になっていく。それが怖い。不思議なもので車による暴走事故が続いている。大事故も続いてしまうと先のものが薄れてしまい遠ざかるのが心配だ。非日常の出来事のはずが日常になると問題意識が低くなる危険性もある。政治の世界ではそれがすっかり定着してしまったが、そうならないよう記憶に留めるのが大事。19-4-24

 

レタスを手に取っては戻し違うのを手に取っては戻しを何度も繰り返している高齢の女性がいた。スーパーでよく見かける光景だけど、ふと疑問に思った。あれだけじっくり違いを確認しているのであれば、目利きも鋭くなって簡単に見分けれてもいいはずなのにそうならないのはなぜなのかと。でも、あの行動自体を楽しんでいて、違いを学ぶためにやっているのではないのだからそれは的外れだ。19-4-23

 

人生は運にも左右されると、車とバスによる人身事故から改めて教えられた気がする。まったく落ち度のない人が何のゆかりもない人によって、たまたまそこにいたというだけで一瞬にして命を奪われてしまうのだから運としか言いようがない。たった何秒かの違いでも異なる状況になるわけで、『もしも』の思いは消えないだろう。街に住んでいれば誰にでも起こりうる不運のため避けようがない。19-4-22

 

漢字の書き取りをしていると同じ読みなのに違う意味の熟語がいくつも出てくる。最近、そのなかでも最も数の多いものに出会えた。それは『しこう』で、これまでも志向、指向、思考、試行、施行、嗜好までは覚えていたがそれに至高、施工、伺候が加わった。ここで、もうないだろうかと考えていたらふと浮かんだのが歯垢。全部足すと10になり切りもいいのでしっかり覚えておきたいものだ。19-4-21

 

過去にどんなに立派な功績や肩書きがあったとしても、最後を殺人者として迎える可能性があることを高齢者による事故が教えてくれている。一番悲惨なのは殺された被害者だが加害者の家族も運転を止めさせられなかった後悔の苦しみに陥る。これが人里離れた田舎の事故なら同情の余地もあるけれど東京のど真ん中ではそれもない。街には宅配などのサービスもあるしハイヤーやタクシーもある。19-4-20

 

続く。もしも今「何になりたいか」と聞かれたら何と応えたらいいのだろう。少し考えて浮かんできたのが『旅人』。昔ほどの体力はないから、金銭的にちょっと余裕のある旅人。自由きままに行きたいところに行けるなら戻って来なくても構わない。それくらい動くのが好き。だから、ネコと犬のどっちになりたいかと問われたら犬を選ぶ。綱につながれているのは不満だけど散歩できるのがいい。19-4-19

 

『ネコになりたい』。大学の新入生数10人に「変身できるとした何になりたいか」と質問すると『ネコ』が1番多かったという。その理由は「好きなだけ寝られる」「なにも悩んでいないように見える」「きままに過ごしていてうらやましい」などとのこと。20歳前の元気な盛りの若者の言葉としては寂しい気がする。そんなに疲れているんだろうか。その頃は睡眠を削っても何かをしたかった。19-4-18

 

朝5時に目覚めるとカーテン越しに外の明るさが伝わってきた。その明るさも目覚めに影響したのかもしれないが、昨晩布団に入ったのは10時で見事に7時間後に目が覚めるのは本当に不思議だ。すぐに起きて下に降り、カーテンを開けてその明るさに驚いた。ここまで明るさが戻っているとは思っていなかった。新聞を難なく読める明るさを知ったのは5時起きしたためで、これも早寝のおかげ。19-4-17

 

 

地下鉄に乗っていて、スマホに夢中になっている若者達を見てふと思ったことがある。それは、これからはきっと肥満の人が増えるに違いないと。あれだけうつむき小さな画面 に集中している様子からは運動して汗を流している姿を想像するのはむずかしい。そう思ったのは座席の1枠にいた10人うち3人が肥満体形だったせいもある。動くのが大好き人間としてはどうにも寂しい気がしてしまう。19-4-16

 

最近、抹茶入り玄米茶にはまっている。それは抹茶や緑茶の方ではないので、玄米そのものの香りと味にはまったというべきかもしれない。あの炒り玄米の焼け焦げた素朴な香りはなぜか郷愁を感じさせるし、味も何とも言えずおいしいのだ。つまり、お茶は急須ではなく100円ショップの茶漉しで入れ、上に浮いてくる玄米を茶碗に移してやり、お茶とともに玄米もおいしくいただくというわけ。19-4-15

 

今度は市内でバス移動。これまで立体作品の素材や絵画教室のモチーフの花などを買いに度々行っていたホームセンターへバスで向かってみた。待機中のバスの運転手に乗り場を聞き停まっていたバスに乗り込む。途中から車で行ってたときと同じルートを走り、慣れた道だけど高い座席からの風景が新鮮に映った。家の近くのバス停もわかり次は気楽に行けそうだ。今後はバスの利用も増えるかも。19-4-14

 

急に暑くなる。昨日までも暖かい日は続いていたけれど、あくまでも春らしい陽気の暖かい日だった。それが今日は部屋の中とはいえ26℃にまで達したのだ。長袖シャツの袖を巻かねばならないほどで、もちろん今年一番の暑さに。3日ほど前には本州で桜の上に大雪が積もっている映像を見せられた後だけに各地での気温の変動の激しさに驚く。何とか穏やかに進んでほしいがどうなることやら。19-4-13

 

地下鉄と列車とバスを利用して、今までは車で行っていた隣町のアトリエに向かう。車でないのは初めてなので、新鮮な気持になってわくわくしながら列車とバスを楽しんだ。車と違ってゆっくり風景を眺められるのがいい。おかげで小さな旅の気分にも浸れた。車より30分ほど多めに掛かったとはいえ大して苦もなく行けるのがわかってほっとした。これからは小旅行のつもりで向かえられそう。19-4-12

 

ネットのすごさを改めて感じる。3年前にハンガリーに移住した中学時代の友達から一時帰国をして札幌にも滞在するので是非会いたいとの手紙が届き、詳しくはメールでしたいとメールアドレスが書かれていた。さっそくメールをすると間もなく返事が入った。手紙だと1週間近く掛かったはずなのにメールだと瞬く間に伝わる。とても便利だけれど、遥か遠い国と思っていた感覚が薄れてしまう。19-4-11

 

続き。さらにもう少し未来から見れば紙幣や硬貨そのものがなくなるのかもしれない。今はキャッシュレスを進めようとしている段階だけれど、流れとしてはまちがいなくそっちに向かって行く。時代の変化は早まっているから、新札の発行される5年後にはかなり浸透しているだろう。なかなか現金主義から抜け出せないでいるとはいえ、利便性を考えるとカードやスマホ決済の良さはよくわかる。19-4-10

 

5年後の2024年には新紙幣にして肖像画も変えるという。今使っている福沢諭吉の1万円札は1984年からですでに35年も経っているらしいが、そんなに長かったのかと意外にも感じる。慣れてしまうといちいち顔の確認はしないので知らず知らずに長い年月が過ぎ去ったのだろう。お札の肖像といえば聖徳太子が忘れられない。しかし、昭和も遠くなりお札の聖徳太子は昔の話になりそうだ。19-4-9

 

体育館の敷地内の駐車場の車の少なさを見たとき「もしかしたら」という不安の気持が湧いてきた。玄関口にある事務室の受付で聞くと「午前中は休みで入館できません」との返事が。午後の卓球のためいつものように10時半に顔を出したのに、すぐにまた歩いて家に戻らねばならなかった。今月の予定表でしっかり確認していたのは午後だけで午前中は見落としていた。うっかりミスがまたひとつ。19-4-8

 

昨年5月に納めた自動車税の還付金支払通知書が届いた。2月末に廃車手続きをしたので3月の1ヶ月分が戻ってくるのだ。それまでは機械的に払っていたので4月から3月までが年度の区切りとは知らずにいた。3.300円ではあるけれど戻ってくるのは嬉しい。 車の修理をして車検に出していれば最低でも15万は掛かっていたわけでその違いは大きい。これでまた車がなくなったのを実感する。19-4-7

 

個展まであと2ヶ月余りになり、さらに気合いを入れようとしている。ここまで来ると制作だけでなく、いろいろな準備の予定も立てる必要が出てくる。そんななかでも案内状の作成はとても大事で1ヶ月前には作っておきたい。これはパソコンでの年に1度の作業なのだが、作成方法を忘れていたりして結構手間取ってしまう。他にも額縁の在庫調べや赤帽探しもあるけれど、まずは予定を立てよう。19-4-6

 

HBよりB、0.5より0.7がいい。これはシャープペンシルの芯の濃さと太さのこと。年を重ねるごとに目の衰えは隠せず、小さい字を読むのはどんどんつらくなってきている。ましてや薄い字ならなお大変。そんなわけで、シャープペンシルの芯も濃くて太いものに替えてみた。これだけでも見え方は随分違う。もったいないとは思うけど、HBは使うにしてもHや2Hの芯を使う機会はなくなるかも。19-4-5

 

ここで何度か書いたが、これまでに国会議員の発言の『撤回』を求めてきた側にも大きな責任がある。『撤回』さえすれば何を言っても流されるという風潮を作ってしまったからだ。本当ならせっかく正直に事実を語ってくれたのだから「よくわかりました。しっかり受け止めたので絶対に『撤回』しないでください』と言うべきなのだ。それをしないから無責任な言葉や態度がいつまでも続いていく。19-4-4

 

1万円で5万円分に。待っていた敬老パスの今年度の納付書が1日に届き、昨日さっそく1万円を入金すると5万円分の優待乗車証になってくれた。これで少なくとも10月までの7ヶ月間は安心して地下鉄とバスと電車に乗れる。郵便局で1万円を支払うとき、何度か「この額でいいんですか」と聞かれたのは小刻みに入金する人が多いからなんだろう。どうせなら、切りのいい金額の方が気持いい。19-4-3

 

「大して関心はない」とは言ってみたものの、人伝えに新元号を耳にしたとき「それはどうかな」と思わず口にしてしまった。まず「れいわ」の発音の難しさと言葉の流れの悪さが気になり、「令」から最初に頭に浮かんだ熟語は「命令」で次には「令状」とちょっと威圧的だし、「和」については昭和で使ったばっかりなのにといった感じでいい印象は持てなかった。「礼和」ならまだよかったのに。19-4-2

 

4月に入る。このところ平年並の気温が続いていて、一旦もっと暖かい陽気に慣らされたせいでこれくらいだと寒く感じてしまい、春が近づいている実感がいまいち乏しい。それだけ3月中旬の気温が異常だった。そうは言っても4月という響きは春を連想ささてくれる。そして、いろいろな世代の始まりのときでもある。自分にもそのときどきがあったのに、はっきりと思い出せないのはなぜだろう。19-4-1

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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