ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

「右手を休めるため左手に箸を持ってる」と言ったら「それなら、右脳が鍛えられるね」と二人から同じ返事が。右脳は感覚や直感、イメージなどの働きをするというから大いに鍛えられてほしい。外で食べるときは右手を使うけど家では左手なのでなのでかなり慣れてきた。右手の痛みは随分和らいできたのでもう少しの辛抱だと思う。完全に治ったらこれからは半々に使う努力をしていきたい。09-7-31

 

最近、遊びに夢中な子供達の姿をたくさん見かけるようになった。夏休みを楽しんでいる様子がほほえましい。それにしても、近くの安春川で元気に水遊びをしているのはせいぜい小学3年生くらいまでで、それより上はあまり見当たらない。遊びが多様化したせいなのか、それとも遊んでばかりもいられなくなるのだろうか。公園のグランドで野球をしている子供もほとんどが低学年のようだった。09-7-30

 

扇風機は押入れ中に収まったままで出番はやってこない。雨の日ばかりが続いて本物の梅雨は体験してないけどまるで梅雨のよう。農家の作物にもかなりの悪影響があるみたいで秋の収穫が心配になる。被害は農業に限らず夏物衣料にもクーラーなどの電化製品にも出ている。これだけ涼しいと半袖2枚買うところが1枚になるし、扇風機さえいらないのだからクーラーを買う人だって少ないはず。09-7-29

 

ここ何日かで何通もの手紙を書く。そのうちのひとつは今年2月から書きたいし書かなくっちゃとずーっと思い続けていたもの。投函したあと、気分がすごく軽くなった。もっと早くすればよかったと考えてもしかたがない。これが精一杯だったのだからと自分に言い聞かせる。遅くなったのは最近はクリスマス時の年に一度になったドイツの友人への英語の手紙のせいもあった。出してほっとする。09-7-28

 

おとといの歯科の続き。引越してきてすでに4年が過ぎた、継続中の治療でない、あるとき覗いた待合室に人の姿がなかった(待合室は歩道から見える)ことなどもあって新しい歯科を開拓しようと思った。多少の迷いを胸に、散歩の途中に目にしていた2年ほど前に開院した近所の歯科に向う。駐車場に停まってる3台の車に少し安心して入口のドアに手をかける。新たな医院選びには勇気が必要。09-7-27

 

歯科の話はちょっと横に置いといて。年に一度のお墓の草取りへ。車で往復455H。朝9時出発。途中から雨が降り始める。視界は悪くなるけど涼しくて気持いい。峠の手前で野菜天そばを食べる。うまかった。濃霧の峠を超えて、かつての実家を眺めたあと、2時半に父母のお墓に到着。思ったより少なかった草を根から引き抜く。4時にお墓を離れて帰路につく。夜8時帰宅。長い運転だった。09-7-26

 

7月のカレンダーの下のほうには◎歯科 歯石 入れ歯◎と書いてある。今年1月末に歯科の治療が済んだとき言われたのは「たとえ痛くなくても半年後には来たほうがいいですよ」と「歯槽膿漏が進んだら入れ歯になってしまいますよ」のふたつ。これは強烈に利いて、帰るなりカレンダーに書き留めた。その半年後がやってきて歯科に行く決心をしたが、同じ所にするかどうかで迷いが生まれた。09-7-25

 

村上春樹の『1Q 84』を読み終る。最初の自然な入りと前半の引き込まれ具合からすると中盤から後半にかけては間口を広げ過ぎたせいか間延びしていた。おかげで前半にあったわくわくどきどきの緊張感も後半は薄れてしまった。せっかく不思議な世界に足を踏み入れ、どんどん深みにはまったはずなのに徐々に締め付けは弱くなり最後は簡単に抜けてしまった気がしてならない。ちょっと残念。09-7-24

 

昨日の続き。ショックではあったけど経験済みなので慌てはしなかった。それでも結構大きな黒々とした蚊が数匹飛び交い、とても不快で目障りだ。ついに両目にきてしまった。これは飛蚊症と言い、黒い線が網膜に飛び回る目の症状。とにかく慣れることが唯一の治療法。これも体験済みなので時間の問題と受け止めている。あって当り前に慣れると黒は次第に薄れていき意識の外に遠のいていく。09-7-23

 

決していいことばかりではない。それはすでに1週間前のショックな出来事。その前夜にかすかな前兆はあった。ある一瞬、目の前で小さく白くチカチカ光ったのだ。何となく嫌な予感は湧いてきたがあえてそれを強く意識はしなかった。翌朝、新聞を読もうとしたとき再びそれはやってきた。これはまちがいなく2002年の秋に見た光と一緒だと確信した。そして、まもなく《蚊が飛び始めた》。09-7-22

 

136と72。最近はだいたいこの辺りに落着いている。最初の数字が最高血圧で後のが最低血圧。これは今日の午後計ったもので最新のデータ。隔週仕事で出かける施設の1階には血圧計が置いてあるのでときどきそこで計るようにしている。2年程前違う場所で久し振りに計ったとき150台と90台だったことに驚き、塩分控えめの食事改善に励んだおかげだと思う。もちろん散歩のおかげも。09-7-21

 

冷たい雨の降るなかようやく辿り着いた学校祭の校内は若い熱気で溢れかえっていた。個展のとき熱心に作品を観て話を聞いてくれた女子高生から「学校祭を見てほしい」と言われてたので行ってみた。そこは中学から短大まで続く女子の学校で、至る所で元気な弾んだ声が飛び交っている。階段を上り5階の美術部の部屋に着いたときには汗が出ていた。それでも、素直な発表に触れて元気を戻す。09-7-20

 

朝から冷たい雨が降り注ぎ、7月下旬に入ったとは思えない肌寒さだった。そこで昼御飯に選んだのは熱い味噌ラーメン。もり蕎麦でなく冷麦でなく冷やしラーメンでもなく熱い味噌ラーメン。それなのに汗もかかずに食べ終えた。いつもなら食べてる最中から体が熱くなり汗をふきふきのはずなのに。この夏、冷麦や冷やしラーメンを食べたくなるときがやって来るのかと心配になるほどの肌寒さ。09-7-19

 

いいタイミング。2週間ほど前のこと、本屋で待ち合わせの間立ち読みしてみたのが村上春樹の『1Q 84』。5ページ辺りで待ち人が来て中断したがすでに入っていた。買う気はないので本棚に戻す。友は「もう少しすれば安く買えるよ」と言う。先は気になるがそれもそうだと納得。ところが先日、「返してもらった『1Q 84』があるんですけど読みませんか』と声がかかったのだ。渡りに舟。09-7-18

 

昨日の続き。今日も左手に箸を持って食べてみた。昨日つかんだコツのおかげでかなり楽に食べ物を挟めるようになった。せっかく慣れてきそうなのでもう少し頑張ってみようと思う。これからも右手はときには酷使しなければならないわけだから、その負担を減らすためにも左手を活用していきたい。ある人に話すと「それはまちがいなく腱鞘炎だよ」って断言されてしまったからなおさらのこと。09-7-17

 

右手を休める気持で左手に箸を持ってみる。箸が持てないほど痛いわけではなく、ちょっと試すつもりでやってみた。箸を持つことは大して難しくないけれど開いたり閉じたりするのが結構難しい。うまくいってたはずなのに箸がかってに開いて挟んでた食べ物を滑らしたりもする。そのうちに挟もうと頑張るからいけないんだと気づいた。箸先が付いているのを基本として離して挟むとうまくいく。09-7-16

 

個展の疲れもほとんど取れたと喜んでいたのにおとといあたりから右腕の筋肉が痛くなり始めた。去年の個展後も痛くなったところだけどカット作業の影響にしては出てくるのが随分遅い。最近はそれほど酷使をしてないはずなのにどうしてなのだろう。ちょっと頑張ったといえば草取りくらい。ズキズキするので去年買って残っていたサロンパスを貼ってみる。気持いい。何だか効き目がありそう。09-7-15

 

『さっぽろ雪まつり』は大事なブランドのはずなのに、いつから『SAPPORO SNOW FESTIVAI』になったのだろう。そればかりが全面に出ていて、まるで外国人を対象にしたポスターのように見える。そっちにばかり目を向けてると市民や国内からの観客はどんどん遠ざかるに違いない。少なくとも年配者を相手にしてないのは明らか。《誰のために何をどう伝えるのか》の大事な点を忘れている。09-7-14

 

『さっぽろ雪まつり』のポスターに盗用疑惑との写真を見て驚いた。疑惑どころか『そこまでやるか』というほど紛れもない盗作。専門家が作ったとは思えない何の創意工夫もない仕上りになっている。これが、かつては(今もかな)広告業界の天下の電通 の制作だから驚きは倍増する。こんなレベルになってるとは知らなかった。『雪まつり』の文字が右下に小さくあるだけなのも気になるところ。09-7-13

 

友とJRの[一日散歩きっぷ]を使って浦河往復。決められたエリアの鈍行列車乗り放題で2,200円という安さが魅力の切符。札幌駅を8:28分に出発して戻ってきたのは22:01分。往復の時間はたっぷりかかるけど途中下車ありののんびり旅になった。浦河では中学、高校跡地を回り、級友を尋ね、街並は変わったけど懐かしい店名を見つけては昔を思い出しながらの楽しい一日散歩に。09-7-12

 

午前中は気になっていた自宅横の草取りをして、午後はアトリエでの草取りと思って出掛けたのだが大工仕事をするはめに。車で運んできた素材の丸太をアトリエに入れてたとき床がグ二ュッと沈み込んだ。幸い、完全に落ちることなく済んでほっとした。このままではいけないので床板をはずしてみると土台が浮いている。そこで、草取りから急きょ大工仕事に。土台を取り替え補強もして一安心。09-7-11

 

2ヶ月半振りの床屋。だいたい2ヶ月に一度で行ってた床屋が個展に重なったため半月ほど延びてしまった。どうしても行かねばというほどでもないけど、このままだと昔のように3ヶ月に一度のサイクルに戻ってしまいそうなので行ってきた。カットしてもらうとやっぱり気持いい。「2ヶ月半分のカットで」とお願いしたら「それじぁ、2ヶ月分で」と言う。少なめに切りたいのも商売のうち。09-7-10

 

夏の日差しがやってきた。3、4年前からできるだけ直射日光を避けるようにしている。そうなると、木陰や建物の陰を選んで歩くようになり、信号待ちのときにもちょっと離れた日陰で待つようになった。昔は日焼けに精を出してたのに変われば変わるもの。日傘を持つ女性の気持がようやくわかるようになった。若い頃は太陽を避けるなんて軟弱ものと見ていたはずなのに今はすっかりその立場に。09-7-9

 

7月1日からゴミの有料化が始まり、以前より分別の種類も増えた。新たに加わったののは雑紙と枝・葉・草でビン・缶 ・ペットボトルと容器包装プラスチックは違う日に出すことになった。新方式は慣れるまで多少時間がかかるにしても大して難しいわけでもなく資源を有効利用する意味でもいいことだと思う。雑紙は結構あるので分類してくれたのは嬉しい。先を考えたら有料化もしかたがない。09-7-8

 

個展後はゆったりのんびりしてたので疲れもかなり取れたと思ってたけどまだまだとわかったのは昨日の夜のこと。のんびりできるのは今日までと考えて昼もトータルで5時間以上も寝ていた。だから、夜眠られなかったらこまるなと心配していたのにあっという間に眠りに入った。そして、朝まで熟睡。たっぷり寝たつもりでもまだ寝足りないということは疲れが残っている証拠。今日も早く寝よう。09-7-7

 

『伝える大切さ、伝わる喜び』。昨年の個展あたりからこの思いを強くしてきたが、今回もそれをしっかり頭に入れて多くの人に話をした。こうだと思っていた現象や物事にも違った顔があり見る角度や位 置によってまったく異なる認識をする場合もあるということと、そこに光が加わり関わることによって目の前の世界が一変する驚きと感動を伝えたかった。そこには未知の自分自身も含まれている。09-7-6

 

吐き出すより飲み込むほうがずっと力がいる。個展の終った次の日、かなり飲んだあと地下鉄を降りて心地よい酔いのなかを歩いて帰る途中に何度かつぶやいたり『はぁ〜』っと息を吐き出していた。家に辿り着いてから台所で水を飲もうとしてたのに飲み込むのでなくうがいになってしまった。吐き出すのは楽だけど飲み込むときは意識的に力を入れないとできないんだと知らされた。水でさえ・・。09-7-5

 

今回の個展ではインスタレーションでなく小品をたくさん並べたので近年にはない展示風景になり、自分だけでなく来場者にもその変化を喜んでもらえた気がする。正しく伝わってほしいとの願いからそれぞれの作品についての制作意図や見方などを真剣に説明したため、より深く観てもらえたと思う。『話を聞けなければ楽しめなかったかもしれない』と多く人達に言われたのでそうしてよかった。09-7-4

 

個展を撮影した24枚撮りフィルム6本を写真屋に出し現像とプリントをしてもらったら9,260円もかかってしまった。今回は目線の変化によって作品の見え方が違ってくるものが多数あり、その分枚数も増えることになった。それだけ失敗も多いわけでもったいない気持になる。でも、撮るときは抑え切れないからしかたがない。こんなとき『デジカメだったらなぁ』との思いが強くなってくる。09-7-3

 

個展が終了。夕方6時から搬出作業を始めて7時半には片付け終り1階の荷さばき場へ運ぶが来ているはずの赤帽がいない。どうしてかと電話をすると明らかなミスで手配をしてなかったという。丁重に謝って、すぐに向うと言われたが昨年も同じように待たされていたので「とにかく早く来て下さい」と強い口調でお願いした。15分後には来てくれたので最後に疲れの倍増にならずにホッとする。09-7-2

 

いよいよ7月に入り、個展もあと1日を残すだけになった。いつものことだけど終ってしまう寂しさとようやく解放される喜びが半々といったところ。ずっと緊張感を持続しているからそれほど疲れた自覚はないけれど個展以前からの忙しさを考えたらかなりたまっているはず。それも明日で終る。制作を意識的に開始したのが正月だから、そこから考えると7ヶ月ぶりになる。それでも寂しさはある。09-7-1

 



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NAKAHASHI OSAMU

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