ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

『10ミニッツ-オールダー』という映画を見た。10分間という決められた時間で7人の監督が「人生の瞬間」を表現。ストーリー性のない作品をイメージしてたがそうではなかった。作品の好き嫌いはあってもすべてに共通 してるのは10分とは思えないこと。巨匠と言われる監督達の技はさすが。60秒が10個のなかで何をどう伝えるか。映画は時間も操ってることをあらためて感じた。04-2-29

 

話しには聞いてたが一度も入ったことのない噂の駐車場に向かった。駐車券を取って地下に潜る。駐車場は普通 。目指す場所はこの上にある。エレベーターで昇り地下1階で降りるとそこには驚きの光景が広がっていた。立派な円柱が連なる豪華で広い空間なのに誰もいない。不思議というより無気味な感じさえする。地下通 路だというが税金の無駄遣いのサンプルのよう。暇なら一見の価値あり。04-2-28

 

今、制作中の作品でもうひとつ神経を集中させるのはヤスリをかけるとき。寸分の狂いなく合わせようとするにはほんの少し長めのところからヤスリで削っていく。ちょっと削っては試してみてちょっとこすっては合わせてみてとそれをしつこく繰り返す。それはもう慎重過ぎるくらいでちょうどいい。たとえほんのわずかでもこすり過ぎたらもう元には戻れない。余計なこすりで何度泣いたことか。04-2-27

 

かなり神経を集中させる細かい箇所を制作をするときは力の抜き方が重要。これがけっこうむずかしい。適度な力を加えないと押さえることも進めることもできないしだからといって少しでも強すぎると横にぶれてしまう。ほとんど凹凸 のない2枚合わせのエンビ板(2枚で1ミリ)の真ん中に 注射器のような器具で液体接着剤を流し込むとき集中と緊張は最高に高まる。こんなことも好きのうち。04-2-26

 

「ひとこと」をHPに転送できなかった理由とは。HPを作るソフトを入れたフォルダの名称が変わってしまったため。その原因は積んであった本がくずれてキーボードにぶつかりキーを押したから。そのときはそんな結果 を招くとは想像してないから気にもとめてなかった。冷静になってみればどんな小さな違いだって許さないのがパソコンだから当然の反応だったわけだ。とにかく軽傷で助かった。04-2-25

 

おとといの夜、「ひとこと」をHPに送くろうとしたがうまくつながってくれない。いつものようにまた「何で、どうして?」の世界に引きずり込まれた。その晩はあきらめ最低1日へたしたら3日はかかるかもと覚悟しながら寝た。翌朝、ソフト会社に電話サポートしてもらう前にいくつかチェックしてるうち(およそ2時間後)に回復。同時に原因も判明。おかげで昼食の時間を奪われずに済んだ。04-2-24

 

『すいませんで済んだら警察はいらない』というのがある。道警報償費にからんだ元署長がお金だけ返せば許されると考えたらしいが罪を認めないところは開き直りにも近い。「金さえ返せばいいんだろ」と。あとから金を払えばいいとしたら万引きも無銭飲食も泥棒も捕まえることはできない。元署長らは警察の役割を否定してるようなもの。そんな認識でいるわけだから重傷と言わざるをえない。04-2-23

 

もともと高かったエンゲル係数がさらに高まり始めた。これは経済事情というより意識改革のせい。食事を中心に考えるようになったら食べることの大切さに目覚め、価格で迷うのを止めることにした。とは言ってもトマトやきゅうりやほうれん草なんかの小額レベル。万一体を悪くして薬代に金をかけるくらいなら食べたいものを食べたほうがいい。最近、レバーの唐揚とらっきょうに手が伸びた。04-2-22

 

昨日、今日と2日間まったく外出しなかった。具合が悪かったわけでなく制作に没頭したため。もう少しもう少しと進めてるうち食事の時間になってしまう。食事は絶対だからその時間が来たら中断するしかない。このリズムのおかげで仕事がスムーズにできるんだから守らなくては。食事が済んだらのんびりする間もなく早く続きをしてくれと叫んでる。明日は散歩をかねて買い物に行かなくては。04-2-21

 

2月も残すところ1週間あまり。今年はうるう年だから29日もある。たった1日多いだけでも得した気分。ところで29日生まれの人は誕生日をどうするんだったかな。聞いたことがあるはずだけど忘れてしまった。とえりあえず28日か3月1日にしておかないと誕生日のお祝いも毎年できないし、誕生日を境に法律的に変わることもあるからちゃんと決まってるはず。同じ月にするなら28か。04-2-20

 

昨日の続き。『それはおかしい』と思ったのは店員に通常の入荷はしたけど注文の分はまだ届いてないと言われたから。もちろんまったく同じ品物。『こりゃ駄 目だ』ってことでより責任のある人を呼んでもらったわけ。『店長を出せ』とまでは言わなかったけどより上の立場の人のほうが話が正しく伝わるからそうしたほうがいい。下で止まっては言った意味もなくなる。おかげで話は早かった。04-2-19

 

予約した材料が入ったという電話はまだないが他に欲しい物があるのでその店に行ってみて驚いた。在庫切れだったので予約注文してたその品物が棚に並んでるではないか。それは当然黙ってる訳にはいかない。近くにいた店員に事情を説明しできるだけ上のポストの人を呼んでくれるようお願いした。これは単純なミスでなくシステムの問題。急いでるからこそ注文したというのに連絡がないとは。04-2-18

 

『女子十二楽坊』。去年から話題になってるのは知ってたが新聞の記事がきっかけになりようやくレンタル店からCDを借りてきた。現代的なリズムでノリのいいメロディ、馴染みやすいのは日本のヒット曲も入ってるせいもあるだろう。でも中国の楽器の響きが新鮮でいい。『女子十二楽坊』というグループ名も不思議で気になっていたからネーミングもうまかった。純粋な印象と懐かしい気分。04-2-17

 

『自分』の中身に大切なものはいくつかある。そこで基本になるのが『気持ち』。『気持ち』が喜怒哀楽のどこにあるか、揺れているか、不安か、落ち着いてるかでそのときの自分の居場所が決まってしまう。急に不安になって体が鉛のように重くなったり、一気に不安が解消 して蝶のように軽くなったりと気持ちの有り様で体までもが驚くほど変わるもの。そこに『誰か』と『何か』が影響してる。04-2-16

 

『自分のために生きる』『誰かのため』『何かのため』どれも少し違う。生きるために自分がそして誰かが何かが必要になる。そう、これだ。生物として生命ある限り『生きる』は大前提。ここは考える余地なし。次に動物として『食』が来る。これは絶対条件。そして精神を持ってしまった人間が人間として生きる支えとして『自分』が必要になった。『自分』には『誰か』も『何か』も含まれる。04-2-15

 

鳥肌が立つ思いで『ボレロ』に酔う。『ボレロ』はこれで2回目だがすっかりとりこになってる。とにかく最初から最後まで全部いい。今日の指揮は井上道義、演奏は力強く自身の演出も巧み。太鼓のほんの小さな響きからすでに緊張は始まる。そして音の渦に引き込み溺れさせてしまう。1回目は尾高忠明の指揮でより繊細だった気がする。指揮者による違いがほんの少しわかってきたのが嬉しい。04-2-14

 

父は魚釣りが大好きで魚のいる所なら海、川、湖、渓流どこへでも出かけた。家族はその釣果 を首を長くして待っていた。うまかったのはカレイの刺身、チカのテンプラ、鰻の蒲焼きなどあるが最高はヤマメのフライ。父は帰るとすぐ魚をさばき素早くフライにしてくれた。7人家族全員がごちそうにありつける日。父にとって喜んで食べる子供達の姿を見るのも釣りの楽しみの内だったに違いない。04-2-13

 

最後の食事だから自由に選んでいいと言われたら何を求めるか。追い詰められてないからかなかなか浮かんでこない。それとも追い詰められたとしても同じだろうか。ほとんどがおいしいと思うから是非あれをと限定するのはむずかしい。食事制限されてるわけでないからこれだけはもう一度食べたかったというのもない。最後はきっと子供時代に帰る。そこで御飯と味噌汁とヤマメのフライに決定。04-2-12

 

テレビのニュースで吉野屋の牛丼が今日で最後だと流れてる。まるで最後の晩餐かのような騒ぎかた。あきれてチャンネルを変えても同じでまるで吉野屋の広報みたいになってる。食べたい人が食べに行くのはわかるがそれを追っかける報道の考えがわからない。コメントだけで充分な内容。弁当もおにぎりもパンもうどんもラーメンもそばも豚丼も親子丼もカレーライスも自由に選べるというのに。04-2-11

 

少しでも運動不足を解消するため街への仕事や用事で行くときはできるだけ地下鉄を使うようにした。そうすると目的の場所への往復だけでなくちょこちょこ足を延ばす機会も多くなった。車のときよりフットワークが軽くなり動きもより自由になる。駐車場に戻らなくてもいいというのが大きい。どこからでも帰れる。先日は車で行ったことを忘れてあやうく地下鉄に乗ってしまうところだった。04-2-10

 

一ヶ月振りの実家。かなりの積雪を覚悟してたのに予想した半分位でいっぺんに気が楽になった。外は余裕でも家の中で予期せぬ 事態が発生していた。水道の元栓を開けるとすべての蛇口から水が勢いよく吹き出る。ひと安心もつかの間。急いで水を止めて回ると最後の風呂では水しぶきが・・・。風呂の水道管に亀裂が入ってる。業者に聞くまで管の先にも水落としの栓があるとは知らなかった。04-2-9

 

昨日の「おむとん」は札幌駅構内にある店の看板メニュー。最初、弁当を買って列車で食べようとしたがそそるものが見つからなくてぶらぶらしてるうちにその店を見つけた。まず「おむとん」が目に入りこれは何だと看板に引き寄せられた。まんまと売り手の戦略にはまったわけだ。はまったのは正解。おにぎり2個に豚汁で430円は嬉しい。「おむとん」の印象が強くて店の名前は覚えてない。04-2-8

 

「おむとんセットひとつください」ほんの少し照れくささを感じながら注文した。実はこれ、おむすびと豚汁のセットのこと。「おむすびはこの中からお好きなのを2個選んでください」ハンバーガー店のように声が高過ぎずいかにもマニュアルって感じでもなくほっとした。6種類くらいあって迷った末鮭とたらこを選んだ。「おむとん」の組み合わせは最高にいい。こんな店が増えて欲しいもの。04-2-7

 

『無いものをあると言い、あるものを無いと言う』至る所で嘘つき合戦。わかっててつく嘘、こまってつく嘘、苦し紛れにつく嘘、わからなくてつく嘘 、弾みでつく嘘、だますつもりでつく嘘、ちょっとした嘘。嘘にもいろいろあるけれどどれもこれもばれて初めて嘘になる。すぐわかる嘘は別 にしてわからぬままの嘘は嘘でなくなってしまう。だまされても笑って許せるかわいい嘘ならいいんだけど。04-2-6

 

『春菊から水菜へ』新聞の見出しが目に止まり読んでみると、最近鍋物などに入れる定番だった春菊が水菜にその座を奪われ始めてるらしい。「水菜は苦味がなく春菊に比べ香りが少ないため」人気があるという。こうして味までも平均化され違いが乏しくなっていくわけだ。なんとも寂しい限り。04-2-5

 

朝は『純友』そして夕方は『アキラとヤスさん』が気になる。とくに最近はアキラとヤスさんの関係が心配でしようがない。自分も陰で見守ってる登場人物のひとりになったようでアキラとヤスさんはもちろん他の人達もしっかりイメージできる。それだけにすごく現実的。それに対して純友は時代を遡ってるので具体的にイメージするのが難しい。その分謎めいた興味をそそられる。朝夕の楽しみ。04-2-4

 

2月に入りすでに今日は3日。子供の頃、我が家でも豆まきをしたがまいたのは大豆だったか落花生だったか定かでない。あとで食べた気がするので落花生かな。多分そうだろう。あいまいな話しは置いといて、これから寒い日や大雪の日があったとしてもこの冬もあと1ヶ月の辛抱。あと数回雪かきを頑張れば終わってしまうわけで残りは3分の1という感じ。節分のあとに待ってるのは桃の節句。04-2-3

 

『あの庭仕事を半分にして母の話しを聞く時間にしてたほうがよかったかもしれない』とふと思った。きっかけは母の死を知らせた後に届いた手紙に書かれてた母にまつわる思い出話し。それらはほとんど聞いたことのない内容で埋められていた。母にしてみれば話し足りない思い出がたくさんあったはず。そうは言ってみてもお互いもう少し時間があると思ってたのも事実。しかたのないことか。04-2-2

 

制作するときかなり細かい仕事もするのでしょっちゅう眼鏡をはずしたりかけたりしてめんどうな思いをしていた。はずした眼鏡を探したり置き場所にこまって口でくわえることもあった。そこではずした眼鏡を首にぶらさげるひもを買ってみたらこれが予想以上に便利。これで探す手間も省けるし踏む心配もなくなった。買ったばかりなのにすでに制作時にはかかせない大事な道具(?)の仲間入り。04-2-1

 



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NAKAHASHI OSAMU

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