ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

 

海と川のどっちが好きと問われれば、まちがいなく川。山と同様にこれも小学時代を過ごした環境のせい。家の裏には幅10m程の川があって春夏秋冬いつも遊びの場だった。ミミズや芋虫を餌にしての魚釣り、網を使った魚すくい、流木を集めての筏作りや石を積んでの橋やダム遊びなどあり泳ぎを覚えたのもこの川で冬にはスケートもした。洪水の恐怖にも遭ったが、川は懐かしく心が落ち着く。17-1-31

 

山の向こうへの憧れ。子供のころ、まだ見ぬものへの関心や期待を強く持っていた。特に山の向こう側は山を超えなければ決して見えない世界なのでなおさら興味をそそられた。平坦な場所や海沿いならその先を見ることもできる。そんなわけで、何度もひとりで山越えをした思い出がある。寂しいとか怖いとかはまったく感じず気軽に山に向った。山に囲まれた田舎に生活していたからできた探検。17-1-30

 

自分の高校入試のときの倍率は正確には思い出せないが1,1かせいぜい1,3位 だった気がする。まだクラスの半分かそれ以下の人しか受験しなかったしできなかった時代でもあった。今はどのくらいの割合で進学しているのだろう。すでに90%を越えているのだろうか。もし、そうだとしたら進学校や独特な科を持つ高校でない限り、すでにほとんど競争のない時代に入っているのかもしれない。17-1-29

 

道内公立高校の出願状況によると平均倍率が0,99倍になったという。初の1倍割れで郡部の低迷が顕著らしい。ここでも人口の偏りがはっきり現れている。望めば必ず入れるのはいいようでこまる部分もある。希望を叶えられる安心感はあるが、入るための努力が損なわれ学力の低下を招く恐れもあるだろう。一定の基準を設けるにしても難しい問題も出てくる。都市と郡部の差は更に拡大しそうだ。17-1-28

 

3ヵ月に一度の歯のクリーニング。前にも同じことを書いてたけど、あっという間の感じがする。する前には『今度からは4ヵ月ごとにしようかな』なんて思ったりもするが、いざやってもらうと『やっぱり3ヶ月毎でいいな』と思う。歯は大事にしてできるだけ長いつきあいにするためにはケアは大切。それなのに、予約をしようとすると係の人は次は5月だという。勘違いだろうが受け入れるか。17-1-27

 

最近、おもしろい例え話を耳にした。船が沈没しそうになったときに海に飛び込んでもらうために声を掛ける有効な言葉は、アメリカ人には『飛び込めば英雄』、イタリア人には『飛び込むと女にもてる』、イギリス人には『飛び込めば紳士です』、そして日本人には『みんな飛び込んでますよ』というもの。それぞれの国の特徴をうまく言い表わしていておもしろい。他の国ならどうなるのだろう。17-1-26

 

更に続く。ついに稀勢の里が横綱に昇進して19年振りに日本人横綱が誕生した。大きな事件や事故などもそうだが、最初にそんなに年数が経っているのかと驚かされた。長年モンゴル出身力士に独占され慣らされてきたわけだ。国技というからにはせめてひとりでもいてほしいとの願いを多くの人がずっと持ち続けていただろう。もちろん、自分もその内のひとり。3月場所も再び盛り上がりそう。17-1-25

 

続く。もうひとつの優勝は対照的なものだった。それは大相撲の稀勢の里の30歳6ヵ月での初優勝。自ら『早熟で晩生』と語るように出世は早かったのに途中からの道のりは長く入門から15年を要しているのだ。最年長優勝ではないが平野の年齢に近い年数になっている。若くしてして頂点に立つ人と長年の努力の積み重ねで到達する人をほぼ同時に見られた。どちらもこれからの活躍が楽しみ。17-1-24

 

平野美宇が快挙を達成。全日本卓球選手権で3連覇中の石川佳純を破り、16歳9ヵ月の最年少優勝を見事に勝ち取った。生中継で観たが、各種の世界大会でも大活躍している石川を相手にスピードも戦術も明らかに平野の方が勝っていた。とにかく、高校1年生で日本一になるのだから『すごい」としか言いようがない。同年代には伊藤美誠も早田ひなも他にもいるのだから黄金世代になりそうだ。17-1-23

 

食事会や飲み会に限らず、ある程度予測のできる会費にもかかわらず1万円札しか持って来ない人がいるけど、支払いのときのことは頭にないのだろうか。小銭までとは言わないが千円札を何枚か用意しておけばスムーズに精算できると思うのだが、そこまで考えていないようだ。事前に支払う金額がはっきりしている場合でも用意しておかない人もいる。おおらかなようだが親切でないとも言える。17-1-22

 

2016年の『ひとこと』をプリントしてファイルにまとめた。2000年から始めた『ひとこと』は途切れ途切れだったのが2002年から毎日欠かさず書くようになり、最初のころはとりあえず10年を目標に頑張った。その10年を達成した後、今度は15年を目指すことに。そして、昨年の分でついにそこまで辿り着いたのだ。ここまで来たらあと5年努力して何とか20年分まで続けたい。17-1-21

 

『ひとこと』を書くのは、今どんなことを思いどんな風に感じているかを知るだけでなく、幼い頃から現在に至るまでの長い年月の節々を振返る機会にもなる。何となく思い出すのと、それを文章にするのでは頭の使い方が違う。より鮮明に思い出す努力をしなければ具体的には書けない。それにしても記憶というのは不思議なもので、覚えているものと忘れてしまうものの差はどこにあるのだろう。17-1-20

 

続き。大黒座で観た映画は他にも『白蛇伝』『忠臣蔵』『ラドン』『モスラ』などを思い出す。中高生になるとセントラルへ行く機会が多くなり、『禁じられた遊び』『史上最大の作戦』『サウンド オブ ミュージック』などが懐かしい。そして、中学生のときに観たナチスの戦犯を扱った『ニュールンベルグの裁判』も忘れられない。映画館は架空と未知の世界へと誘ってくれる貴重な場だった。17-1-19

 

大黒座。ときどきこの名前を新聞やテレビで目にし耳にすると懐かしさが込み上げてくる。実は、故郷の浦河にある映画館で子供の頃に行っていた映画館が今もなお営業しているというのが奇蹟に近い。当時、浦河にはふたつの映画館があって大黒座が邦画でセントラルが洋画だった。小学生の頃はお正月に家族一緒に出掛けて『二等兵物語』や『社長漫遊記』を観たものだ。他にもいろいろあった。17-1-18

 

寒い夜も毛布に助けられる。寝床の寒さ対策に敷布の代わりに毛布を敷いているがこれが大正解。多分、これをやり始めた何年か前に『ひとこと』に書いていると思うがまた触れたい。このおかげで湯たんぽいらずになって手間が省けたし低温火傷の心配もなくなった。布団の中が暖まるまでせいぜい3分の辛抱で済むから有り難い。掛ける毛布は冬用の厚手の大きなもので寝返りを打っても大丈夫。17-1-17

 

寒い日のシャワーは湯気のなか。シャワーを浴びるとき、そのときの気温によって湯気の立ちこめ方が随分違う。ついこの前までの極寒のときはまさに包み込まれている感じだった。それが出るときまで続くのだからすごい寒さの証明。半年程前のテレビでくるぶし辺りまで湯を溜めるシャワー室を見て、これはいいアイデアだと思い排水口を塞いで入るようになっている。これこそお湯の有効活用。17-1-16 

 

イスラエルに限らずアメリカもロシアも中国も北朝鮮もその他の国も、そして日本も武力による政治を目指している。一旦そちらに舵を切るとなかなか戻れなくなる。戦いを前提にするとどうしても更に強大なものを求めてしまうもの。教育と福祉の予算を削ってまで戦闘機や軍艦に費やし続けると将来を担う子供や若者の健全な成長が危うくなり、外部からの脅威よりも内部崩壊が心配でならない。17-1-15

 

去年の忘年会のとき、友に言われた言葉が的を射ていて説得力があった。それは「中橋は今までの生き方に満足してないかもしれないけど納得している」「だから、愚痴ることがない」というもの。この友とは中学時代に2年間同級生として過ごしていてお互いの若いときも知っているからなおさら心に響いた。たしかに追い求めたものとは異なる生き方だったが、自分なりに精一杯だったのも事実。17-1-14

 

イスラエルは入植という言葉でごまかしているが、これは明らかな侵略。不条理を黙認したままでは条約や協定も意味をなさなくなる。他国の土地に勝手に家を建て、そこに住み着き既成事実を作って自分を正当化していく。世界は武力の力関係で成り立っていると訳知りに言ってしまえばそれまでだが、どうにも受け入れ難い。ならば、中国の南シナ海での無法占領も許されることになってしまう。17-1-13

 

昨日から膝の裏側が痒い。肌を守るためには入浴時に石鹸で念入りに洗ったり布で擦り過ぎないほうがいいとの情報を得て、4、5年程前から烏の行水のように軽く洗い流すだけにしてきたがそれだけではだめなようだ。、多分、加齢による乾燥肌だろうからどうしようもないのかもしれない。痒みを我慢するのも辛いが、とにかく、掻き過ぎて肌を傷つけないよう気を付けねば。冬の乾燥は要注意。17-1-12

 

今年一番の寒さがやってきた。朝は−8℃位だったが、かなり覚悟して外出したせいか思ったほどの寒さを感じなかった。無風と薄日が射していたためで、もしも風が吹いていたらほっぺたが痛くなっていたはず。朝方よりも昼からのほうが寒さが強まり、いつもは歩いていた帰路もバスにした。もちろん寒いのはつらいが大雪になるよりはずっとまし。大雪は家に着いたあとに大仕事が待っている。17-1-11

 

今年最初の運試しは吉。もう恒例になった絵画教室の部屋を借りるための半年ごとの抽選。引いた番号札順に部屋の予約をできるので小さな数字ほどいい。そして、今回は86人中の12番。でき過ぎなほどの嬉しい番号。箱の中から番号札を引くときには欲張らずに『大きな数字に当りませんように』と消極的な願いで臨む。狙いとしては40番台といったところ。とにかく肩の荷が降りて一安心。17-1-10

 

今日も突然の卓球の誘いが入る。メールが来ていたのは午前の11時半なのに確認したのが12時50分。『2時から体育館で卓球をできないだろうか』という内容。たまたまこの時間に携帯電話を見たからよかったけど、もし見ていなければせっかくの誘いを無視したようになるところだった。予定はなかったので喜んで『了解!』の返事を送る。メールの確認はもう少しまめにやらなくてはと反省。17-1-9

 

子供の頃、乾布摩擦のことを寒風摩擦だと思っていた。それの絵柄は冷たい外気の中、上半身裸になって布で背中を擦っているのだが布より寒気の方が印象深かったせいかもしれない。とにかく、冷たいところに身を置くと体が引き締まり強くなると信じた。今でもシャワーの直後にわざと暖房のない場所に行き、タオルで体を拭いている。年寄りの冷や水になってはいけないがこれが何とも気持いい。17-1-8

 

続く。多分、この学会の会員は生活に十分余裕があり健康にも恵まれている人達だと思う。だから、そこに含まれない多くの老人の存在を理解しないのだろう。悠々自適のなかでの活発な社会活動ならいいと思うが、必要に迫られての労働も同等に扱われては老人としての落ち着いた日々さえも奪われかねない。才能や技術や経験を活かせる現役ならまだしも、75歳まで絞り取られるのはひどすぎる。17-1-7

 

日本老年学会なるものが『75歳から高齢者』を提言。現在は65歳から高齢者としているのを75歳以上に引き上げるべきだと主張した。その年代は「心身の健康は保たれ、活発な社会活動が可能」と言うが何%の老人がそこに当てはまるのだろう。老人をおだてて年金の支給を遅らせようとする意図が見え見えだ。それにしても、いきなり10歳増はないだろう。そもそもこの老年学会とは何ぞや。17-1-6

 

新聞の『国内交通死3千人台』という見出しが目に入り読むと、2016年は3904人で1949年以来67年振りに3千人台になったとのこと。最も多かったのは70年の1万6765人。70年のは信じ難い人数だが、減少傾向とはいえ現在も一日に10人強の死者がいることに驚いた。確かに毎日のようにニュースに出てくるが、こうしてまとめた数字で表わされるとその多さに気付かされる。17-1-5

 

今年初めての卓球。きっと卓球相手もまだ正月気分が抜けていないだろうし、いつもの施設も開いていないかもしれないと思っていたら、夕方4時過ぎに誘いのメールが入ったのだ。施設も開いているという。その直前まで何となく体がだるく感じていたのがいっぺんに吹き飛ぶ。もちろん快諾して5時に家を出て、5時半から8時半まで休みなしで動き回りたっぷり汗をかく。やっぱり卓球は楽しい。17-1-4

 

明日からまた曜日の世界に戻る。そう、明日は4日でなく水曜日だ。幸い年末年始はそれらしく過ごせたが、その前の5日余りは曜日も日にちも関係のない悲惨な日々だった。ただ虚しく時が過ぎ去り、区切りさえも定かではない。しかし、この時期だったからよかったとも言えそうだ。自由な時間を奪われたのは悲しいが、もしも忙しいときならこれほど集中的に寝られなかったはず。よしとしよう。17-1-3

 

年賀状のほかに新年を実感するのはカレンダー。まっさらな1年カレンダーを見ると「始まるんだなー」と感じさせられる。まずは、すでに決まっている6月の個展と9月と10月の教室展の会期に赤線を引く。こうするだけでも、長く思えた1年が急に短く思えてくるから不思議。6月もそんなに遠いときとは思えない。そう考えると雪解けの3月はすぐにやってきそう。嬉しいようなこまるような。17-1-2

 

雪も風もない穏やかな元旦を迎える。雪かきの心配がないのが嬉しい。のんびりと年賀状の届くのを待つ。いつもより少し遅めの11時に到着。1年振りの音信の人も多く、無事を確認して安堵する。正直言って年賀状への迷いもあるけれど、親しい人やお世話になった人との年に一度の葉書のつながりはやっぱり貴重なものに思えてしまう。行き違いの年賀状を書き、遅くなったのを詫びながら投函。17-1-1

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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