ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

納豆と豆腐の値段。今ではその値段にすっかり慣れた。道産大豆にこだわって高い納豆と豆腐を買うようになって1年以上経った気がする。だいたい倍の価格だけどそれが妥当なものと思ってしまえば何の抵抗もなくなる。最近は外国産大豆の納豆や豆腐に目をやることもなくなった。前にも説明したけど健康のためではない。国の自給率を下げないために、食料生産者を守りたいためにそうしてる。06-11-30

 

乗る地下鉄駅は始発なのでいつも座れる。一番端に座るとすぐ隣に20前後の若者が多少服が触れる程度にきちんと座った。その座り方に好感を持った。つまり、その隣の席の一人分をちゃんと空けて座ったということ。この当たり前のことをできない人が以外と多い。若者はすぐにメールに夢中になったがバッグを横に置いて平気でいるおばさんよりずっと他の人にたいして優しい人だと思った。06-11-29

 

美術館で大学時代の同級生に出会って立ち話。「よ!久し振り」「元気そうじゃない」「うん、でも、ちょっと問題あるんだ」そこからいきなり病気の話題に突入。説明し終ったところで相手にふると、何年か前に手術をしたところがまたおかしくなってきてるという。少し前には「年寄りは病気の話しばかりなんだよな」なんて他人事のように言ってたのに今ではその仲間入り。こまったもんだ。06-11-28

 

アジア・ゲートウェイ戦略会議、新健康フロンティア戦略賢人会議、イノベーション25戦略会議、再チャレンジ推進会議、何だかカタカナばかりでわけのわからない物騒で偉そうな会議ばかりだけど安部首相が新設した官邸主導の有識者会議だという。言葉、言語はその国を形成する教育や文化の基本だというのに恥ずかしくて情けない。そのうえ戦略が好きなよう。「美しい国」の正体がこれ。06-11-27

 

耳の件ではいろいろ初めての体験をしたけど大事なことも知らされた。自分にとっての正常値を知っておくということ。それを知らないと異常があったときの努力目標が定められなくなる。今回の耳の回復率も問題のない左耳を基準にしてるわけでもともとの右耳の聞こえ具合がどうだったかはわからない。そこで今後のためにも今まで一度も行ってなかった『すこやか健診』を受けようと思ってる。06-11-26

 

耳の診察を受けた最初の頃「普段の生活で何か注意することありますか」と医者に聞くと「ヘッドホンで大音量 を聴いたりしない限りとくにないですけどストレスはためないようにしてください」と言われた。もちろん「わかりました。それなら大丈夫です」と即座に応えた。ストレスがいろいろな病気の原因になることは知っていたけど治療のうえでも重大な障害になるわけだ。これは心配ゼロ。06-11-25

 

おとといの札幌芸術の森美術館ではゆっくりのんびりたった一人で鑑賞できた。それもいい展覧会と感じさせた要素のひとつにあげられる。なぜそうなったかというと、開館と同時に1番に入ったから。幸い完全に観終るまで2番目の人に出会うことはなかった。監視のお姉さんやおばさんが隅々に座っているのはしかたがないとして、なんと贅沢な時間と空間の独占。これは朝早く行動したおかげ。06-11-24

 

久し振りに家での夕方を過ごす。点滴はほとんど4時から6時にかけて打ってたのでこの時間帯はいつも病院のベッドに横たわっていた。自分のことでこれほど長期間病院に通 ったのは初めてのことでホッとしてると同時に何かをし忘れているような物足りなさも感じる。落着いた気持で横になれたのは点滴のポタポタ落ちるリズムに誘われて緊張しながら眠りに入る心地よさかも。地下鉄もそう。06-11-23

 

10月31日から始まった点滴はようやく今日で終了。初めての点滴だったのに23日間連続して打ったことになる。おかげで両腕ともほんの少し腫れぼったくなってるけどすっかり点滴慣れしてしまった。毎日2時間でも期待を持っての点滴だったからつらくはなかった。完全に回復したわけではなくてもやるだけはやったというすっきりした気分。これからの薬の治療にもまだ希望は持っている。06-11-22

 

札幌芸術の森でいい展覧会に巡り合えた。広島市現代美術館コレクションによる『この20年の20のアート』という企画展。作品数は少なめだけど落着いた雰囲気でいい作品が並んでいた。先月、名古屋、大阪、神戸といろいろな美術館で観た企画展と比べてもベスト3に入る満足度だった。一昨年の倉敷、直島のとき広島市現代美術館の収蔵作品を知ってればきっとそこまで足を延ばしてた思う。06-11-21

 

おととい、タイヤ交換終了。これでいつ雪が降っても慌てずに済む。それにしても今年は暖かい。今日も正午で10℃もあった。12日の初雪いらい雪はまったく降ってない。歩きやすいし運転は楽だし雪かきをしないで済むはでいいことづくしだけど反対にこまってる人達もたくさんいる。それなりに寒くなりそれなりに雪が降ってくれれば一番いいのだがそれなりの設定がこれまたむずかしい。06-11-20

 

『あれ、名前が出てこない』女子フィギアの金メダリストが思い出せない。顔や演技の映像はしっかり浮かぶのにどうして。イナバウアーはすぐ出てきたし安藤も浅田も村主も中野も出てきたのに・・・。そのままはイヤなので『あ』から始めたら『し』でようやく解決。『静香だ』そこであっさり通 過した『荒川』も思い出す。危なかった。短い時間とはいえ気になる呪縛から解放されて一安心。06-11-19

 

札幌の街に紙吹雪が舞う。幸い本当の吹雪にならず薄日のさすなか駅前通りは日ハムの優勝パレードで大賑わい。沿道は人垣で埋め尽くされていた。現場に行くことも少し考えたけど確実にそして長い時間見ていられるテレビを選んだ。人の多さだけでなくなにしろ歓喜の度合いがすごい。これほどの盛り上がりはかつてなかった気がする。とにかく札幌が燃えた日として長く記憶に残るに違いない。06-11-18

 

気持と体。今回は耳の具合が悪くなったと同時に風邪もひいたから治療に専念しようと静養に心掛けた。そうして寝てるとき、自分の体なのに独立した違うものを励ましてような気分でとくに耳に「頑張れよ」と語り掛けていた。気持は自分のもので体は体として勝手に生きている存在といった感覚だろうか。元気のいいときには一体になってるのに具合が悪くなると体は自分から離れていくようだ。06-11-17

 

水槽の魚が1匹だけになってすでに1ヶ月半が過ぎた。相変わらず食欲旺盛で朝晩の餌を元気よく食べてくれるので安心してる。1匹になってしまったころ仲間がいなくて寂しくないだろうかと心配したけどそれは大丈夫のよう。一番気になってた旅行中の4日間の不在も留守用餌で無事乗り越えてくれたのが嬉しかった。今は、来年2月の1周年を迎えるまでは1匹でいてもらおうかと思ってる。06-11-16

 

10月31日から始まった点滴はすでに半月を超えた。特別なことがすっかり日課のひとつになってしまった。気分的にはわずかながらもいい方向に進んでる気がしても聴力検査に表れないということは願望がそんな気にさせるのだろうか。ここ1週間、ほとんど変化が見られなくて残念。70%は回復したわけでそれだけでも充分喜ぶべきことなのについついもう少しもう少しと欲が出てしまう。06-11-15

 

文科省の『やらせ』が表面化したタウンミーティングっていったい何なの?だいたいタウンミーティングなどと呼ぶことからしておかしい。新聞にはタウンミーティング(対話集会)と書いてあったけど何で対話集会って言わないわけ。わけのわからん曖昧な言葉を使う感覚からして真剣に考えてもらおうとする意図が見えてこない。まじめに考えたり討論する場でないんだからそれでいいわけか。06-11-14

 

教育の目的の基本には『自立』がある。自分の言葉で話し、自分の頭で考え、自分の責任において行動する。これらを積み重ねることによって自立された人格もつくられていく。『やらせ』はこれに完全に逆行するもの。こんな危険な考えのもとに教育を操作されてるかと思うと情けないというより恐ろしい。権力側の都合でもの言わぬ 言えぬ人間をつくってしまうと社会はさらに無責任に流れる。06-11-13

 

ずっと暖かい日が続いてきてたけど今日、初雪が降った。気温はたいして低くなくみぞれのような雪。それでも車のフロントガラスに残った雪を見るといよいよ冬の季節に入るんだという覚悟をさせられる。つぎの節目はタイヤ交換。去年の日記を調べてみると11月12日つまり今日になっていた。そして、雪かきをする日が本格的な冬の始まりになる。厚いカーテンとすき間テープの出番のとき。06-11-12

 

点滴、検査、診察はまだ継続中。点滴は血流をよくして細胞の活性化を促すためだという。昨日と今日は2時間づつかけてさらに精密な検査をした。これも初めてのことばかり。頭部や鼓膜の近くにに電極をはって音の反応を脳波で調べたり、目のまわりに電極をはり目の細かい動きをみたり、わざと耳のなかに水を入れてめまいが起こるかを検査したりと初めてだから緊張したけどわくわくもした。06-11-11

 

今度は文部科学省の『やらせ』。教育に携わる頂点がこの有り様だから文科省の上意下達になってる教育委員会、校長、教師が本来の『教育』を語れないし実践できないのは極めて当然。不思議でならないのはどこからも国の将来に対する理念が見えてこないこと。こんなに不正直と不正を実践していたら『美しい国』どころかさらに『醜い国』になっていくのはまちがいない。子供達がかわいそう。06-11-10

 

高校の履修不足問題の根は深い。目的のためには手段を選ばずという考えが根底にあり規則より抜け駆けを優先した。これは生徒に対する配慮というより学校側の策略。大学進学率を第一に考える高校の予備校化の表れ。教育とは『規律を知り、信頼し合い、共に生きるために学ぶこと』だと思う。先生、教育者と呼ばれる人間が率先して「ばれなければ規則は無視しても構わない」と教えたわけだ。06-11-9

 

手稲山、旅、突発生難聴と何日かに渡る「ひとこと」が続いてる。それらは日常的でない出来事で初めてことも多く書きたいことがどんどん出てきてしまう。おとといあたりからのどの具合が悪くなり痰が出始めた。これがこまったことに出しても出しても次々湧いてきてゆっくり寝てもいられない。昨晩もそうだったから風邪をひいてしまったようだ。耳の治療中なのに風邪をひいてしまうとは。06-11-8

 

聞こえなくなってすぐのころ、耳の具合が悪くなったと話したら親切心で肩と首を指圧してくてた人がいた。そして、その人が「うわ〜、随分こってるわ」と言う。僕は幸い首も肩もまったくこった体験がないのでそれを伝えると「感じてないだけなんだよ」と返してきた。60年近く何も感じないのにこってるわけ?ない人にはある人が、同じくある人にはない人が理解しづらいということだろう。06-11-7

 

3点セットで2時間の治療。高音部に少しいい変化。中音部の回復だけちょっと遅れてるので1週間の予定だった点滴をあと何度か続けるという。直ってくれるなら何の苦でもない。最初、医者から「あんまり期待しないでほしい」とまで言われたのに次の日には「すごい回復」と言われ、「びっくりした」となり「予想外」とまできたんだから最後は是非とも「信じられな〜い」を聞かせてほしい。06-11-6

 

今日も点滴と検査と診察。ようやく突発生難聴の原因と思われる『焼そば』の説明に入る。焼そばの生姜が鼻の奥に留まったのが始まり。青っ鼻と一緒に出てきたのは1日後。化膿したようで青っ鼻が止まらない。飛行機に乗る直前は高熱でぼーっとしてた。うどんを半分も残すほどのひどさ。その状態でもともと気圧の変化に弱い耳で飛行機に乗った。運悪く疲れと高熱と気圧が重なってしまった。06-11-5

 

昨日の検査ではほんの少しだけど回復してたのに今日はほとんど変化がなかった。今までのすごい勢いの回復が止まってしまって残念。すべていい方向に行くとは限らないわけで停滞するのもしかたがない。とにかく直そうとする気力は大事。点滴には随分慣れたけど失敗が多いのにはまいる。5日間で4回の打ち直しがあった。診察してもらう医者の希望はないけど点滴は上手な看護師を望みたい。06-11-4

 

2日のこと。やはり点滴をしながらの検査でさらにいい方向に変化してると知り嬉しくなる。つまった感じが徐々に減って耳鳴りに変わってきた。そのうち耳のつまりはなくなり『ゴ〜〜〜』から『じ〜〜〜』に変わってきてきしむ音や赤ちゃんの泣き声などが『ピ〜』とかすかに反応するようになった。薬と点滴の効果 がこれほど早く出るとは感激。点滴はあと4日やってみて様子とみるという。06-11-3

 

翌朝(1日)、変化は現れた。詰まってる感じが軟化してる。午後になるとかすかだが『ご〜』という耳鳴りも聞こえる。期待しながら点滴のため病院に向う。点滴しながら検査をして診察を受けると医者も驚くほどの回復の兆しがあるという。0から0,1でもすごく嬉しくなる。このまま順調に進むとは限らないので投薬と点滴の予定は正しく守るようにと釘を刺された。さらに頑張る意欲が湧く。06-11-2

 

続き。紹介された病院でのCTスキャンを含めたかなり詳しい検査の結果告げられた病名は『突発生難聴』それもかなり重傷だという。つまり、まったく聞こえてない状態。ここまできてると直る可能性は低いとまで言われた。大ショック。今後の治療方法を説明されさっそく初めての点滴を打つ。可能性がないわけではないので薬の力を借りながらの自然治癒力を信じるだけだ。あとは気力あるのみ。06-11-1

 



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NAKAHASHI OSAMU

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