ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

今年の秋、初めてストーブを焚く。無事点火した後なぜか灯油が流れないようで「ドッドッドッドッドッ」という合図を送って来た。タンクを確認したら空ではない。きっとホースに空気がたまってるのだと思って思いっきり振ってみるが警告音は鳴り止まない。一度、ストーブを止め再度チャレンジするが同じ。?。ちょっと悩んで考えた末、ようやく原因を思い付いた。『対震消火装置』だ。03-9-30

 

ドイツとの電話のあと日本南端の島に宿の予約の電話をした。ドイツよりもっと遠くに電話してる気分になるから不思議だ。1ヶ月前の予約だというのに最初に電話した宿はすでに満杯。勝手にまだまだ余裕だとのんびり構えていたのに急にあせり始めた。幸い次の宿で部屋を確保できたからいいようなものでせっかくの旅が流れるところ。それまでは島を目指す旅人を全国規模で考えてなかった。03-9-29

 

地震ほどではないけど突然の電話にびっくり。電話はいつも突然だけど相手はなんとドイツの友人からで地震のニュースを知って心配してかけてくれたもの。嬉しいのは当然だが久し振りの英語のそれも電話での会話にどきどき。必死に頑張って30分位 話しただろうか。気持はもちろんもっともっと話したかったけど頭のフル回転を持続させるのはそのへんが限界。電話は間が持たないからこまる。03-9-28

 

何人かで地震の話しをしてみるとそれぞれの印象が微妙に違ってた。狭い地域でも地盤やどんな建物に住んでるかで違うみたいだし受け止め方の違いも大きいようだ。たとえ同じ所にいたとしても感じ方は千差万別 、同じ尺度では測れない。飛び起きる人がいれば布団から出ない人もいるだろう。もっと極端なのは揺れに気づかず寝たままの人。こうなると地震はなかったわけで話しにもならない。03-9-27

 

今朝は突然の揺れで起こされた。それもかなりしつこい横揺れ。布団のなかでガラスの容器がかちかちとぶつかる音を聞きながら「落ちるなよ。落ちるなよ」と祈ってた。幸い棚から落ちたのは小さな箱ひとつで地震はおさまった。小学2年から高校卒業まで住んでたのは浦河。出身地を言ってもピンと来ない人に『地震の浦河』と言えばわかってもらえるほど地震の多い町。すっかり慣らされた。03-9-26

 

旅に出るととにかく動き回ってた。じっとしてるとまるで損するかのごとく。そういえば子供の頃からそうだった。一人でも歩き続けるのが好きで途中でのんびりするよりとにかく前に進むことばかりに夢中になっていた。同じ道を戻るのがイヤだからぐるっと遠回りをしてしまう。かなり遅くなってから家に帰り親に怒られたことは何度もある。ようやくのんびりと寄り道のできる旅ができそうだ。03-9-25

 

『もったいない』が今回の旅のキーワード。久し振りの旅の計画を立案。どこに何泊するかでその旅の目的が決まる。悩んだ末にかなり思いきって決めた結論。動かない贅沢を少し味わうことにした。貧乏性の僕には大変な決断。ホテルから一歩も出ることなくゆったり過ごせる人から比べると足許にも及ばないが南の端の小島に5泊の内の3泊をあてた。忙しく動き回るのが『もったいない』から。03-9-24

 

大接近以来、意識して火星を見るようになった。あのときの赤い輝きはまさに感動的な出会い。それまでもずっとあったのにまるで初めて眺めたような気持にさせられた。あれが南の空に輝いてるのを知って正しい南の方角を知る機会にもなった。夜帰宅したときふと見上げ、力強い輝きにほっとする。もちろん実家でも確認。それまでは月だけだったけど追い掛ける相手がもうひとつ増えて嬉しい。03-923

 

主のいなくなった実家への往復で『運』『不運』は紙一重を実感する。まずは行き、いつもは右レーンを勢いよく走ってたのにコンビニに寄りたくて左側をゆっくり走行。右側を抜いて行った車がネズミ捕りに捕まった。危なかった。そして帰り、場所は違うが道路の中央に鹿の死体を発見。どうやら反対車線の車にぶつかったようだ。一瞬悪夢が蘇った。激突した人の驚きと嘆きが伝わってくる。03-9-22

 

手にあたる風が冷たく感じるようになりいよいよ半袖の季節が終ろうとしている。目が良くなったのかと錯覚するほど遠くの風景も随分すっきり見える。寝るときも寝具が一枚増えた。緑が次第に色あせ黄色や赤が出始める。じりじりする暑さを体験することなく秋を迎える寂しさ。秋そのものはいい季節なんだけどどうしてもその先の冬がちらついてしまう。でももうすぐ大好きな柿が店頭に並ぶ。03-9-21

 

石造り倉庫での音楽ライブを聴いた。トランペット、ギター、マリンバ、テルミン(手と指の動きで演奏する電子楽器)、エレクトローン、名前は忘れたがエジプトの民俗楽器、バイオリン、そして二胡も登場。初めて聴く楽器もあり新鮮で楽しかった。電子音楽とニ胡の組み合わせも不思議でおもしろい。期待してたアドリブ演奏が少なかったのでその点はちょっとがっかり。次回に期待しよう。03-9-20

 

『食べ物』の思い出で一番古いもの、もっとも幼いときのは何かを考えてみた。それは『キノコ』だ。小学校に上がる前だから多分4才か5才のこと。キノコがよほど好きだったらしく調子に乗ってたくさん食べたら思いっきり吐いてしまった。それから10年近くキノコを口にすることはなかった。記憶してるということは子供のときの自分にとってよほど苦しくて恐怖の体験だったに違いない。03-9-19

 

いわゆるグルメ嗜好はまったくない。高くておいしいものを食べる機会を与えられたらそれは貴重なチャンスだから喜んで積極的に食べるが自らそれを求める気持はない。おいしいものを食べたいというよりおいしく食べたいと思う。自分の家で食べる市販のラーメンで充分満足してしまうからラーメン屋にもしばらく行ってない。そして幸か不幸か『行列のできるうまい店』に並んだ経験はなし。03-9-18

 

『食』は動物にとって生きるため必要不可欠なものだが、『どう食べるか』は人間にとってとても大事な気がする。年令に関係なく食事にはその人の生き方が色濃く反映される。規則正しく食べるかどうかだけでもいろいろな形で違いが生まれる。もしかしたら生き方が食事に反映されるのでなく食事の取り方が生き方に反映してるのかもしれない。何を食べるかだけでなく食べ方も大事にしたい。03-9-17

 

食堂で生姜焼き定食を待ってるあいだ、さりげなく食べてる人達を見ていて箸の持ち方に不思議な共通 点を発見した。そのときは比較的若い人が多かったが8人中5人が親指を立ててつまり親指の先を支えに使わず箸を握ってる。すごい割合いだ。どうしてこんなおかしな持ち方がこれほど増えてしまったのか。食は大事な文化。携帯電話のメールでは器用に親指を使うのに何故使わないのだろう。03-9-16

 

ついに阪神優勝。つめの段階でかなりもたついたのでようやくという感じもあるがとにかくゴールにたどり着いた。巨人以外が優勝したのでもちろん嬉しいはずなのにそれほど喜びが湧いて来ないのは何故だろう。不安が消えて確信に変ったときから熱は醒め始めてたかもしれない。やっぱりはらはらドキドキさせてのペナントレースのほうがおもしろい。これは優勝したから言える言葉なんだけど。03-9-15

 

確かにどかこで会ったはずなのにそれが思い出せなくてこまった話。その人とその場所をセットで認識してることが多いから背景が変るとわからなくなってしまうもの。そのままにしてしまおうかと思ったけど気になるので無難なところから話し始めてみたがどうもかみ合わない。それもそのはずまったくの勘違いで一度も会ってない人だった。ただ似てる人。変に気を使って恥をかくこともある。03-9-14

 

今頃になって『族』が走り回ってる。あっという間に通り過ぎればいいのにアクセルをしつこくふかすわりにはノロノロ運転。今はかなり遠くにいるようだが500メートル位 離れてるんだろうか。それにしても爆音が聞こえ続けるのが不思議でならない。 まるでたくさんのアブが狭い所を旋回してるようだ。まさか何百台もつながってるわけでないだろうな。遠くに行けない寂しがりや達。03-9-13

 

『9.11から何かが変った』と言う人がいるが僕は違う。『いろんな矛盾や問題が明らかになった日』と捕えてる。決してあそこから始まったわけではない。あれは結果 のひとつに過ぎない。それも数えきれないほどある悲惨な出来事の内のひとつ。悲しいことに悲劇は今現在も至る所で進行中。過去より現在の状況が気になる。だから50年以上前の悲劇を盾に無理を通 す行為も認める気はない。03-9-12

 

『報告する義務のない小さな事故』のはずなのに原発を1週間稼動停止するという。稼動停止しなければならない事故を『大したことない』と言い切る神経がすごい。たいしたもんだ。個人というより組織の体質の現れだろう。車で例えれば走行にはまったく影響のないボデーのすり傷のような言い方なのに実はラジエターの損傷。それはまちがいなく重大で危険な結果 を招く。それを問題ないとは。03-9-11

 

今までまったく聴いたことのないピアノの音を生で聴いた。たくさん聴いてるわけでないから初めてのものに出会ってもおかしくないがとにかくピアノとは思えない不思議な音だった。まるで電子音楽のように共鳴する。音が途切れないのだ。見事につながってる。新鮮な感動を味わい嬉しい気分。03-9-10

 

『あり得ない』事故が起こっても「大したことない事故だから報告する義務はない」と平然と言う。絶対ないはずの事故でも『あり得る』事故にしてしまうつもりだ。もともと信用してないけど増々信用できない。「今後報告の方法を考える」とはあきれて返す言葉もない。そこらの小さな町工場の安全管理の話しではなくこれは原発。危機感も責任感も使命感もない人間達が原発は安全だと叫んでる。03-9-9

 

8時間寝て3時間起きて2時間寝て2時間起きて3時間寝た。続けて寝るにも体力が必要らしく一気に寝ることはできなかったが2度目も3度目もすんなり眠りにつけた。おかげでかなりすっきりしたけれど今夜もたっぷり眠れそう。大学時代に26時間眠り続けたのが僕の最長記録。そのときはまるでタイムトンネルに入ったような不思議な感覚に陥り1日損した気分になった。まさに空白の1日。03-9-8

 

今回は会場に触発されイメージを膨らませて作った作品なのでギャラリーがあったおかげで生まれたもの。素材との出会いで新たな世界を切り開くことがあるように場がそれをしてくれた。内からの欲求が創作意欲をかきたてるだけでなく空間が創造力を刺激したケース。作品とギャラリー空間の一体化のみならず観る人をも包み込むよう意識してみた。光と影そして場の空気。楽しみはまだまだある。03-9-7

 

個展もあと1日となってしまった。会期の後半は疲れもたまってくるけどいよいよ最終日を迎えるとなると疲れも吹っ飛び寂しい気持が強くなる。毎回感じることだがギャラリーと一体化して見慣れた光景になってる自分の作品が消え裸になった会場を目にするのはつらいものがある。明日はその日。03-9-6

 

救急車が近づいて来ても停止しないどころか道を空けようともしない車がある。そこまでいくとわざと邪魔してるとしか思えない。サイレンの音が聞こえたらまずバックミラーで探し見つからなかったら左右を探す。それでも見つからないときは近づいて来るサイレンの音でその方角を探る。わかるまで何となく落ち着かないのに確認しても無視する神経がわからない。わかってなかったらもっと怖い。03-9-5

 

午後2時を過ぎた頃昨日までの暑さが嘘のような冷たい風がギャラリーを通 り抜けた。半袖の膚が一瞬ひやっとした。やっぱり夏は来ない。そういえばここに来るとき道路脇にはコスモスの花がたくさん揺れていた。短い夏もどきの後、秋は一気に忍び寄って来るのだろうか。それとも狂い続ける? 03-9-4

 

今頃になって夏日が4日も続いてる。そのまま一気に寒くなるよりずっと嬉しいけど明らかに季節がずれてしまった。「これから夏が来るんだよ」という冗談もそのまま聞き流せないほどだ。本格的な夏の暑さがなかったのだからこの暑さを残暑とは呼べない。『遅暑』だと遅れ過ぎ『晩暑』だと暑さの終り『狂暑』あたりか。花に狂い咲きがあるようにこれ以上季節観が崩れると人間も狂ってしまう。03-9-3

 

個展会場から帰宅したらファックスが届いてた。つい最近虫歯の話題で盛り上がりいろいろ話したなかで疑問になったことがあった。『虫歯は体質遺伝か感染か』。それぞれの考えはあったが確信できるものでなく説得力にかけた。届いたのはそれの明確な答え。『虫歯は遺伝ではなく虫歯菌によって感染する』。それも母親から。「え〜〜っ、知らなかった」。教えてもらった記憶がないのはなぜ。03-9-2

 

同年代の友達に会って話しを聞くと職場でのストレスはかなり大きいようだ。それもひとりふたりではない。定年より前に辞めるかもしれないという言葉が同じように出てくる。かなり限界に近づいている様子がうかがえる。自分を取り戻す余力があるうちにという気持もわかる。その点、生活はぎりぎりでもストレスとはまったく無縁の創作の世界で生きてこられたことに感謝しなければならない。03-9-1

 



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NAKAHASHI OSAMU

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