ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

 

これまで一度も使ってなかった携帯電話のポイントで今月中に失効する分があるとのメールが入ったのでショップで調べてもらうと4.292の内の23ポイントだった。どうせなら失効する前に使いたいと思ったが、交換できる商品は何千点もあというのでそこでの決定は諦めて家のパソコンで選択することにした。しかし、パソコンでの操作がうまく進まない。どうやら23ポイントは消えそうだ。17-8-31

 

昨日の朝、北朝鮮の発射したミサイルに対してスマホや携帯にJアラートなるものが発信されたらしいが、幸い自分の携帯には繋がっていないので気付かずにいた。そんなのでいちいち起こされてはかなわない。なぜかというとJアラートが作動してから万万が一道内に落ちるまでの時間はわずかに5分以内なのだ。この短時間内にいったい何ができるというのか。せいぜい着替えをして終りである。17-8-30

 

お盆過ぎにいっとき暑くなったが、その後は徐々に涼しくなり残暑はなくて、これからもなさそうだ。ここまできたら、夏はもう終ったと受け止めていいのだろう。7月前半の猛烈な暑さのときには、今年の夏はどうなるのかと不安になっていたが、結局それほど苦労せず過ぎ去った気がする。こうなると、勝手なもので暑さも恋しくなったりして、涼しさを運んでくる秋風に寂しさも感じてしまう。17-8-29

 

南瓜がうまい。煮たのもいいが、焼いて食べるのもいいし、天ぷらもいい。どれもおいしくて優劣はつけられない。さらに子供の頃、南瓜を餡代わりにしたおやきを兄や姉妹達と共同作業で作った楽しい思い出がある。円い枠が6個付きの小さな焼き道具に溶いた小麦粉を垂らし少し焼けてから南瓜の餡を入れてまた小麦粉を垂らしてひっくり返す。これは自分達で作る最高においしいおやつだった。17-8-28

 

朝の牛乳。毎朝、起きたらすぐにコップ1杯の牛乳を飲む。この習慣はすでに10年以上経っているだろうか。たとえ旅の間でもそれは変わらない。必ず前日の夕方に買っておくのだ。たまには冷蔵庫の付いてない部屋のときもあるが、それでも用意しておく。渇いた喉を潤すのが第一だが、もうひとつは通 じを快適にするため。これは効果大と信じている。とくに『歩く旅』のときは大事な1杯に。17-8-27

 

昨年の暮に閉じた画材店とギャラリーが入っていたビルの解体が終了し、すっかり更地になっていた。40年以上の付き合いのあった場所なので、ぽっかり空いた空間がにわかに信じられず、思い出も消されたような不思議な感じがした。同じような体験は4年間を過ごした大学の校舎が解体されたときにもしている。記憶に残るとはいえ、自分が深く関わっていた建物がなくなるのは寂しいものだ。17-8-26

 

隣のふたりの関係。家の近くにマックがあって、暑い日の帰宅時に西日でサウナ状態の家にすぐに帰る気がしなくて寄っていく。座った隣の席には何かの専門を勉強中の20歳前後と思われる男女がいて、男の方が質問をしてそれに女が懸命に答えていた。男のテンションはかなり高く、答える度に『そう、そう』と褒めながら女に手を添えている。それはいいのだが、男の貧乏揺すりが気になった。17-8-25

 

案内状が届いていたので3人展を観に行く。たしか、10年ほど前にそのなかのひとりと話した記憶があったので行ってみた。しかし、10年の歳月は長いようで案内状を出してくれたその人は会話を交したことさえ覚えていなかった。それはしかたがないのだが、作品がいまいちだったせいもあって話も弾まず、短時間でその場を後にした。自分もそうだが個展で出会った人を覚え切るのは難しい。17-8-24

 

昨日、8月下旬になったと書いたばかりなのに今日は灼熱の太陽にさらされた。30℃は超えていないかもしれないが、しばらく27℃辺りに慣らされた体には十分こたえる。そのうえ、湿度も高いからたまらない。7月上旬の異常な暑さのとき、半分冗談のつもりで「本当の夏は涼しくてその前と後が暑かったりして」と言ってたら、そんな感じになってしまった。これが続かなければいいのだが。17-8-23

 

8月も下旬になったということは、10月末の『歩く旅』が近づいてきたことになる。実際に歩くのはまだ先だが、宿の手配を考えるとそう遠い話ではない。次は洞爺湖町から歩き始め、長万部、八雲、森に泊り3泊4日で函館を目指す。何となく厳しい感じがした北と東を先に終らせ、気分的に楽な南を後にした。しかし、気温が高くなれば南が一番厳しくなりかねない。涼しい天気を願うばかり。17-8-22

 

続き。たくさんの作品のなかでも、27歳のヨーロッパの旅のとき、現地の美術館で感動し特に印象深かったものはなおさら心に沁みる。プラドのゴヤの『着衣のマハ』ルーベンスの『三美神』、ルーブルのコローの『モルトフォンテーンの思い出』、ウフィツィの『ヴィーナス誕生』、テートのターナーの『吹雪』などなど他にもいくつもあるのだが、40年経った今もそのときが甦るのが嬉しい。17-8-21

 

新聞に掲載された画家の特集記事の切り抜きを見つけて読み耽る。それは40年近く前のもので、一面 の半分の作品写真と解説が付いている。それが50枚近くあったのだ。当時は画家を志した頃で、日曜日の新聞を楽しみにしていた。そこからたくさんの影響を受けたはずだが、こうして年齢を重ねてから観て読んでみるとまた違った見方と受け止め方をしているはず。でも、刺激されるのは同じ。17-8-20

 

昨日は3ヵ月に一度の歯のクリーニング。つまり、年に4回で春夏秋冬にしている。5月、8月、11月、2月となればまさにそのまま。季節はすっかり変わり、この間にも個展や歩く旅があったのに過ぎてしまうと月日は早く感じて、同じ3ヶ月でもこの先は遠く感じるもの。何かに追われているとそうもいかずあっという間に来る気がして焦ってしまうが、その心配もなく次回を迎えられそうだ。17-8-19

 

オコエ、ナオミ、ケンブリッチ、サニーなど、スポーツ界では国際結婚で誕生した若い選手達が次々と出てきて大活躍している。これまでにもそういった選手はいたがこれほど重なることはなかった。難民の受け入れが他の先進国と比べて非常に少ない日本ではあるけれど、こうして国際的なつながりがあったのを知って嬉しい気持になった。内向きの閉鎖的な社会を見直すためにも活躍してほしい。17-8-18

 

お盆休みは卓球三昧。14、15、16、17日と4日連続で卓球ができた。卓球をやり始めて6年目になったが4日連続は初めて。これだけやると充実感と満足感で満たされる。もちろん、できることならまだまだ続けたいこところだが、こればかり続けているわけにもいかない。楽しい時間だっただけでなく、この間にさらに新たな課題を見つけたのも大きな収穫になった。次のときが楽しみだ。17-8-17

 

2016年度の食料自給率は38%だという。最高だった1960年の79%から半減している。非常事態といってもいいほどの危機的状況にあっても、本気で自給率を高めようとする努力はないに等しい。ある意味、食料は武力以上の力を発揮する。もし戦略的な道具として使われたら不条理な条件も飲まざる得なくなる。戦闘機や軍艦や戦車で日本を守るといっても食料がなければ話にならない。17-8-16

 

続く。いわゆる力むというやつだろう。ちゃんとやらねばと強く思うとどうしても力が入ってしまう。正常な力だけならいいのだが、余分な力が入ってしまうのだ。どの世界でも言えることで、いかに上手に力を抜けるかが次の段階への重要な鍵になる。見方を変えれば、ようやくこの地点まで来られたことを喜ばねばならない。散々力を入れ続けてきたからこそ、力を抜く技を学べるというわけだ。17-8-15

 

「ラケットの重さを感じてますか」と聞かれた。体育館で指導者に「振った後にラケットがブレるときがあるんですけど、どうすれば直りますか」と質問したときに返ってきた言葉がこれ。実は、ラケットの重さを感じたことは一度もなかった。つまり、強く握りしめていたから手と一体になっていて重さを感じないでいたのだ。ブレるのはブレないようにと力を入れ過ぎていたせいだったとは・・。17-8-14

 

急に涼しくなり始める。今朝は半袖では寒いくらいで思わず長袖のシャツを羽織った。新聞の天気予報欄を見ると最低気温が17℃で最高でも22℃になっていたので納得。根室では14℃と17℃になっていてこれにもびっくり。最近では自分の足で辿り着いた根室や稚内の天気や気温も気になり、いつも見るようになっている。両方共、6月末の暑い一日で、そのときの暑さは今なお冷めていない。17-8-13

 

飲み物は冷たいか熱いとおいしいのに温いといまいちなのはどうしてなんだろう。冷たいか熱いと刺激が強くなって、それが影響しているのかもしれない。温いのはその中間なので、どっちつかずの口当たりになってしまうからだろうか。口や喉やお腹に一番優しいのは温ま湯で、子供の頃は薬はできれば温ま湯で飲むように言われていたような気がする。でも、やっぱり熱いか冷たいのがおいしい。17-8-12

 

いつもならもう来てもいいはずの夕刊が届かずどうして遅くなっているのかなと思っていたら、4時過ぎになってようやく祝日だと気付く。『そうか、今日は山の日なんだ』と。それにしてもピンとこない休日だ。海の日があるから山の日もあっておかしくはないが何だか安直な気がする。きっと何かこの日と山との関連性をこじつけたのだろうがそれが伝わってきてない。次は川の日になるのかな。17-8-11

 

少し前のいわゆるオレオレ詐欺のニュースで血のつながりの深さに驚かされてしまった。いとこと名乗る加害者に何百万円もの大金をだまし取られたというのだ。被害者には同情するしかないのだが、自分の子供なら『何としても助けたい』という気持は理解できても、いとことなると信じ難い気持もあった。でも、それだけ強い絆でつながれていたんだと受け止めれば、素晴らしい関係とも思えた。17-8-10

 

続く。解説をしていた高橋も野口も冷静さに欠ける希望的観測が多かった。二人とも金メダリストだというのに、どうしてそうなってしまうのだろう。アナウンサーならスポーツに詳しくない者がたまたま担当させられたとも考えられるが、マラソンを知り尽くしているはずの二人が、あり得ない期待を抱かせるような解説をしていたのは納得できない。もし、言わされているとしたらもっと深刻だが。17-8-9

 

世界選手権の女子マラソンを中継するアナウンサーの言葉があまりにも的外れで無責任。40キロ地点でトップは3分前を走り、目の前の選手さえ抜けないでいる13位 の日本選手に対して「優勝争いに加わっている」と言ったのだ。誰が観ても絶対不可能なのに、どうしてこんなあきれて恥ずかしい言葉を平気で吐くのだろう。世界卓球のときもそうで客観的な判断力がなさ過ぎる。ゴールは16位 。17-8-8

 

わかったようでわからないこと。どの世界にも言えることだが、何となくわかりそうな気がするけどその微妙な違いに確信を持てないときがある。それが、スポーツになると頭で理論的に理解しても、体が反応してくれなければわかったことにはならない。そうなると技術というよりも感覚の世界なわけで、体でそれを感じ取る必要がある。自転車や泳ぎがまさにそれで、一度つかんだ感覚は忘れない。17-8-7

 

また最初からやり直しの感じがする。ここに来て、卓球の基本的な打ち方に問題ありと指摘されてしまった。これまでも何度も修正して徐々にいい方向に向っていたはずなのに、もう一度最初に戻らえばならないようだ。でも、どうすればいいかをわかったうえでの戻りなので最初とはわけが違う。この先さらに上手に強くなるためにもしっかり身に付けておきたい。辛い気持もあるが、急がば回れだ。17-8-6

 

教室展の搬入飾り付け。4年連続で4回目となる同じ画廊喫茶での水彩画展。12名が参加してひとりが3〜4点出品しているので、搬入したときには会場がいっぱいいっぱいになるのではと心配したが、飾り付けをしてみると昨年と同じような展示になってくれた。朝10時から始めた作業はちょうど12時に終了して、作品に囲まれてのランチに入る。心を込めて描いた作品達が食卓に花を添える。17-8-5

 

昨晩はあるお宅に招待され、お好み焼きと肉と野菜の鉄板焼を御馳走になる。その家には2011年にそこで個展をしたときの作品が数多くあって、懐かしさと自分の作品に囲まれる嬉しさを味わえる。年に2回ほど訪ねて食事を戴き会話を楽しむのだが、今回は6月の個展を観てもらえなかったので、そのときの作品を7点ほど持参して出張個展をさせてもらった。お互いに幸せなひとときに大満足。17-8-4

 

昨年に引き続き、高齢者を対象にした学習の場の講座のひとつになっている『絵を描こう』という講義をした。2時間の中で美術の楽しさと重要性を話し、鉛筆とサインペンで自分の手を紙に描いてもらい、それらをボードに貼っていかにそれぞれが異なる感性を持っているかを説明した。2時間は瞬く間に過ぎて、今回も伝えきれなかった部分があり満足とは言えないが、楽しんでもらえた気はする。17-8-3

 

続く。小学生の頃、父の魚釣りの誘いに応えたのは5回に1回くらいだっただろうか。嫌いではなかったがもっと楽しいことがあったので断っていたのだ。とにかくじっとしてるより動き回るのが好きだった。後に父の寂しい気持を考えると、もう少し応えていればよかったと後悔の念も湧いてき。17-8-2

 

スーパーでチカの天ぷらを見つけ、懐かしさもあってつい手が伸びた。父は魚釣りが大好きで、時間を見つけては川へも海へも出掛けていた。その魚は食卓のおかずとして家族に貢献していた。中でもチカの天ぷらはとてもおいしかったが、さらにその上の御馳走はヤマメのフライだった。チカ釣りは父に連れられて何度か行きおもしろかったが、はまりはしなかった。父の残念そうな顔が目に浮かぶ。17-8-1

 

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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