ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

納得のできない期限切れの結末。3日前に書いた市営住宅の犬猫飼育期限が本当は今日で切れるはずだったのに100匹近くがそのまま飼い続けられているという。ずるずるとなし崩し的に決まりを曲げてしまった。真剣に受け止め悩み苦しみながらも手放した人達にどう説明するつもりなんだろう。なかには処分された犬猫もいたはずだ。それなのに・・・。守らない人が守られる状況はおかしい。08-3-31

 

年令のせいか埃などに敏感に反応するようになってきた。以前ならはね返せてた異物を排除しづらくなってきたのは確か。これからはいろいろな部分が弱っていくわけだから対抗する意識よりいかに異変の原因を遠ざけるかに注意を払いたい。それにしても、埃はいったいどこから生まれてくるのだろう。掃除機で吸い取ったはずなのに次の日にはまたどこからか湧いてくる。まるで増殖してるよう。08-3-30

 

三ヶ月ぶりに、また新しい床屋さんを開拓。この前のところは安いけど無愛想で乱暴だったので一度限りにしようと思ってた。今度のは市役所の地下にある床屋さんでカットのみ1,300円という看板につられて入ってみた。ここは愛そうが良すぎるくらい明るい雰囲気。カットも満足したので通 い続けることになりそうだ。料金も安いので3ヶ月に1回だったのを2ヶ月に1回にしようと思ってる。08-3-29

 

期限間際になってようやく動き始める不可解。ある市の市営住宅での犬猫飼育期限が今月いっぱいに迫っている。そのときが来ることは3年前にわかっていたはず。問題解決を先延ばしにしていたのに今になって情に訴えて泣きつくのには無理がある。3年前から市や住民にできる限りの訴えをしていれば違った解決策もあったと思う。真剣に受け止めようとしなかった態度が問題。ガソリンも同じ。08-3-28

 

3Lの米をリュックに背負い歩いていたときにふと思い浮かんだのは赤ちゃんのいるお母さん達はこの米よりもっと多い重さをだっこかおんぶでずっと支えているんだなぁということ。お母さん達の苦労と強さを再認識することに。我が子への愛で気力を振り絞りその重さを喜びに変えているに違いない。こんな重さはときどき他のもので背負っているのに突然そう感じたのは命を繋ぐ糧だからかも。08-3-27

 

御飯がおいしいのにはもうひとつわけがある。去年の暮れにいただいた『おぼろづき』の玄米を2、3Lずつ近くの米屋で精米してもい、それを炊いて食べている。玄米を精米して食べたのは初めてのことで、できたてのような新鮮な風味を味わっている。実際、米が糠に保護されてただけぶんおいしいはず。道産米も随分おいしくなりササニシキやコシヒカリを追い抜く日もそう遠くはなさそうだ。08-3-26

 

久々の白い御飯がおいしい。こんな書き方は誤解されるけど、正しくは『白い御飯も』になる。たまに食べる外での御飯は別 にして、家では16雑穀を入れて炊くことが多い。これがじつにうまい。決して体にいいからなんて考えで無理して食べてるわけではない。一度御飯を炊くとラップで冷凍するので5食くらいは同じのが続く。それでもおいしさは変わらない。そして、白い御飯も新鮮な味に。08-3-25

 

7月の個展に向け、立体作品の制作に打ち込んでいる。最初にアイデアスケッチから入り高さ10Bほどのマケットで空間を確認して修正を加えてから10×10×22Bの本作品を作り始めた。今回は同じ形のものをサイズを変えていくつか制作する計画。小さい方から始めるのは作りながら手順を見極める意図もある。手順はすごく大切でこれをまちがえると大変な目にあう。それも体験済み。08-3-24

 

北国の春は雪解けとともにくるのでその早さによって春の長さが決まる。2月に大雪があったあとの3月にはほとんど降雪がなく、陽気のせいもあって雪山はみるみる小さくなった。今はわずかに残る程度で今年は長い春を満喫できそうだ。雪のない道をのびのび歩けるのは嬉しい。暖かい空気に気持も弾んで足取りもいっそう軽くなる。プロ野球のつぎに春の高校野球も始まりいよいよ春も本物だ。08-3-23

 

ストーブは突然消えてしまうようにもなって、ついに寿命がきたようだ。こんなとき往生際が悪いほうなのですぐにはあきらめきれない。『もしかしたら、また突然復活するのでは・・・』と淡いというより根拠のない期待を抱いてしまう。良く言えば物を大切にする精神だけど、悪く言えば不都合な現状をすぐに受け入れようとしないタイプ。それでも、さすがにここまできたら認めざるをえない。08-3-22

 

まずは小物の入っている箱を調べる。今すぐ必要なわけでもないけど一旦探し始めたら気になって止められない。そのうち『なぜ』『どうして』のイライラも出てくる。そこで、ちょっと丁寧な整理をしてるんだと思うことにしたら気持も落着いた。そうした直後、箱の中の箱に入っているカードを見つけた。それと同時にまったくたぐれなかった過去の記憶がようやく蘇る。『そういえば・・・』08-3-21

 

なかなか見つからない探し物。きっとあるだろうと思われるところは2度も3度も念入りに探したけど出てこなかった。探し物はビデオカメラのカード。3年程前の最後の記憶をたぐるのは大変だ。とても小さいものだから何かの中に収まっているはず。あり得るところにないとなるとあり得ないところを探さなくてはならない。それでも関係のありそうなところからシラミつぶしの捜索開始。続く。08-3-20

 

陽が長くなるということは夜明けも早くなるわけで、それに合わせて起床時間も早くなる。ちょっと前までは7時起きだったのが今は6時半になった。いずれは6時にするつもり。それにしても習慣というのはすごいもので同時刻に起きるのを何日か続けると目覚ましの鳴る直前に目覚めたりするから驚く。寝入る時間が多少違ってもそうなるのは不思議としか言いようがない。どうしてわかるわけ?08-3-19

 

中国からは不信を募らせ感情を逆なでする発言が聞こえてくる。餃子のときもそうだが今回のチベットの問題にしても、早い段階で自分達の正当性を主張し相手に非を押し付けようとすると真剣に取り組む意識がないのではと疑ってしまう。あまりにも強引なので隠されてる事実があると考えたほうが正しい。悲しいかな日本では虚偽の発言をさんざん聞かされ、疑ってかかる習性が身に付いている。08-3-18

 

車での送り迎え。向いの家では奥さんが運転して旦那さんを、筋向かいの家では旦那さんが運転して奥さんを送り迎えしているようだ。向いの夫婦は多分30代、そして筋向かいは60代と思われる。つまり、現役の旦那さんは送られ、現役を退いた旦那さんは送る側に回る。送り迎えされる奥さんはパートで仕事をしてるのだろう。年令から正社員というイメージは湧いてこない。違ってたら失礼。08-3-17

 

そもそも客観的な作品なんてあり得ない。すべてが主観に基づいて制作してるわけで、もしそうでなければつまらないものになる。あの議員の考えでいくなら主体性があり独創的な芸術のすべてを否定しなければならない。お抱え芸術家がいるとしたら除くだろうけど。いろいろあるからおもしろいのだし、それぞれ違うからこそ観る価値も意味もあるというのにそこまで偏られるとこまったものだ。08-3-16

 

あるドキュメントの試写を一般に先駆けて行った。それを要求(強要)したのは政権を持つ政党の議員。その議員は検閲でないと言ってるが権力を持つ側が公開の是非を審査するわけだから検閲そのもの。客観的でなく政治的に偏っているから問題だと語るが、その本人が偏った考えを持っているからそのように映るに過ぎない。自分の偏りはいいけど異なる方向の偏りは許さないという論理。続く。08-3-15

 

昨日の続き。禁煙と喫煙席もはっきり別れるようになった。煙草を止めてもう18年にもなるのでこれは有難い。年のせいか以前より煙が気になるようになった。何気なく店内を見回して気づいたことがある。目に入った23人のうち二人連れはたったの二組。あとは全部一人。コーヒーをのんびり飲んだり、本を読んだり、メール打ったり、書いたりしてる。会話をする場所ではなくなったようだ。08-3-14

 

喫茶店の様変わり。最近は自分で飲み物を持ち運ぶスタイルの店が多くなった。セルフなぶんだけ値段も安い。だから気軽に入れる。さらに以前と違うのはテーブルと椅子。かつてはソファーのように低くてふかふかしてゆったりしたものが多かったが、今は木の椅子がほとんどで高さも食事のときのものと変わらない。回転率も考えてことだろうけどこの高さは座り心地もよく落着くので結構好き。08-3-13

 

今は卒業式のシーズン。今日はたった一人の卒業式がテレビのニュースで流されていた。今年度限りで閉校するので最後の卒業生だという。本人だけでなく在校生にとっても地域の人にとっても涙いっぱいの卒業式になっていた。僕は4回の体験があるわけだけど小学、中学は記憶にあるのに高校、大学はほとんどない。とくに高校の卒業式はまったく思い出せない。出席してるはずなんだけど・・。08-3-12

 

小包。たとえ中味の予想がついていても開けるときはわくわくする。朝刊を読み終わった頃、小包が届いてその喜びを朝早くに味わえた。小包の有り難みをしみじみ感じたのは学生時代に実家から送られてきたときだった。よくもこんなにたくさんと驚くほどいろいろなものが入っていて玉 手箱そのものだった。ほとんどは食料で生活用品も入っていた。ひとつひとつが新聞紙に包まれた親の思い。08-3-11

 

今度こそまちがいなく本当の春が近づいてきた。雪解けは進み、雪山はみるみる小さくなって歩道のアスファルトも顔を見せ始めた。雪掻き雪捨てに追われた日々はもう過去のこと。朝のカーテンも安心して開けられる。運動不足の解消には役立った外の労働から解放され、夕方の散歩以外はずっと家で仕事を続けられるのが嬉しい。散歩も明るいうちに帰って来れる。節目の春分の日はもうすぐだ。08-3-10

 

体に貯金。よく体は資本と言われる。この場合は生産手段の意味であり、財産の意味も含まれている。これからはどうしても体にガタが出てくるわけで、その進行を少しでも遅らせる努力をしておきたいというのが意識的に散歩をする理由。貯金はある程度元気があり余裕のあるときでないとできない。今なら急ぎ足も長時間歩くことも無理なく半分楽しみながらできる。貯金というより貯蓄の方かな。08-3-9

 

心と体で『いただきます』。家で御飯を食べるとき元気よく『いただきます』と声に出してから食べるようにしてる。よく言われる農家の人に感謝というのとはちょっと違う。食事がとれることそしておいしく食べられる体に感謝の気持を込めて言っている。食事がちゃんとできるというのは一番の幸せ。もちろんゆっくり味わい噛み締めて食べる。体のほてりと満足感が『ごちそうさま』の表れ。08-3-8

 

耐用年数を自分に置き換えてみた。普段は当たり前と気にもしてないが、休むことなくずっと動き続けてる心臓も肺もすごいと思う。頑張ってるなぁ、えらいなぁとほめてあげたい。それでも、いくつかの部分に長年の肉体疲労の兆候が出てくるようになった。そのひとつが目。処方してもらった目薬でかなりスッキリしたとはいえ疲れやすくなってるのは確か。他にもいつどこに何が現れるのか心配。08-3-7

 

どんなものにも使える限度があるわけでいつかは使えなくなるときがくる。でも、その使い方によって年数も違うだろうし、同じラインで生産された製品でも当りはずれという差もあるだろう。このストーブは96年製で12年経っているから、よく頑張ってくれたと受け止めるべきなのかまだまだのはずなのにと考えるべきなのか、どっちなのかがわからない。できればもうひと頑張りしてほしい。08-3-6

 

ストーブの具合が良くない。点火はするけど微少のままで勢いよく燃えてくれなくなった。今はもう頑張って燃える必要はないとはいえ、温度設定を高くしても炎は大きくならず明らかにおかしくなっている。まだまだ寒い日はあるから何とか回復してほしいのだが、残念ながら今までの経験からして故障するときのパターンそのものだ。近いうち、突然火が消えてしまうときが来るような気が・・・。08-3-5

 

春が近づいてる実感。夜中に布団を蹴飛ばして、寒くて目を覚ましてしまった。寒かったときと同じでは暑過ぎてこんな目に合うからそろそろ毛布の替え時かもしれない。今晩から少し薄手のものにしてみよう。湯たんぽはすっかり馴染んで習慣になってるのでもうしばらく付き合いたい。猛烈に冷え込んだ夜も湯たんぽに随分救われ助けられた。もうまもなく湯たんぽとの別 れのときがやってくる。08-3-4

 

3月3日はひな祭り。春の香りがする。また、3の形から『耳の日』でもあるという。耳といえば今、難聴の虚偽診察と申告が問題になっている。一昨年、突発性難聴の治療のため2ヶ月間ほど毎日のように聴力検査を受けていた。検査のときは必死に聞き取ろうとすごく集中してたのを覚えてる。でも、今回のは聞こえないふりをするため必死に大音量 をこらえていたわけだ。浅ましい臭いがする。08-3-3

 

最近の新聞には不満と要望がある。それはスポーツ欄の紙面が随分多くなったこと。全体の割合でも最も多いのがスポーツ記事。スポーツは好きだけどそれにしても多過ぎる。せめてその3分の1でもいいから文化や芸術を増やしてほしい。スポーツは結果 を伝える記事なので他紙との違いもなく比較的楽な部分が影響してるのだろうか。新聞社もリストラで人員削減してるのかと心配になってしまう。08-3-2

 

2月は逃げるというけどまさにそんな感じで1日多いうるう年の2月も過ぎてしまった。それなのに雪の高さはまだまだ冬そのもの。1月の始めまでは随分少なかったのにもうとっくに平年の積雪を超えている。帳尻合わせどころかおつりまで出てしまった。これからは解けるスピードも早まるはずだけど、2月の中旬にもした同じ期待は見事にはずれた。でも、今度は大丈夫だろう。これも甘い予測?08-3-1

 



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NAKAHASHI OSAMU

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