ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

15時50分札幌駅定刻出発。まだ雪の残る3月以来の列車での帰省になる。まもなく車窓は暗闇に包まれた。ひと眠りしてるうちに峠のトンネルを越えて十勝に入っていた。18時10分芽室着。ツルツル道路を歩いて実家に向う。膝まで雪に埋まりながら玄関へ。冷えきった室内は−5℃になってる。暖めるため火力を最大に。寒さより気になってた水道の水が流れてくれてようやくほっとした。04-12-31

 

津波とは全然関係ないが大きな制作に関しては予定を決めてから行動することが多い。個展などで発表する場合、早ければ1年前で遅くとも1ヶ月前には決めておく。会場の確保が必要なのでそうせざるをえない。それに合わせて制作のスケジュールを立てる。その規模や内容によって絶対必要な時間があるからこれも大切。でも、気楽に描いたり気ままに作ったりする余裕のときも大事にしたい。04-12-30

 

国内だけでなく地球規模で天変地異が起こっている。地震については地球の側から見れば起こるべくして起こったとも言える。専門的はことは別 にして地震は地球内部の問題で外部つまり人間の力の及ぶ範囲は関係してない。 それだけに予測できない怖さがある。新潟も今回もあまり起こってなかった地域だけに被害が大きくなったようだ。しかし、津波に関しては表の現象だから予測も可能だった。04-12-29

 

3ヶ月ぶりの散髪。長年続けてるいつもの間隔だけど年の瀬はちょっと違った気分もある。新しい年を迎える前にすっきりしておきたいうちのひとつ。髪を短くすると頭を洗うのが楽になるだけでなく気持ちも軽くなる。カレンダーも手に入れたし年賀状もようやく出したからのんびりしたいけど年内にまとめておきたい仕事がいくつか残ってるのでそうもいかない。それはお正月に取っておこう。04-12-28

 

年末を実感。銀行で来年のカレンダーをもらう。勝手にもらっていく箱には残りあとわずか。ぎりぎりセーフ。その後、預けてたものを取りに車で中心街へ向ったらすごい渋滞に巻き込まれた。レーンに車が一杯で右折もままならない。結局遠回り。かかった時間は普段の倍。人も車もあわただしく動き走り回ってる。家の近くの交差点で交通 事故を目撃。どっちかが急いでたのだろう。年の瀬だ。04-12-27

 

24日、野菜たっぷりラーメン。25日、焼きサバ、大根おろしになめ茸、納豆、もやしの味噌汁そしてキャベツの漬け物。ケーキもチキンも関係なく平穏にクリスマスは過ぎ去った。お正月にはそれらしい料理を少しでもいいから食べたいもの。ほとんど何でも好きだけどやっぱり基本は和食。 04-12-26

 

まだ続く。焦点の定まらない目はいったいどこを見てるのだろう。今、頭の中に何が駆け巡っているのだろう。真っ白のようにも見える。その横にいる子供は成りゆきをほとんど理解せず無邪気にはしゃいでいる。それに対してお母さんにはほとんど反応がない。それを見てるうちお母さんの押さえてたものが後で爆発しないこと願う気持ちになった。パニックから覚めたとき違った感情が生まれる。04-12-25

 

ようやく片付け終わろうとしたときもうひとつの悲劇が起こった。今度は飲み物の容器を床に倒してしまったのだ。やはり子供のせいみたい。すでに怒る気力もなくしたのか「いや〜」と言っただけでティッシュを取り出した。それを見てた4、5人の女性がすかさずティッシュを手に床拭きを手伝った。心温まる光景。お母さんは随分救われただろうが拭き終わった後完全に放心状態になっていた。04-12-24

 

地下鉄でのこと。走行中に斜め前の床に突然たくさんの白い小さな塊が勢いよくぶちまけられた。よく見るとそれはポップコーン。そこにはお母さんと3才位 の男の子が座ってる。その子が大きな箱を完全にひっくり返してしまったようだ。お母さんは「ちゃんと持ってないからでしょ」と軽く注意しながらポップコーンを黙々と拾い集め始めた。男の子は事態を飲み込めずきょとんとしてる。続く。04-12-23

 

部屋の整理だけでなくたまってた書きなぐりの文章をパソコン内に整理。自分で書いたものでも判読不能な文字もある。もちろんその前後から判断して推測できるが、パソコンに書き直してると違った言い回しも浮かんでくる。手紙は別 にして最近はほとんどパソコンのキーボードで文章を書くのですっかりそっちに慣れてしまった。思考回路うんぬ んは語れないがきれいに残るのはとにかく助かる。04-12-22

 

南瓜を食べる。今日は季節のなかの大きな節目のひとつとしてこだわっている冬至。もうこれ以上陽が短くならないと思うと嬉しい。4時に薄暗くなり始め4時半にはカーテンが必要になる。そこから室内は外との関わりが閉ざされ一気に夜へとつながっていく。やはり徐々に暮れ行く夕景がいい。04-12-21

 

先週、中学からの友達と中1のときの同級生二人も加わり男四人で飲んだ。昔話しに大いに盛り上り我れ先にとしゃべりまくった。話題はいろいろ移ったがあと4年で迎える定年のことそしてその後についても語り合った。幸か不幸か僕には定年はない。彼等はその分も今頑張ってるのだからもっと張り切らなくては。四人に共通 してたのは吸ってた煙草を止めてたこと。体が気になり始める年頃。04-12-20

 

ときどき,知り合いの陶器の作品の小さな皿やカップなどを買う。その数はしれてるけどそれでも食べ物や飲み物によって多少使い分けている。今までほとんどこだわってなかったが器による違いもほんの少しわかってきた。コーヒー、紅茶、お茶も入れ物によって気分は変わる。ただし、セットのパターンが一度決まるとそれを続けてしまう。まだまだ細かな変化を楽しむ気持ちの余裕はなさそう。04-12-19

 

コンピュータに頭脳持たせることができても体温まで持たせるのはむずかしい。その体温はエネルギーを発散したあとの熱とは違う。生身という意味。人間は運動も仕事もしてなくても寝てるときでも体温は維持される。そこには間がある。コンピュータには間がない。あるのはONかOFF。そして正か誤だから細かいまちがいも許さない。今でこそ慣れたけど最初は『コン様』に随分気を使ってた。04-12-18

 

映画を観てない人のために『HAL』のことを少し説明すると、木星に向うはずだった(ここを説明する余裕はない)宇宙船に積み込まれたスーパーコンピュータで人間の声を認識し会話ができる。自分は完全無欠でまちがいは絶対犯さないと断言する。『HAL』 のあるエラーから不信に思った乗員の会話さえも読み取ってしまう。ついにコンピュータに完全に管理、支配される。いつかあり得る話し。04-12-17

 

『2001年宇宙の旅』をビデオで観る。この映画を観るのは3度目。最初は70年代の始めで2度目は10年位 前だったような気がする。ちなみに制作年は1968年。今観ても進んでるというのは やはりすごい映画だ。今日、20代の若者に是非観てみるといいとすすめたあと自分でもまた観たくなりさっそくレンタルしてきた。コンピュータ『HAL』と人間とのやりとりはリアルで怖いほど。04-12-16

 

交流が多くなればお互いを知り合い仲良くなるきっかけになるわけですごくいい現象だと思う。一番近い外国なんだからもっともっと親しくなるべき。それに対して北朝鮮に対する報道には呆れ果 て辟易してる。貧しさや社会の弊害ばかりをしつこく流す魂胆が悲しい。あれよりましと思わせるさもしい手段。犯罪や誠実でない姿勢や嘘を責めるのは当然だが、アメリカの大きな嘘には随分寛大だ。04-12-15

 

『ヨン様』ブームが話題に。話し相手は50、60、70代の女性。好みはそれぞれ違うし評価もまちまちだけど「中年女性もあそこまで夢中になれるのはすごい」という点では意見が一致。空港での盛り上がりを嘆いていた旦那もいたという。しかし、世のおじさん達は薄暗いカウンター越しに『・・様』ならね『・・ちゃん』を前にしてでれでれしてるわけだからあんまり言えた義理でもないな。04-12-14

 

12月に入ってすでに半分が過ぎた。ということは今年もあと2週間あまり。今年1年はたくさんの発表をしたので短い感じはしない。新たに開拓した場で発表できたのは大きな収穫となった。おかげで屋内、屋外で作品と場の融合を追求することもできた。今後の展開と方向も見えてきた気がする。ただ大事な課題にも気付いた。空間全体が主張するパワーをもっともっと注ぎ込まねばならない。04-12-13

 

できるだけ能率的に仕事をするため道具や材料をさらにわかりやすく分類することにした。探す時間を極力減らすためにもそうする必要がある。入れ物や箱を買いにたびたび100円ショップに通 うようになった。そこでわかったのは同じ商品がずっとあるとは限らないということ。新しい品物をどんどん開発して常に新鮮さを与えるためらしい。同じもので揃えたいと思ってたときはがっかりする。04-12-12

 

誰かの作品に接するとき『うわぁー』とか『おー』『えっ』『あれ』『すごーい』『ん』『・・・』などなどまずは感覚から入る。いわゆる直感。そこでだいたいは当たる。そして、いいと感じた作品は観てるうちに作者の気持ちや意図が伝わってくる。それにかかる時間はまちまちですぐにわかる場合もあればそうでないときもある。どっちにしてもそのときはある感覚を共有してるわけで楽しい。04-12-11

 

かつて『コーナー』『ホウル』とテーマを設けて平面作品を描いていた。その先にある何かを暗示するだけでそれに対する具体的な提言はなかった。そして『ステージ』では平面 と立体表現が重なり『エリア』から立体中心に変わっても現象はあってもやはりそこから先につながる道は示されてなかった。さらに昨年から『内包』が始まった。包み込まれたもの、内にあるものに何を語らせるのか。04-12-10

 

つるつるに氷った歩道はもう解けそうもなく今年も最初の大雪がそのまま根雪になりそうだ。それでも積雪は少ないから運動を兼ねた趣味ができなくて物足りないくらい。こんなことを余裕で言ってられるうちはいいがいつまたどーんと降って嘆くことやら。とにかくまとめて来るのが一番こまる。04-12-9

 

久し振りに『ボレロ』を聴く。それも4人の指揮者の違いを感じたいという思いつき。少しでもその世界に浸るためヘッドホンで聴くことにした。それでも不充分なので電気を消してゆったりした体勢をとる。もちろん目を閉じる。ヘッドホンは頭の中から聴こえてくるのがいい。それぞれを堪能する。やはり違いはあるもので好みの順番をつけることができる。心休まるのんびりした時間が過ぎた。04-12-8

 

でこぼこ道を乗り越えて到達した美術館で観たのは彫刻展。そこに展示された作品のいくつかは以前違った場所で観たことのあるものだった。しかし、そのときとはまったく異なる表情で迎えてくれた。前には感じなかった寛容な空気が漂いより深く受けれてくれる雰囲気があった。もちろん、それ故に語りかけてくるものもより深い。作品に秘められた強い意志とエネルギーを感じ取れたのは幸せ。04-12-7

 

道路がまだ舗装されてない頃、ほとんどがそろばん道路だった。村の一本道もたまに砂利を入れてもあっという間にでこぼこになっていた。ところで『そろばん道路』はどの辺の世代までわかる言葉なのだろう。そろばん自体が忘れ去られようとしてるのだから死語に近いかもしれない。舗装が行き届いたからそれが復活することもない。小学生のとき足し算引き算のみの珠算7級まで取ったはず。04-12-6

 

大雪のあとに中途半端に暖かくなったおかげで道路はでこぼこでぐちゃぐちゃ。南の端にある美術館に向ったが悲惨な状況だった。そろばんはそろばんでも小さなものでなく大番頭のでも物足りなく小学校の教室にあったでっかいそろばんてな感じ。車が分解するんでないかと思う程激しい振動の連続。過去の体験でも1、2を争うひどさ。でも展覧会は見応え充分で揺られて行ったかいはあった。04-12-5

 

昨日、アトリエのストーブを持って来た。年数では今のより古いけどきちんと燃焼してくれる。当たり前のことだが暖かさが保たれてると落ち着いて仕事ができる。いちいち炎を確認する必要もない。今度ははずしたストーブをアトリエに持って行く。環境の変化で気分が変わって回復するかも。04-12-4

 

大学のサッカー部員達による女性への集団暴行が明らかになり逮捕された。この事件に対する大学関係者のコメントを聞いて驚いた。『スポーツ選手として許されない行為』とはおかしな言い方。それじゃスポーツ選手じゃない誰なら許されるわけ。どこかで特別 扱いしてるからそんな発想が生まれてくる。高校球児にもいろいろ注文をつけ枠にはめようとしているが、それもまちがった方向に導く。04-12-3

 

春におかしくなったストーブが一時期回復したかに思えたがどうもそうではないらしい。一度望みを与えてくれたからまた期待してしまう。点火には問題ないけど火力が弱いままなので部屋が暖まるまでには相当時間がかかる。もしかしたらといろいろ操作してみてもやっぱり駄 目。操作するといっても火力調節のレバーとスイッチをいじるだけ。制御基盤を見たところで何が何だかわからない。04-12-2

 

片方の靴下ばかり増えるのが悲しい。どっちの足かはわからないがよりこすれる踵があるようだ。ぽっかり穴が空いたのはすぐ捨てられるが残されたほうがしっかりしてるとなかなか捨てられない。簡単な解決法は同じ靴下をたくさん買うこと。この単純な答えを実行するより他に方法はないのか。04-12-1

 



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NAKAHASHI OSAMU

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