ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

 

すでに恒例になった年に一度の兄弟姉妹の食事会。まず近況を語り合ったあとは子供の頃や両親の写 真を見ながらの思い出話に大いに盛り上がりとても楽しいひとときを過ごせた。今回ですでに7回目になり毎回5人全員が元気に集合できたのが嬉しい。上は74歳から下は65歳までの5人で体に何かがあってもおかしくない歳になっているので、最後は「また来年まで元気でいようね」が合言葉。19-5-31

 

車がなくなって卓球の回数が半減してから3ヶ月が過ぎたら、体重が62キロから2キロも増えていた。しばらく計っていなかったのでその増え方にびっくり。でも、激しく動き回りたっぷり汗をかいていたのだからこうなるのは当然か。いくら歩いたところで動きと汗の量 には雲泥の差がある。丘の上り下りを多くすればいいのかもしれないが、卓球のように楽しくないからやる気もいまいちだし。19-5-30

 

続き。彼を「頭のいい人」とほめる人もいるけどまったくそうは思わない。あれほど状況判断のできない大人をどうして頭がいいと言えるのだろうか。あえて言うなら頭が悪いと言うべき。「頭がいい」と擁護するのはエリート意識の強い人達に多い。「仕事ができた」との弁護も同じ考えから出ている。どんな職業であれどの人もしっかり自分の「仕事ができる」上での人間性が問われているのだ。19-5-29

 

国後島では信じ難いほど浅はかで傲慢な言動を繰り返していた丸山議院が国会で釈明を求められたら適応障害との診断書を提出して雲隠れした。語るのも嫌になるほどの最低の人間だ。だが、ある意味適応障害は正しい判断でもある。しかし、治療期間には大きな誤りがあって2ヶ月では到底治癒できず少なくとも10年から20年は必要だろう。かなり重症なのでそれでも完治するとは思えないが。19-5-28

 

日本がいや特に北海道が大変なことになっている。暑さに対する注意報が見事に当たってしまったのだ。それも想像をはるかに超えるかたちで。昨日、佐呂間町で39.5℃を記録してしまった。これは全国一の暑さ。北海道で5月中に35℃を超えたのは初めてだという。とにかく初めての体験なので驚きを超えて呆気に取られるといった感じ。ついに北海道にも40℃超えのときがやってきそうだ。19-5-27

 

制作のときのBGMとしてジャズを聴くことが多いけど、久し振りにシュトラウスの皇帝円舞曲や美しく青きドナウなどの入っているCDを掛けた。そして、その最後にはシュトラウス父のラデッキ−行進曲が入っている。これはちょうどタイムリーで小学校の運動会のときに流れていた懐かしの曲なのだ。もちろんそのときは作曲者も曲名も知らなかったが気持ちが高ぶりわくわくしたのを覚えている。19-5-26

 

『いい数字 出るまで計る 血圧計』この気持ちは『ある ある』でよくわかる。これは今年のサラリーマン川柳 にあったもの。昨年の4月からほぼ毎日欠かさず血圧を計ってきているけれど、日によってはかなりのばらつきがあって20以上の差が出たりもする。そんなときはもっと下がるのではと期待しながらまた計ってしまう。数度の計測を記録しているが一番上を省いても一番下は書き込む。19-5-25

 

まだ5月だというのに明日と明後日は30℃を超える予報になっていて、暑さに備えるよういろいろ注意喚起されている。寒さに対する注意報には慣れているけれど、5月に暑さへの対策を取らねばならないとは驚きだ。これもまちがいなく温暖化の影響だろう。これだと夏にはどこまで気温が上がるのか心配になってしまう。いよいよ北海道にも40℃超えの酷暑の夏がやってくるのかもしれない。19-5-24

 

案内状の宛名書き。友人知人のなかには個展のときにしか会えない人も大勢いるので、書くペンにも気持ちがこもる。かつては年に何度も開催してその度に来てもらって申し訳ないと思ったこともあったが最近は年に1回なので気兼ねなく出せる。もちろん、途切れる人もいれば新たに出す人もいるわけでその送り先は少しずつ変化していく。だから、長年に渡って観てくれる人は本当にありがたい。19-5-23

 

今年初めての家の裏と横の草取りをする。このタイミングでしたのは明後日はこちらも今年初の草の収集日になっているため。草はまだ出始めで短くさらに昨日の雨のせいもあって簡単に抜けてくれる。根が深くなってからだと苦労するから早めにやっておいた方がいい。何年も掛けてかなり小さい草も根こそぎ取ってきたはずなのにまた新しいものが芽生えてくるのだからその強さに驚きあきれる。19-5-22

 

信号待ちをしていたとき後ろにいた若い男(多分20代)が青になると同時にあせったように急ぎ足で自分より前に出た。きっと、歩きが遅いと判断して早めに前に出ておこうとしたのだろう。そのまま速く歩いてくれるならいいのに歩みを緩めるものだからすぐに追い付いてしまい、相手のペースに合わせて背後を歩くのも変なので追い抜く。年寄りイコール歩きが遅いと決めつけられてもこまる。19-5-21

 

発注した個展の案内状は1週間後に無事我家に届いた。さっそく確認してみると、イメージしていたよりもかなり明るく出来上がっていた。これまでは濃い目になっていたので意識的に明るめにして注文したらそのまま明るくなってしまったのだ。色校正をしてないのでこれはしかたがないし、配達料300円を含めて2.510円で案内状400枚のカラー印刷をしてもらうのだから文句は言えない。19-5-20

 

細かい制作や作業をするときはこれまでも眼鏡をはずすことが多かったが、最近はその機会がさらに増えた気がする。それだけ焦点を合わせる筋肉が弱ってしまったのだろう。これは加齢という老化によるものだからしかたがない。それでも幸いなのは眼鏡をはずせば至近距離ならはっきり見えること。もともと近眼だったせいでこうなったのだろう。これからは新聞や読書もそうなっていきそうだ。19-5-19

 

卓球熱が少し醒める。週に3回とか多いときには4回も行っていた卓球は車がなくなったため1回か2回に減り、それも休みや用事が入ったりして最近では週1がやっとになっている。あんまり間を置かずにやるとああしたいこうしたいと思った技術をすぐに試せるので燃えるけど、間ができるとその気も薄らいでしまう。今は個展の準備で忙しいからしかたないけど、終ったらもっと増やすつもり。19-5-18

 

続く。統計によると『運転に自信のある人』の割合いは高齢になるほど高くなるという。客観的に見ればそうでないことは明らかなのに高齢者はそう信じている。自分は正しいと思っているから運転操作の誤りや状況判断の遅れも反省しない。そして問題なのは多少自覚していてもそれを自分自身で認めようとしないこと。追いやられるようで寂しいけれどそこは素直に受け入れ運転に気を付けたい。19-5-17

 

重大な自動車事故を起こした運転手が「ブレーキを踏んでいたのに急加速した」と主張するケースが続いている。もしも、それが本当だとしたら大リコール事件になってその自動車メーカーは存続の危機に立たされる事態にだってなりかねないわけだがそんな様子は見えない。つまり、原因は『思い込み』にある。本人はまちがったことはしていないと認識しているだけにとても怖いし厄介な問題だ。19-5-16

 

つい10日ほど前には桜の花でピンクに染まっていたというのに、もうそんことさえも忘れさせるような勢いで萌黄色に変身した。毎年体験しているはずなのにその早さに驚かされてしまう。本当にあっという間の感じ。道端のタンポポも彩 りを添えている。ふと安春川を見るとカルガモの親子が目に飛び込んできた。ちょこちょこ動き回るヒナは7羽もいてとてもかわいい。ここにも春の芽生えが。19-5-15

 

随分日が長くなって日の入りは6時51分になり、夕方の散歩に出掛けるのも5時から5時半へと遅くなった。日の入りまで1時間以上あるので、ゆっくり散歩をして買物をしても明るいうちに家に帰られるのが嬉しい。昼の暑さを避けて歩けるのも助かる。夕方をのんびり過ごせるのは気持ちが安らぎ心の余裕も生まれる。これから夏至までの間は太陽の恩恵をさらにたくさん受けておかなくては。19-5-14

 

15日振りの卓球。たくさん汗をかき大満足。思う存分動き回り汗だくになるのはやっぱり気持いい。半月もたまっていた体の老廃物を一気に排出したような爽快感を味わう。今日もいつものように1時から4時まで休みなしで続けた。終了時間なので4時5分前には止めたけどまだまだやりたい気分だった。個展も迫ってきて何かと忙しいときではあるけれど心身共にリフレッシュの効力は大きい。19-5-13

 

車のエンジンが掛からず工場までレッカー移動してもらってからちょうど2ヶ月が経った。つまり、これで2ヶ月間まったく運転をしてないわけだ。30代の前半に初めて車を手に入れたときからこれほど長い間運転しなかったことはない。車のない風景と生活にはかなり慣れた気がするけれど、運転しない状態にも慣れつつある。でも運転の感覚を忘れないため個展後にレンタカーを借りるつもり。19-5-12

 

家のすぐ近くにある回転寿しならぬ超特急直通寿し屋に行く。正式にはなんと呼んでいるのか知らないが、自分の席のタッチパネルで注文した寿しが途中停車することなく超特急で目の前まで運ばれてくるのだ。あまりの早さに注文前から作ってあったのではと疑いたくなるほどだった。届けたあとはまた猛スピードで立ち去る。ピンポイントに停車し品物を運び届けるのはまるで超特急宅配のよう。19-5-11

 

個展の案内状を発注。パソコンでの1年振りの作業なので手間取るかと心配していたがスムーズに進み簡単に終らせられた。間を置かずにやっていれば問題なくても一年も経つと忘れる恐れがあると手順をメモしておいたのも正解だった。今はネットでの入稿なので時間的なロスがないのもありがたい。かつては郵送だったので発注までもっと時間が掛かった。これでまた安心して制作に専念できる。19-5-10

 

車による暴走事故で命が奪われる悲惨な事態が続いている。先月末にこの『ひとこと』で懸念した、事故が続くと先のものが忘れ去られる心配が現実になってしまいそうだ。今度は2歳の幼い二人の命が犠牲になり、他にも多数の重傷者を出してしまった。運転者は高齢者ではないけれど、自分勝手に問題ないと判断したおかげで命を奪ったという意味では同じになる。この状況を何とか変えなくては。19-5-9

 

遊歩道の桜は淡い桃色から新鮮な若草色へ変身。連休も過ぎ桜が散ってしまうと突然衣替えをしたようにその色を変える。桜の花は春の始まりを告げていて、その後の若い葉は春への突入を知らせている。これからは日々葉の成長が進み安春川沿いが黄緑色に覆われる日もそう遠くはない。この成長する時期の葉の色は心を和ませてくれるし何とも美しい。そこには新たに育つものへの愛おしさもある。19-5-8

 

今の住いは2軒の屋根がつながっている一棟二戸という造りの借家で、ここに移り住んですでに14年になる。隣は自分が引越して来た以前からの住人で優しくしてもらっていた。その人達が3日前に引越してしまいとても寂しい思いをしている。何世帯も住んでいるアパートの一室が空くのとは違う感じだし、多分隣の家が引越すのとも違うような気がする。体の一部を失ったたような感覚だろうか。19-5-7

 

モチーフ決めは覚悟していたよりスムーズに進み余裕で午前中に終らせることができてほっとした。今回のようにわりと簡単に決まるときと納得できなくてなかなか決まらないときがある。ほとんどはいくつかの物を組み合わせでセットするのだけれど、最初にメインを決めてからそれに合う物を探していく。高さ、大きさ、色など全体のリズムやバランスが大事なので組み合わせにはとても気を使う。19-5-6

 

10日間の連休もいよいよあと1日となってしまった。この連休中遠くに出掛けることはなく卓球もできなかったので制作に専念できてそれなりに長い休みに感じられた。休みとはいっても制作は仕事なのでのんびり過ごせたわけではないが集中して制作する時間があったおかげで大きめの作品を完成させられたのが嬉しい。明日は火曜日からの教室のためのモチーフ決めがあるので今日が最後の気分。19-5-5

 

衣食住には関係のないものとして、もしも『3つだけ物を持ってもいい』と言われたら何にするのだろうか。ふと頭に浮かんだのはシャープペンシルと紙(芯と紙は途切れないとして)。もうひとつは迷うところだが国語辞典にしよう。これで絵が描けて文章も書ける。さらに、言葉の意味や漢字も調べられので新たな知識の吸収もできる。これだけでも何年かは飽きずに生きられそうだ。もしもの話。19-5-4

 

続く。たとえ半分でも目の休みになってくれるならスケッチでもいいかと思っていたら、今日、素晴らしい発見をしてしまった。そんな大袈裟なものではないが、窓のさらに上にある細長い窓から空がきれいに見えるのだ。昨日は曇りで気付かなかったけれど、青空のもと流れる雲が見えて感激。ただし、これも青空だけなら遠くに焦点を合わせられないから雲が絶対必要になる。これなら完全休養だ。19-5-3

 

制作で目が疲れたら窓の外をスケッチ。近くを見て疲れた目を休めるには閉じたり揉んだりするより遠くをじっと見つめるのがいいと知ったので試してみたが、じっと見つめるだけでは3分も持たずに飽きてしまう。そこで、見慣れた家並みや庭や車などをスケッチしてみると10分どころか20分でも平気でできる。何もせず見つめていればいいのにこれができない。スケッチだと目の休みは半分に。19-5-2

 

久し振りに近くの公園の丘を上り下りした。ここを何度も何度も上り下りしたのは2008年に屋久島へ行った年だから、11年前になるわけだ。微妙な年数で、もうなのかまだなのかどっちとも言えない。とにかく縄文杉を目指していたので足腰を鍛えるために繰り返しやっていた。そのおかげもあって、無事縄文杉に出会えたときの感動は今もよく覚えている。そう考えるとそんなに遠くもないか。19-5-1

 

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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