ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

一昨年の苫小牧までの歩く旅のときにもその10日前に千歳空港までの42Hを歩いていたので心配はしてなかったが、不思議なほどどこにも異常なく辿り着けた。去年の『歩く旅』で学んだ足を蒸れさせてはいけないという教訓を守り20Hで靴下を取り替えたのもよかったと思う。帰りの列車は歩いて来た道の横をすごい速さで戻って行く。自分の努力があっさり消されてしまうような寂しさも。14-4-30

 

8時15分、徒歩で岩見沢駅を目指して快晴のもと札幌駅をスタート。フルマラソンコースを完歩してから9日後の決行。東橋で一旦12号線を離れ雁木(9:20)、角山経由で江別 (11:50)へ。ここで再び12号線に入る。豊幌駅(13:14)でおにぎりとパンの昼食を兼ねて20分休憩。幌向駅(14:10)上幌向駅(15:12)を過ぎ16時10分無事岩見沢駅到着。足も問題なし。続く。14-4-29

 

迷う布団選び。急に暖かくなったおかげで寝具は日々薄く少なくなっていく。厚い毛布から薄い毛布へ、そして、毛布からタオルケットに替えてもまだ汗ばむので掛け布団だけになった。それでも寝付くときには布団から足を出してしまう。寝室にしている部屋は南西の角なので晴れの日は寝る時間まで充分あったまっている。だから、朝方の寒さを考えると掛け布団も薄くするのも心配だし・・・。14-4-28

 

部屋にいても陽が高くなったのがよくわかる。冬には頭まで照らされて眩しかった陽の光が腰の辺りにまで下りてきた。それでも陽の強さは以前より増していて部屋は充分過ぎるほど暖まる。そして今日、今年初めてストーブをまったく焚かない日になった。これまでは朝方にちょっとだけ焚いていた。これからもストーブが恋しくなるときがあるかもしれないが、徐々に暑さの心配へと移っていく。14-4-27

 

雪が消えてからそんなに間がないというのに初夏のような暖かさがやってきた。それに誘われるかのように外でのスケッチに出掛ける。今年は自ら企画する個展は休みにするつもりだったのでずっと前からこの春を楽しみにしていた。追われる気持のないなかでのんびりたっぷりスケッチをできるのが嬉しい。さっそく家の近くの安春川を散歩しながら3時間余りで5枚仕上げる。たくさん描けそう。14-4-28

 

フルマラソンのコースを歩いているとき、いかにも今風の光景に出会う。バス停で待っている女子高生6人とふたりの男子が揃って皆うつむきながら自分の携帯を見ている。地下鉄などで携帯に夢中になっている姿はよく目にするが今回のは異様で寂しく感じた。それは外のせいもあるのかも。明るく弾けるように楽しく会話するこの世代独特のエネルギーも携帯に吸い取られてしまったというのか。14-4-27

 

先週の土曜日に『ハルカヤマ』の赤い作品の捜索に行ってきた。遠くまで飛ばされているのではと心配していたのに、何と設置したすぐ側に横たわっていた。破損状態もそれほどひどくはないがもちろん戻せるわけではない。悲しいけれど持ち運べる大きさにするため分解して折りながら割ってどんどん小さくしていく。2年前の山側のがまだ無事にしっかり立っていてくれてるのがせめてもの救い。14-4-26

 

ようやくタイヤ交換。本格的な春を迎える嬉しい作業のはずなのに、交換する夏タイヤに挟まった小石を取り除いていると釘のようなものが刺さっているのを見つけた。3本は交換してその1本を車に積んでスタンドへ走る。修理は2千円だというので一応タイヤの値段を聞いてみたが8千円との返答に迷わず修理を頼む。思い掛けない出費だが、走行中のパンクに繋がらなくてよかったと考えよう。14-4-23

 

ひとつの目標を達成すると気持は次の挑戦へと移っていく。今度のは昨年の生まれた場所から育った場所までの『歩く旅』の後に思い付いたもので札幌から滝川、富良野経由で狩勝峠を越えて実家のあった芽室まで歩くというもの。そこには両親の眠る墓がありいずれは自分も入れてもらうつもりなのでそれを実行すればすべてがつながると思ったのが始まり。この計画は何回にも分けてやるつもり。14-4-22

 

今回、正式なマラソンコースを完歩したおかげでいろいろなことがわかった。前半は多少の不安もあるけれど折り返し後はここまで来れたという自信とゴールまでの道のりがわかる安心感とゴールへ近づく実感が勇気を与えてくれる。気温10℃でしかも歩いてでも汗ばむのに炎天下で走るのは非常に辛いと思う。8時間で歩いたので時速は5,25Hになりこれから予定するときは5Hにすればいい。14-4-21

 

念願だった北海道マラソンのフルマラソンコースの完歩達成。テレビ塔大時計の午前7時18分を確認して大通 り4丁目をスタート。一旦南に向い平岸経由でテレビ塔裏に戻り今度は北へと歩く。新琴似の我家の近くを過ぎ、新川沿いを前田公園の少し先にある折り返し地点へ。Uターン後は同じ道をひたすら大通 りのゴールを目指す。8丁目のゴール到着は予想よりはるかに早い3時12分。続く。14-4-20

 

自分の生まれた年がどんな世相だったのかを改めて見てみると、『昭電疑獄で芦田内角崩壊 GHQ陰謀説も』『来なかったのは軍艦だけ 東宝争議に米軍出動』『東京裁判でA級戦犯25人に有罪判決』『太宰治が入水心中』『福井大地震で死者およそ3900人』『戦後日本のシンボル 天才歌手美空ひばりがデビュー』といった見出しが並んでいる。まだまだ戦後の激動の時代の中だったようだ。14-4-19

 

久々に分厚い日本全史をひもとき流し読みをしてみると1990年で終っている。この本を買ったときからすでに25年が過ぎ去り、その間にも様々な歴史が刻まれてきたことを振返ると長い年月にも感じられる。それは平成の歴史でもあるわけで、それだけ昭和が遠去かっているのだ。これからの人には、昭和23年生まれの自分が大正時代を歴史として認識していた感覚と同じになるんだろうな。14-4-18

 

4月の内に歩こうと思い立ったのには他にもわけがある。これまで13年に渡ってやってきた『歩く旅』のほとんどは10月の決行だった。気候としては4月がそれに一番近いとふと気付いたのがひとつ。10月を選んでた理由は個展などの関係もあるが、どちらかといえば少し寒い方が歩くのにはちょうどよかった。さらに、次に控えている『歩く旅』のためにも早めに済ませておきたいと思った。14-4-17

 

ようやく雪のない世界になって春を堪能できるはずだったのに冷たい風の日もあったりしてまだそこには達していない。そうこうしているうちに4月もすでに半月が過ぎてしまっている。なぜかすごく早く感じてしまう。そこで、何かを残して起きたいという欲求に応えるため5月に決行しようと思っていた『フルマラソンコースを完歩する』計画を来週に前倒しすることにした。これで落ち着ける。14-4-16

 

食べ物はできるだけそのものの本来の味を味わいたい。だから、調味料もできるだけ少なめにするか、まったく使わないときもある。そんな中でもどうしてもしたくないのが秋刀魚に掛けるレモン。一度試してみて秋刀魚の味がわからなくなりがっかりしてから二度としていない。レモン味の秋刀魚のおいしさがわからないのは少数派のようだがそれでも構わない。トンカツもソースだけの方が好き。14-4-15

 

朝の牛乳と夜のヨーグルトは欠かせない日課になっている。寝起きにまず200ccほどの牛乳を飲んでから朝食の準備に入る。いつから始めたかよく覚えてないが5年以上前からのはず。これで目覚めもスッキリ。そして夜はパソコンのホームページの『ひとこと』を書きネットで再確認するときにヨーグルトを食べる。ひと仕事の後だからなおうまい。もうひとつ食事のときの納豆も欠かせない。14-4-14

  

漢字の話になったとき「読みはわかるんだけど、なかなか書けない」との言葉をよく聞く。書くよりも読む機会のほうが多いから自然なことだ。僕もそうだった。でも、日常生活にはまったく出てこないし使わないような漢字までも書けるようになってくると反対の現象も起き始める。つまり「読めないけど書ける」というわけ。それは、『読みから漢字へ』の順序もセットで記憶されるためだろう。14-4-13

 

どうもこの国の基本方針は『無責任のすすめ』のようだ。なぜなら、原発を推進させるとは後世に対する無責任の極み。これだけ大きな警告と教訓を与えてもらったというのにまだ過ちを繰り返そうとするなんて自ら破滅を願っているとしか思えない。このままいけば日本はまちがいなく核のゴミ屋敷になる。それも、決して抜けだせないゴミ地獄に。そうなったときにも責任を負う人は誰もいない。14-4-12

 

続き。自分と同じようにふたりを応援する人達が大勢いるのを知って嬉しかった。非常に過酷で厳しい状況を乗り越え現在も確固たる信念を持って力強く生きている姿に感銘させられた。事件当時、『自己責任』との言葉で責め立てた人達は自己の信念を持たず(持てなくて)無責任で(大勢に流される)ひとりで行動する勇気のない人達なんだと思う。そんな風潮がますます強まっているのが怖い。14-4-11

 

映画『ファルージャ』を観た。これは10年前のイラク戦争日本人人質事件の被害者になった高遠菜穂子さんと今井紀明さんの現在を捉えたドキュメンタリー。事件当時からふたりの勇気と行動力に敬服していたのでその変わらない思いを届けたかったのと上映してくれた映画館への感謝の気持を伝えたくて向った。ところが、予想に反して満席のうえに補助椅子を出す混雑振りだった。嬉しい誤算。14-4-10

 

先日、自分が高齢者になっていることを知らされる通知が届いた。昨年末には敬老手帳の案内がきて、今度は保険会社から支払われる保険金減額の知らせがきた。同じ掛け金なのに受け取れる金額はいきなり半額になっている。それだけ病気になる可能性が高くなってくるというわけだ。よく見てみると70歳を越えるとさらに半額になってしまう。今まで以上に健康管理に気を付けようと再認識する。14-4-9

 

何事にもいい流れと悪い流れがある。ふとしたキッカケでどちらかに転ぶ。とくにスポーツにはこの流れが不思議なほど出てくる。もちろんプロ野球も例外ではない。日ハムは悪い流れの方にしっかり乗ってしまったようだ。4勝1敗のところまではよかったのにその後はあれよあれよの5連敗。好調な出足に喜んでいたはずなのにあっという間に4勝6敗になっている。もう大谷に頼るしかないのか。14-4-8

 

今頃はまっている漢字の書き取りは小学、中学そして10代の内にもっとしっかりやっておくべきだったと思う。ちゃんと覚えていなかったり誤って書いていたものも随分ある。その当時は全然自覚してなかったがかなりいい加減だった。今さらながら恥ずかしい気がする。そして、最近はどうせ書くのならと覚えるためだけでなく綺麗な字になるように心掛けている。ようやく、それなりになれそう。14-4-7

 

体調の変化の見分け方。これは風邪の場合。何となくだるいとか疲れているなというのもひとつのサインだけれど、はっきり現れてわかりやすいのが鼻と喉。くしゃみから始まり鼻水に移るときと喉のいがらっぽさから腫れに進むときがある。最近はどちらかというと喉からくることが多くなった。つい先日も喉に異常を感じたので早めに床についたおかげで無事乗り越えられた。とにかく初期が大事。14-4-6

 

朝起きてカーテンを開けてびっくり。昨日積雪0になったはずだったのに道路は白い雪に覆われていた。もう雪景色に戻ることはないと思い込んでいたのにあっさり覆された。本当の春になるには何度も行ったり来たりを繰り返せねばならないようだ。一旦10度以上の気温に慣らされているので0度近くまで下がると厳しい。夕方の買物を兼ねた散歩も冬なみの服装で手袋まで用意して出掛ける始末。14-4-5

 

ついに積雪0に。道北や道東では季節はずれの大雪で大変な目に遭っているが、札幌は今日の雨で積雪0になったらしい。これで長かった冬から完全に解放された気分になれる。これからは本格的な春に向って走り出し爽やかな季節になるなか、学校の入学式を控えている子供や若者達は新たな出発に胸躍らせているに違いない。その子らのためにも穏やかな晴れ晴れとした天気で祝ってあげてほしい。14-4-4

 

刑務所の高齢化もかなり深刻のようだ。世の中の高齢化に比例しているのか65歳を越えてからの初犯で刑務所入りする受刑者が随分増えているという。実際に居住房や作業部屋は年寄りで溢れていた。治療薬の配付にも時間を要していて、まるで老人施設のようだった。さらに、問題なのは出所しても生活していくあてがほとんどないことだ。そうなると再犯率も高くなり高齢化が増々進んでしまう。14-4-3

 

そのものの値段より、いくら払うのかを知りたい。つまり、税抜きの値段より肝心なのは税込みの価格。今日買物をしたスーパーでは税抜きの値段を大きく書き、税込みをその半分くらいに書いた価格票になっていた。これは客に不親切で少しでも安いかのように見せたいという店側の都合と魂胆に思える。レジに立つ前に何となくこれくらいの金額かなと概算するにも税込み表示でないと難しくなる。14-4-2

 

4月に入りいくつかの新たな始まりに出会う。コンビニで買った飲み物は今日からの消費税8%への変更でそれまでの98円が100円になっていた。この程度の買物では値上がり感はほとんどない。でも、塵も積もれば山となっていくのだろう。市民ホールでは新入社員と思われる若者の集団を目にする。ピッカピカの社会人1年生の新鮮な空気が漂っていた。絵画教室の場も変わって再出発の日に。14-4-1

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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