ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

200と145。胃と大腸の検査をする前に計った血圧が200。それでも何も驚きはしなかった。採血した直後だし、注射針の刺し間違いのおまけもあったので。係の人も「後でもう一度計りましょう」と淡々と言うだけだった。そして、処置室のベットに横たわり再度計った血圧が145。1時間半後だけれど状況が違えばこれだけ差が出る。145は僕にとって許容範囲内でまったく問題なし。14-6-30

 

スケッチをしている安春川の側にはグラウンドもあって土曜や日曜には少年野球の試合をやっていたりする。ゆとりがあるおかげでときどき観戦したりもする。小さな子供達が真剣に頑張っている姿はほほえましく思わず見入ってしまう。それなのに、大人のコーチや監督の注意や指導のときの罵声とも聞こえる言葉遣いの悪さに嫌な気分にさせられた。どうしてもっと優しく指導しないのだろうか。14-6-29

 

気にせず食べられる幸せ。たった2、3日の食材制限が解けただけでも気分は晴れ晴れ。野菜だけを上げても朝食はレタス、ミニトマト、胡瓜、昼食は玉 葱、白菜、ほうれん草、納豆、そして夕食には玉葱、人参、アスパラ、舞茸、ラッキョウを食べた。今日だけを見ても食事に野菜を欠かせないのがよくわかる。好き嫌いもアレルギーもなくおいしく食べられる喜びと幸せも一緒に噛みしめている。14-6-28

 

またひと山越えて一安心。予約時間の2時に受付けし採血を済ませ、胃と大腸の処置室へ向う。そこで検査着に着替えて椅子で待つ。しかし「担当の先生の手術が長引いているのでしばらく待ってほしい」と言われてしまった。自分も3時間余りの手術を体験したので快く承諾した。それは持参していた文庫本のおかげもある。1時間半後になったふたつの検査は共に異常なしで待ち疲れも吹っ飛ぶ。14-6-27

 

大腸の内視鏡検査と胃カメラ検査が明日に迫りその準備に入る。すでに2日ほど前から繊維質の多いものなどの摂取は控えめにしていた。野菜を控えるというのは辛いし難しい。御飯以外では野菜が食事の中心になっているのがよくわかる。6時の夕飯後、8時までに菓子とヨーグルトも食べ、9時にコップ半分の水に解かした下剤を飲む。明日午後の検査終了までは何も食べられない状態に入った。14-6-26

 

しつこいけどもう1回続ける。もし本当に聞こえてないとしたら、その理由がわかった。多分、深い眠りに入っていたのだ。ときどき流される議会の映像で居眠りしている議員の多さに本当にあきれる。もうひとつ考えらるのは自分の都合に合わせて極度の難聴になれるという誰かさんと同じ症状。どっちにしても許されない行いなのに何の抵抗もないようだ。これが実情とはいえ何とも恥ずかしい。14-6-25

 

見え透いた嘘を平気で付くその根性がたまらなく嫌。子供なら褒められたことではないが事情によってはその気持を察することもできる。しかし、今回のは歳も立場も違う。よくぞここまで揃いも揃って平然と嘘を付けるとは信じ難いが、彼らにしてみれば極めて自然な反応に違いない。長年培ってきた筋金入りの根性だからそう簡単に変えるわけにはいかないのだろう。その辺は非常にわかり易い。14-6-24

 

情けない大人達。『大人』と書いたがどうも違う気もするので『50年以上生きてきた人』とでもしておこうか。その人達の職業は都議会議員。一応、弁論も仕事の内と言ってもいいはずなのに自分の発した言葉に責任を持たないどころか発してないと嘘を付く始末。周りだって知ってるはずなのに誰も口を開かない。ヤジでは言いたい放題で散々偉そうにしていたのに急に押し黙る。どうして「いつも思っていることを正直に言って何が悪い」と即答しないのだ。とにかく情けない年寄りが多過ぎる。14-6-23

 

遊歩道のある安春川でスケッチをしていたときのこと。小学1年か2年生と思われる男の子に明るく弾んだ声で「こんにちは!」と挨拶され爽やかな気持にさせられた。歩きながらなのにそのタイミングも素晴らしく、なおかつ自然な振舞いにいい意味で驚き感動するほどだった。以前にも子供からの挨拶に嬉しくなった話を書いてるがやっぱり同じ気持になる。これも、のんびりスケッチのおかげ。14-6-22

 

いつの間にかというか、知らず知らずのうちにというか、ふいを付かれたというか、とにかく夏至が来てしまった。陽の長さを楽しむどころか長雨でずっとどんよりしていたせいで突然その日を迎えた感じがする。1年のなかで春分の日からこの夏至までが一番嬉しいときなのに、こんなにあっけなく過ぎてしまうのは寂しい。せめてこれからしばらくは夕方のゆったりしたひとときを与えてほしい。14-6-21

 

今朝はいつもよりちょっと遅めに起きて新聞を読んでいると、ワールドカップサッカーの日本戦があるのを知ってテレビをつけると何と後半45分だった。観戦できたのはロスタイムの3分ほどだったが、とにかくこれで2試合の終了間際は観たことになる。たまたまとはいえ2試合共ぎりぎりセーフだったのは不思議な気もする。でも、次の対戦は朝4時からなので3度目は叶わないかもしれない。14-6-20

 

今日も雨、昨日も雨、一昨日も雨、3日前も雨、・・、そしてついに14日間連続の雨になってしまった。これで6月としては過去最長だった1956年に58年振りに並んだという。6月の初旬には66年振りに6月の最高気温を更新したばかりなのに今度は雨の連続記録とは。とにかく極端から極端に走る。青空のもとの心地よい暖かさと爽やかな風を求めてやって来た観光客に申し訳ない気分。14-6-19

 

指導している絵画教室のひとりから「具体的な内容が全然わかんないんですけど国際芸術祭って何をするんですか?」と質問された。そこで、そこにいた8人に「どんかことをするか知っている人います?」とまず先に聞いてみると、全員が知らないという。美術に多少なりとも触れている人達でさえこの状態だから他の人達はもっと知らないだろう。大事な広報がほとんど機能してないのは明らか。14-6-18

 

6月もすでに半分が過ぎている。曇りと雨の日ばかりが続いたせいか減り張りもなくあっという間にここまできてしまった感じだ。今年は1月の素描展後は個展もグループ展の予定も入っていないのでゆっくりできるのはいいのだが、いつもの年より早く過ぎ去るような気もする。期限に追われ慌ただしくしているときの方が必然的に行動する時間も増えるので後で振返ると長く思えるというわけだ。14-6-17

 

野球とサッカーの違いのひとつは攻守交代があるかないかだ。野球にはしょっちゅう間があるがサッカーには前後半の中間の一回のみ。その点、野球はのんびりしてるがサッカーは慌ただしい。だから、野球は何かをしながらでも 観られるがサッカーはそんなわけにはいかない。今ふと気付いたのは、野球はラジオでもイメージ可能だがサッカーは難しい。サッカーのラジオ中継ってあるんだろうか?14-6-16

 

もともと野球ファンでサッカーには熱くならない。それでも、今朝の新聞で10時からワールドカップの日本戦があるのを知ってテレビで観るつもりでいたのに気付いたのは後半40分辺りだった。関心の度合いがそこにも出た。1:2で日本は敗れてしまったが、大集団の熱狂したファンが渋谷の交差点に立ち止まり奇声を上げていた。この異常な集団行動もサッカーに馴染めない一因の気がする。14-6-15

 

まるで梅雨入りしたかのようなどんよりとした雨の日が続いている。気温も低く昼でも20℃を切ることが多くて半袖では肌寒い。真夏を思わせるあの暑さはどこへ消えたのだろう。地球温暖化に伴い、とにかく極端な天候に向うらしいから、うららかな過ごし易い日々はどんどん減ってしまうのかもしれない。酷暑は嫌だが長期予報が当って冷夏になり、盛り上りのない寂しい夏になるのもこまる。14-6-14

 

シャワーのような土砂降りの雨の効用。もしも傘はなく非難するところさえないときに遭遇したら悲惨だが、これには有難い役目も付いている。それは車の洗車。中途半端な雨ではきれいになるどころか泥のまだら模様が残ってしまう。でも、今日のような激しい雨だと洗車したのと同じ状態になってくれる。この車を手に入れてからの11年間たったの一度も洗車せずにきれいなのは豪雨のおかげ。14-6-13

 

泣きたくなる出来事。昨日買ってきた額縁に水彩画を入れ、それなりに満足していつでも眺められるよう仮の場所に立て掛けておいた。そして今日、ちょっとした不注意で触れてしまい、その額縁を床に落してしまったのだ。大きな音と共にガラスは粉々に割れ、額には数ケ所に傷が付いてしまった。不幸中の幸いは絵が無事だったことだが、お披露目する前に壊し傷付けてしまった額がかわいそう。14-6-12

 

あと1ヶ月余りに迫った『札幌国際芸術祭』への盛り上りが一切感じられない。大きなイベントであればあるほど早い段階からの周知が大事なのに「これから本格的に告知していきたい」というのでは当然の成り行きか。美術関係者でさえいまいち見えてこないのだから一般 の人にはほとんど伝わっていないだろう。税金の無駄遣いと非難された『食の祭典』の二の舞いになるのではと心配している。14-6-11

 

気温が上がり家の中が暑くなってくると風通しをよくするため部屋を区切る戸やドアを開けっ放しにする。そうすると部屋の行き来がとても楽になりまるでワンルームのような気分になる。それはそれでいいのだが、そうした最初の晩の寝るときに1階の灯りを消して真っ暗な中を2階に行こうとしたところ、開いていたドアに額をぶつけて痛い目にあった。ドアを手でなく額で確認するとは・・・。14-6-10

 

たった3時間で64Lが62,5Lに。月曜日の午後1時から4時過ぎまで北区体育館で卓球をしている。いつもだけれどそこでは半端じゃない汗をかく。今日も大汗をかき、シャワーを浴びてから家に帰り、体重計に乗ってみて驚いた。何と1,5Lも減っているのだ。ただ、行く直前に計った体重でないのが 残念。それにしてもすごい減り方。さらに、水分補給と食事後に元に戻っていてまたびっくり。14-6-9

 

「ドンマイ、ドンマイ」が耳障り。パソコンにはあらゆる分野の映像を無料で視聴できるユー・チューブというものがあり、卓球上達のため練習の仕方や試合をしょっちゅう見ている。そんな中に、試合で松平健太が失点する度に観客席から「ドンマイ」の声が聞こえてくる映像があった。小学生や中学生ではなく日本を代表する選手に対して掛ける言葉としては不適切で失礼な気がしてならなかった。14-6-8

 

必要以上に他国(他人)を悪く言うときは自国(自分)に自信を持てないときが多い。今もそんな風潮になっている。政治家だけでなく一部の週刊誌や新聞もそれをさかんに煽っているとしか思えない。「こっちにも問題はあってもあっちはもっとひどい」と外へ目を向けさせようとする。それに乗ってしまう国民も情けないが、そんなことをしても何の解決にもならないどころか悪化するだけなのに。14-6-7

 

『将来に希望』、日本が最低。新聞に悲しい統計が出ていた。世界7ヶ国の若者の意識調査での「自分の将来に明るい希望を持っているか」との問いに「希望がある」「どちらかと言えば希望がある」と答えた日本人は62%で7ヶ国中最下位 だったという。対象国はアメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、スウェーデンに加えて韓国も含まれている。むやみに他国を非難している暇などないはずだ。14-6-6

 

新聞の見出しの『66年振り』に目が止まる。自分の年齢とほぼ同じ年数だとその長さを実感できるのでわかりやすい。とにかく、かなり昔だ。その中味は『6月の最高気温の更新』で、3日に1948年の31,9℃を越えて32,9℃を記録したという。近年の気象では何十年振りの更新が度々出てくるようになった。異常がこれだけ頻繁に起これば異常慣れして正常がわからなくなってしまいそう。14-6-5

 

『ひとこと』を書き終わってから、似た言い回しが昔からいくつかあることにふと気付いた。「・・・でないかい」「なくもない」「なくはない」などなどだ。この使い方と同じと考えれば「なくない」もほとんど違いはないようだ。おかしいとこだわっていたのが恥ずかしい気もする。時代と共に生まれる言葉があれば変化する言葉も消える言葉もあるのだから、これからは気にしないようにしよう。14-6-4

 

嫌いというより、どうにも理解できないのが「・・なくない」という言い方。いつの時代にも年配者から見て理解不能な若者言葉があるのは世の常だが、これもそのひとつ。最後の「・・なく」をそのまま受け止めると否定形のはずなのに、同意を求める肯定の意味で使われているようだ。言い換えると「私はこんな風に感じるんだけど、あんたもそう思わない」といった感じか。これもあいまい文化。14-6-3

 

「・・・がないと言えば嘘になる」という言い方が嫌い。多分、以前にも書いたような気もするけど、最近もそれを耳にして嫌いだという気持に変わりがないことを再認識。あいまいさを売りにする日本の風土には合っているかもしれないが、自己弁護をするような回りくどさが気になる。どうして「・・・がある」と素直に言わないのだろう。それを認めたくない自分を表わしているのはわかるけど。14-6-2

 

そのポプラ並木に行く途中に下水道科学館という建物があり、思わず入ってしまう。藻岩下では水道記念館に入り、今度は下水道とは。両方ともたまたま見つけた場所で、のんびりした気分でなければ入っていなかったはず。科学館とは名ばかりの施設だけれど3Dシアターはそれなりに楽しかった。水道記念館でも感じたが、どうしてもっと具体的でわかりやすい展示をしないのか不思議でならない。14-6-1

 



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NAKAHASHI OSAMU

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