ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

レンタルカメラ。まだアナログカメラを使っているので『ハルカヤマ』の最新情報をHPに即座に掲載することができない。24枚撮りのフィルムを使い切ってからプリントするのでどうしても更新が遅れてしまう。そこで、いつもプリントしているカメラ屋でデジカメのレンタル料金を聞くとたった1日で3,800円だという。それに加えて1週間前の予約が必要とのこと。これでこの選択は消えた。12-5-31

 

懐かしい大原美術館の展覧会を観る。1回目は42年前の学生のときで2回目は8年前に倉敷の大原美術館を訪れている。見覚えのある作品があればそうでないのもあり充分見応えはあった。不思議だったのは倉敷で観たとき以上に作品と間近に接した感じがしたこと。多分、それは旅先での昂揚感と作品のみならず倉敷美術館自体も鑑賞の内に入っていたせいだと思う。美術館の魅力は器にもある。12-5-30

 

創造は愛だ。制作するときは全身全霊を傾けて気を織り成し心を包み込む。出来上がった作品は自分の分身であり子供のようなものだから愛おしさが芽生え優しく見守りたいという欲求が心の底から湧いてくる。『ハルカヤマ』の作品には特にそれを強く感じる。黙々と土を運び出す行為に苦はない。何とも気恥ずかしい言い方になったがそんな心境とそれを素直に言える年令に達したということか。12-5-29

 

地層ならぬ葉層。崩落した『ハルカヤマ』の地中階段の復元を目指して崩れた土のかき出しに懸命になっている。最初はスコップでおおまかに削っていき、階段が近づいたと思われたらシャベルに替える。簡単には辿り着かないが石段に辿り着いた瞬間がわかりやすくて嬉しい。そこには去年の秋の落ち葉が層になっているのだ。まるで石段をラッピングして雪と土から守ってくれていたかのように。12-5-28

 

生活保護の受給者の中には「もらわねば損だ」的な歪んだ考えの人もいるらしい。本当の困窮者は除外しての話だが受け取るにはそれなりの覚悟を求めるべきだし、あくまでも一時的な救済策に徹するべきだと思う。すべてがパンクしては助けられるべき人達を見殺しにしてしまう。とにかく早急な対処が必要だ。すべてを救うとすべてを失う。認定の見極めの労力を惜しんでいられる状況ではない。12-5-27

 

もともと日本には自尊心や自立心を軽く見る傾向があった。今もある。信念を持って行動する人達を自らは表に出ず陰から批判する風潮もそれに当る。その場合は個人の立場というよりその他大勢の集団の内のひとりという認識を持つ。だから無責任にもなりやすく例え何か悪いことをしても「他にもしている人がいるのに何が悪い」と開き直る。やっていることの善悪は意識から完全に消えている。12-5-26

 

活躍中のタレントの母親が15年ほど前から生活保護費を受給していたとして週刊誌で取り上げられ社会問題化した。ずっと以前から感じていたことだが最低賃金で働く人よりずっと多くお金を支給される制度に問題がある。生活保護は最低限の生活を保障するというが受給者より給料の少ない人達の生活は保障されないのか。減額だけでなく申請や更新時の厳密化と不正者への厳罰化も必要になる。12-5-25

 

久し振りの焼肉に大満足。最近の食事では肉と魚の食する割合いは2:8くらいで魚が圧倒的に多い。若い頃は断然肉の方が多かったから次第に嗜好が変わってきたことになる。よく言われる世間のパターンと一致している。それでも、やっぱり肉もうまい。焼肉にするとそのおいしさは増して食欲も旺盛になり自然と食べる量 も多くなる。このエネルギーを卓球のパワーに転換できるといいのだが。12-5-24

 

大事なものがないとなれば必死に努力をして工夫もする。そうして人間は太古から生き延びてきた。あると思えばその努力も怠ってしまう。『いつまでもあると思うな親と金』ではないが、原発に頼ろうとすればするほ次世代への発電開発が遅れることになる。現に原発事故以降、太陽光発電量 が増えて過去最高になったという。世界をリードする意気込みで取り組めば経済の復活にも繋がると思う。12-5-23

 

安春川にようやく水の流れが蘇る。残念ながら桜の季節には間に合わなかったけれど、だれが流したのか黄色のタンポポの花がひとつゆっくりゆらゆらと気持よさそうに水に運ばれていた。川沿いの緑も一気に増えたような気さえしてしまう。寒くもなく暑くもない爽やかな春の陽気のせいもあって心が一層和む。待ちに待った水の流れで足取りも軽くなる。これからは流れと共に歩けるのが嬉しい。12-5-22

 

いつもよりちょっと早めに起きてそのときを待つ。そして、それは予告通りに始まった。幸い2階の窓から陽が差し込んでくれたので外に出ずに済んだ。紙の小さな穴を抜けた光は小さいけれど見事に日食を見せてくれた。もっとも進んだときには晴天なのに薄暗いという異常な風景になり非日常を実感できた。2030年には北海道で金冠日食を見られるらしいが18年後か・・・。そのときには。12-5-21

 

昨今、金環日食で随分盛り上がっているらしい。3分間の天体ショーで経済効果 が164億円とはじき出した学者もいる。札幌の場合は部分日食なので金環は見られないが何度かその話題になった。子供の頃、ロウソクの煙でガラスを黒くしてそれで日食を眺めたものだが現在は観測用グラスがあるという。グラスはないので紙に穴を開けてピンホールで見てみたい。問題は晴れてくれるかどうかだ。12-5-20

 

土曜の夜恒例の卓球で気持のいい汗をかく。シェイクのラケットのおかげで固さは取れてきたがペンとは違う技術があるのでそれに慣れるための練習はこれから始まる。これまで勘を取り戻せなくて苦労したペンのときと違って、シェイクは新たな技術を身に付けるわけだからたとえうまくできなくても気分は楽。それでも、早く使いこなせるようになって仲間とのラリーを楽しみたいから頑張ろう。12-5-19

 

体を動かすのが好きで運動そのものが大好きだから散歩であっても何のためというよりもそれ自体ですでに満足感が得られている。今はまったく走っていないがランニングやマラソンに夢中になる人の気持はよくわかる。そこにさらなる目標を設けて達成感を味わいたいと願うのも自然な欲求。何度か話しているが、フルマラソンに刺激された42Hという距離を今年こそ歩いてみたいと思っている。12-5-18

 

散歩の話になったときある女性が「それだけ歩いたらきっと◯◯kCalくらい消費してるね」「ケーキ一個分てとこかな」と言う。携帯電話に付いている万歩計には歩数だけでなく距離と消費カロリーと脂肪燃焼量 も表示されるけど、いつも確認するのは歩数だけで他はほとんど気にしていなかった。カロリーは意識してないから数値もわからない。同じ散歩でも目標とする中味に違いがあるものだ。12-5-17

 

9年振りに兄弟姉妹5人で食事会。9年前の母の死以来の全員集合で、年長の兄が67才になり年少の妹が58才になっている。「元気な内に会っておきたい」というか「会っておかねば」という気持もあって声を掛けたら4人共喜んで集まってくれた。両親のことや子供の頃の話に大いに盛り上がり楽しい時間を過ごせた。そこでは兄弟姉妹でなければわかり合えない思い出を語り合えるのがいい。12-5-16

 

修復には新しく何かを創作していくとき以上に大きな気力が必要になる。創作には自分の思いを具体化する喜びと徐々に出来上がる達成感も含まれるが、修復の場合は見えている出来上がりに戻す作業だから新鮮な感動はない。ただ黙々と単純作業を繰り返すより他ない。それでも土を運び出すのは石段を復活させたいという強い願望があるからだし、新たな表情に出会えるのではという期待もある。12-5-15

 

『ハルカヤマ』の地中階段の崩れた土の除去作業を始める。ほぼ全体に崩れていて顔を出しているのは石段の2段目までで地上から40〜50Bくらいだろうか。170Bはあった一番深い所もその状態だからかなりの土で埋められている。もう、地道にやるしかない。去年は底に溜まった雨水を汲み出したバケツに今度は土を入れて運び出すことになった。おかげで土の山はかなり高くなりそうだ。12-5-14

 

卓球に詳しくないほとんどの人達のためにラケットの説明をしておかなくてはならない。卓球のラケットにはペンホルダーとシェイクハンドの2種類があって、昔はラケットといえばペンだったが最近では選手だけでなく一般 の間でもシェイクが当り前になっている。今回初めてシェイクを使ってみて、その理由がよくわかった。まったく違和感なく持ててすぐに慣れるしとにかくバックが打ち易い。12-5-13

 

土曜の夜は卓球の日。嬉しいことに初めてのシェイクハンドが不慣れから抜け出すきっかけに。最初に練習相手をしてくれたベテランが僕の固まっているフォームを見かねて貸してくれたシェイクハンドのラケットが緊張の呪縛から一気に解放してくれた。近い内にペンからシェイクに換えようと考えていたがこんなに早く実現するとは思わなかった。そして、それを譲ってくれるという。感謝感激。12-5-12

 

頭の外はすっきりしたけど中の記憶がすっきりしない。知り合いの作家の名前が出てこなくて難儀する。すぐに思い出さなくても構わないのだが、思い出せないことが気になり、「あいうえお」から始めるがどこにも引っ掛からずに「ん」まで行ってしまった。これはまずいともう一度やろうとしたが糸口がなさそうなので一旦諦める。すると、間もなくふっと名前が浮かんだ。記憶の回路の不思議。12-5-11

 

頭がすっきり。2ヶ月に1度のはずの床屋が3ヶ月になってしまった。大した理由もなく何となくそうなったわけだけど、あえて探すならば寒かったせいかもしれない。長くなった髪の毛がうっとうしく感じるのは項が一番で、風呂上がりに乾きずらくなったり汗が溜まるようになるとそろそろかなと思う。今回はそのぎりぎりまで延ばしたことになる。髪が短くなって風も吹き抜け気分もさわやか。12-5-10

 

安春川沿いの桜並木は見事に満開だというのに水の流れがまだない。連休明けにはきっと出会えると楽しみにしていたのに・・・。早く流れてくれないと桜の花が散ってしまいそうで心配になる。散って風に飛ばされた花びらが川に落ちゆらゆらと流されるのを見たいのだ。そういえば、先日春香山に行き作品の周りに桜の花びらが敷き詰められているのを見て横に立つ大木が桜と知って嬉しくなった。12-5-9

 

考えたくないせいかあまり触れる人はいないが、原発のある場所は原爆を抱えているのと一緒で非常時には攻撃目標になる。つまり、核爆弾を持つ必要はなくそこを爆撃できる能力さえあればいい。国を守るという観点からも原発はすごく厄介な存在と言える。そんな事態は決して起こらないと願いたいが可能性は0のわけではない。国が破れても山河があれば生き延びられるがそれさえ奪われたら。12-5-8

 

原発を止めるべきだと考える理由には存在そのものが極めて危険であるだけでなく、決して低コストでない点にもある。稼動させるまでに大金が掛かるだけでなく稼働後も立地した自治体に毎年何十億という補助金を配り、その上使用済核燃料の処理には4万年とか10万年という天文学的な年数が必要になるわけでそれを安全に管理する費用も莫大なものになるはず。絶対に新たな手段を選択すべき。12-5-7

 

原発の稼動が0になった。これは42年ぶりだという。昨年の福島原発事故から考えると象徴的な意味のある出来事だと思う。原発なしでも生きていけることを試す絶好の機会を与えられたようなものだ。できるだけ努力をしてこの夏を乗り越え、どの程度の生活を維持すれば大丈夫なのかを知ることができれば将来に向けての貴重な指針となる。とにかく、原発0に向けてのスタートになってほしい。12-5-6

 

プロ野球の選手を『・・君』と呼ぶ解説者がいるがとても不快だ。同じ土俵にいるのなら構わないがすでに現役を引退した立場で先輩面 をするのは選手に対してすごく失礼だし、ファンにとっても自分のスター選手を上目線でそんな呼び方をされたら気分は悪い。プライベートを出さないのは仕事のイロハのはず。つまり彼等に社会人としてのプロ意識が欠けている証拠。桑田君も西崎君もそこに入る。12-5-5

 

一昨日の耳鼻咽喉科の診断を受けたとき「先生には突難のときお世話になりました」と話したら「他にもいろいろ診てますよ」と返された。そう言われて突難のあとも鼻や喉の治療に通 ったことを思い出した。おかげでカルテも随分厚くなっている。歯科を別にしてもっとも長いつきあいをしているのがこの科になった。耳に始まり鼻から喉へとつながり、これからも何かと縁がありそうな気がする。12-5-4

 

気温が急上昇し桜も開花してすっかり春の装いを増している。水温むのはまだまだ先だが安春川の水の流れの開始が待ち遠しい。たぶんもう間もないころだろう。緩やかな流れは心を穏やかにしてくれる。まだ今年の安春川沿いの散歩は復活してないが川の水が戻ったらさっそく始めたい。そうして、もうすぐ桜の花びらが川いっぱいに流れていく光景に出会える。毎年見ている光景だがすごく楽しみ。12-5-3

 

何度も世話になっている耳鼻咽喉科へ。2ヶ月ほど前から痰が出やすくなっていた。最初はときどきだったのが次第に間隔が狭まり最近では一旦出始めると止まらない鼻水のようになっていた。昨夜は何度も痰と咳で目覚めてしまった。おかげで喉はイガイガヒリヒリ。自然治癒を期待してたがもう限界と病院に駆けつける。診断は薬での1週間の様子見に。それだけで回復に向う気がするから不思議。12-5-2

 

いよいよ5月に、ということは今年もすでに3分の1が過ぎたわけで、そう考えると早いなと感じてしまう。雪解けが進まず春が遅かったことも影響している気がする。春の訪れが早いと3月と4月が長く感じるものなのにそうはならなかった。そうしているうちに目の前に貼ってあるカレンダーの上段が終ってしまった。7月には個展が控えているから8月までの中段を短くさせるわけにはいかない。12-5-1

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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