ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

肩の荷が下りる。昨日まとめたものを申告書に記入して、いつものように同じ道を徒歩で税務署に向う。『そういえば去年は吹雪だったなぁ』と思い出しながら歩く。1年に一度のことだから記憶が蘇る。40分程で到着。簡単な点検だけで提出完了。何年か前から短時間で済むようになったので随分助かっている。担いでた荷物を下ろした気分で足取りも軽くなる。これでまた1年間は解放される。11-2-28

 

午後から毎年恒例の確定申告書の作成に入る。もう手順も要領もわかっているはずなのに億劫な気持があって先延ばしにしていた。始めてしまえば余裕でできるだろうと軽く考え、テレビを見ながらやったせいもあって今日中に仕上げることができなかった。たくさんの数字とにらめっこして慣れない電卓を操作したおかげですっかり疲れてしまった。何だか毎年同じことを書いている気もするなぁ。11-2-27

 

家の近くにあるホームセンターには品揃えが少ないので、ちょっと遠くにある大きなところに行っていた。でも、ときどきは顔を出していたのでそこも大事な店だった。久し振りに寄ってみると品物の消えている棚がたくさんあり、もしかして閉店するのではとすごく心配になった。店員に聞いてみると今までより大工用品を増やしてリニューアルオープンするという。有難い改装に胸をなで下ろす。11-2-26

 

顔にあたる吹雪があまりに冷たくて夕方の散歩は途中で断念してしまった。昨日までの暖かさは嘘のように消えて、午後からどんどん冷え込んだようだ。もしもそれまでの3月末か4月並の暖気がなければ当然の寒さとして受け入れていたはずなのに緊張が解けた体には耐えられなかった。天気予報のなかで夕方の気温は−4℃と言ってたから極端に寒かったわけではない。弛んだ体と気持のせいだ。11-2-25

 

チュニジアに始まった今回の政変で今まであやふやだった国の位置や大きさがはっきりした。まず、このチュニジアがイタリアの先にあり、周辺国に比べて国土が狭いことも忘れていた。エジプトもチュニジアよりは大きいがリビアより小さい。そしてアラビア半島の先端にあるイエメンや小さな島国のようなバーレーンの場所なども改めて認識した。今後、再認識の国がさらに増えるかもしれない。11-2-24

 

知り合いの作家が訪ねて来てくれ、夕方から夜遅くまで語り合う。お酒を飲みながらの歓談はおおいに盛り上がり楽しい時間を過ごせた。もちろん、泊ってもらう。帰る心配がないのは気楽でいいものだ。普段、家ではまったくと言っていいほどアルコールを口にしないので家で飲むのはすごく久し振りのこと。とにかく、地下鉄駅からの酔い醒ましの徒歩もなく、ほろ酔い気分のままの就寝となる。110-2-23

 

素材の他に発表する場が新たな世界へと導いてくれるときがある。魅力的な場に出会ったり与えられると空間をどう活かすかというより、どう共振させるかという意識が強く働く。おのずとそれまでとは異なる制作方向へ向う。半透明のガラス窓の並ぶ場では乳白のアクリル作品が生まれ、天井の高い会場では4mを超える『はしご』ができ、電飾広告板では光から触発され。今度の場もまた楽しみ。11-2-22

 

素材によって作品の内容が変化するのは今までに何度も体験してきた。その素材は自分から求めたというより、誰かからもらったり偶然手に入れたものがほとんどだった。立体を作り始めるキッカケになったのは木彫作家からもらった10×3×3Bほどの小さな木辺だった。そこから角柱になりベニヤになり、そして偶然手に入れた古い梁や丸太に進んだ。アクリル板も人からもらったのが始まり。11-2-21

 

制作をしていてもカット作業がないので今年は腱鞘炎になる心配はなさそうだ。ここ数年はすっかり恒例になっていたというのに今は何の痛みもない。「腱鞘炎を治す方法はひとつしかない」「それは使わないこと」という医者の言葉が当っている。昨年の秋に開拓した素材の購入先のおかげで制作方法に変化が表れた。今後は制作方法だけでなく作品の内容や方向性にも大きな影響を与えるだろう。11-2-20

 

町内会の道路の排雪があり一気にすっきりとして、毎年のことながらこんなに広かったのかと驚いてしまう。道幅が広くなると解放感も味わえ足取りも軽くなる。出会った人に「もう雪が降らないでこのままでいてくれたらいいんですけどね」と希望を込めて言葉を交わしながらも『もう1、2回来るのでは』との覚悟もしている。窓の外を歩く人や車が随分低くなり、遠く小さくなった感じがする。11-2-19

 

何とも情けない。『何を考えているのだ』では物足りないから『何を馬鹿なことを考えているのだ』と言ってやりたい。考えているのは親分と自分の保身のことだけで国のことなんて『何も考えていない』としか言いようがない。小沢を擁護する議員達は自分の立場と責任を何も認識してない。情けないがこれも日本の現実。宇宙飛行士の若田さんの語った『和の心』は宇宙の彼方にしかないようだ。11-2-18

 

中田の表情が去年までとは明らかに違う。中田とはもちろん日ハムの中田。野球に取り組む姿勢や意識の変化がそうさせたのだろうが非常に精悍で腰の座った逞しさも顔に出てきた。それまでが甘過ぎたといえばそれまでだけど、成長の証しを顔の違いでこれほどわからせてくれる人も珍しい。顔だけでは勝負できないので実力のレベルもどんどん上げていってほしい。斉藤だけでなく中田も楽しみ。11-2-17

 

歌のある季節の行事は早い時期から盛り上げられる。お正月や雛まつり、子供盆踊り(これは短い期間だけどインパクトが強い)、そしてクリスマス。何か忘れているような気もするけど他は思い出せない。考えてみるとお正月の歌もクリスマスに押されて本当の年末にしか聞けないか。節分や子供の日の端午の節句には歌がないので静かに迎える感じがする。一番賑やかなのがクリスマスとは・・。11-2-16

 

灯をつけましょぼんぼりに〜♪ お花をいけましょ桃の花〜♪ 五〜人囃子にふえたいこ〜♪ 今日〜はたのしい ひなまつり〜♪ ・・・・ ・・・・〜♪ お嫁にい〜った 姉さまの ・・・・〜♪ 今日もスーパーではかわいい歌声が流れていた。聞き流していたので全部の歌詞は覚えてないけど、何だか気になったのは『姉さま』のあと。どう続くのだろう。今度はちゃんと聞いてみよう。11-2-15

 

今朝は新聞休刊日。新聞代わりにいつもは見ない朝のテレビを見てしまうと珍しさもあってついつい長い時間を過ごして始動の時間が遅くなる。新聞の文字情報は並列的なので読むかどうかを瞬時に判断できるから時間のコントロールはしやすいけどテレビはそうはいかない。受動的な時間軸があり次にどんな内容が来るのかわからないうえCMでも時間を取ってしまう。朝はやっぱり新聞がほしい。11-2-14

 

朝起きたとき、毛布と敷布の状態でその夜の寒さがだいたいわかる。寒かったときはほとんどしわも寄ってないしずれてもいない。でも、寒くなかったとき(暖かいという言葉は2月には相応しくないので)は両方共がよれよれになっている。今朝がそうだった。こんなとき最悪なのは自分で蹴飛ばしておきながら寒くなって目が覚めるとき。幸いそれはなかったからよかった。少しずつ春が近づく。11-2-13

 

アトリエの屋根の雪が無事落ちているかどうかの確認に行く。先月の軒上の雪下ろしの後、暖かい日が続いたのでさらに上の雪も落ちているはずと踏んでいたけど、確証はないので行ってみた。やはり、屋根に雪はなく軒下には大きな雪の塊が堆く積み重なっていた。その位 置からしてもかなり勢いよく滑り落ちてきたのがわかる。あの暖かさのおかげだ。これで雪のない屋根を思い浮かべられれる。11-2-12

 

『普通の人』。これもテレビの話。事件があった場合などに容疑者の人柄を近所の人や知り合いに「どんな人でしたか」と聞くと「普通 の人でしたよ」との応えが結構多い。そのときの『普通の人』に入る範囲はどこまでなのだろうか。言い方を変えれば『平均的な人』なのだろうが、平均の基準もどこに置くかで違ってくるので曖昧。元気よく挨拶していても芸術家は『普通 の人』ではないような。11-2-11

 

テレビでたまに「人の役に立つ仕事をしたい」または「したかった」との発言を耳にすることがある。裏の社会でない限り世の中の仕事とはすべてが人の役に立っているわけでそこに優劣はつけられない。きっと、その人の言わんとする意味は『直接人と触れ合い互いの心が行き交う仕事がしたい』のような気がする。この気持はわからないでもないがこれを政治家に言われたら気分が悪くなりそう。11-2-10

 

財力と体力の蓄え。お金を蓄える力(正しくは稼ぐ力)は大して望めないので、運動好きの助けも借りて体の能力だけは蓄えておきたいとの思いから努めて歩くようにしている。お金のように目に見えるものではなくてもきっとこの蓄えが役立ってくれるはず。頑張るわけでなく無理するわけでもなく楽しみながら蓄えられるのだからこんな嬉しいことはない。昨日も今日も1万4千歩を稼いで大満足。11-2-9

 

除雪されていない歩道は積雪の度に踏み固められどんどん高くなっていく。玄関先や車の出入り口などは除雪されていて低くなっているので凸 凹もかなり激しい。そんな歩きづらい道でも野山を歩いてるつもりになれば苦でなくなってしまう。もちろん雪のない平坦な道のほうが楽だとしてもいろいろな状況や環境に適応する柔軟性は持ち続けていたいもの。運動好きだから多少の変化は楽しい内の中。11-2-8

 

2月はあっという間に逃げるらしいけど本当にそんな気がする。すでに7日が過ぎ、28日までしかない2月の4分の1が済んでしまった。月末が削り取られているから中盤からいきなりラストスパートに入るような気分にさせられる。1日1日がひとつの節目になるように1週間が、そして1ヶ月も大切な区切りになっているのでこの3日の違いは大きい。スーパーではもうひな祭りの歌が流れてた。11-2-7

 

新作の制作を進めているが今までとは違った細心の注意が必要になっている。仕事内容は先週の木曜日に届いた7点分のアクリル板の接着作業だが、そのときに気を使うのが塵と埃。とにかく黒は目立つから厄介だ。そして、最後には透明の蓋をするので取り除けなかったそれらは作品の中に残り後で気付いても手の施しようがなくなる。完全に除去するのは無理だけど密封後に泣かないようにしたい。11-2-6

 

いつか必要になるのではと買っておいたマジックハンドの出番がついにやって来た。具体的な用途があったわけでなく特売の200円だったこととおもちゃのような楽しさもあってつい買ってしまったもの。制作中に蓋の部分を細長い箱型の作品の中に落してしまって『さあどうしよう』とあせったときに思い出したのがマジックハンド。1年ほど寝たままだったがゴッドハンドになって助けてくれた。11-2-5

 

『宇宙人いるかも!?』という見出しが新聞に載っていた。宇宙人という言い方に疑問はあるけれど生命体は必ずいると思う。存在しないと考える方に無理がある。しかし、出会う可能性は限り無く0に近い。妙に説得力があったのは学者の「富士山の麓にいる蟻がアマゾン川源流の蟻に出会うようなもの」との例え。だからUFOだって同じこと。あまりにも広い宇宙だから夢と探究は限り無く続く。 11-2-4

 

手の爪切り。『ちょっと伸びたかな』と感じたときに切っているのでどの位 の間隔を置いているのかはわからない。1週間ではない気がするから10日おき位 だろうか。切る前にまだ大丈夫かなと思ってもいざ切り始めると結構な伸び具合に気付いたりするからもっとまめがいいのか。足の爪は更に間隔が長くなるのは伸びるのが遅いためと確認しづらいせいもある。髪や髭と同じで切るとスッキリ。110-2-3

 

地下鉄の端の座席に座っていたとき若い娘が隣に上手な間(背もたれの印に合わせて)で座った。その娘はその隣をきちんと空けた。若いのにしっかりしてるなと感心しているとバッグから大きな鏡を取り出し化粧を始めた。向いの座席を見ると着物姿の取り澄ました中年女性がふたつの座席の真ん中に平然と座っている。化粧に夢中の隣の娘のほうがずっと気遣いがある。当然、こっちに好感を持つ。11-2-2

 

1月が終り2月に入る。1月の中旬は大雪に襲われたが月末は比較的穏やかな日々が続き雪かきをしないで済んでとても助かった。今年は会う人ごとに降っても降らなくても雪の話題が挨拶代わりになっている。降ったら「雪かき大変ですよね」になり、降らなければ「助かってますよね」になる。ただ、住んでる地域と一軒家かマンション住まいかによってもその応えは随分異なる。2月の初日は雪。11-2-1

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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