ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

いよいよ6月最後の日になった。制作に忙しい日々だったのであっという間に過ぎた感じがする。明日は午前中に搬入飾り付けをして12時から個展に入る。慌ただしい展示作業のあといきなり始まるのは緊張の連続になりしんどいけど頑張るしかない。搬入はだいたい前日が多く前々日の場合は追い込みの疲れを癒す有難い休みになっていた。とにかく明日から6日までは貴重な時間が待っている 。08-6-30

 

新聞の見出しに《ビーガン対応に奔走》とあったからでっきりフーリガンのようなものかと思ったら絶対菜食主義者のことだという。菜食主義より徹底していて卵や乳製品も口にしないらしい。その人達の主義を尊重するのはいいがNGO関係者が《奔走》するほど慌てる必要はないのでは。今の時期なら地元の新鮮な野菜はいくらでも手に入るし、野菜だけの料理だってたくさんある。それでは不満?08-6-29

 

小さな作品のアクリル板のカットとヤスリがけを続けてるうち、肘から下の筋肉が痛み始める。小さなもののほうが余計な力が入るようだ。しばらく間を置くことにして痛みを和らげてくれるかと、いつのものかわからぬ 試供品のシップを貼ってみる。ちょっとドロドロしてるので少し迷ったが飲み薬じゃないから大丈夫と判断した。懐かしい匂いが漂い腕が圧迫されて効いてくる感じがするのだが。08-7-28

 

くやしい間違い。それを2度もやってしまった。昨日、送ったばかりの案内状が[あて所に尋ねあたりません]の真っ赤なスタンプを押されて返ってきた。つい最近知ったばかりの住所で引越したはずはないのに『どうして』とよく調べると12丁目を11丁目と書いてある。その前は古い住所に出したもの。自分の間違いのせいで役目を果 たせず消印を押された切手がもったいなくてかわいそう。08-6-27

 

「そう、そう、そう」。話し終ったあとにその言葉が返ってきたとき、話したことが全部吸い取られたようで寂しい気持になった。「そう、それはもうとっくにわかってることなんだよ」とでも言われた感じ。二度返事は失礼と言われるけど三度返事はもっと失礼になりそうだ。本当に親しい間柄ならいいけどそうでないときは気を付けねば。自分のことは気づかないから。『そう、そう、そう』。08-6-26

 

今の法務大臣になってから死刑の執行が極端に増えている。『凶悪犯罪の抑止力になる』とのコメントもあったがそれはまったく的外れで無責任な発言。根本的な原因の追求も対処もなくただたんに見せしめ的な報復では何の解決にならないどころか、これほど自殺者の出てくる社会で『死刑』を乱発すれば『死』をさらに軽く受け止められかねない。凶悪犯であろうと『死刑』は『殺人』になる。08-6-25

 

33,000人。これは昨年の自殺者の人数。10年連続して3万人台だという。新聞によると先進国のなかでも自殺率は高くイギリスやアメリカの2倍以上あるらしい。自ら命を断つ人が1年でこれほどいることに驚く。悲しいかな自殺のサイトまであり、それを参考にしたり仲間を募ったりもしている。現在を絶望し将来に希望を持てず不安だらけの人で溢れているわけだ。それも今の社会の鏡。08-6-24

 

作品作りと内職との決定的な違いは好きでやってるかどうかと金になるかならないかだ。作品は誰に頼まれたわけでもないのに勝手に作り、それが金に代わることはたまにしかない。それでも、自分の創造的欲求に応えられた満足感があるからこりずにまた作る。さらに、出来上がりの全体像をイメージしながら作っていることも違いのひとつ。それを強く意識して繰返しの作業を何とか乗り越える。08-6-23

 

今は同じ形の小さな作品をたくさん作っている。同じ作業を繰り返して徐々にたまっていくのを眺めると内職をしてるよう。でもそれは袋貼りや絵付けや部品作りなどの昔の内職のイメージで今はどんな内職が一般 的なのかは知らない。『あなたも自宅で月・・万円』などの誘いにだまされたという話はたまに聞くのだが。もしかして職業安定所が薄っぺらなハローワークになったように内職も死語?08-6-22

 

残念ながら曇り空で夏至の夕方を満喫することはできなかった。少しの寂しさと共にいつもと大して変わらぬ 時刻にカーテンを引く。カーテンは夕方の終りを意味して宵を告げる。それは部屋の灯りをともすときと重なる。ときどき灯りをつけているのにカーテンを引かない家を見かけるけどどんな気持なんだろう。夕方を感じていたいというのならわからないでもない。人目がないならそうしたい。08-6-21

 

昨日、今日と薄暗くてぐずぐずした天気が続いたので明日が夏至だというのがどうしても信じられない。1年で一番長い昼を迎えるはずなのにそんな気がしない。せめてもの望みは明日こそ晴れてくれて1日の陽の長さを存分に享受させてほしいということ。幸い、天気予報では曇りのち晴れになっている。これが反対の晴れのち曇りでなくて本当によかった。夏至を実感するのは陽の落ちない夕方。08-6-20

 

6回目の今日、ついに雨が降る。天気予報では雨が振るのは3時過ぎとなっていたので、それを信じて植物園へ。それなのに1時半頃にはポツリポツリときて、2時にはすっかり本格的な雨に。予報を恨んでもしかたなく、スケッチをあきらめ植物園をあとにする。時間は多少ずれたけど雨の降るのは見事に適中したわけで予報は正しかった。それなのに最近は時間まであてにするようになった。08-6-19

 

今月5回目の植物園。講師をしているカルチャーセンターのふたつの教室がともに植物園での制作になっていて週2回ずつ通 っている。幸いこれまでは晴天に恵まれ、暑くもなく寒くもなくちょうど過ごしやすい気温になってくれた。おかげでのんびりとピクニック気分で森林浴をしながら絵を描いてもらうことができた。街の中心部に原生林と触れ合える場があるなんて何とも幸せなことだと思う。08-6-18

 

作品を運搬するための箱作りをする。作品は40×40×80Bなので箱はそれより1Bずつ大きめに作る。ベニヤに垂木の枠を付けそれを箱に組み立てた。入れるときのことを考えて前面 とふたの部分は後から取り付けれるようになっている。1Bの余分は収めるときの指の部分で、作品を入れた後はそこに緩衝用の段ボールを挟み込む。試しに入れてみるとちょうどいい。作品が『内包』された。08-6-17

 

でき過ぎたギャラリーの壁。ビルの地下2階に最近オープンしたギャラリーで感じたこと。ふたつのギャラリーのひとつの部屋は片面 がブロックでもう一面は年代がかったコンクリートが剥き出しになっていた。いかにも地下室の雰囲気が漂う。この壁には長い年月をかけて作り出された奧深い存在感がありそこに展示された作品が負けてしまいそうだった。壁そのものが主張し過ぎると作品は浮く。08-6-16

 

土曜の夜7時、中華の店にたったひとり。昨日のトークイベント後に入った食堂でのこと。入るときひとりの出る客とすれ違う。そして、店内を見て驚いた。テーブル席が30席ほどあるというのに客はそのひとりだけだったようで中には誰もいない。入る店をまちがったようだがあきらめた。残念ながら悪い予感は見事に的中した。食べ終るまでにまちがって(?)入って来た客はふたり。・・・。08-6-15

 

建築家によるフリートークイベントに行ってみた。それは40才以下の若手の建築家集団によるUN40建築展の会場で行われた。5人の内2人が知り合いだから、3日前に展示を観に行くまではどうしようか迷っていた。でも、そこで司会する人がつい最近知り合った人とわかって『これは、来なくっちゃ』となったわけ。建築に対するそれぞれのテーマや意識、コンセプトなどを聞けて楽しかった。08-6-14

 

家の裏にタイヤ2本が捨てられていた。ゴミ捨て場にされたことで非常に嫌な気分になる。借家とはいえ自分で処理しなくてはならないだろうと思いながらも一応管理会社に電話すると案の定の返事。タイヤは市の大型ゴミとして扱ってないので処理業者を探して持ち込む必要がある。めんどうだけどそのままにしてさらに増えてもかなわないからできるだけ早くやらねば・・。それにしても気分が。08-6-13

 

テグスと錘を買いに釣具店へ。今まで一度も入ったことのなかった釣具店に最近は度々顔を出している。釣を始めたわけではない。今回の制作の補助的な素材として、もっとも細い0.6号のテグスと軽い錘を買う。テグスはすぐに思い浮かんだが錘はいろいろな試行錯誤の末にようやく辿り着いたもの。ハンダ付けもロウもビーズも試した後の錘。おかげで新たな素材に触れることができたのも収穫。08-6-12

 

いつもより1週間早い個展の案内状の宛名書き。パソコンでプリントする宛名シールの作り方をまだ覚えてないから一枚一枚手書きをしている。それは当り前のことだったが、最近はシールで届く案内状が随分増えて半分近くがそうかもしれない。大量 に送りたいときには書く手間が省けて確かに便利。でも、そうするとそれでなくても少なくなってしまった字を書く機会がさらに減ってしまいそう。 08-6-11

 

また『普通』が出てきた。新聞によると、秋葉原で起きた悲惨な殺傷事件の犯人について高校三年間生活指導に当っていたという教頭は「ほとんど記憶にない。ごく普通 の生徒だったと思う」と語っている。記憶にない生徒をどうして『普通』と言えるのか。正直に「わからない」と言うほうがその個を認めることになる。わかりもしないのにひとまとめにしてしまう決めつけにも問題の一端がある。08-6-10

 

段ボール箱が欲しくて買物。作品の黒玉を入れて運ぶための段ボール箱を手に入れようとスーパーに入る。そこは以前、頻繁に行ってバナナの箱を大量 にゲットしたスーパー。かなり強引だけど小さな買物を繰り返し、その度に段ボール箱に入れて持ち帰った。バブルの頃で箱が山積みになってたからできたこと。今はそれでは申し訳ないのでかさ張る野菜を何点か買い、レジ袋を断って段ボール箱に。08-6-9

 

一瞬ひやり。作品の材料を買った帰りのこと。前の車が随分ゆっくりなので右折するのかと思い、左のレーンに移った。その直後に、突然歩道側から『検問中』の旗を掲げた警官が飛び出てきた。びっくりして条件反射のようにブレーキに足が掛かる。スピードオーバーはしてないはずとルームミラーを覗くとすぐ後ろの車が止められていた。止めようとしてた車の前に出たから警官も慌てたのだろう。08-6-8

 

国会でアイヌ民族は先住民族との決議がなされた。アイヌの人達が喜んでいるなら言うことはないが、何をいまさらという気もする。アイヌが先住民族であったのは誰が考えても明白な事実であまりにも遅すぎる。日高で生まれ育ったのでアイヌの人達とは小中高と学校生活をともにしていて、一緒が当り前でごく自然な付き合いをしていた。それでも、厳しい状況に置かれている現実は想像できた。08-6-7

 

個展のポスターを会場となる紀伊國屋書店に届ける。街にあるプリントショップで作ってもらったものでB2で1枚1.780円だった。コピー感覚だと高いが、B2はそれなりの大きさだし印刷だと思えばしかたがないのか。2枚必要だけどとりあえず1枚頼み、出来上がりを確認してからもう1枚注文した。書店のレジカウンター横にはちゃんと個展の案内状が置いてある。減ってくれますように。08-6-6

 

今日は手紙が届いた。中味は『担任の先生のおかげで今の自分があるとずっと思っていたので連絡してもらい感謝してます。先生を交えてクラスの仲間と会えるときを首を長くして待っています』というものだった。この手紙も頑張りが湧いてくるので嬉しい。それとは反対に残念なのは返送されてくる手紙。平成9年現在の住所もあったから戻ってくることも予測はしていたがやっぱり寂しいものだ。08-6-5

 

中学校の同級生の住所録をまとめ、わかった仲間達に郵送したらそのうちのひとりからさっそく電話が入った。懐かしくなり手紙が届いてすぐかけたという。話をするのは45年振りだけど互いに名字でなく名前で呼び合えたところが嬉しい。昨年の秋、東京で中学時代の担任の先生に会ったときから先生を交えてのクラス会をしたいと思っていた。具体的に動き始めてすぐの反応はとにかく有難い。08-6-4

 

『普通』と呼ばれる人が増えるということは個としての認識がどんどん薄れていくことにも繋がっている。『普通 』で片付けてしまうとそれ以上知る意欲も努力も消えていく。そして、当然固体識別 も難しくなる。違いを認めない違いを尊重しようとしない風潮がその傾向を強める役目を果 たしている。だから、同じであることが『普通』になり同化を求める意識が無意識に働く。本当は違うのに。08-6-3

 

気になったので『普通』を国語辞典(三省堂)で調べてみると、『世間にざらにあり、なんら変わった所が見られないこと』『平均水準としてその傾きが見られること』『一般 にそう考えられてること』とある。『普通』は平均的で平凡なそして常識的なことになるが、どうしてもその具体像が浮かんでこない。もちろん、ひとりひとりの像は浮かぶ。しかし、その平均となるとやっぱりわからない。08-6-2

 

現金輸送車から1億円を超える現金を盗んで逮捕された犯人に対する近所の人の印象として新聞に「今時の普通 の若者」「挨拶もする普通の人だった」と『普通』が何度も出てきた。いったい『普通 』って何なの。言ってる近所の普通の人には深い意味はないのだろうが、記事にする普通 の記者は言葉のプロとしてどう捕えているのか聞いてみたい。物事にはわかりやすい言葉だが人となると難しい。08-6-1

 



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NAKAHASHI OSAMU

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