ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

カルチャーセンターのモチーフに使うためミニバナナを探し回ってわかったこと。最初はすぐ近くのスーパーで買えると思って気軽に出掛けたのにそれがない。そこからスーパー巡りが始まった。もし、ここでなければ諦めようと入った7軒目でようやく発見。1時間半歩いてやっと手に入れたわけだけど、もうひとつの発見は1時間半歩くと7つのスーパーに行けるという恵まれた環境にいること。09-3-31

 

土日は高速道路の料金が1,000円になるということで混雑したらしい。喜んでいる人もいるだろうけど、ETC搭載の乗用車に限るというからかなり不公平な法律だ。ここ20年近く高速を走ってない立場からの発言では説得力に欠けるが、ガソリンは食うしお金を払っても時間に大差ないなら下を走っていたい。もちろん?自分の車にETCなんて付けてないし付ける気もないから関係ないんだけど。 09-3-30

 

三日月に誘われて。夜の7時半、いつもよりちょっと遅い時間になったけど近くのスーパーまで買物に出掛けた。外に出てふと空を見上げると、今まで見たことのなかった三日月が目に飛び込んできた。お椀の断面 のように三日月が完全に寝ている。珍しさとおもしろさで月を見続けながら散歩することになった。それにしても、今までどうしてこの月を見てなかったのかが不思議でならなかった。09-3-29

 

ジャズ演奏を聴く。午後のひととき、自分の住む北区の区民センターでジャズコンサートを堪能。1時間40分あまり聴かせてもらって無料だからありがたい。懐かしい名曲がほとんどで『モーニン』や『A列車で行こう』なんかは大いに盛り上がった。ちょっと前まで家で聴く曲といえば60〜70年代のリズム&ブルースが多かったのに、最近は好みの変化かほとんどジャズを聴くようになった。09-3-28

 

45年振りのクラス会の終ったあと、先生や仲間達から楽しかったとの電話や手紙をもらった。それだけでも嬉しいのに感謝の気持も入っていると喜びはさらに脹らむ。頑張ってやってよかったとしみじみ思う。感謝、この言葉の意味と深さをよく感じられる年令になったせいもあるだろう。同じく、いやそれ以上に、人に対して感謝の気持をきちんと伝える努力を惜しんではいけないと教えられた。09-3-27

 

そのまま春に移るものと思い込んでいたのに寒さがぶり返している。もう気持が春を迎えるモードになっていたからなおさら寒さがこたえる。寒暖はかなり気持に関係していて寒さを覚悟していると0℃でも暖かく感じるのに気が弛んでいるとすごく寒く感じてしまう。せっかく風邪をひかずに冬を越せたと喜んでいたのにここで油断したら大変なことになりそう。桜の春まで気を引き締めなくては。09-3-26

 

今年の秋の旅は信州。2年ほど前から決めていた行き先で松本、長野、軽井沢と美術館を中心に巡る予定だった。その計画に大きな変更はないが、旅雑誌を見ているうちに新たに飛騨高山も加わることになりそうだ。地図を見て松本から峠を超えると高山に行けることを知って、この際岐阜県にも足を延ばしたくなった。こうして少しずつ旅の中味が具体的になるにしたがって楽しみも深まっていく。09-3-25

 

英語の手紙を読んで理解するのに時間がかかるのは文字の癖だけでなく、わからない単語が出てきたり、わかってたはずなのに忘れてしまった単語がある度に辞書を引かねばならないから。とくにこまるのは文字がわからなくて辞書で探すことさえできないとき。そんなときは勘でいくつか当ってみて意味から推測する。それでも、違う言葉で繋がっている遠い国の友達がいる幸せをかみしめている。09-3-24

 

最近はだいたい年に一度の手紙が届いた。とても嬉しいんだけど、その手紙を理解するには少し時間がかかる。それは、ドイツ人の友達からの英語で書かれたものだから。26才のとき、オックスフォードの英語の語学学校で知り合い友達になってからの付き合いですでに34年にもなっている。今までかなりの数の手紙のやりとりをしているのに、まだその癖字に馴れていないので解読する感じに。09-3-23

 

万年筆を手にすると手紙を書きたい気持になる。そういえば、その昔、高校生のとき遠く離れた場所に同じ年で女子高に通 うペンフレンドがいた。手紙のやりとりは4年ほど続いて青春の淡い思い出のひとつになっている。そのとき使っていたのは万年筆だったと思う。高校に入学したとき親から買ってもらった万年筆は青春時代の憧れの一品でもあった。青いインクで書かれた文字が脳裏に浮かぶ。09-3-22

 

長い間眠っていた万年筆のクリーニングをしてもらった。文具店から案内の葉書が届いて、しばらく使っていない万年筆があることを思い出した。すぐに見つけた2本のメーカーはセーラーとドイツ製のもの。『パイロットフェア』になっていたが、どこのでも大丈夫というのでさっそく持っていく。久し振り、多分20年振りくらいに復活した万年筆の書き心地は滑らかで郷愁も運んできてくれた。09-3-21

 

WBCで日本は韓国に勝ち応援してた人達は大いに盛り上がったことだろう。それに水を差すわけではないが、試合後のイチローのコメントが気になった。『3連敗はできない』『プライドの問題』『プライドが許さない』と言ってるが、2連敗まではプライドに影響しないわけ?勝ったからいいようなもので、もし負けていたら何と言うのだろう。スポーツはプライドのためのみに戦うものではない。09-3-20

 

何で『侍ジャパン』なわけ。ワールド ベースボール クラシックの日本代表のチーム名というか愛称がそうなってるようだ。そのうち『富士山ジャパン』や『芸者ジャパン』や『スキヤキジャパン』も出てくるのだろうか。本当は恥ずかしいから嫌だけど、どうしても冠を付けたいのなら『侍日本』にするべきでジャパンにする意味がわからない。商業的な観点からだと言われればそれまでだけど。09-3-19

 

起床時刻が早まった。起床は日の出に関係していて、日の出が早くなるとそれに合わせて起きるのも早くなる。暦を見てみれば明後日は1年のうちで特にこだわっている4日のうちの1日にあたる春分の日なわけで早く目覚めるのも当然か。今のところは30分程とはいえこの違いはけっこう大きい。以前にも書いてることだけど朝の30分は夜の1時間にも値する。あくまでも上手に使えばの話。09-3-18

 

場所で蘇る記憶というのがある。家のなかで何かを取りに行ったはずなのに忘れてしまったときは元に戻るとほとんど思い出す。これが家のなかだからまだいいけど外でやってしまったら大変なことになり、認知症の始まりになってしまう。今、『にんちしょう』と打ったとき認知症は出てこなかった。この99年のパソコンの時代には痴呆症だったはず。認知症という言い方は何だかピンとこない。09-3-17

 

朝のコップ一杯がすっかり習慣に。本当は寝る前の一杯もいいんだろうけど今のところは控えてる。蘇った記憶とはこのこと。朝起きて飲むコップ一杯とは水のこと。それが日課として欠かせなくなった。かつて、母はお医者さんに水を飲め、飲めと言われてると盛んに口にしていた。年令とともに意識的な水分補給も大切になってくるようだ。寝る前は控えてるのはトイレに起きるのがイヤだから。09-3-16

 

メモの重要性。記憶に頼ろうとせずできるだけ記録をすることで脳に余裕を持たせたほうがいいという話を聞いてそれももっともだと思っていたのに・・・。昨日の朝、これは『ひとこと』のネタになるなとふと何かが思い浮かんだはずなのに30分後には思い出せなくなっていた。書いておけばよかったと悔やんでみてもどうしようもない。それが、今朝起きて台所立ったとき、その記憶が蘇った。09-3-15

 

くやしいというより悲しい失敗。制作中の作品は塩ビ板に電動ドリルで穴をあけている。小さな穴だけど作品によっては1,000個以上になる。かなり慎重に緊張を保ちながら決められたところをあけていく。それでもときどきずれてしまうことがある。たまには失敗もしかたがないと勝手に許す。しかし、900は越えてあともう少しの頑張りで出来上がりという時点での失敗は本当に悲しくなる。09-3-14

 

中途半端に空いた時間をどうする。次の予定まで2時間ほど空いてしまった。家に帰るには短かいので本屋に入るとうまい具合に欲しかった旅の本が見つかり、それを買ってカフェに行き本を開くが30分もすると目が重たくなってきた。体もだるくて目を閉じてちょっと休みたい気分。そこで、選んだ場所は地下鉄のシート。そこならたとえ眠っていても自然に見える。終点までの往復でスッキリ。09-3-13

 

『さきおくり』と言えば。どうしてもすぐやらねばならないわけでもなく、ちょっとめんどうなことや億劫に感じるものは先送りされることがある。少しの頑張りでできそうなこともヤル気にならないとどうしようもない。体力というより気力のほうが大きく影響するようだ。最近、お酒を飲んで遅く帰ってきたときの『ひとこと』が翌朝に先送りされることが多くなった。それも『ま、いっか』と。09-3-12

 

甘い予測と判断。『おくりびと』が再上映されているのを知って映画館へ向った。1:30からのは混むと思い4:00のに合わせてかなり早めのつもりの3時に行ったらすでに長い行列ができている。どうしようかと迷いながら係員に聞くとその列はすでに入場券を購入済みの人達で今日の分はすでに完売しているという。迷う必要もなかったわけだ。こうして『おくりびと』は『さきおくり』に。09-3-11

 

4日前の晩御飯の献立を聞いてるわけでないのに大事な発言を「記憶にない」という。ロッキード事件のとき「記憶にございません」「記憶にありません」の連発を聞かされうんざりした記憶が鮮明に残っている。『記憶にない』をまるで免罪符のように思ってるようだ。そんなに簡単に記憶がなくなる人間を政府高官として残していていいはずはない。そこを指摘する議員や記者がいないのは何故?09-3-10

 

旅をするときも新しいどこかに向っているときが一番楽しい気分になる。もちろん、到着したときの喜びは大きくとも長い時間を待たずしてそのときは過ぎてしまう。そうすると心に隙間ができてまた違う何かで埋めたくなる。子供の頃からずっと、何かの目標に向って進んで行くのが好きだった。「よし、あの山を越えてやろう」とか「この川を下ってみたい」とか。次は6月の個展が待っている。09-3-9

 

45年振りの再会を懐かしみ、その間を埋めるかのように話は途切れず、4次会は深夜の3時半まで続いた。おかげでホテルで眠ったのは3時間弱。ホテルの朝食を食べ、少し間をおいてから先生と仲間5人で空港へ向う。空港のレストランで搭乗までの時間を昼食とコーヒーで楽しく会話。1時半、いよいよ出発時刻が迫り先生をゲートで見送る。まるで燃え尽き症候群のような寂しさが湧いてきた。09-3-8

 

2時に千歳空港で仲間二人と共に東京からの先生を迎える。仲間のひとりは感激のあまり涙を流す。これだけでも頑張ってきてよかったと思う。積もる話に夢中になりながら列車で札幌へ。ホテルのチェックイン後、夕方6時からは先生と仲間21名での宴会が始まった。45年前の若かった先生と生徒時代の思い出を蘇らせ話が盛り上がる。2次会、3次会と続き、先生をホテルに送って4次会へ。09-3-7

 

45年振りのクラス会がいよいよ明日に。去年の6月にクラスの仲間に声を掛け始め、住所を調べてもらい、何度か打ち合わせをしてようやくここまで辿り着いた。東京から来てくれる担任の先生を囲んで級友達と飲み語り合うのが今からとても楽しみ。一応、三次会まではセットしてあるけどそれでは済まないかもしれない。そんなことも考えてすでにホテルは予約済みなので心置きなく過ごせる。09-3-6

 

3月に入ったら急に春らしくなるかと期待してたのにそううまくはいかなかった。1月は小雪ですぐにでも春になるのではと錯覚するほどの暖かさだったのが、2月は一転して大雪になったせいで今も雪はしっかり残っている。2月の降雪量 はここ5年間でもっとも多いという。やっぱり帳尻合わせをしたということか。もしかしたら、もうないだろうと思ってる(願ってる)大雪がまたあったりして。09-3-5

 

社保庁でのこと。順番待ちのとき、近くの窓口での年金受け取りに関する会話が聞こえてきた。一応丁寧な言葉は使っていても相談者の話を聞くときの相づちが「うん、うん」になっている。聞いてやる教えてやるの雰囲気でイヤな気がした。そことは違う窓口に呼ばれたというのにその人も「うん、うん」と言う。そこで、「『うん、うん』は止めたほうがいいですよ」とちゃんと?教えてやった。09-3-4

 

流れと勢いで、なんて言うほど大層なことではないがズルズル後回しになるのも心配だったので今日は社保庁へ。昨年の10月には年金の支払いも済んで、ついにもらえる立場になっている。とりあえずは2年間勤めた分の厚生年金受取りの手続きをするために。23才から25才のたった2年の会社勤めとはいえ貴重な体験だった証しがこんなかたちでも現れた。たとえわずかな額でも嬉しいものだ。09-3-3

 

朝から昨日まとめたものを申告書へ記入する。昨晩やることもできたけど、疲れた状態で記入まちがいするのがいやだから、あえて朝に延ばしたというわけ。どうしてか役所に提出する書類の清書はかなり緊張してしまう。無事書き終わったときは一気に肩の荷が降りた気分に。さっそくそれをリュックに入れて歩いて税務署へ向う。片道30分くらいでちょうどいい散歩にもなり心身ともにすっきり。09-3-2

 

まずはレシートの整理から始める。店ごとに分けていき、ホチキスで止める。次ぎには公共料金や電話代などの領収書のまとめに移る。これだけの作業にも2時間近くかかってしまう。そして、電卓の出番となる。レシートや領収書をめくりながら集計していく。どの店の額が多いかでその年の作品の傾向がよくわかる。圧倒的に多かったのがジョイフルAK.。いろいろな意味でのまとめの確定申告書。09-3-1

 



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NAKAHASHI OSAMU

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