ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

 

様似までの道はほとんど海沿いを歩く。その横には草に覆われ赤く錆び付いた鉄路が続いている。列車が走らなくなって何年が経ったのだろう。はっきりは思い出せないがもう5年以上経っている気がする。切り捨てられた地方の姿がここにある。そして、今後二度とこの上を走る列車がないと思うと寂しさが込み上げてきてしまう。子供の頃、浦河駅で蒸気機関車を飽きずに見ていたのが懐かしい。18-10-31

 

浦河へ向かうのは今回が最後になる気がしたので一番前の席に座りたくて発車時刻の30分前には並んで待っていた。自分の歩いた道のりを確認してしっかり記憶に残しておきたいのだ。最前列の席は足を伸ばせないという窮屈さはあるけれど見晴らしの良さは変え難い。浦河までの4時間余りの間まるで運転手のように前方を凝視していた。それは楽しい時間でもあり何の苦もなく座っていられた。18-10-30

 

いつものようにしばらくは襟裳岬への『歩く旅』の話が続きそうだ。『歩く旅』で北海道の突端の岬(知床岬を除く)をすべて制覇したのにいまいち達成感が乏しいのはまだ終了したという実感が薄いのか、それとも終ってしまった寂しさがそうさせているのだろうか。もしかしたら両方が重なっているのかもしれない。それでも、ホッとしている自分がいるのも確か。次は『スケッチの旅』になる。18-10-29

 

心配だった天気は晴れていて風もなくほっとする。6:50宿を出る。昨日とはまったく違って前を見て無理なく歩けるのが嬉しい。14キロなので休みなく歩き9:30襟裳岬に到着。ついに6つ目の最後の岬に到達して、目標を無事達成できた喜びにひたりながら岬をスケッチ。10:57のバスで様似へ、そして浦河に戻り、14:15発の札幌行き高速バスに乗る。17:50札幌着。続く。18-10-28

 

朝食後9時に出発。天気は最悪で風雨が強く100円ショップの上下の雨合羽を着て出掛ける。風雨はさらに強まり顔に当たる雨粒は痛く前に進むのも必死になるほどの暴風雨に。かつて旅先の横須賀で遭遇した台風を超える最大の体験になった。風雨は衰えることなく続き途中には拡声器から夜7時からの通 行止めの情報も聞こえてきた。それでも黙々と歩き予定より早い3時にエリモ町に到着。18-10-27

 

札幌駅前ターミナル8:15発の高速バスで浦河へ向かう。鵡川までは高速道路を走るので関係ないが、そこからは自分の歩いた国道になるので道路を見渡せる最前列の席を確保した。懐かしい風景を辿り11:50浦河着。すぐに様似へ歩き始める。いよいよ『歩く旅』の最終章の始まりだ。晴れていて風もなく12キロと短いので途中にスケッチをして余裕で16時に宿に着く。9時には寝床に。18-10-26

 

北海道の突端の岬を目指してきた『歩く旅』の最後となる襟裳岬への旅立ちがいよいよ明日になった。2012年の10月に家から苫小牧駅まで歩いたのがその始まりで、そのときには岬に向かうなどとはまったく考えていなかったのに流れのなかでそうなっていった。春と秋の年に2度の『歩く旅』を7年という歳月を掛けて重ねたおかげで知床岬を除いた6つの岬に立てる日がついにやってくる。18-10-25

 

地震で壊れたモチーフの復元作業は一旦中断。あと6個ほどのところまで何とかこぎ着けたけど、以前のものより細かく複雑に壊れているだけに時間も神経も使ってしまう。掛けた時間だけそれなりに進んでくれるならまだいいのだがそうはいかないのだ。何よりも辛いのは小さな破片もすべてかき集めたはずなのに足りないこと。どうしてそうなったかわからないがこればかりはどうしようもない。18-10-24

 

続き。小さく砕かれた作品を車に積み込み終り、これで本当にハルカヤマとはお別 だと思うと寂しさも湧いてきた。野外での本格的な作品制作をしたのはここが初めてだったし、数多くの作家達と共同作業をし作品で刺激し合い、飲み食いしながら楽しく語らいととても貴重な体験をさせてもらった。そこを去る前にもう一度広い敷地内を一周して様々な思い出を振返っていた。あとは記憶に留まる。18-10-23

 

今年初めてのハルカヤマへ。昨年の6月でハルカヤマでのグループ展が終了したとはいえ初期の作品が残っているので顔を出そうと思っていながら秋の終りになってしまった。作品の撤去も念頭に行ってみると、無惨にも倒れていた。それを見て少しほっとした気持になった。しっかり立っているものを壊すのは忍びないものがあったのだ。とにかく7年間お疲れ様という思いで分解し車に積み込む。18-10-22

 

外での仕事や用事のない日は朝から夕方までは11月下旬のグループ展に出品する30号のアクリル作品を制作し、夜はモチーフの復元作業をしている。昼の制作は創造的な試行錯誤もあり何度も後ろに下がって全体の様子を確認しながら描き進めるのでそれだけ動きながらの仕事になる。しかし、夜の復元作業は機械的でずっと座ったまま行う。その違いもあってかどちらも集中できるのが嬉しい。18-10-21

 

嘘や改ざんがすっかり社会に蔓延して珍しいことではなくなったようだ。日本の中枢でそれをやっても許されているわけだからそれが広まるのは当然とも言える。都合の悪いことはなかったことにしたり、記録を書き換えたりしても大して咎められないとわかったら真似をする人が出てきても不思議ではない。極端な言い方をすれば、これでは騙すか騙されるかの信用の失われた社会になってしまう。18-10-20

 

地震で壊れたモチーフの復元作業はまだ続いていて、ようやく10個ほどは済んだけれどまだ同じくらいの数は残っている。比較的やりやすい方から手掛けたので同じ数でもこれからの方が大変で時間も掛かりそうだ。地震からすでに1ヶ月半近く経ったとはいえ、もっと前のことのような気がするのはなぜだろう。当時の記憶は今も鮮明なのにそう感じるのは歴史的出来事だったせいかもしれない。18-10-19

 

ガソリンの高騰が続いて1L160円になった。遠出をしないかぎりはそれほど車に乗る機会がないのと燃費のために千円分を給油することが多い。すると、たった6Lにしかならないわけだ。車をよく利用する人なら落ち着かないし心配になる量 しか入れられない。随分長い間満タンにしていないが、もしそうすると大体40Lとして7千円近くになるわけで出る金額は同じでもさらに高く感じる。18-10-18

 

いつも乗車する地下鉄駅に向かうとき、安春川沿いの遊歩道の終点からは繋がっている鉄道の高架下の遊歩道を歩く。だから駅までの道のりの半分以上は季節の変化を膚で感じられる快適な歩きになる。高架下の方は大きな木の並木道のようになっていて木の葉に囲まれているようでここも気持が安らぐ。でも落ち葉が多くなり木々のすき間も次第に大きくなって空が見え隠れしてきて寂しさも漂う。18-10-17

 

子供の頃の我家の冬の暖房は薪ストーブのため、薪割りは冬を迎える前の大事な仕事のひとつだった。小学校の高学年になってからはこの手伝いをしていた。まさかりを使うにはコツと要領があるのですぐにはうまくできないが慣れてくるとだんだんできるようになり楽しさも出てくる。うまく当たってぱかんと割れると爽快感と満足感にひたれるのだ。手伝いというより遊びの延長だった気もする。18-10-16

 

夕方の来るのが随分早くなり曇り空だと4時にはもう薄暗くなってしまう。おかげで1日が短くなったような気がして寂しくなる。その分夜が長くなっているとも考えられるけれど、夕方は昼の延長なのでたとえ暗くなっても夜とは違う。やっぱり、夕方が早くなると昼の時間を奪われたと感じるのだ。これが12月22日の冬至まで縮み続けると思うと寂しいどころか悲しくさえなってしまいそう。18-10-15

 

続き。コンビニのレジ袋の有料化について街の人に聞いたところ「ちょっとしたものを買うときにもらえないとこまる」「お金を払うのがもったいない」などの意見が出ていたが、ちょっとした努力と出費を惜しみ自分の生きる場を汚してしまっては後々もっと高い代償を払わねばならなくなる。身近な場所だけでなく地球規模での環境問題を提起されてから久しいのにまだまだ浸透してないようだ。18-10-14

 

プラスチックゴミの問題が深刻化している。海洋汚染が魚にも影響を与え、それが人間にも回ってくるというのだ。ストローを廃止したりレジ袋の有料化など少しでもゴミを減らそうとする流れが世界的に起きている。レジ袋の有料化には賛成だ。スーパーのときも反対意見があったが今では当り前になった。コンビニもそれにならうべきでレジ袋を小さく折畳み持ち歩く習慣をつければそれで済む。18-10-13

 

この時季に農村地帯を車で走ると焚火の匂いがすることがある。この匂いは結構好きで何だか懐かしさや郷愁を感じてしまう。中学2年までは田舎の農村に住んでいたので秋になるといつもこれを嗅いでいた。あちこちで煙が上がるのも風物詩のひとつだった。かつては農家に限らず自宅のゴミも庭などで燃やしていたので年中煙は上がっていたけれど、秋の農家の焚火の煙と匂いには趣きがあった。18-10-12

 

地震の影響がこんなところにも。小さな演劇集団の公演延期の知らせが届いた。その公演の案内は8月25日に届いていて楽しみにしていたというのに・・・。友人が出演している関係でこれまで毎年のように10回以上は観てきた。延期の理由は東区にある公演会場の建物の被害が大きく安心して使用できる状態ではないというのだ。やはり東区の保育所も閉園に追い込まれた。こちらはより深刻。18-10-11

 

雪虫に出会う。せいぜい4、5匹だったけど雪虫がゆっくりと舞っていた。まだ紅葉も途中だというのに雪の到来を予告するのは早過ぎる。もう少しの間穏やかな色とりどりの秋を満喫させてもらいたいものだ。それでなくても朝夕の暗さに秋の深まりを感じて寂しくなっているのに、これ以上の追打ちを掛けないでほしい。いずれはまちがいなくやってくる雪であっても遅ければ遅いほど嬉しい。18-10-10

 

友と夕方5時に薄野のデパートの入口で待ち合わせをして飲む。この待ち合わせのとき、10分前に着いても大体友が先に来ていて椅子に座って待っている。多分もういるだろうと思って向かうのだがいつもそのパターンになる。それでも、それ以上早めるとさらに早くなってしまいそうな気がして10分前をキープしている。彼は早めに行ってゆっくり待っていたいタイプなので苦にはなってない。18-10-9

 

もうひとつの復元作業。実は地震の前日の強風で借りているアトリエ(作品置き場の意味合いが大)の屋根のトタンが剥がれガラス窓が飛んできた小石で割れていたのだ。それは地震の2日後に知らされ確認に向かっていたが地震の影響や教室展の忙しさなどがあって最近ようやく手を付けられた。こちらは復元というより修繕だが、地震より先の強風の被害にも追われている。まさにダブルパンチ。18-10-8

 

壊れたモチーフの復元作業はやっと半分まできた感じだけど、そればかりをしているわけにもいかないので11月に開催されるグループ展のための絵を描き始めた。サイズは例年と同じく30号なので手頃な大きさとも言える。かつて絵画を中心に制作していた頃は100号が多かったが、それ以後は30号以下が主になっている。大きな絵を描くおもしろさはあっても搬出入や保管の問題が大きい。18-10-7

 

70歳になると役所からいろいろ届くものがある。もうすっかり当り前になった敬老優待乗車証もそうだが肺炎ワクチン接種のお知らせや歯周病検診の受診券も送られてきた。すべては健康を保って生活するための対策として行っている。敬老パスは少しでも出掛ける機会を多くして体を動かしてもらい、肺炎予防と歯周病検診も基本的は機能を良好に維持するためのもの。どれも大事にしなくては。18-10-6

 

胆振東部地震から1ヶ月経ったというのにまだ揺れている。それも震源地に近い場所では震度5だから恐怖心は治まるどころか増してしまうだろう。たとえ倒壊を免れた建物でも度重なる揺れで家屋の亀裂や傾きが進んでしまうこともあるわけで生きた心地がしないに違いない。こちらはモチーフの復元に四苦八苦しているけれど、住まいの復元もままならない人を考えたら返す言葉は何もなくなる。18-10-5

 

今朝は寒くなり14℃くらいしかなかったのでこの秋初めてストーブを着けた。いよいよその季節に突入したようだ。まだしばらくは寒暖を繰り返すのだろうけど、紅葉から落ち葉へそして雪へと確実に移っていく。こんな季節の移り変わりのときは風邪にも気を付けなくてはいけない。部屋の室温もそうだけど出掛けるときの服装、寝具の選び方にも気を配る必要がある。これも慣れるまでの辛抱。18-10-4

 

慣れてしまえば当り前。先週の火曜にチャージした敬老優待パスは水曜日から使い始めてすでに1週間が過ぎた。今はもう何の意識もすることなく自然に使っている。使い始めてから老人の仲間入りをしたはずなのにそれさえも忘れてしまった。他のことでもそうだが、最初は新鮮な気持になったとしても何度か体験しているうちに慣れてしまうもの。でも、恩恵を受けている事実は忘れずにいよう。18-10-3

 

作業効率を考えればただ長時間続ければいいというものではない。地震によって壊れたガラスや陶器のモチーフの復元作業をしていてそれを感じた。昨晩は11時頃に一旦やめようとしたのにもう少しと思って次の破片に手を出したら12時を過ぎていた。まだまだ続けられそうだったけどきりがなくなるのが心配で今度は強い気持でやめた。それは正解で、今朝は昨晩よりずっとスムーズに進んだ。18-10-2

 

沖縄の民意に微かな光明を見た。大政一辺倒を阻止できた意義はとても大きい。無責任で不誠実なうえにやりたい放題で我がまま放題をこのまま続けさせていたら国は再起不能に陥る。すでに、危機的領域にどっぷり浸かっているけれどこのまま沈み続けるよりは何とかとどまってほしい。もちろん、浮上のきっかけになってくれたら嬉しいが、これまでの流れからしてそれは難しいのもよくわかる。18-10-1

 

 

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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