ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

朝8時青森行きのバスに乗る。大型バスにたったひとりで発車。一番前に座り景色を楽しむ。細い道を登り、八甲田山横を抜け、岩木山を眺めて青森駅到着。駅横のホテルに荷物を預け青森県立美術館へ。よかったのはシャガールの大作のみ。非常にがっかり。隣の三内丸山遺跡の大建築の内部に感動。とにかくすごい。次に棟方志功記念館へ。小さな館だが見応えあり県立美術館より長時間過ごす。10-10-31

 

ホテルの朝食をたっぷり食べ、バスで奥入瀬渓流へ。曇り空だけど雨でないだけまし。バッグは搬送してもらい小さなリュックだけで石ヶ戸から遊歩道を歩き始める。紅葉にはまだ早いようだが美しい景色に囲まれて気持いい。スケッチもする。岩に付いた苔や木を見ると屋久島を思い出す。十和田湖の子の口から遊覧船で休み屋へ。ここの紅葉は最高にきれいで大感激。民宿での姫マスも超美味。10-10-30

 

ホテルでの朝食を食べてから路面電車で元町公園に行く。坂を上った公園は晴れていて見晴らしも良く気持いい。さっそく公会堂、遠くに摩周丸の見える八幡坂で水彩 スケッチをする。やっぱり楽しい。懐かしい摩周丸にも乗ってから、列車で海峡トンネルをくぐり、三沢で降り、ローカルな電車で十和田市に向う。十和田市現代美術館の器はおもしろいが収蔵作品の多くにはがっかりさせられた。10-10-29

 

カルチャーセンターの仕事を終えてすぐJR札幌駅に向い、3時7分発の函館行き特急に飛び乗る。いよいよ待ちに待った今年の旅の始まりだ。座席は海側で、入り江の小さな港や夕日に映えるシルエットの大橋を眺めるうちに旅の気分は次第に盛り上がる。6時23分すっかり闇に包まれた函館に到着。駅近くのホテルにチェックイン後、駅前を散歩していて人通 りの少なさに驚く。函館もか・・・。10-10-28

 

昨晩、作品の飾り付けをして初めて自分の作品とじっくり対面したとき、想像していたイメージに叶うものだったので頑張りが報われた気がした。実際の展示場所にセットするまではいつも不安と期待が入り交じる。もちろん自宅でも部分的には確認できるが離れた場所からの確認はできない。なによりも発表する空間の雰囲気はその場でないとわからない。とにかくこれで心置きなく旅に出られる。10-10-27

 

夜道に吹雪のような初雪が降りしきるなか、搬入のため作品を積んで夏タイヤの車を走らせる。会場が公共通 路のため夜9時からの飾り付け。何人かに手伝ってもらいながら5ケ所の電飾広告枠に作品を展示し終えたのが10時半頃。しかし、その最後の作品に傷を発見。やっと解放感に浸れるはずだったににがっかりする。修復のため素材と道具を取りに自宅へ戻る。再び我家に帰ったのは0時半。10-10-26

 

めどがたつ。今日はこの言葉が出てきた。『めど』の意味をどこかで聞いたことがあるのにすっかり忘れてしまったので辞書で調べてみる。すると、糸を通 すための針の穴だという。そこで、めどがたつとは見通しがつく、たつとなる。それにしても針の穴とは随分小さな穴にしたものだ。きっとここにも何かの由来があるに違いない。それは横に置いといて、とにかく、完成のめどがたち一安心。10-10-25

 

呼び水。昨日のことで何かを引き出すきっかけになるものとしてふとこれが頭に浮かんだ。最初にこの言葉を覚えたのは子供の頃で、生活用のポンプから水が出ないときに、水を導くために上から別 の水を入れることを教えられた。水を入れたあとのポンプのハンドル(正確な言い方を思い出せない)の上下動には微妙な動きが必要で、地下から上ってくる水の手応えの感触は今でも覚えている。10-10-24

 

作品にするために開けたたくさん穴を点検してヤスリできれいに仕上げていく作業をしていて不思議に思うことがある。何度か見直しても修正すべき穴は見つからなかったはずなのに、ひとつ発見するとそれをきっかけに次々見つかる。これはどういうことなんだろうか。決して1度や2度でなく何度もそんな流れになる。その度にぬ か喜びを乗り越えて頑張らねばならない。それもあとわずかだ。10-10-23

 

りんごが旨い。毎日なんかの果物を食べるようにしているけど最近はりんごが続いている。値段も手頃な小さめのがとくに気に入っている。皮を剥かずにそのままかじって食べるとちょうどいい満腹感が得られる。皮の分だけでも食べた量 が随分違うような気になる。りんごはやっぱり丸かじりが旨い。特に最初のひとかじりが好き。そのりんごの座もまもなく柿に譲り渡しそうな季節に入ってきた。10-10-22

 

搬入が近づいたということは青森への旅も間近に迫ってきたことになる。出発は搬入の2日後。出発前に多少忙しい日々になったとしても旅が待っていると思うと気にもならない。昨日、うまく出来上がるか不安にもなると書いたが、作品が完成する喜びと展示してゆっくり眺める楽しみの方がずっと大きい。納得するためにも仕上げをを完全にしておかなくては。とにかく嬉しい月末が待っている。10-10-21

 

いよいよ作品搬入まであと1週間となった。予定より若干遅れているがすごいものでもないので焦る必要はなさそうだ。心配したほどの腕の痛みになることなくここまでこれて本当にほっとしている。これからは塩ビ板にカッティングシートを貼る(穴の部分に色を着けるため)作業なのでまったく問題はないだろう。仕上げの段階にくるとイメージしたように出来上がるのかという不安も生まれる。10-10-20

 

探しても探しても見つからなかったものが偶然見つかった。懸命なときは出てこないのに違った目的で行動したときにふっと見つかったりする。結構そんな場合が多い。ここにあるはずとの先入観で同じ場所を探すから、そこからはずれているとお手上げとなる。今度もまったく想定外の場所に潜んでいた。もちろん自分でそこに置いたわけだが、何気なくしたことだから記憶にも残ってなかった。10-10-19

 

新聞記事でもうひとつ気になったのが《妻、夫 外向けの呼称は》というもの。実に様々な呼び方があって、夫婦共に場面 に応じて使い分けている人が多いそうだ。万人共通の適切な言い方がない点では名前の知らない人に対する呼び掛けも同じ。とくに年長者に対しては困る。英語の『YOU』にあたるはずの『あなた』では失礼な気もするし、『お宅』も何か変。まずは先にこっちの言葉がほしい。10-10-18

 

先日の新聞に興味深い話が載っていた。腸は自ら考え判断する〈もうひとつの脳〉であり、〈脳は腸から始まった〉のだという。小腸は脳の支配を受けずに働くという。最も単純な単細胞動物のヒドラは口と腸しかないらしく、その点からも何となく頷ける。腹積り、腹を立てる、腹を据える、腹を決めるなどなど〈腹〉には考えや心の動きに繋がる言葉がたくさんあるがそれと関係あるのだろうか。10-10-17

 

5時少し過ぎの散歩の途中に流れ星を発見。今どき花火を上げる人もいないだろうし音もなかったからまちがいないはず。流れ星を見るのは久し振りのこと。札幌のような都会の空では滅多に出会えないから感激。それに加えて5時台ですでに暗くなってることを気づかされ寂しい思いにもなった。いつもの時間帯では夕方の散歩のはずがが夜の散歩になってしまうから少し早めに歩くようにしよう。10-10-16

 

左手の箸でなかなかうまくできないのが納豆の掻き混ぜ。これは納豆だからというわけでなく手首で素早く細かく回転させるのが意外と難しい。手首の回転で思い出すのは中学時代に3年間続けた野球部でのこと。肩が強くコントロールがよかったのでピッチャーを試されたが、どうしてもカーブを上手に投げられなくてはずされた覚えがある。いろんな意味でもっとひねりを上達させたいものだ。10-10-15

 

秋刀魚がうまい。出始めは高かったのが次第に安くなってくれて食べる機会が随分増えた。秋はやっぱり秋刀魚の季節だ。魚というと鯖を選ぶことが多いけど、これは輸入ものがほとんどだからいつが旬なのかわからない。話はちょっと変わるが、大分前に「左手に持つ箸にも慣れてきた」と話したら「魚を上手に食べられたら完全だね」と言われたことがある。今ではかなり右手に近づいてきた。10-10-14

 

チリの鉱山の地下700mに2ヶ月以上閉じ込められた33人の作業員の救出が始まった。現在までに13人の人達が地上に戻ってきた。その度に歓声が沸き上がり家族との感動の再会となる。それを目にすると思わずジーンとしてしまう。極限の状態からの帰還だから、その安堵感と解放感は計り知れないものだろう。日々の区切りのない暗闇ばかりの空間から、ようやく太陽のリズムの世界へ。10-10-13

 

気の遠くなるような数の穴開けを続けるためにいくつかの工夫をしている。例えば元気なうちは10個の横並びを縦に10列づつやるとかちょっと疲れてきたら5列にしたりする。作業は縦に進めるよりは横の方がやりやすい。だからといってず〜っと横に続けても線になるだけで埋まった感じがいまいち。同じ数でも面 にしていくほうが達成感がある。この気分が大事。とにかく騙し騙し進める。10-10-12

 

10月11日は祝日で体育の日だというけれど何だかピンとこない。やっぱり10月10日であってこそ意味がある。その日は東京オリンピックの開会式の日だったからそれを記念して祝日にしたはずなのに・・。そうは言っても若い世代にとっては東京オリンピックは遠い過去の歴史のようなものだろうし、ほとんどの人にとって何の日であるかより連休になる方が重要だろうからこれでいいのか。10-10-11

 

嬉しい誤算のはずがやっぱりそうではなかった。以前とはちょっと違って手首の辺りが痛み始めた。ドリルの作業はカッターより負担が軽いなんて甘かった。ドリルはカッターよりずっと重いから同じ動作の繰返しを延々と続けてやれば痛みが出てもおかしくない。進行中の作品は穴の数を数えるのがめんどうなほどたくさんある。多分、1万個以上。ようやく4分の1に達した段階だというのに。10-10-10

 

1週間前にストーブを買う。それ以来暖かい日が続いて朝方にほんの少し焚くのみだけど、これでいつ寒くなっても大丈夫だ。自分でストーブを持ち帰りセットも自分でやると5,000円引きになるというので喜んでそうした。セットは何度も何度もやっているし、そんなに大変でもないから割引きは非常に嬉しい。それでも、初めての点火は緊張しながら祈る思いでボタンを押す。無事、炎を拝む。10-10-9

 

どひょう?。?。最初は読み間違いかと思ってよく見たがやっぱり“どひょう”になっている。住宅街の片隅にある小さな児童公園の看板にそう書いてある。確かに10m×15mほどの公園の真ん中には直径2mあまりの土俵がある。勇気ある命名に何だかすごいなと思った。『たんぽぽ』とか『ひまわり』などはありそうだが『どひょう』とは。「どひょう公園で遊んでくるね〜」「いいよ〜」。10-10-8

 

情けない失敗があれば嬉しい誤算もある。確実に痛くなると覚悟していた右腕が大したことなく済んでいる。予防のため湿布を貼っているが強い痛みはまだ出ていない。ドリルでの作業はカッターのカットより随分負担が少ないようだ。今月26日に搬入飾り付け予定の作品の全体の進み具合としては3割程度なので順調に行けば充分間に合う。とにかくこれからも誤算が続いてくれるといいのだが。10-10-7

 

20分余り(戻る分を入れたら50分程)の損と600円の支払いで済んだからまだいいようなもので、降りるべき場所からどんどん遠ざかりながらもしかしたら白老まで走らねばならないのかとの不安も頭をよぎった。それならそれでもうしかたがないと諦めかけた頃、出口の標識が。激しい雨と暗闇と誤った思い込みがあったにせよ有料高速への入口で気づき方向転換できなかったことが悲しい。10-10-6

 

続き。雨はかなり激しく視界も悪かった。これも事件を起こす一因になっていた。そして、利用したことがある友人から「苫小牧に出口はいくつかあるけど最終出口がいい」と聞いていたのと、道北の高速の記憶も関係していた。実は、標識を見落とし無料の区間を走り抜けてそのまま有料の高速に入ってしまったというわけ。どうしようもない状況に陥り次の出口を目指して虚しく走り続けた・・。10-10-5

 

しばし郷愁に耽ったあと、去年完成したという立派な橋を渡って川向の隣の村へ。かつては橋がなかったから隣なのに今回初めて足を入れた。ちょっと迷った末に辿り着いた廃校は昔の小学校を思い出させるような古い造りの校舎だった。ここでも懐かしさが湧いてくる。作品を観てコーヒーをいだだき話をして訪ねて来たかいが充分あった。大雨の降るなか再び高速道路で苫小牧へ。ここで事件が。10-10-4

 

廃校をアトリエとして利用している人の個展を観るため平取町へ。行ってみようという気持になったのは自分が生まれ小学1年生まで過ごした村の川向いの村の学校だったため。生まれ故郷には12年前に訪れているので大きな驚きや落胆はなかったが、ここから始まったんだと思うとやはり感慨深いものはあった。もちろん、昔住んでた家は跡形もないがその場所は幸いはっきり覚えている。続く。10-10-3

 

ドニチカ。これは土曜日、日曜日及び祝日のみ使用できる地下鉄専用1日乗車券の名称。『ドニチ』はすぐわかるけど『カ』は土曜か日曜かの意味の『カ』だろうか。それはさておき、大人500円なので遠くへ行くか何度も乗るときはこっちの方が断然得になる。今日は地下鉄沿線のギャラリー回りのためにこの券を利用した。何度でも乗れると思うとフットワークも軽くなり1,500円分程乗車。10-10-2

 

貧富の差を拡大する方向に舵を切り覇権主義を前面に押し出し始めた中国や凄惨な食料不足を招いたにも拘わらず3代に渡って権力を継承させる王国のような北朝鮮を見るにつけ、遠い過去に抱いた夢は何だったのかと虚しくなる。片や、開発の名のもとに自然破壊を押し進め非生産的なマネーゲームに支配された資本主義にも大きなほころびが。先を読めない(読まない)人間としての宿命か・・。10-10-1

 

 

 



ウィンドウズで御覧の方は文字の表示を最小にしていただくと私のレイアウトに近づきます。

 

NAKAHASHI OSAMU

作品の著作権を侵害することのないようお願いします