ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

仙台市内を散策してから、被災地の現状を見るため10:47発のバスで石巻へ。石巻駅前からバスに乗り、漁港近くで下車。歩き始めて間もなく国道の中央分離帯に横たわるへこんだ大きな石油タンクを発見。その後も骨組みだけの工場、瓦礫の山、何重にも積み重ねられた乗用車の長い列、更地となり遠くまで見渡せる市街地などを見ながら歩く。バスで仙台に戻り、空港へ。20:40離陸。11-10-31

 

朝食をいただいた後、従妹の運転で仙台市内の私設の美術館へ向う。作家自身が建てたというスペイン風の奇抜な建物。作品よりも建物自体に興味が湧く。従妹はフルートをやるのでその演奏会場にもなりそうと目を輝かす。夕方前に従妹と別 れ、県立美術館へ。ここでも松本峻介がよかった。佐藤忠良も見応え充分。美術館の外側も散策したくなるいい造りになっていた。ホテルへ戻ってから散歩。11-10-30

 

今日も6時起床。シャワー後、ホテルのおにぎりの朝食。仙台駅発8:15の列車で山形へ。山形までは山、山、山を超えて行く。山形駅から徒歩で県立美術館へ。常設と企画の院展がセットだったが印象深い作品は1点のみ。むしろ山形博物館の方がおもしろかった。山形から山寺へ移動。山寺は非常に混合っていて列をなして石段を登る。見晴らしに感動。仙台に戻り、従妹と合流して従妹宅へ。11-10-29

 

朝6時にセットした目覚ましで起床。何の違和感もなくぐっすり眠られた。すぐにデッキに向うとちょうど朝日が男鹿半島の山から昇るところで嬉しくなってスケッチをする。秋田港からバスで秋田に移動して平野正吉美術館で藤田嗣治を堪能。盛岡の岩手県立美術館の立派さに驚きながら松本峻介を観たあと平泉に向う。中尊寺や金色堂には大した感動もなく今晩の宿のある仙台への列車に乗った。11-10-28

 

苫小牧東港発19:30のフェリーに乗船。一部屋に10程ある2段ベッドの下段が今晩の寝床になる。ベッドにバッグを置きさっそく船内の探索を始め、冷たい風の吹く後部デッキに出て出港をしっかり見届けた。初めてのフェリーなので旅への高揚感がさらに高まる。船内が消灯になる10時まではデッキでスケッチをしたり海を眺めながら入浴したりロビーでのんびりしたりと存分に楽しんだ。11-10-27

 

歩く旅も無事済んだところで、次はこれも年に1度の国内の旅がいよいよ明日に迫る。今から8年前の沖縄の石垣島のさらに南の波照島から始まり、倉敷、直島、金沢、京都、大阪、神戸、名古屋、豊田、東京、横浜、横須賀、浦和、屋久島、松本、高山、長野、軽井沢、青森、十和田、弘前を巡ってきて、今年は秋田、岩手、宮城、山形の4県。この後も行きたい場所はまだたくさん待っている。11-10-26

 

朝、起きたときも体に何の異常もない。『ハルカヤマ』へ通うときにも随分歩いたからそこでも慣らされていたのだろう。1日に30H弱を歩いても体は日常のように受け入れてくれた。11年前の最初のとき途中から足が痛みだし引きずるようにしてようやく目的地に辿り着いたのが嘘のよう。これも、7、8年前から意識的に歩くようにしてきたおかげ。『継続は力なり』は体にこそよく表れる。11-10-25

 

天気予報を信じて今年の歩く旅を決行。早いものでもう11回目になっている。地図の様々な方向が潰されたので今年は環状線を歩く。そのおかげで2年間勤めた会社、教育実習をした中学校、マンション群になってしまった大学や寮、青春の忘れられぬ 思い出のある豊平川などなどを巡る懐かしい旅になった。約7時間歩いて歩数は47,855で距離は28,7Hに。今年も無事歩けたのが嬉しい。11-10-24

 

リビアのカダフィ大佐が民兵に拘束され連行というより引きずり回されているとき「息子達よそんなことをしてもいいのか」と叫んだ。しかし、これまでは彼等を『ネズミ』と呼んでいたのだから急に呼び方を換えて猫なで声を出したとしても多勢の『ネズミ』には何も伝わらないだろう。かつての東欧での独裁者の例を見るまでもなく、国を一族で私物化した末路には必ずしっぺ返しが待っている。11-10-23

 

無数の蚊にまとわりつかれ刺されながら土を掘り石段を積み上げた7月と8月と9月が過ぎ、本開催となってからも蚊の攻撃は続いた。『ハルカヤマ』最終日の今日も発見。こんな遅い時季まで蚊がいるとは驚き。平地と山では大違いだ。それでも、蚊と交代するようにたくさん飛び回り始めたのが雪虫。蚊に悩まされた夏を超え、秋も深まり、冬の到来を告げる雪虫で『ハルカヤマ』の幕は下りた。11-10-22

 

偶然の再会。『ハルカヤマ』の作品前で若い女性に「覚えてますか」と声を掛けられた。8年前の中学生だったとき、様々な職業の人の生の話を聞くという授業の一環として僕と1対1で会話をしたとのこと。胸の名札を見て突然思い出したらしい。そのときはわずか2時間ほどだったはずなのに今まで名前を覚えていてくれたのが嬉しい。再びの会話が2度目の励みになってくれることを切に願う。11-10-21

 

グループ展だと観客が多いだけでなく多くの作家と知り合いになれるのも嬉しい。とくに今回の『ハルカヤマ』は56人の参加作家がいるので随分大勢の作家と知り合いになれた。作家を知るとその人と作品との繋がりが鮮明になっておもしろい。当然のことながら作品には作る人の意欲や姿勢や主張が表れている。そこのところが無理なく自然に繋がる人もいれば、どうにも結び付かない人もいる。11-10-20

 

個展とグループ展のいくつかの違い。観てくれる人(個人)との関わり方の相違。個展を中心にしてきた者は観に来てくれる人をできるだけ作品の前で迎えたいという気持が強いが、グループ展を主にしてきた人はそうではない。個展では新しい人の割合いは小さいが、グループ展ではより大勢の見知らぬ 人達に観てもらえる。当番をひとりでやるか分担できるかも大きく違う。まだまだ違いはある。11-10-19

 

自分が深く関わっている世界の寂しい部分を見せられるのはつらいものがある。さらに、久し振りに買おうとしていた30Sの木枠の値段に愕然とした。2種類あって高い方は7千円代で安いのでも5千円近いとは・・。継続的に買っていれば慣らされていただろうが、その値段の高さに驚ろかされた。これでは気楽に絵を描けるような状況ではない。これも寂しさの原因のひとつのような気がした。11-10-18

 

最近、画材屋に顔を出すと気になり心配になることがある。何年か前からその兆候は感じていたが、お客の数がめっきり減った気がするのだ。ワンフロアーに数人しかいなかったり、かつては待たされることの多かった精算カウンターも空いてる状態が多い。これほど少なくなったのはどうしてなのだろう。美術人口が減ったのか、それとも通 販が増えたのか。売り場が寂しいと悲しくなってしまう。11-10-17

 

泊原発に関する公聴会でのヤラセ問題についての道職員の答弁は「ヤラセをした認識はない」「記憶にない」「忘れた」などで、誰ひとりとして「やってない」とは言ってない。まったく事実と異なればあり得ない曖昧な言葉ばかりだ。「ヤラセをした認識はない」はヤラセに対する社会常識との認識のズレがはっきりした。ヤラセの事実に何ひとつ驚きはしないが追求の甘さには情けなさを感じる。11-10-16

 

宴会のはしご。『ハルカヤマ』のクロージングの宴を止め、急に会期を1週間残したところでやることに。この日の夕方はすでに高校時代のクラス会が入っていたが『ハルカヤマ』の宴会は欠席続きだったのでクラス会の1次会をキャンセルして2次会からの出席を願い出た。5時から7時半まで銭函で飲み食いし、列車で小樽に向い8時半から10時半まで級友と飲む。慌ただしくも共に楽しい宴。11-10-15

 

『ハルカヤマ』の作品横で説明すると、ほとんどの人が納得してくれ体験できたことを喜んでくれる。しかし、あくまでも少数であるが説明も体験も拒む人がいる。こんな人達が「現代アートはよくわからない」と言っているに違いない。まずは作品に出会うことから始まりその機会が増えるうちに次第に慣れ、そこから何かがわかり始めるわけで、どんな世界でもそう簡単に『わかる』はずはない。11-10-14

 

昼間の晴天の同じ時刻に歩いていると家や木の影が随分長くなったことに気付く。夏には真上から照らされ、逃げ場のなかった陽がすっかり傾いてしまった。この時季は道路のどちらの歩道を歩くかで日向か日影を選べるのがいい。こうした太陽の傾きで季節の移り変わりがよくわかる。これから冬至まではどんどん傾きを増して日影だらけになってしまう。そうなると日向を求めて歩くようになる。11-10-13

 

歯のクリーニングをしてスッキリ。3ヶ月に一度の検診とクリーングをしてもらうようになってもう2年近くになり、すっかり習慣になっている。検診は特に異常なしでホッとする。大口を開けなければならないから床屋のようにのんびり寝ることはできないが、じっと身を任すところは同じで不思議な安らぎ感がある。これが治療ならそんな呑気な気分になれないから、これからも続けていきたい。11-10-12

 

どうしても納得できない言葉がある。それはイスラエルの『入植』。誰が見ても明らかな侵略なのに、『入植』というあたかも未開の地を開拓しているかのような言葉でごまかしている。戦争を仕掛ける側が自分を正当化するため正義の戦いだと宣言するの同じだから実行者である張本人が言うのは勝手だ。しかし、部外者がその言葉を使うのはおかしい。全面 的に支持しているアメリカは別だが。11-10-11

 

紙コップにインスタントコーヒーを入れ、お湯をつぐ人に渡したら「随分多いな」と言うので「そうでもないですよ」と返事をする。納得いかない様子で受け取ったあと、そこに注いだお湯はコップの半分にも満たない量 だった。そこで、その人が「多い」と言った意味が飲み込めた。コップ一杯にお湯を入れると思って入れたコーヒーだったので「お湯を増やせば大丈夫ですよ」とわかってもらう。11-10-10

 

ハルカヤマへの往復の札幌駅銭函間はJR、そして銭函駅ハルカヤマ間は歩きに。昨日の帰りで所用時間がわかったので行きも歩いた。バスのときと大差なく到着。おかげで万歩計は19,518にもなる。日曜日で晴天のおかげもあり会場は鑑賞者で溢れていた。自分の作品の前での説明も途切れることなく続き、途中に駐車場誘導の手伝いもして帰る間際の5時まで立ちっぱなし。でも、嬉しい疲れ。11-10-9

 

今日もまた新たな乗り継ぎでハルカヤマへ向う。地下鉄で札幌駅へ(ここまでは前回と同じ)、そしてJRで手稲駅まで行き、そこからバスでハルカヤマヘ。乗ったのは以前と同時刻のバスだけど家を出る時間を30分遅らすことができた。さらに、帰りは銭函駅まで30分掛けて歩きJRで札幌駅へ。 これですべてをを試したので、自信を持って話せるようになった。明日はどの行き方にしようかな。11-10-8

 

『私はどこも悪くない』と言う年配の人(一応自分より年令が上の人)がいる。ここでの悪いの意味は正しいかどうかでなく体のこと。いくつかの体の問題を抱える前なら素直に聞き入れられたはずなのに『本当にそうなのかな』と疑ってしまうようになってしまった。かつては自分も同じ言葉を長年何の迷いもなく使っていたからその気持はよくわかる。今考えると『悪くないはず』だったのかも。11-10-7

 

10月に入ったということは年に一度の旅も間近に迫ってきたわけで次第に高揚感も高まりそうだ。すでにフェリーと飛行機と宿は予約済みで準備は万端。今回は行きはフェリー、途中は列車、帰りは飛行機という変化も楽しみ。コースは苫小牧から秋田、盛岡、平泉、仙台、山形、山寺、石巻と回る予定。美術館巡りが中心だが、まったく異なる理由で石巻も楽しみにしている。何をどう感じるか。11-10-6

 

秋がない。暑い夏が続きその後も残暑のなかにいたせいか、最近の寒さは秋を超えていきなり冬を迎えた感がある。いくら峠とはいえ積雪の映像には驚かされた。雪景色はまだまだ先とゆったり構えていたのにいきなり見せられると何だかあせってしまう。まだ3ヶ月あるというのにその期間が急に縮められたような気がする。暑くもなく寒くもない穏やかな秋の日和が恋しい。思えば春もなかった。11-10-5

 

絵画教室でのモチーフは1ヶ月単位で設定していて月初めにはその決定にいつも苦労する。すでに20年以上(長い所は30年近く)やっているわけだけど、長いなりの悩みもある。極力同じ設定は避けてはいるが同じものが登場する機会も増えてくるわけで、それがいつでどんな組み合わせだったかの確認もしなければならない。この決定で1ヶ月の仕事の90%が終ったくらいの解放感を味わう。11-10-4

 

ほおずきを探し求めて8店目でようやくゲット。絵画教室でのモチーフにしようと探したが、どこにも置いてない。もう、ここで諦めようと入った花屋にあった。ほおずきは9月のものですでに時期はずれだという。とにかく回ったかいがありホッとする。それにしても花屋は意外とたくさんあるものだ。ほおずきは酸漿と書くが、もうひとつの鬼灯はなるほどと思うし、想像すると楽しいから好き。11-10-3

 

今までは車で行っていたハルカヤマへバスで向う。バスで行く方法もあると知らせてあるので自分でも試してみた。札幌中心街からそこに辿り着くバスは1時間に1本しかない。8時52分札幌駅前発に乗車。約1時間12分後の10時4分ハルカヤマ着。初めて眺めるバスからの街並を楽しんでいたから退屈はしなかったが、人に勧めるには気が引ける長い時間だ。それでも観てほしい気持も・・。11-10-2

 

天気雨。今日は陽が差しているのに雨が降ったり、止んだりを繰り返していた。それもシトシト降る雨でなくかなり激しいものが多かった。ようやく止んだかと喜んだ矢先にまた突然降ったりと、とにかく定まらない。そのおかげか、ハルカヤマでの地中階段の水の汲み出し作業の帰り道に久し振りの虹に遭遇。交差点を曲ると自分の進む道の真ん前に大きな虹が現れた。爽やかな美しさに心も和む。11-10-1

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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