ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

魚に聞いてみたいことがある。今年の2月、我家に7匹で引越して来たのに今はたった1匹に。たくさんでいるときは縄張り争いもしてたけど、その相手もいなくなった。はりあいがなくつまらないのか、それとも水槽を自分だけで占有できるから喜んでるのか。その辺を知りたいものだ。そうは言っても、生き続けることだけが頭にあって寂しさとか喜びとは無縁の世界で生きてるような気もする。06-9-30

 

我家の魚がとうとう1匹になってしまった。やせ細りながらも懸命に頑張っていたけどいかんせん餌を食べなかったので力尽きるのは予測できた。残ったのは食欲がまったく衰えなかった1番大きいもの。結局は体力の差が影響したのだろうか。食べなければどうしても体力は落ちる、そうすると食欲も減退してますます弱るという悪循環だった。寂しくなったけど元気に勢いよく食べる姿に一安心。06-9-29

 

いいも悪いもときと場合と場所によって違う。高地の町では金持ちほど低い所に住み、見晴しのいい高い所には貧乏人が住んでいる。見晴らしより空気のほうが大事なのは当然。平地では高台と下町というイメージからして見晴らしがいいらしい。古い映画だけど三船の出てた『天国と地獄』もその辺が舞台になっていた。たしかに見下ろす気分のよさはあるだろうけど雪の坂道は大変にちがいない。06-9-28

 

今と昔で変わったといえばスポーツのときの水。かつては運動中に水を飲むと疲れが増すと水分補給は許されなかった。今では『なんでそんな馬鹿な』となるけど当時は広く信じられ実際にそうしていた。ドラマでもやかんに入ってた水は飲むためのものでなく倒れたときに頭にかけるためのものだった。これは誰がいつごろどんな根拠で始めて広めたのだろう。精神論の産物のような気もする。06-9-27

 

昔は日に焼くほど体にいいみたいに言ってたのに今はできるだけ日光を浴びないほうがいいと言うようになった。夏に日焼けしておくと冬に風邪をひかないなんてこともよく聞かされていた。近年さらにオゾン層の破壊が進み紫外線が強くなったというから昔と同じに語れないのもわけるけど・・・。これがさらに進めば日焼け止めは日常になり日傘が雨傘のように使われるときが来るかもしれない。06-9-26

 

日差しの強い日もあるけど風は冷たくなってきて半袖の季節もいよいよ終った感じがする。今年は記録的な晴天続きの暑い夏だった。それでも、これまででもっとも膚を焼かなかった夏になった。去年あたりから夏の太陽がつらくなってきて、今年は意識的にぎらつく日光を避けて日陰を選んで歩いていた。今までさんざん焦がしてきたから元に戻ることはないけどこれからは休ませてあげたい気分。06-9-25

 

ゆっくりとしか歩けない夢。思うように足が動いてくれなくてすごくもどかしい。この夢も何度か見たことがあるけどどういうことなんだろう。女の人にも抜かされていくし坂道はもっとつらくなる。とにかく体も気分も重い。そんな夢で歩けなくなるつらさを教えられた気がして夕方の散歩は早足でいつもより少し長めの1時間に。このくらいなら何の苦もなく歩けてホッとする。これを保たねば。06-9-24

 

歩行者信号が点滅してるのに渡り始め、中央辺りで赤になっても急がずちんたら歩いてる。左折する車が軽くクラクションを鳴らした。それでもだらだら。渡り終るころその女は『あせらせるんじゃねーよ、この〜』と逆切れの捨て台詞を吐いた。自分が悪いことをしている自覚がほとんどない。このタイプはいたるところで発見される。捨て台詞はないにしてもめずらしくないところが情けない。06-9-23

 

昨日のひとことは『大きな活字の国語辞典』で調べた。この辞典を買ったのは8年前のこと。A4サイズで厚さは約6B。その迫力に引き寄せられたせいもあるけどいつか必要になるような気がして買い求めた。やっぱりというか大きくて重いからほとんど使われずに本棚の隅にじっと収まっていた。しかし、ようやく使われるときがきたようだ。重いから手は疲れるけど字が大きいから目には楽。06-9-22

 

二百十日=立春から二百十日目の日。この日によく台風が来ると言われた。9月1日ころ。立春=二十四節気の一番目。暦の上で春が始まるとされる日。正月節。2月4日ころ。二十四節気=古代の中国で始められた季節の変わり目を示す日。一年を24の節に分けその節の最初の日に名付けられた。中国伝来の陰暦の季節区分。陰暦=月の満ち欠けを基準として作った暦。そして、もうすぐ秋分。06-9-21

 

朝方、家をがたがたと揺らす強い風の音で目を覚ます。起きるにはまだ少し早い時間。台風が早く通 り過ぎてくれることを願いつつ軋む音を聞きながらまた眠りにつく。子供の頃の強い台風のときは本当に家が飛んでしまうのではないかと怖かった。台風の去った後、飛ばされた屋根の柾(まさ)を探して集めたことも覚えてる。台風の代名詞の『二百十日』という言葉を知ったのもその頃だった。06-9-20

 

何人かで話しをしていたとき、話題を引き継いだはずのその人の前置きがすごく長くて聞いてる方もあきてきたころ「あれ、なにを話すつもりだったっけ」のひとこと。夕飯に何を食べたかを朝起きたときから話すような感じだった。これなら途中で脱線したり話したかったことを忘れてもしかたがない。聞いてるほうはどっと疲れてそれはもうどうでもよくなってしまう。長過ぎる前置きは要注意。06-9-19

 

最近、パソコンの迷惑メールブロックサービスというのを利用するようにしたら随分楽になった。それまで多いときには20件近くの迷惑メールをいちいち削除してたのがひとまとめにしてくれるので1回の削除で済む。半年くらい前にまだこのシステムがないころ何とかしてほしいとプロバイダに電話したことがあった。多分、その要望が多かったのだろう。どうやって判別 するかは秘密とのこと。06-9-18

 

『それは違うだろう』というテレビコマーシャル。公園で外国人(多分アメリカ人の設定)が倒れていて英語で助けを求めている。そこに通 りかかった若い女性は意味がわからず「ごめんなさい」と言いながら走ってその場を立ち去り語学学校の門をくぐる。どう見ても現場は日本国内。謝る側が違うはず。これでは国内でもアメリカ人の英語に応えなければ恥だと勘違いをさせてしまいかねない。06-9-17

 

急に涼しくなるかと覚悟してたけど日中は半袖でもまだ大丈夫。暑くもなく寒くもなくちょうどいい気温。こんなときがしばらく続いてくれるとありがたいんだけどどうなることやら。今年は春がなかったからせめて秋をのんびり満喫させてほしい。秋に来る台風もおとなしいことを願うばかり。06-9-16

 

食べて、歩いて、楽しんで、寝る。これが生きる基本。食べるために生きてるといっても過言ではないくらい食事は基本中の基本。エネルギー源がなければ心臓も動かないし血も流れない。動いて移動できからこそ動物。歩くことは変化と出合いにつながる。それに感情と気持も大事。楽しい心が生きる意欲にはずみをつける。もちろん休息も大切。それらを維持するために頑張って働いてるわけだ。06-9-15

 

年に一度の教室展に向けてまとめた資料を肝心なときに持ち忘れた。正確に言うと違う教室のものとまちがえて持って行った。前夜に一緒になってた資料を見やすいようにとせっかく別 々のファイルにまとめたのにまちがえてしまった。最近は以前より出かけるときの確認の回数も増えたしより慎重になってたはずなのに失敗したのが情けない。そのとき言われたひとこと「・・・らしくないね 」06-9-14

 

我家の魚が4匹になってしまった。今度死んだのは2番目に大きかったもの。小さいグループも大きいグループも関係ないようだ。この前も迷ったけど今回も水槽の水を替えるべきかそれとも同じにしておくべきかでかなり迷った。水に原因があるなら替えたほうがいいし、環境の変化がますます体力を奪うのなら替えないほうがいいし・・・。結局、入れ替えたけどこれがどっちに出るかが心配。06-9-13

 

予感。なんとなく気になっていた。以前、この先で待機してるパトカーを見たことがあるとはいえ30回のうちの1回というくらいの割合。1Hほど手前から10Hオーバーに押さえて走った。そのとき後ろからどんどん近づいて来る車がいた。予測してた地点に接近したときいきなりパトカーの赤色灯が点滅して一瞬びっくりしたが、バックミラーを見ると後ろの車を停車させていた。予感に感謝。06-9-12

 

“それらしいひと”仕事として頼まれて描いたキノコのスケッチがキノコの会場の一角に展示されるというので見に行った。依頼された人に「もし、行くんなら◯◯さんに声をかけてみて」と言われてたけど想像以上に賑わっていたので声をかけずに退散した。あとで「それらしいひとは来てなかった」と◯◯さんが言ってたという電話があった。美術作家の『それらしいひと』とはどんなイメージ?06-9-11

 

昼食にはほとんど麺類を食べる。1、2年前からそれが当たり前になった。麺類でも一番多いのがそば、次にうどん、ラーメンとくる。暑かった夏には冷やしラーメンや冷麦もしょっちゅう食べた。最近は温かいのと冷たいのが半々になってきてる。食べ物の選び方も季節の変わり目に入った。06-9-10

 

たまに見るおかしな夢。夢はだいたいおかしいんだけど同じような内容だからなお不思議。自分の部屋にいつのまにかまったく知らない家族が住み着いていて4人くらいで賑やかに食卓を囲んでたりする。かなり広い部屋だから窮屈な感じはしないけど仕切りになるものがなくて丸見えなのが気になる。どうしてその人達がそこにいるのか理解できなくて気分もよくない。なぜこんな夢を見るのだろう。09-9-9

 

9月11日が近づいてくるとツインタワーの崩れていく映像が流れ始める。多くの人が一瞬にして死んでしまった大惨事。跡地はグランドゼロとして象徴的は場所になるだろう。しかし『ここから始まった』という言い方はおかしい。それでは何故それが起きてしまったのかという考察がなくなる。そしてさらなる悲劇は今、現在も世界から注目もされないグランドゼロが増え続けているという事実。06-9-8

 

ビデオカメラに警告が出てそれが解消されないので買った店に修理を依頼した。3年程前に買ったものなので5年間保障の有無を確かめたら入ってないという。とにかく修理代が安いことを願うよりなかった。そして、修理の終ったカメラを受け取るとき、代金はいくらかと心配してたら意外な言葉が返ってきて一瞬驚く。「無料です」「えっ」。5,000円は覚悟してたので嬉しい誤算。助かった。06-9-7

 

朝起きると今までにはなかったひんやり感があった。いよいよ秋の訪れだなと覚悟した。出かけるとき半袖にするか長袖にするかで少し悩んだ。寒いのもつらいけど暑いのもいや。結局、半袖に軽い上着を持って出かける。しかし、上着を一度も着ることなく家に帰って来た。季節の変わり目なので朝と昼の温度差がかなりある。そして、寝るときの窓は閉めるようになった。掛ける布団も迷う時期。06-9-6

 

インターネットでホテルを検索して予約をしたと書いたら全部インターネットで終らせたみたいだがじつは予約は電話。インターネットで予約までできるのは知ってるけど大事な取り決めは直接声を聞きながらしたいという気持が強い。どこかで完全に信じきってない部分がある。もしもインターネットで予約を済ませても心配になって確認の電話を入れてしまいそう。それなら始めから電話となる。06-9-5

 

今年の旅は名古屋、神戸を選んだ。航空券はバースディ割引きで片道13,300円。行きと帰りを購入。もちろんそのために誕生日のある10月末の旅にした。次は宿。インターネットでビジネスホテルを検索して安いホテルを探す。名古屋はすぐに予約完了。しかし、神戸の土曜日がなかなか取れない。それでもねばって探して5.140円のホテルをゲット。あきらめずに頑張ってみるもんだ。06-9-4

 

夕張の続き。石炭の坑道は本物だっただけに臨場感もあり、けっこう長い距離があって見応えがあった。そこだけならまた行ってもいいかなと思うくらいの独特の空間。そして、もっともっと石炭にこだわった展示や施設を見たかった。遊園地やはく製館なんかでなく炭坑地でなければ体験のできない施設を作っていればもっと長い期間にわたって多くの人を集められた気がするけどそれも甘いのかな。06-9-3

 

駐車場で思い出すのは夕張の石炭の歴史村に行ったときのこと。炭坑の町独特の山あいのくねくねした道路を走ってたどり着いた駐車場は以外と広々してた。でもそれは車がほとんど駐車してなかったせいもある。しかし、そこで駐車料金を取るというのに驚いた。坑道などの施設での入場料との二重取りの感じがして気分が悪かったのを覚えてる。これひとつとってもお役所仕事だったのがわかる。06-9-2

 

8月の暑い日に涼を求めて郊外の大型スーパーに車で行った。炎天下に車を置きたくなかったので屋内駐車場に入れる。中もむっとしてるけど外よりはまし。店内は冷房でひんやりしてて気持いい。駐車料金なしなので同じように逃げて来る人もいるはず。駐車無料は郊外だからできることで中心街や地下鉄沿線では違う利用もされるのでむずかしい。これで車のある人はますます郊外に向うわけだ。06-9-1

 



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NAKAHASHI OSAMU

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