ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

今日は押し入れの中の棚作りと枕洗い。押し入れの棚は引越ししたときから考えてたプランの最後の仕上げ。ぴったり収まるサイズに作る。これが手作りのいいところ。これで収納も随分楽になる。次の枕洗いは意外と時間がかかった。網の袋に入ってるマカロニのような形のプラスチック(?)をバケツに移して食器用洗剤で洗い、お湯ですすいでドライヤーで乾燥。これだけでも気分は随分違う。05-7-31

 

予報ははずれて晴れの暑い一日。飲み物に氷を入れようとしたら濡れてた指にふっついた。こんなとき子供の頃の冬の出来事を思い出す。「あ〜、手がついちゃった〜」台所から母の驚きとあせりの声が聞こえた。そこですかさず父は大声で叫んだ。「手をひっぱらずに水かけろ」。もちろんそれで一件落着。子供心に父の機敏な反応にたのもしさを感じたものだ。家の中でも凍り付いてた昔の話し。05-7-30

 

最近は随分雨が続いてる。今日も一日雨。週間予報でも雲と傘マークだらけ。大通 りのビアガーデンや海水浴場の人達はショックだろう。何とかはずれてくれることを祈ってるに違いない。夏休みに入って海や山を楽しみにしてる子供達も思いは同じ。ついさっきまで雨のなかで決行された大きな花火大会の音が遠くから聞こえてた。気分が爽快になるはずの花火の轟きも湿りがちで何となく寂しげ。05-7-29

 

ある展覧会場で作品を眺めているとそこへお母さんと3才くらいの娘も観にきた。その子はとってもかわいい顔をしてる。迎えた人は「わー、かわいいね」「お父さん似かな」と言ったあとちょっと間が空いて「お母さんもかわいいから」と付け加えた。最初のふたことは僕もまったく同感だった。05-7-28

 

今日も雨。幸い台風のコースがはずれて雨は強くても風は弱い。雨でもバスは使わず地下鉄の駅まで歩く。まだ一度も乗ってないしこれからも歩くつもり。折畳み傘だから背中のリュックはどうしても塗れてしまう。今日の主役はこの傘。買ったのは30年前の12月。ヨーロッパの旅に持って行くために購入したもの。それ以来ずっと使い続けているのに30年も壊さずなくさないのだからすごい。05-7-27

 

札幌への帰りはずっと雨。それでも車の流れはいつもと同じ。途中、借りてるアトリエで荷物の一部を降ろそうとしたが1分どころか10秒でもずぶ濡れになりそうなどしゃぶりのためしばし車で待つことにした。ワイパーを止めたフロントがラスに降る雨は滝に打たれているように激しくぶつかり勢いよく流れながら全面 を水の幕で覆う。こんなかたちで雨の影響が出てくるとは思わなかった。05-7-26

 

『庭破れて雑草あり』まさにそんな感じ。実家の庭は雑草がはびこり、すっかり占領されてしまった。元の姿に戻すのはもう不可能に近い。何よりその戦いに挑む気力と熱意が生まれてこない。1本1本若い芽を摘み取って「無心になれるからそれなりに楽しい」と言ってたのは遠い昔のよう。05-7-25

 

朝早く実家へ向うつもりが結局10時出発。2時着。垣根のイボタは大して伸びてないが庭の草は思いっきり成長してる。家の中の整理に追われてたからしかたない。家横の畑も草だらけ。今年は雑草封じの野菜を植えてないから我がもの顔で元気いっぱいだ。草のしたたかさにはまいってしまう。05-7-24

 

引越し直後にやりたくてもできなかった平面作品の制作場所作りや棚作りをしている。おかげでほとんど片付き使える形になってきた。あとは使いながら直していけばいい。動き始めてから気付くことも多いから形を作り過ぎないのが大切。久し振りに油絵の具の臭いが漂う日は近い。これも好き。05-7-23

 

たんすの引き出しを整理してたら大分前に買って使わずにいた布団の圧縮袋が出てきた。すっかり忘れていたがこの方法があったのだ。さっそく掛け布団、敷き布団で試してみる。おもしろいように縮まる。キャッチフレーズでは3分の1だけど感覚的には4分の1といったところ。焼却炉に捨てた布団にはすまないことをした。今度、実家に行ったら残ってる布団をこうして持ち帰ってあげよう。05-7-22

 

「う〜ん、やわらかい」とそれがおいしいことの条件のように言いながら食べるタレントをテレビで見ると「よほど歯が悪いか入れ歯なの?」と聞いてみたくなる。もうひとつは「甘〜い」の連発。甘いものに飢えてる理由がわからない。これもイコールおいしいの意味で使ってる。他の味覚はないわけ。「とろける〜」なんて最悪。そんな人達には甘いジュースと甘いスープが最高のごちそう?05-7-21

 

市役所や道庁ではサマータイムとして一部が1時間早く出退庁してる。これはいい試みだと思う。仕事上慣れない不便さはあるだろうけどサービスや経費の点から見ても意義はある。通 勤ラッシュの緩和にも役立つだろう。購買や飲食など経済効果はそれほど期待できないようだ。朝夕の1時間は中途半端な時間かもしれない。早起きの習慣が始まってようやく4ヶ月なのにその効用をかみしめてる。05-7-20

 

最近、新聞から得た知識。12支の「午(うま)」は時刻では午前11時から午後1時を示し真ん中が正午でその前を午前その後を午後と呼ぶのはこれに由来するという。知らない知らなかったことはまだまだ数知れずあるだろうがこれほど毎日の生活に関わってる言葉の意味を知らなかったとは。05-7-19

 

6時半に起き朝食をとりながら新聞を読んだが頭も体もスッキリしない。『よし、今日はのんびりだらだらの日にしよう』と2階に戻り布団を敷いて横になった。すぐに眠りに入る。目を覚ましてはまた眠りを繰り返す。その間に雷が鳴りどしゃぶりの雨が降り静かになって薄日が差してそのうち夏の太陽がよみがえっていた。昼にそばを食べまた2階で横になる。涼風が体を横切る。気持ちいい。05-7-18

 

今日は夏本番を思わせる暑い一日。朝方から暑さが忍び寄り最初に目を覚ましたのは寝苦しさのせいだった。窓を開けたままだったにもかかわらずである。昼食は扇風機の風を受けながらの冷やしラーメンと麦茶。夜には冷えたスイカを食べた。そして、蚊のいる気配はないけれどせっかく(?)だから蚊取り線香をたいて寝ることにしよう。これで花火の音でも聞こえてきたらまさに日本の夏。05-7-17

 

『いただきます』と『ごちそうさま』。家で御飯を食べる前には必ず口に出して『いただきます』と言う。もちろん、食べられることへの感謝の気持ちを込めている。ひとつは食物にもうひとつは受け入れてくれる体に対して。体あっての食事を自覚する。外で食べるときは心で言う。そして『ごちそうさま』もきちんと言うようになった。生きる基本で大事な時間であることを忘れないためにも大切。05-7-16

 

最近、『乱れが目立つ若者言葉』という新聞記事を読んだ。元の意味とは違う使われ方の『ヤバイ』『ビミョー』『ウザイ』などなどいろいろあった。そこで気になったのは使われ方ではなく『若者言葉』という言い方。つまり若者のせいにするのはまちがい。すべてはその若者を育てた大人の責任。大人の鏡に過ぎない。ニュースである町長が『・・よりベターな..』と言ってるほうがもっと嫌。05-7-15

 

もったいない精神が強いほうだから何かを捨てるときには勇気がいる。ましてやそれがきれいなものならなおさら思いきりが必要。実家の整理で最後まで残されたのが布団。どうしてもすぐに捨てる気になれなかった。電化製品や家具や食器や衣類とは違った複雑な思いが生まれてくるのは何故。05-7-14

 

おとといの布団の続き。布団が軽くなったのは最近(?)のこと。正確にはわからないが羽毛布団が出回ってからだと思う。そうだとすると20年も経ってるのだろうか。布団の歴史からみれば重いほうがずっと長いから最近でいいだろう。昔は綿のたくさん入った重い布団がいいものとされた。ほとんど使われてないきれいな布団を燃えるゴミとして生ゴミと同じ焼却炉に捨てるときはつらかった。05-7-13

 

無事解決。たまに預金通帳に記帳して出し入れの確認をしているが見落としていた支払いを発見。4、5、6月と覚えのない電気料金が引き落とされてる。電力会社に問い合わせてみると依然住んでたアパートの部屋のものだった。3月の引越しの際、ブレーカーを落とさなかったことと連絡しなかったためだという。半分納得、半分不服を伝えると5、6月分は返してもらえることになり一件落着。05-7-12

 

実家に残されていた布団を大型ゴミの処理場まで運んだ。隣人もちょうど古いコピー機を捨てに行こうとしていたというので布団も積み込んでもらい一台の車で向った。システムは札幌と同じで最後に支払いをする。そこで意外だったのが料金。二人の予想よりずっと高かった。布団がそれほど重いとは思わなかった。『綿10Lと鉄10Lならどっちが重たいか』で『鉄』と答えたくなる心理。05-7-11

 

峠の森はうっそうとしていた。そして、激しい雨をたっぷりそそがれた木々はさらに緑を濃くする。まさに天然のじょうろだ。「ひとこと」に書くまでじょうろが如雨露だとは知らなかった。思ったことがそのままだったのだ。なんだか嬉しい。水を充分吸い込んだ森はみるみる成長してすき間がなくなりこんもり盛り上がるだろう。飛行機からも感じたが峠を車で走ってると森の国を痛感する。05-7-10

 

電話を受けるときの最初の声のトーンの大事さを感じた。少し高いくらいでちょうどいいみたいだ。ある人に電話したときあまりにも低いトーンで返事をされたため「かけないほうがよかったかな」という思いも生まれてすっかりペースが乱れ簡単なことさえうまく伝えられなかった。電話を受けるとき声が高くなるにはちゃんとわけがあるのがよくわかった。声が沈むと心も沈む。心か先だろうけど。05-7-9

 

色を食べる。昼食のとき食べ物の色を確認してみた。淡い緑と濃い緑=そば、きゅうり、赤=ミニトマト、カニかまぼこ、ちょっと薄いけど黄=白菜の漬け物、白=豆腐、黒=海苔。青がないなと思ったら小皿に青を見つけた。食べられないけど目で味わう。最後に黄色のおーいお茶を飲んで大満足。05-7-8

 

アメリカの勘違い。2012年オリンピックの開催地を決める投票前にアメリカの新聞記者が「9.11の同情票が集まるから間違いなくニューヨークだよ」と語っていた。それはあり得ないと思っていたが案の定モスクワの次に消えた。世界に嘘をつきイラクに戦争を仕掛けたのによくそんなことが言えたものだ。「イラクで戦争をしてるイギリスに決まったのがくやしい」というフランス人に同感。05-7-7

 

計6回の水彩スケッチ講座の講師を担当して4回目が済んだが受講生の上達ぶりには驚く。なにせ短期間の講座なので急ぎ足のうえに盛り沢山ときてるけど楽しくやってくれるのが嬉しい。とにかくいろんなモチーフを描いてほしいので静物、花ときて今日は風景の予定が雨のため室内での人物に変更。最初は筆の進まなかった人もしだいに個性的な絵を描き始める。これだから教えるほうも楽しい。05-7-6

 

並ぶのが下手というか苦手なのはどうしてなんだろう。街なかでしょっちゅう理解できない場面 にでくわすと根本的にそんな体質を持ってるとしか思えなくなる。それとも地域性の問題なんだろうか。各自が状況判断をしないから平気で道をふさぐ。通 りに平行でなくとにかく縦に並びたがる。その場合も前を見たがり少しずつ横にずれていく。社会心理学的にはどう分析するのか興味のあるところ。05-7-5

 

巨人の元監督の長嶋が球場に観戦に来たとマスコミが大騒ぎをしていた。病気が回復に向うのはどんな人であれ嬉しいことだがその扱い方が大袈裟のような気がした。熱烈なファンがいるのは確かだろう。その人達が感極まるのも理解できる。しかし、あのとりあげ方を見ると巨人の悲惨な現状を浮き彫りにしてる感じがしないでもない。神頼みならぬ 長嶋頼みだ。まさに救世主にしようとしてる。05-7-4

 

7日間の個展が終了。搬出のその日は何故か終わった実感がわかないもの。自分の手で作品を搬出したにもかかわらずまだ展示されてる残像が強く残っているからだろう。毎日会場に身を置くうち自分の作品がその空間にあって当たり前の 意識になってくる。そこが作品の居場所になってしまう。05-7-3

 

1時頃まで一人も来なくて心配してたのに一人が来ると次々つながってくれた。それはそれで嬉しいのだが重なるとせっかく来てくれたのにゆっくり話しができなくて残念な面 もある。人間の行動パターンには共通点があるようで不思議なほど重なることが多い。閉める間際に韓国の留学生が顔を出してくれたときはたまたまその人だけでいろいろな話が聞けて楽しかった。有意義に過ごしてほしい。05-7-2

 

今日はもう7月1日。いつの間にかなってしまったという感じ。個展の会期中のため今日は何日目あと何日といった気持ちが強いためにそうなる。いよいよあと2日になった。いつもより1日多いだけでも随分長く感じるものだ。疲れはたまってるから早く解放されたい気分にもなるがあと2日となれば今度は作品を撤収する寂しさも湧いてくるから複雑。多分、今日あたりが疲れのピークだと思う。05-7-1

 



ウィンドウズで御覧の方は文字の表示を最小にしていただくと私のレイアウトに近づきます。

 

NAKAHASHI OSAMU

作品の著作権を侵害することのないようお願いします