ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

歩いて30分程のところにあるポプラ並木に向う。そこは創成川と国道が並列していて、その間には見事なポプラが立っている。車では何度も何度も走っているのに歩いて行ったことは一度もなかった。安春川を描いているうちに『水』の表現がおもしろくなり、そこからこの場所を思い出したというわけ。安春川よりも大胆で雄大な風景を前にしてスケッチの意欲がさらに増した。開拓するものだ。14-5-31

 

これまで長年、地下鉄とバスの乗車カードとして使ってきたウィズユーカードが明日で発売中止になる。買うのは1,000円のものだったので街への2往復でほとんどがなくなっていた。だから、しょっちゅう買っていたわけだ。この際と思い、新たに手に入れたサピカには自動的にチャージされる機能も加えた。現金払いをモットーにしているので久々のクレジットカードの出番に若干の戸惑いも。14-5-30

 

たむろするおやじ達。地下鉄駅へ向うとき通る安春川沿いのベンチに座ったり立ちながら話している6、7人のおやじの集団をよく目にする。歳は同じか少し上といった感じ。真剣に語り合うという雰囲気でもなくゆっくりのんびりとした穏やかな空気に包まれている。退職後の自由な時間を満喫しているようにも見える。もっと若ければ怪しい集団にも疑われかねないが、そんな心配は無用のよう。14-5-29

 

日本ハムの大谷の二刀流に対して、いろいろ意見が別れている。そのなかには「せっかくの大器なのにどっちつかずになって200勝も2000本安打も達成できなくなってしまうのが残念」というのもある。それはそうなると思う。でも、もしそれにこだわるなら100勝と1000本安打で充分だし、そこへの初めての挑戦者として大いなる夢を与えてくれている。とにかく今後の活躍が楽しみ。14-5-28

 

昨日は14℃で今日は22℃。これらは札幌の最高気温。ここのところ寒暖の差の激しい日々がたびたびある。それも突然やってきてあっという間に去っていく。どうしてここまで大きな差が出るのか不思議なほどだ。寒くなると気持が沈みがちになってイヤだけど、暑くなると体がまいるからこっちも辛い。過ごしやすい18℃から20℃辺りで安定してくれると嬉しいのにそううまくはいかない。14-5-27

 

この『ひとこと』を書くのに要する時間はその日によって多少の差はあるけれど平均すると20分程だろうか。書きたいことがはっきりしている場合はどんどん書き進められるが、あいまいだっり中途半端だとあれこれ迷って時間が掛かったりする。いつからとは言えないが、以前に比べると『ひとこと』に掛ける時間は随分少なくなった。それは、内容の質や文のおもしろさより継続を選んだため。14-5-26

 

年齢を重ねるごとに『ちょっと前』の年数が次第に増えていく。『ちょっと前』が5年前になり、そのうち10年前になってしまう。子供の頃には1年前でも『ずっと前』なので、5年前なんてなると遠い遠い昔のようになる。同じ時間でも年齢によって随分違ってくるものだ。だから、3年前は『ほんのちょっと前』になりそうだが、5年をクリアして本当に安心というのでその辺は微妙なところ。14-5-25

 

先日、2年振りとなる大腸の内視鏡検査の予約をしてきた。この前は3月だったが、検査日の朝に飲むニフレック(経口腸管洗浄剤)のおかげですごい寒気がしたのを覚えていて、少しでも暖かいときにしようと先送りしていた。もちろん、嫌なことを後回しにしたい気持もあった。でも、ほぼ1ヶ月後の6月27日に決まってしまうと早く終らせたくなるから不思議。5月で手術から3年が経った。14-5-24

 

子供の頃の興味の対象は完全に乗り物だった。だから、親がおもちゃを買ってくれるときはいつも乗り物を求めた。小さなバスや電池で動く乗用車なんかは今でもよく覚えている。動かせるもの動くものが好きだったのは自分の生き方と重なってたんだと思う。小学生の頃はとにかくどこかに向って歩いていくのが大好きで山越えも度々やっていた。『歩く旅』はその頃の自分に戻っている気がする。14-5-23

 

年に数回しか使わない電卓だから基礎的な機能を知らなかったとて大して支障はないが、知っていれば年に一度の確定申告のときに多少の時間の軽減になったのは確かだ。知らずにいたのはMRCとM−とM+の使い方。でも、新聞で知って試して以来一度も使っていないから忘れてしまいそう。まだまだ知らないことはたくさんあるんだろうな。それに、わかっているつもりでも勘違いしてたりも。14-5-22

 

1ヶ月ほど前から朝の楽しみが増えて喜んでいると同時に残念な思いもしている。それは五木寛之の新聞小説『親鸞』で、ふとしたきっかけで読み始めたらはまったのはいいのだが、今朝の時点ですでに〈317〉回にもなっているから話はかなり進んでいてこれまでのあらすじがわからない口惜しさともうすぐ終るのではという心配も抱えている。とにかく、まだまだ続いてくれるのを願うばかり。14-5-21

 

=ポールさん=はおかしい。新聞やテレビの報道のとき、ポール・マッカトニ−を=ポールさん=とさん付けにしている。どういう意図かはわからないが、いい子振ってるようでどうにも気に入らない。歴史にも名を刻む超有名人なのに、隣のおじさんを呼ぶような変な親しさで書いたり呼んだりするとその偉大ささえも落してしまう。最近、=さん付け=の傾向が強まっているのはどうしてだろう。14-5-20

 

せっかくの土日が冬に逆戻りしたような寒さに。オホーツク海側の町や峠では積雪もしたというから驚きだ。これから暑くなるので『歩く旅』は秋にすると宣言していたのに、まさかこんな寒さがくるとは思ってもいなかった。そのせいでストーブの助けを借りることにもなった。家にいるならそれで済むけれど、行楽地やイベントの関係者にとっては大打撃だったに違いない、そして、今日は晴天。14-5-19

 

『あれ?なんか違うぞ』。ある書類に電話番号を書いたとき、正しいはずなのに何か違和感を感じた。その誤りに気付くまでちょっとの間があった。実は、淀みなく出て来た726−1393は8年前まで20年近く使っていた電話番号だったのだ。今の番号になって8年も経っているというのにどうして浮かんできてしまったのだろう。近いことよりも昔の記憶の方が鮮明になるなんて心配になる。14-5-18

 

行くときから帰りの楽しみにしていたのが新しい市電に乗ること。走り始めたときから早く乗ってみたいと思っていたのにすでに1年以上経っていた。新しい電車は5、6台に一回の割合なので、やはり藻岩下にある操車場でその市電の来る時刻を聞くとタイミングよく10分後だという。ひとつをやり過ごし、待望の市電に乗車。狭い感じはするが様々な椅子があり変化に富んでいて気に入りそう。14-5-17

 

図書館が休館日のために他にもおまけが付いた。まずは藻岩山の麓にある墓地への階段を上る。ここは見晴らしがいいので学生のとき何度か上っていた。合計300段あって最後は結構ばてた。歩くのは随分慣れたが階段はまだ鍛えようがあるみたい。次にはすぐ横にあるロープウェイ駅を見学して旧小熊邸脇を抜けて初めて訪ねる水道記念館へ。これは期待はずれだったけど想定外の散策になった。14-5-16

 

1時間ほど歩いてようやく辿り着いた中央図書館は予想だにしなかった休館日。公共施設だから月曜日ならまだわかるにしても、まさか水曜日だとは・・・。リニューアル後の初訪問だったのにがっかり。それでも、札幌の遺跡や土器などの展示室を見学できたのでそれなりに行った甲斐はあった。歴史として当然なんだろうが、旧石器時代から生活していた人がいたという事実を知って驚かされた。14-5-15

 

これから暑くなることと昨年のように誕生日に重ねたいとの思いから芽室への歩く旅は秋にしようと考え始めている。早く歩きたい気持もたくさんあるけれど楽しみを残しておくのもいいのかと。今回の旅で何だか寂しくて印象的だったのは今年3月に閉校した小学校と中学校の2校に遭遇したこと。団塊の世代としては隔世の感がある。2校ともまだ立派で大きな校舎だけに静けさが悲しみを誘う。14-5-14

 

42+42+48+52=184。4月20日から5月10日の3週間の間に歩いた長距離の合計が184Hに。これだけ短期間内に歩いた距離としてはまちがいなく過去最高記録だ。昨年の日高路では3日間で126Hだったし、一昨年の千歳空港と20日後の苫小牧の合計でも107Hだった。また少し自信になりそう。残りの合計108Hは南富良野と新得に泊って一気に芽室を目指すつもり。14-5-13

 

自転車の旅(札幌、滝川、富良野、狩勝峠、新得、足寄、阿寒、摩周、屈斜路湖、美幌、層雲峡、旭川、富良野、再び狩勝峠を越えてその当時実家のあった新得へ、そして札幌へ戻る旅)のときの砂川でのスケッチ、赤平駅での一泊(戻るとき)、空知川沿いの道、野花南のトンネル、富良野駅での出来事などなどが鮮明に甦ってきた。歩く旅に似て自転車も自分の足で辿り着いただけに記憶も深い。14-5-12

 

続き。富良野駅からは高速バスの最終便で札幌へ戻った。この18;00発に乗りたくて休憩は昼の20分のみで頑張った。おかげで駅前のベンチで45年前の自転車の旅の思い出にあの日と同じように眩しい夕日を浴びながら余裕で浸れた。もちろん、駅舎も駅前も当時の面 影はまったくなかったがこの場所にいたのはまちがいない。今回のルートは自転車の旅とも重なっていてとにかく懐かしい。14-5-11

 

JRで滝川へ行き、そこから路線バスに乗り換え共和200番地に降り立つ。8:20に『歩く旅』の再出発。まずは赤平駅を目指す。最初は曇りで昼頃から晴天に。11:30芦別 の道の駅で昼食と靴下の交換。野花南の先にあるトンネルが立派になっていてホッとする。『歩く旅』初のトンネル。ダム湖の横を歩き続け、予定より30分も早い17:05富良野駅着。52Hを9時間弱で歩き切る。14-5-10

 

無頓着だった足の爪切りを念入りに。長い距離を続けて歩くようになって、今まで使っていなかったヤスリも使うようになった。とにかく足の指の部分が異常を起こす一番心配な部分なので気を付けるに越したことはない。くすぐったいというのとはちょっと違うけど気持のいいものではなくどうも苦手だ。慣れてないせいだろうが、最初のひと擦りはこわごわと慎重に入る。明日もその指が試される。14-5-9

 

桜が咲き始めたと思っていたら一気に満開になり、すでに花びらは桜吹雪になって宙に舞い雪のように道路を覆っている。そして、大好きな光景の小川を流れる花びらもしっかり堪能させてもらう。流れのなかに置かれた石の周りには首飾りみたいにふっ付いていた。それにしても、桜の色が例年より白っぽいと感じていたら、同じ感想の人が何人かいたのでここだけではなさそうだ。でも、どうして?14-5-8

 

若者のときとは比べようもないが、少なくとも10年前より足腰が強くなっているのはまちがいない。これこそ継続の力なんだろう。長い距離を歩き始めた14年前には20Hで足に張りが出て痛かったというのに、今では40Hでも平気になり、その日だけでなく翌日も何事もなかったかのように過ごせるまでになった。これからも歩く楽しみを持ち続けられるように日々の積み重ねを大切にしたい。14-5-7

 

寅さんの夜汽車の物思いじゃないけれど、なぜか今回の『歩く旅』ではそれぞれの土地のそれぞれの場所にそれぞれの人がいてその数だけの生活があるんだとしみじみ感じた。歩いた道路沿いの風景は忘れてもふと目にした印象的な人の姿は不思議と鮮明に浮かんでくる。駅の階段で話していたふたり、お寺の横で赤ちゃんを抱いて佇んでいた若いお母さんなどなど。『旅』だからこそ見えてくるもの。14-5-6

 

いつもならもう少し先へと行こうとするのに「あそこの停留所までにしよう」と思ったのは大正解だった。そこに着いたのが17時10分で時刻表には13分と書いてある。素晴らしいタイミングと喜んでいたら、ちょっと不安にさせられた10分遅れで到着。滝川駅ターミナルで降りてそこから高速バスで札幌へ戻った。次の出発はかなり富良野に近づけたあのバス停『共和200番地』からになる。14-5-5

 

直線道路の終点は滝川から赤平へ向う国道と交差している。そこで12号から38号に入る。到着時刻は15時35分なので赤平までは諦め、行けるところまで行こうと再出発。戻りは路線バスにするので停留所ごとに時刻表を確認して進んだ。まだまだ歩けそうだったが頑張り過ぎずに17時13分の滝川行のバスに乗った。後で確認して驚いたのはこの間の最後の8Hが最も速い歩きになっていた。14-5-4

 

岩見沢駅を出発しておよそ2時間後に始まったのが日本一長い直線道路。その長さは29,2Hにもなっている。鉄道では白老、東室蘭間の28Hで正真正銘の日本一。最初は目標が定まらなくて飽きるかと心配したけれどそれは杞憂だった。目標は建物でも標識でも木でもいいわけでいくらでもあった。それに、カーブがないだけに一定のペースで歩くにはやり易くなる。終点に近づくと終る寂しさも。14-5-3

 

きちんと調べたはずだったのにいくつかの誤りがあって焦ってしまった。予定した時刻の岩見沢への列車は特急で普通 はその30分後で出足からつまずく。さらに地図で計った距離が実際より短かくて予定より時間が掛かってしまった。そんなこともあったが、無事滝川を越え赤平に向って6Hほど進むことができた。トータルで約48Hで74,523歩になっていた。その他いろいろな報告が続く。14-5-2

 

今回の40H強の『歩く旅』もフルマラソンコースと同じように8時間弱で歩き切った。歩数も6万歩でほとんど一緒。このくらいの距離なら同じペースで歩き続けられることが証明されたわけだ。予定を立てるときに確実に計算できるのが嬉しい。そして、明日は岩見沢駅から出発して滝川を越えて赤平までの55Hを歩くつもり。もしものときは滝川までもありと気楽に考えて歩こうと思っている。14-5-1

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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