ある日のひとこと

 

 

 

 

01-12-31〜00-11-11のひとこと

 


 

 

いよいよ今年の終わりが来た。来年は『365』にこだわるつもり。そう、いろいろな意味での『365』に。明日、その『1』が始まる。それより、今日の久し振りの列車が楽しみだ。 01-12-31

 

「ええ〜」注文した画材を見て、愕然とした。色がまったく違う。それなのに「違うみたいですね」とお姉さんはいともあっさり言う。「みたいじゃなく、違うでしょ!」。お姉さんがまちがったわけではないが当たりたくもなる。一週間待たされたうえに今度は正月休みで再発注できるのは7日になり届くまで数日かかるという。何ということだ。これから更に10日も待つとは。「ああ〜」 01-12-30

 

最近雪の降らない日が続いてる。降ってもわずかだ。趣味は休みだけど家の中でゆっくりできるから助かる。最初のどか雪がたっぷり残ってるので、しばらく降らなくても充分雪国だ。 01-12-29

 

「今の若者は・・・」と自分の時代と比較して批判的に言う人がいるけど、何の説得力もない。もしそれが正しいとしたら人間が誕生した原始時代の若者が一番素晴らしいことになる。今も昔も同じで赤ちゃんは赤ちゃん、若者は若者、年寄りは年寄りなんだから「今の」は関係ない。もし何万年も生きてる人なら別 で平安時代や縄文時代の若者と「今の若者」の違いをぜひ聞いてみたい。 01-12-28

 

誰も足を踏み入れてない真っ白できれいな雪野原を歩くのが大好きだった。それも真直ぐに歩き続けるのが。田舎だったので家からそれを始められた。しばらく行っては振り返り、今までの自分の足跡と距離を確かめる。これがまた嬉しい。それを繰り返すうちに家はどんどん遠ざかる。そのうち家は点になる。どこまでも歩き続けたい気分だった。そんなことを夢中にできた子供時代が懐かしい。01-12-27

 

旅先で帰り支度を始めるが、大事な荷物が見当たらない。どこを探しても見つからない。出発時刻がどんどん迫ってきてますますアセる。さっきまであったはずの荷物さえなくなってる。どうしてだかわからない。もう間に合わない、もう駄 目だ。という夢を今まで何度か見てるけど、昨日、これを見た。夢だとわかってもスッキリしない疲れた気分が残ってた。できれば、もう見たくないなぁ。01-12-26

 

年賀状をようやく書き終えた。これで少しほっとできる。これからもやることはあるけど、気分は随分楽になった。大変でもほとんどが年に一度の便りだと思えば大切にしたい。 01-12-25

 

今日、新聞のスポーツ欄で卓球の愛ちゃんの記事を読むうち、まったく知らなかった事実を発見した。そんなおおげさなものではないけど、試合の勝敗のルールが変わってる。いつからかな?。元卓球部としてはちょっと気になった。知らないうちに変わってることって結構あるんだろうな。 01-12-24

 

信号待ちのとき、高いビルを見上げてたら、急に自分がビルと一緒に走り始めた。子供の頃、寝そべって雲の流れを眺めたり、橋の上から川の流れをじっと見つめてこの不思議な感覚を長い時間楽しんでいたものだが、信号はあっという間に緑になってしまった。 01-12-23

 

一年振りにイッセー尾形の公演を見た。おもしろかった。観客の見てる前で着替えて化粧もして2、3分で違う人物へ変るのはやっぱりすごい。今年は念願だったキタラでコンサートを聴き、話題の「千と千尋の神隠し」も見たし、これでも僕としては文化的に充実した画期的な年になった。 01-12-22

 

「あれ?」。あるはずのシクラメンが部屋の中に見当たらない。「なんで?」。そこでようやく思い出した。車の中だ。すでに一晩と半日が過ぎている。今さら急いでもしかたがないが、急いで助けに向かった。それは、見事に形を保ったままキラキラと白く美しく輝いていた。もちろん、解凍後は無惨だった。かわいそうなことともったいないことをしてしまった。その気持ちは半分、半分。 01-12-21

 

最近、天才バカボンのパパが天才であることに気づいた。パパの口癖「これでいいのだ!」はまさに芸術の真髄だ。何の迷いも気負いもなく、そう断言できる強さは尊敬に値する。僕も制作中にときどき天才の真似をしてつぶやく。「これでいいのだ」。 01-12-20

 

今年の9月の半ば頃、実家の庭の草取りをした後、人さし指の爪の下の方に内出血したらしく、黒い斑点がいくつかできた。草取りもやり始めると徹底的にやる。このときも、指が痛くなってるのがわかっていながら8時間近く続けてた。それも二日目のこと。きれいになった状態を見たくてやめるにやめられない。その斑点が3ヶ月でようやく爪の先まで来た。もう少しでその正体が明らかになる。01-12-19

 

もともと子供は好きだけど、2、3才でつなぎの防寒着を着てぴょんぴょん跳ねて喜んでる姿はとくにかわいいもんだ。喜びの表現にもいろいろあるけど あれはわかりやすくていい。 小さな雪かきスコップで雪をはねてるのもめんこい。それも雪国のひとこま。そんな姿を外で見かけると嬉しい。01-12-18

 

作品は話しかけている。勝手に語ってるので一方的と思うかもしれないが、ちょっと先に話しかけたに過ぎない。それは不特定多数に向かっていて、見る人に強制することもあせらすこともなくじっと反応と返答を待っている。それが早くても、遅くても、良くも、悪くも作品はすべてを受け入れる。そして、それらがその人と作品との関係の中身になる。いろんな関係が生まれるからおもしろい。01-12-17

 

三岸好太郎美術館での母と3才くらいの子の会話。「これ何だかわかる」「・・・」「これは貝殻でしょ」。その間10秒あったかどうか。三岸の作品は図鑑にされてた。母親は満足げだったが、あの子も自分の感じたことは言えなくなっていくんだろうな。「・・・」のあとが聞きたかった。01-12-16

 

美術館でのコンサート(ピアノ、ソプラノ、フルート)をじっくり聴くことができた。まさにその言葉通 りで、僕の席からは演奏者がまったく見えなかったので目を閉じて全神経を耳に集中させた。まるで音が体の中から湧き出てくるような感じがした。中途半端に見えるよりいいかもしれない。 01-12-15

 

長年同じ車に乗ってると愛着があり、まだまだまだ乗り続けたいけど故障の度合いは多くなってきた。そして、部品交換するにもその部品が手に入りづらくなってることが気になる。数が少ないということはたとえ古いものでも高くなってしまう。それでも、もうしばらくは乗るつもり。 01-12-14

 

見た目には同じ色、同じ形であってもそれぞれが独立してる作品。それは集合も拡散も組み合わせも簡単に自由にできる。ひとつひとつに名前代わりのナンバーが付いているからしっかり区別 されてる。しかし、ナンバーなしでの個体識別は困難だ。そんなクローンのような作品を作ってる。 01-12-13

 

札幌では9日から11日にかけて84Bもの降雪があった。道路横の雪山は高くなり、すでに街並は1月末か2月の様相だ。去年も今年も異常なら、来年はこれが正常になってしまうのか。 01-12-12

 

大雪が続いてる。雪かきはやり始めると楽しくなるから、趣味のようなものだと言ってたが、すでに趣味の域を越えてしまった。せっかくきれいにした場所をゆっくり眺める暇もないのだから。01-12-11

 

コンビニのレジにて。「グリコのおまけ付きのはどこですか」。レジの人に聞く声が聞こえてきた。見ると、おじいちゃんと3、4才の孫という感じだ。それに対して、ひとこと「売り切れました」。ふたりはがっかりして言葉を失ってた。そのとき、どうしてもうひとこと出ないのだろうか。他人事ながら「せっかく来ていただいたのに申し訳ありません」と「ごめんね」が聞きたかった。 01-12-10

 

作品創作は、イメージを具体化したいそして出来上がりを見たいという欲求から始まる。制作はそれを満たすための行為とも言えそうだ。思いの強さと意気込みと吐き出し具合、それに作家のあらゆる創造能力が加わり作品という形あるいは状態になって現れる。僕はいつもその欲求に追われてる。01-12-9

 

あちこちに花咲か爺さんならぬ砂まき爺さん出没。砂まき婆さんも出現。凍った危険な場所で出会ったお年寄りが小袋を取り出し、砂をまきながら進んでる。聞いてみると、それは公共の場で無料配付された小さな砂袋で空いた袋を戻すとまたもらえるという。怖い思いをしてる自分達だけでなく、他の人達にも喜ばれて嬉しいと話してくれた。と、まぁ、こんなアイデアはどんなものだろうか。 01-12-8

 

強い力が正義、これが広がり腰を降ろした。長い人間の歴史そのものだと言えばそれまでだけど、やりきれない気持ちでいっぱいだ。力(武力、腕力)の強弱に関係ないところに正義があるはず。01-12-7

 

子供の頃、家では薪ストーブが暖房と煮炊きに活躍してた。ストーブの近くだけが暖かいのでいつもその回りを家族で囲んでいたような気がする。ストーブはまちがいなく中心的存在だった。 01-12-6

 

1月にも書いたけど、時間の長さは考えようによって随分違うから不思議なものだ。雪解けは早く来てほしいので長く感じるけど、個展までは短く思える。その両方でちょうどいいのかな。 01-12-5

 

湯たんぽの話しが出て小学時代を思い出した。湯たんぽはブリキと瀬戸のがあって、やかんと薪ストーブの煙突部分に付いてた湯沸かし用の器のお湯を利用してた。寝る少し前に布団の背中の辺りに入れておき、布団に入ったらそれを足で少しずつ 押し下げていく。それでも寒いから体に温もりが出てくるまで丸くなったまま湯たんぽと一心同体になって、動かずにじっと待ってたものだ。 01-12-4

 

小春日和もあったけど、結局、去年と同じ頃に根雪になってしまいそうだ。長〜い戦いの始まりか。あきらめてしまうと妙に落ち着いた気持ちになれる。冬至が過ぎるとまた気分も変わるし。 01-12-3

 

およそ10年ぶりに友人を訪ねた。昔と同じ雰囲気で会えて話しもはずみ、長い年月を忘れさせた。でも、当時5才だった息子さんに会ったとたん、長い年月を認めざる得なかった。 01-12-2

 

年末31日に帰省するときの座席指定券を手にすると一年の終りが近いことを実感する。そして、これからは恒例の用事と行事が控えてるから、いやおうなしに忙し度とあせり度は高まり続ける。01-12-1

 


 

 

美術作品で感動したり、感激するのは、どの部分がどこを刺激するのだろうか。すべてが観る側にゆだねられてるのはまちがいない。自分と同じ脈動を発見したときはわかるが、自分の中でなんだかあやふやであっても強烈に響くものもある。それは、いわゆる、呼び起こされるというやつかな。 01-11-30

 

めっきり寒くなり、朝、起きるとき、勇気が必要になってきた。寒くなくても決意は必要だけどせっかくの温もりから去りがたい。布団から出るとき、温もりを置き去りにするのがもったいない。01-11-29

 

最近、穏やかに生きようと努力して、ようやくその成果が見え始めたというのに、国道の看板が僕の闘魂に火を付けてしまった。『右へ寄れ』と大きく書いてある。わかっているが、誰が誰に対して命令しているのだ。すご〜く、不愉快だった。『右へ』で充分だし、優しく伝わるからそう『書け』、じゃなかった。書いた方がいいのでないだろうか。「う〜ん」。修行が足りないから苦しい。 01-11-26

 

ようやくファックスを手に入れた。でも、買う前に真剣に悩んだ問題がある。『もし、ファックスになったらあんな大きなものをいちいち運ぶのか、それもめんどうだな』と。長い年月、電話機の長いコードを使って、寝るときは本体を枕許まで運んでいた。子機は全然浮かんでこなかった。 01-11-25

 

久し振りにボーリングをした。これまた、久し振りに燃えることができて嬉しかった。僕の大学時代を語るとき、学生、寮生活、学園紛争、友情、恋愛、卓球部、自転車旅行、などなどいろいろあるがボーリングもはずせないうちのひとつだ。そういえば、赤白の4つ玉 ビリヤードも懐かしい。 01-11-24

 

車の時計は5分進んでるはずなのに、テレビ塔の時計とぴったりだ。「あれっ」。そこでようやく、車検のとき、正しく直してくれたことに気づいた。あやうく遅刻しそうになった。正しい行いもときにはこまることになる。正しさの押し売りは気を付けねば。最近、反省が多いなぁ。 01-11-23

 

美術館でちょっと咳きが出たので、持ってた「のど飴」を口に入れたとき、すかさず風のようにお姉さんが現れ「のど飴ですか」と聞いてきた。「はい」と答えた。「のど飴ならいいですけど、飴は駄 目ですから」「えっ」。会話はそこまで。のど飴と飴をどうして区別するのだろう。薬ならしかたないけど、おやつは駄 目ということかな。退屈なお姉さんを元気にさせてあげたから、まっいいか。01-11-22

 

暖かくて穏やかないい天気が続いてる。まさにこれこそ絵に描いたような小春日和といった感じだ。何だかこんな穏やかさで冬を越すのでないかと勘違いしてしまいそうだ。そうはいかないから、再度、覚悟するときは気持ちが弛んだ分、大変だろうな。 01-11-21

 

久し振りに宮島達夫の作品を道立近代美術館で見ることができた。初めて見たのは6年前の東京都現代美術館だったが、今日、宮島の作品の中に入ったとき、僕の中でカウントはずっと続いていたような気がした。前回の衝撃のほうが強烈だったが、今回のカウントも継続するかもしれない。 01-11-20

 

話しはつながる。「最新機器」と書いたら誤解されちゃうのかな。僕が言いたい「最新」は、価格に関係なく、今、売ってる新しいものということ。最高という意味は含まれてない。そうでもないか、自分で買える範囲の最高のものを選んだのだから、やっぱり「最新」で「最高」なんだ。 01-11-19

 

意を決して(情けないが本当だからしかたがない)、ミニコンポを買った。脱浦島。もちろん、カセット、CD,MDが聴ける一体型のもの。やはり、落ち着いて音楽が聴けるのはいい。仕事もはかどりそうだ。思いきって良かった。最新機器だからこれで10年は安心だ。でも、流れる音楽は60年、70年代のモータウンやアトランティクスのR&Bがほとんど、新しくてジョンレノンてとこかな。 01-11-18

 

車を車検に出したので、代車を借りた。車がなければこまる状況でもないけど、あえて借りたのはニ年に一度くらい違う車を運転するのもいいかと思って。車が変わるとやっぱりいろいろ違うものだ。自分の車に慣れ親しんでいるのが良くわかる。これで5回目か6回目の車検だから当然か。 01-11-17

 

柳の木に緑の葉がまだたくさん付いていることにびっくりした。そうだったっけ。四季を通 じて走ることの多い道なので、当然、この時期も通っていたのに気づかないでいた。これみよがしでないところがいい。ああして、もっとしなやかに優しく生きれたらと反省しきり。 01-11-16

 

昨日、書けなかった本題に入る。口を大きく開けた状態で、いきなり「べろを上に上げてください」とお姉さんに言われても、ただちに反応するのはむずかしい。いやそうでなくて、本当に書きたかったのは「べろ」。どうして「舌」と言わないのだろう。どうでもいいけど、少し気になる。 01-11-14

 

今、歯医者に通ってるけど、まてよ、歯医者に通ってるという言い方は変だな。せっかく、違うことを言おうとしてたのに変なとこでつまづいてしまった。会話の中で、歯科に行ってるとか、歯科医院に通 ってる、とはあまり言わないからそれでいいのか。なんだか、わからなくなった。 01-11-13

 

ホームページの更新をしようとしたらエラーが出て送れなかった。与えられた10MGの容量 がいっぱいになったみたいだ。前回はかなりあせったけど、今回は冷静だった。めんどうな作業だけど、新しいのを入れるためには、今までのファイルを縮小しなければならない。まぁ頑張るか。 01-11-12

 

今日でちょうど一年経ったことになる。そう、このホームページを開いてから。最初はわからないことだらけだったから散々苦労したけど、燃えてたし懸命だったなあとしみじみ振り返る。 01-11-11

 

一ヶ月ほど前、初めてMDというものを知った。その後、オーディオコーナーをのぞいたら、なんとカセットの使えない機器のほうが多いではないか。ちょっと浦島状態に陥った。考えてみたら、このパソコンだって、友人の強い勧めがなければ蚊帳の外の存在だった気がする。 01-11-9

 

ぶらっと、6ケ所のギャラリー巡り。いろいろな人のいろいろな作品に触れることができておもしろかった。水彩 、写真、 版画、彫刻、織り、油彩、インスタレーションなどなど。 01-11-8

 

喫茶店の窓から見える大きな銀杏の木の下は、まるで、黄色の丸い絨毯を敷いたように輝いていた。店の人に話すと、毎年、そこだけはあえて落葉拾いをしないという。ちょっといい話し。 01-11-6

 

車で日勝峠を越えたとき、頂上付近では小さな雪が激しく舞っていた。道路の端に白いものが少し残る程度だから走行にはまったく問題なかったけど、いよいよ来るべきものを見てしまった。 01-11-4

 

100号のキャンンバス張りをした。出来上がったとき、太鼓のように真中をポンポンとたたくのが嬉しくてしようがない。これで作品の半分以上は出来た気分になる。 01-11-1

 


 

 

どうしても、どうしても理解できない、したくない言葉がテレビのニュースから流れてきた。自分の一歳の子供を虐待した親の言い訳「自分になつかなかったから」。・・・・・。 01-10-31

 

以前、はやり言葉で「赤信号みんなで渡れば怖くない」というのがあったが、そのときも笑えない違和感を持っていた。たくさんで渡ると回りが見えなくなるし、集中力も判断力も鈍り、責任感も失うからどうせなら一人で渡る方が危険であっても安心だと思ってた。今も、そう思う。 01-10-30

 

友達と大きなガラスの窓際でバイキングランチを食べた。昨日の昼は堤防でおにぎりを食べてたが、今日はまったく違う状況と内容の昼食になった。昨日はうまかったし、今日はおいしかった。01-10-27

 

朝10時45分に自宅を出て、徒歩で目的地まで向かった。1時間15分後市民ギャラりーに着く。疲れはない。開催中の道展を見た後、豊平川の堤防でお茶を飲みおにぎり2個食べる。うまい。1時、河岸の遊歩道を川上へ歩き始め、芸術の森向いのフェルマータを目指す。低い角度の正面 からの日射しが強い。3時半、最終目的地に到着。雪の前に今年のささやかな目標を達成してホッとした。01-10-26

 

僕の誕生日にヤクルト優勝。嬉しい。今回はすっきり決めてくれてやきもきせずに済んだ。 01-10-25

 

今日で終わる予定だった個展が事情により、突然、一週間延期になった。展示されてた作品を撤去するときにいつも感じる一抹の寂しさも先送りされた。 01-10-21

 

ほとんど自分を省みることのないアメリカの言い分ばかりを見せられて、多少へきえきしてたが10月17日の北海道新聞の辺見庸の文を読んで少しほっとした。思ってたことを見事に書いている。富も権力も兵器も独り占めしているものがする仇討ちにみんなで加勢するのは正常なことではない。01-10-19

 

運転免許証の更新をしてきたが、講習は相変わらず内容のないつまらないもので、退屈で無駄 な2時間だった。2年10ヶ月目の駐車違反がこの2時間につながったわけで、あらためてくやしさが込み上げてきた。これからの長い3年を無事クリアして2時間講習はこれを最後にしたいと思う。 01-10-16

 

先日「千と千尋の神隠し」を観た。急に賑やかになる場面が楽しいし、キャラクターもおもしろい。子供の持つ二面 性がうまく出てる。それと親との関係も。最後の方は少し急いでるのが残念。 01-10-12

 

今、開催中の個展会場で何人かに作品はどこですかと聞かれた。その人には壁にある作品が壁と同化して見えたのだろう。作品だけが独立した世界を作るのでなく、会場の空間すべてを作品の一部として表現しているつもりなので、違和感なく、自然に全体を受け入れてくれるのは嬉しい。 01-10-8

 

今年初めての柿を食べた。やっぱりおいしかった。柿は僕の大好物だからこの時季は楽しみがひとつ増えることになる。柿は秋、と季節を正しく守ってくれるのがまたいいね。 01-10-6

 

バナナを買うときにふと湧いてくる疑問。これを作った南の人はいくらで売ったのだろう。 01-10-4 

 

毎年開催される教室展の生徒達の作品を見ていると、いわゆる普通の人達がいかに素晴らしい才能を持っているかがよくわかる。それは僕にとっても嬉しいことだ。 01-10-3

 


 

 

わかっててやるアメリカ人、わからないでやる日本人、どっちも危ないけど、知る努力をしないで後から知らなかったでは済まされないことをしっかり覚えておかねばならない。 01-9-28

 

ようやくホームページの「なぜ」「どうして」の泥沼から這い上がることができた。理由を完全に理解したわけではないがとにかく脱出できたことがすごく嬉しい!2日間、何度となく同じようなことを繰り返し繰り返し試してみて駄 目だったのに、今度は嬉しい『なぜ』になってくれた。 01-9-26

 

僕の作品(AREA-2000 60F)から受けるイメージをもとに音楽家が選曲、編成したものを、その作品の前で演奏するという音楽家とのコラボレーションをやってみた。嬉しいことに私達の初めての試みに34人が参加、体験してくれた。自分の世界とは異なる部分に触れることも多くすでに企画の段階から刺激的で楽しいものだった。これをさらに発展させたいと思ってる。 01-9-23

 

札幌では真夏日のないまま夏が終わろうとしているが、これは1954年以来47年ぶりだという。自分が小学校入学の6才のとき以来だと考えると異常なことがよくわかる。 01-9-1

 

「こんもり」での個展はのんびりとした環境のなか、天気にも恵まれ、遠くからも多くの人が訪ねて来てくれたおかげで、とても楽しいときを過ごせた。 01-8-14

 

夏のはずなのに、湿気の多いジメジメした日が続いてる。早く、からっと、スカットした暑い夏になってほしい。せっかくのスイカをおいしく食べるためにも。 01-7-30

 

世の中では新しい風が吹いているようだが、大事な風向きは一向に変わっていない。変わらないどころか、風向きはさらに狭まり、一方向だけ強まるのが気になる。 01-7-23

 

さわやかで気持ちのいい季節をもう少し満喫したかったのに、暑い日が続くようになり、そしてとうとう7月に入った。夏の始まりだ。今年も、夏らしい夏になってくれるといいのだが。 01-7-5

 

知人からタモの木の丸太をもらった。自分の車に積み込める重さの限界に近かったので降ろすときはさらに大変だったが、作品のイメージも湧いていたので嬉しい作業だった。 01-6-22

 

先日、ついに念願の札幌コンサートホール(キタラ)に行って、オーケストラを聴いて来た。まずは建物内部の作りと雰囲気に感激。たまには慣れない世界に顔を出すのもいいものだ。曲目もスタンダードなものばかりで僕にも充分楽しめた。それと同時に、多くの観衆の前で緊張感と集中力を保ちながら演奏する姿を間近で見て、感動を生み出す表現者としての存在意義を再認識した。 01-6-14

 

突然の友人の死の報告を受け、愕然とした。大好きな酒を口にした直後、意識不明になり、数時間後にそのまま息を引き取ったという。良くも、悪くもすでにいろんなものが溜ってるのだ。 01-6-7

 

油彩とアクリルとパステル、それぞれの画材でそれぞれの作品を作ってるけど、同時期で同じ意識でも画材が異なると違った世界が見えてきておもしろい。 01-5-30

 

夏のような日射しの中、田園地帯では、田んぼにはった水がキラキラと輝いていた。そして、まぶしく反射する光が、とってもすがすがしく、嬉しい気分にさせてくれた。 01-5-13

 

実家での、半年振りの庭仕事で土の臭いを充分嗅いで春を実感してきた。それにしても庭仕事に終わりはないみたいで次々と新しい仕事が生まれてくる。しかし、そこがまた楽しい。 01-5-3

 

最近、ホームページのレイアウトを新しくしているが、パソコンで新しいことをやろうとすると必ずといっていいほど、なぜ、どうしてというトラブルに出くわす。これを乗り越えてこそ詳しくなるからいいんだと納得させようとするが、とにかく疲れ果 てる。今回もすでに、二度乗り越えた。 01-4-23

 

新しい記述を先に持ってくるスタイルに変えました。これからも、ときどきですが感じたこと、思ったことなどを気ままに書いていきます。 01-4-14

 

春の訪れとともに、新たな創作意欲がわいてくるのは自然の息吹きのせいでしょう。 01-4-1

       

去年の11月に根雪になった雪と4ヶ月ぶりに再開して、ようやく別れを告げられる。 01-3-24

 

ある国会議院の発言。「今の国民は馬鹿じゃない」。ということはかつては馬鹿だったことになる。過去に彼を選んだのだから確かにその通 りだ。これでもまだ彼を選ぶ人がいるのが悲しい。 01-3-17

 

今回の個展での光と影を演出した作品を見ていると、光のあたった本体よりもそれによってできる影のほうに引き込まれていった。あるけどないもの、ないけどあるものへの不思議さと神秘的とも言えるほど美しく微妙な色彩 がそうさせたのだろうか。影は確かに『存在』していた。 01-3-10

 

ほんの少しの春の気配と一緒に個展が近づいて来た。個展会場で空間のイメージが具体化され、初めて全体がひとつになり、創作物が永続的な存在感を示したとき作品ができたことになる。 01-2-24

 

子供と大人の時間の感じかたの違いは脳の吸収力の違いだという。これは納得できる。とにかく子供時代は感動と喜びと驚きの連続だった。少しでも時間の過ぎるのを遅く感じたいものだ。 01-2-17

 

まるで冷凍庫に入れられたような寒い日が続くので、火の気のない奥の部屋に保存してあるじゃがいもが凍らないかと心配になり毛布をかぶせてあげた。例年なら芽の心配をしてたのに。 01-2-9

 

友人から”クルミ アココ”が送られて来ました。『?』。実は昔風の袋入りの”ミルク ココア”です。身も心も温めてくれるとても懐かしい味でした。 01-1-30

 

昨日の続きになるが、『子供は大人が思っているほど子供でない』という言い方より『大人は子供が思っているほど大人でない』の方がよほど真実味がある。だから大人には反省が必要だ。 01-1-26

 

若者を責める以上にに無責任な大人が責められるべきだし、反省しなければならない。こう書いた今、間違いを見つけた。本来、責任とれる人が大人のはずだから年令の高い人は増えたけど大人は随分減ったことになる。それとも、もともと大人はあんまりいなかったんだろうか。 01-1-25

 

3月の雪解けまでは長く感じるけど、3月の個展を考えるとすぐ来てしまいそうだ。 01-1-11

 

今の自分を確かに表現した作品を作りたい。 01-1-5

 

今日、イッセー尾形の公演を見て来ました。とにかく楽しくておもしろくて、久し振りの本物との触れあいを充分満喫して満足した気分です。衣装を変えるだけでまったく違う人間になりきるところはさすがですが、その過程を見せてくれるのはとくに興味深く思いました。 00-12-23

 

アートのために生きてるんじゃなく、自分を大切に生きるためにアートが必要になる。生きるということはエネルギーの発散だと思う。僕にとって制作はその大事な手段になっている。 00.12.11 

 

地下鉄とバスでフェルマータへ。展覧会の案内にまちがいのないことを確認しました。 00.12.2 

 

ところで、この雪も根雪になってしまうのでしょうか。覚悟はしていてもやはり雪解けの春までは長過ぎます。27日から28日にかけて何と1日で40Bの降雪があり、11月としては過去最高だそうです。嬉しくない記録ですが子供とスキー場関係者は大喜びだからしかたがないか。 00.11.30 

 

今は、ついに自分のホームページができた嬉しさでいっぱいです。これからも掲載する作品を増やして内容を充実させていきたいと思っています。ときどき見てください。 00.11.11

    

 

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NAKAHASHI OSAMU

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