ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

昨年はなかった痛みが出たのは足の親指の爪。理由はわからないが左足のみ。もちろん旅の前に爪切りは入念に済ましてある。それでも峠の長時間の下り坂は爪先に負担を掛けたのだろう。そこで、足の裏の腫れと爪の痛みの根本的な原因は靴にあるとようやく気付いた。去年からわかっていたはずなのに気付くのが遅すぎる。これだけ長時間歩くわけだから靴の大事さにもっと気を配るべきだった。14-10-31

 

3日目は20度を超える暑い日できつかったが雨や雪に比べたらずっといいわけで、今年は本当に天気に恵まれていた。2日目も峠を超えるとき来た道を振返ると暗雲が立ち込めていて今にも雨が降り出しそうな気配だった。天気予報は見事に当っていて下る十勝側は明るい雲だけ。峠を境に天気が異なる見本を見たような気がした。おかげで万一のために持参した手袋とマフラーは使わずに済んだ。14-10-30

 

日高路に比べると歩道のある所が多いのとたとえなくても路側帯の幅が広くて歩きやすかった。これによっても疲れ方が随分違う。路側帯が狭かったりほとんどなかったりすると体が車道にはみ出てしまい対向車により大きな神経を使わねばならない。内回りカーブではさらに注意が必要。こっちは車が来るものと常に意識しているが運転手は『なぜ?ここに人が』とふいをつかれて驚く場合が多い。14-10-29

 

これで念願だった生誕の地から育ち遊び学び仕事をして生活をしたすべての地(今後、札幌を離れることはないものとして)と埋葬の地までを自分の足で繋げられた。平取に始まり浦河、札幌、芽室で終るわけだけど、生まれが根室でお墓が稚内だったらできていただろうか。札幌から浦河まで約180H、そして芽室まで約200Hと似ているのもおもしろい。自分は380H内に存在したわけだ。14-10-28

 

今回の『歩く旅』では富良野から南富良野まで40H、南富良野から新得まで38H、新得から帯広までの43Hに芽室でのお墓までの2Hを加えて合計123Hになる。一日40H余りだから距離としては大したことないがふたつの峠超えは平地より負担が大きかったはず。それでも昨年より気分的に楽だったのは10数H先の岬を目指すわけではなく比較的近くの山々が目標になったせいだろう。14-10-27

 

足裏だけでなく左足親指の腫れの手当をしてから8:11出発。親指の腫れは峠の長い下りのせいだと思う。快晴で太陽がきつ過ぎる。14:35芽室の両親のお墓に辿り着く。これで今回の『歩く旅』の目的を達成できて安堵する。短い滞在の後、最後の力を振り絞り帯広へ向う。途中、かつての実家を確認する。18:06帯広駅着。夕食後、札幌行きの高速バスに乗車。23:05我家に帰還。14-10-26

 

7:40宿を出る。曇り。快調に歩いていたが足裏に腫れが出て多少痛みがあるので湿布薬を塗りガーゼを当てる。ずっと山間部なので昨年の日高の海岸線とは大違いだ。こっちの方が郷愁感は強い。落合を過ぎるといよいよ狩勝峠が始まる。でも、緩やかな上りで11:33頂上着。ラーメンを食べ休憩後の大平原スケッチは強風のため断念。峠を下り16:00新得の宿に着く。足裏に痛みあり。14-10-25

 

5:50に家を出て地下鉄で札幌駅へ。特急と普通列車を乗り継いで富良野駅へ降り立つ。9:16『歩く旅』をスタート。天気は薄明かりの曇り空でちょうどいい。山部の辺りまでは雄大な山々を眺めながら歩く。東大演習林から山間に入り、再び平地があってから樹海峠を超える。大学時代の自転車旅行の思い出がいろいろと甦る。峠を超えて17:10南富良野の宿に到着。幸い特に異常なし。14-10-24

 

いよいよ明日は『歩く旅』の出発の日。天気も良さそうなので一安心。足のマメに影響するので初日に雨が降らないのは大いに助かる。2日目の午後に雨の予報があるものの気温は高そうだから雪にはならないようだ。その日の帯広は晴れの予報なのでもしかしたら狩勝峠を超えると晴れているのかもしれない。5月10日に到達した富良野駅に列車で向い、再びそこに立って南富良野へ歩き始める。14-10-23

 

天気予報がちょっと怪しくなってきた。先週は晴れマークだった富良野の今度の土曜日の予報が曇りと傘マークに変わっている。1週間前の予報は難しいということだろうが峠超えをする肝心な日がはずれてしまうのはこまったものだ。しかし、宿も取れたし今さら変更もしたくないのでもう一度晴れに戻ってくれるのを祈るしかない。せめて小振りであればいいのだが。『歩く旅』は決行あるのみ。14-10-22

 

ギリギリの朝。7時起床。曇り空のせいかカーテン越しの明るさが感じられない。案の定、カーテンを開けても薄暗い。朝食のパンと珈琲と共にセットにしている新聞を読むには限界の明るさ(暗さ)だ。太陽を頼りに新聞を読めるのはもうわずかな間のよう。カーテンを開けるというのは朝を実感する大事な行為なのにそれができなくなる。ギリギリを超えると明るい朝は春まで待たねばならない。14-10-21

 

札幌では逆ベッドタウン化が進んでいるという。新聞の見出しを見て最初は何のことかと思ったが本文を読んで納得。1970、80年代には近郊の町にマイホームを求めて移住する人が増えてドーナツ化現象が起こったが、最近ではそれとは反対に札幌に居住して近郊の町に通 勤する人が増えているらしい。これでは増々一極集中が進みそうだ。とは言え、自分も地方からやって来たうちのひとり。14-10-20

 

何か具体的な目標を立てると落ち着いた気分になる。やっぱり何かにどこかに向っていくのが好きなんだと思う。それがないと不安な気持さえ芽生えてくる。だから、ただ漠然とぼーっとしているというのは苦手だ。もちろん、短い時間そうするときもあるけれど長い時間は耐えられない。良く言えば行動的かもしれないが、違う見方をすれば何かをしなくてはという強迫観念が強いのかもしれない。14-10-19

 

今年の歩く旅の宿の予約ができて一安心。1週間前の予約なのでちょっと心配していた。実はここまで延ばしたのにはわけがある。旅の日の天気を週間天気予報で確認したかったのだ。来週の24日と25日の晴れを信じて決行を決めた。昨年の初日の大雨は足の豆に影響を与えたので何とか避けたかったし、今回は峠超えもあるので雪の心配もあった。とにかくこれで気分は一気に歩く旅モードに。14-10+18

 

車で移動すると歩数は極端に少なくなる。昨日はいつもなら地下鉄を利用している教室へもその後の搬出のために車で向った。そうすると普段なら少なくとも1万2千歩にはなる歩数(歩数計付きの携帯電話でわかる)が3千歩にも達しないからその差は大きい。車を使うと時間の短縮にもなるし、楽チンではあるけれどどうしても物足りなさが残る。歩くのが自然で当り前になっているのが嬉しい。14-10-17

 

先月の24日からのグループ展の最終日となり搬出も済ませる。寂しい思いが6割でホッとする気分が4割といったところか。搬入のときと同じく作品搬送のためギャラリーと自宅を2往復した。その2回目、作品を積み終りギャラリー内の忘れ物チェックをしてから我家に戻ったところで車の荷物置きのカバーをギャラリーの駐車場に置き忘れたことに気付く。最近、こんなのが続いているな・・。14-10-16

 

心配なのは子供の体力だけではない。スマホを眺める若者の姿勢が気になる。たまに見るのなら何の問題もないだろうが、歩いているときでさえそれを止めないわけだからかなり長い時間うつ向いているはずだ。こんなに下ばかり向いていたら体にいいわけはなく、いずれ悪影響が出てくるのはまちがいないだろう。そのまま首が固まったりしたら大変だ。『上を向いて歩こう』の再来が求められる。14-10-15

 

子供の体力は減退傾向にあり老人は向上しているという。自分は老人の体力向上に貢献しているわけだが、それよりも子供の方が気になる。すでに何年も前から指摘されている外遊びの減少が原因のひとつだろう。体格は良くなってもそれを活かす機会が少なければ鍛えられないのは当然だ。遊び場の確保以上に問題なのは架空のゲームに夢中になってしまう状況だと思う。残念だが好転は望めない。14-10-14

 

昨日、日ハムがオリックスに勝ってソフトバンクとの決戦に進めそうだったのに逆転負けで今日の第3戦に持ち越しに。持参しようとしていたラジオを忘れたことに気付いたのが家を出た10数分後でがっかり。気になるので携帯電話で確認しようかと思ったがバッテリー切れが心配でそれも諦める。夕方、家に帰ってすぐにテレビで確認してみたら『台風のため中止』となっていた。これは想定外。14-10-13

 

生中継のプロ野球解説者の『陽君、中田君、西川君、大谷君、・・』が不愉快でならない。50代か60代と思われるオヤジ(解説者)のはずなのに社会のいろはを知らないとは情けない。仕事の上で違う会社の人間を自分より若いから君付けで呼んでいいはずはないし、同じ会社であっても他人に話すときに君はあり得ない。ましてやプロの世界では名前はブランド。周りが指摘しないのも不思議。14-10-12

 

かわいい駄々っ子。スーパーの惣菜コーナーの辺りで3歳くらいの男の子が大きな声で『あれがいい〜、あれがいい〜』と叫んでいる。しかたないなという感じで小学生らしい姉がその子の手を引き母親と共に魚売り場まで戻ってきた。そして、立ち止まったのが秋刀魚の前。てっきりおやつでもねだっているだろうと思っていたのに買ってほしいのが秋刀魚だとわかり急にその子がかわいく見えた。14-10-11

 

昨日の続き。その中村氏の研究の支えになったのは『Anger=怒り』だという。これは記者会見のときかなり強い口調で言っていた。日本の会社に勤めていた頃に一躍脚光を浴び、時の人になった後も特許権の問題でも話題になったがどの時点での『怒り』なのかが気になる。その辺りに日本国籍を捨ててアメリカ国籍を選んだ理由があるのだと思う。学者や研究者の現状は決して明るくなさそうだ。14-10-10

 

2014年度のノーベル物理学賞を日本人の3氏が受賞と多くの報道で賑わっている。快挙であり嬉しく誇りに感じるところなのだが、ひとつ疑問もある。その内のひとり中村氏は現在アメリカ国籍なのだ。アメリカでは日本人ふたりアメリカ人ひとりとされているらしい。今回評価された研究をしていた時点では日本人だったのは確かだが、どう判断すべきなのだろう。本人の考えを聞いてみたい。14-10-9

 

確かに似ている。三岸好太郎美術館で『三岸好太郎と池田満寿夫/奇才アーティストの系譜』を観てそう感じた。鋭い感性と独自な発想そして変遷する表現内容など類似する部分はいくつか見つけられた。これまで二人を結び付けてみたりはしなかったが納得のいく企画展だった。大きな違いは三岸好太郎が31歳の若さで亡くなっているところ。そう考えると三岸の天資は比較できないほど大きい。14-10-8

 

日本社会の幼稚化は今に始まったことではないが、さらに拍車をかける現象がテレビで広まっているようだ。それは、笑いの強要。おもしろくもおかしくもないコメントに対して笑いで返すスタッフの大声をあえて放送で流す理由が理解できない。たとえおもしろい発言であっても作り手の側がまっ先に笑ってどうする。もし本気で笑っているのなら精神年齢を疑うし、ヤラセだとすれば嘆かわしい。14-10-7

 

9月は教室展などがあったので月曜と土曜日の卓球にはほとんどいけなかった。そのため今日の卓球はほぼ1ヶ月振りだった。いつものようにたっぷり汗をかき大満足する。さあこれからは続けるぞと思ってもそうはいかないのが悲しい。来週の月曜は祝日でファミリーデー、再来週は休館日、27日は『歩く旅』、そして11月3日はまた祝日で、今度やれるのはまた1ヶ月後になってしまうとは。14-10-6

 

無理して頑張らないのは朝のストーブもそうだ。朝起きて寒いなと感じたら迷わずストーブを点火する。今年度の初点火は1週間くらい前だっただろうか。かつては、寒さに関係なくそして大した根拠もなくある時期までは焚くまいと頑張ったりしていた。頑張ってなんとかなるうちはいいが、我慢したおかげで風邪を引いたりしたら元も子も無い。これからは頑張る部分の見極めが大事になりそう。14-10-5

 

かなり強い風と雨のため、いつもは歩いて向う地下鉄駅までバスに乗る。バス停で待っている間も横殴りの風で何度か傘を飛ばされそうになった。この間だけでも足許はすっかり濡れていたからバスを選んでよかった。無理して頑張って歩いていたらもっとたくさん濡れていたに違いない。これまでなら歩いていたところをバスに乗ろうとするのは、今の自分を守るための本能的な欲求ということか。14-10-4

 

落ち葉と紅葉とカレンダー。いつもの道を歩いていると落ち葉が目に付くようになった。宙を舞いながらはらりはらりと落ちる葉っぱにはどうしても去りゆく哀愁を感じてしまう。緑一色だった木々には黄色や赤が混ざり始めてカラフルになってきた。これは美しくもあるがその命は短く、やがてそれも落ち葉になり秋の終りを告げる。そして、店頭に並ぶカレンダーはさらにその先へと連れていく。14-10-3

 

昨日の続き。電話サポートが必要かと覚悟したのに思いがけず簡単な方法で解決してくれた。電話する前に気付いてホッとする。とにかく最初のパソコンは何度も何度もフリーズしてその度にドキッとさせられた。そのパソコンも今ではこの『ひとこと』を書くためだけに使っている。余計なことをして万が一使用不能になったら大変なので『ひとこと』専用になった。今後も無事でありますように。14-10-2

 

初めてのフリーズに固まる。2年前に手に入れた2台目のパソコンは最初のとは違ってこれまでまったくフリーズすることなくきていた。それが、起動して画面 は現れるもののカーソルがまったく動かなくなってしまったのだ。おかげで再起動さえできない。電源を入れ直してもフリーズのままで対処がわからずしばし固まったあと、ふと思い付いたのが無線マウス。電池交換で復活し、解放される。14-10-1

 

 

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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