ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

続く。車椅子を押したことはあるけれど乗ったのは初めて。喜べない話だが楽チンだ。着いたのは6人部屋なのにカーテンで遮られていて顔は見えず挨拶できたのは入口横のひとりだけ。真ん中のベッドに横たわり点滴を続ける。痛みはまったくなく夕食まで静かにまどろむ。夕食のおかゆとおかずはとってもおいしく大満足。昨日からの食事制限と今朝から何も食べてなかったせいもあるのだろう。11-3-31

 

続き。近年、ちょくちょく病院のやっかいになってたせいか緊張感や恐怖感はほとんどなかったが治療台の上で30分近く待たされたのと点滴針の差し直しはつらかった。検査と治療の時間が予定よりかかり、良くないのかなとの思いが頭をかすめていた。でも、処置後に担当医からポリープの切除と心配する症状でなかったと説明され安心する。経過を診るため入院することになり車椅子で病室へ。11-3-30

 

食事と水と体温の関係。大腸検査のため昨日から食事制限をして今朝は何も食べずに2Pの水薬を飲み始めた。この2Pを2時間以内にひたすら飲み続けトイレへ通 う。そのうち、普段と変わらない室温のはずなのに体が冷えてきた。ストーブの目盛りを上げてもすぐには暖かくなってくれない。食べ物と温かい飲み物で体を保温しているのがよくわかる。大腸をカラにする準備を整えていざ病院へ。11-3-29

 

久し振りに自分の日常の話題に戻る。4月の個展がいよいよ迫ってきたので案内状の宛名書きをする。案内状を投函すると最終段階に入った気分になる。それにしても、震災前に大事な作品の素材を東京から取り寄せておいて本当によかった。もしも、その後だと到着までに何日かかったかわからない。素材の注文は早め早めに頼んだほうがいいとしっかり教えられた。これは忘れないようにしよう。11-3-28

 

地震が起きた日から15日が経った。あまりにも多くの重大なことが起こり過ぎて、もっと長い期間だったような気もする。被災した人達にとってはさらに長い時間に感じているのでないだろうか。もしかしたら未だに夢の中の出来事のままで時間が止まっている人もいるかもしれない。どっちにしても辛いこと。そして、これから復帰、復興するためには10年単位 での時間が必要になりそうだ。11-3-27

 

テレビが日常放送になってきて少しホッとする。テレビ番組が見たいというわけでなく、まだまだ大変な状況に変わりなくとも非常事態から僅かでも抜け出せた表れだと思うから。同じく朝夕の新聞を開くときの緊張感も薄らいできた。紙面 いっぱいだった大見出しはかなり小さくなり衝撃も小さくなった。これからも安心はできないが徐々にであってもいいから元の日常に戻られるよう願うばかり。11-3-26

 

赤ちゃんの水を奪ってどうする。原発事故の影響で乾電池や米などの買いだめや買い占めに走り、今度は水だという。それも乳幼児に発せられた注意なのに年長者も買い漁っているようだ。いくら命は対等といってもこれから80年生きる人と、あと何10年あるいは何年の寿命の人と同じ秤では計れない。もしもの心配の可能性は赤ちゃんのほうがずっとずっと大きい。未来ある命を守らなくては。11-3-25

 

原発事故の復旧作業は一進一退を繰り返している。その現場で最初から現在まで危険な作業に従事してきたすべての人が重大な任務をこなしたのだから、特定の集団(東京レスキュー隊)だけにスポットをあてるのはおかしい気がした。確かに大きな転換期かもしれないがそれだけで劇的に収束するものではない。今後も危険な作業は続く。そこに関わった人達には東電社長より多い報酬を払うべき。11-3-24

 

自分が自分の身内を責める分にはいいが、他人から責められると嫌なもの。そうなると気持は急に逆転して守りたくなったりもする。今、外国から日本の原発事故への対応に批判的な意見が出てきているようだが、それが的はずれだとどうしてそんなことを反論できるけど、もし的を射ていると自分も責められてるようでつらくなってまう。同じ言葉でも誰に言われるかで受けとめ方も違ってくる。11-3-23

 

大震災の影響でテレビではスポンサーCMの代わりに広告機構のものが流されている。そのなかで気に入ったのが金子みすずの詩。もともと好きだったけど、『遊ぼうというと 遊ぼうという 遊ばないというと 遊ばないという ・・・』この詩が心に響く。自分の出方によって相手の反応が違ってくるというのは本当にそうで、そこのところを実にうまく表現している。心に留めておきたい言葉。11-3-22

 

被災地の物資の不足が引き金になったのか東京方面では買いだめや買い占めに走る人がいるという。日常の備蓄とは違い、多め多めに買うから店頭から品物が消えていく。それを知って不安になった人も又買いに走りパニックを増大させる。それが緊急に必要な人への供給をさらに遅らせる。その自覚の無い人がそうしてしまうのだろう。せめて、買い占めたものはすべて食べ切り使い切ってほしい。11-3-21

 

『もしかして・・・』と一瞬不安がよぎる。朝、パソコンを起動しようとしたらモニターの画面 が今まで見たことのない消え方をした。初めて見るトラブルなので焦る気持は大きかった。再起動を繰り返すが同じ。次に電源を切って間を置いてから入れ直しても起動しない。それでもあきらめずやると3度目にようやく回復してくれた。原発は国の危機だけどパソコンは僕にとっての危機。よかった。11-3-20

 

「・・・でしょうか」は現状を正確に伝えてないことになる。疑問形を多用すると事実関係があいまいになり現状把握に誤解を招きかねない。中には断言できない場合もあるだろうが、誰が見ても明らかな現象に傍観者のような発言をするのはおかしい。原発での爆発を「大きな音がして白い煙りが出た」と報告する感覚に繋がるおそれもある。厳しければ厳しいほど現実を正しく伝えることが大切。11-3-19

 

「・・・でしょうか」の連発。地震が起こった数日後、現場に入ったテレビ局のレポーターが被災地の状況を説明するときに「屋根の上に載っている大きな船は津波のせいでしょうか」「車がつぶれ積み重なっているのは津波のせいでしょうか」などと他の原因もあるかのような報告をしていた。あの状況からして津波の他には考えられない。「津波で大きな船が屋根の上に載ってます」でいいのに。11-3-18

 

大震災に対する都知事の『天罰』発言は住民代表者としての立場を考えるとあきれるし怖いものがある。自分自身に起こった災難に対して言うのならまだわかる。しかし、自分は安全な高みにいて見下ろすような言い方は震災で家族が死んだり被災してしまった人達にはつらく悲しく聞こえるのはまちがいない。もし、自分の親や妻や子供や孫達が震災で死んだとしてもそう言うつもりなのだろうか。11-3-17

 

地震の被害者や避難者が悲惨な状況に置かれているなかで、原発事故も収束どころか増々深刻な方へと向っている。これらに関する様々な思いはまだまだ続きそうだ。道路もかなり復旧しているというのに避難者への物資が何故届かないのかどうにも理解できない。もしそれが無理ならヘリコプターを使えばいい。足りないというなら民官問わず全国から掻き集めればいい。取材のヘリだって使える。11-3-16

 

まさに日本の危機。それなのに原発を管理する東京電力の危機感のなさにはあきれる。しどろもどろだったり黙りこんだりと信じ難い言動の連続で緊急事態を認識してないような気がする。極めて重要な責任を背負っているはずの人達とは思えない。『想定外』という言葉も簡単に使ってほしくない。その『想定外』を熟慮した上での何度も何度も繰り返し発した『安全宣言』だったのではないのか。11-4-15

 

災害時の生死の境と言われる72時間が迫ろうとしているのに、『今回の地震のメカニズムを検証する』などを昼にやってる場合でないと思う。救出や避難の現在をもっとも大事にすべきで今の映像をできるだけたくさん流す方が悲惨な状態に置かれている人達を救うことに繋がるはず。放映されると知人に無事を伝えられるかもしれないし、現状を正しく把握できる。検証や編集は夜にしてほしい。11-3-14

 

大地震を伝えるテレビを長時間見ているといろいろ感じるところがある。津波によって破壊され土台しか残っていない街はまるで原爆投下後の広島の光景のように思える。自分の家だけでなく生活の場のすべてを一瞬にして失う人の苦しみと嘆きはいかばかりだろう。ましてや多くの死者や行方不明者がいるのだからその悲しみは計り知れないはず。そんな苦しみを乗り越えた経験はないが察したい。11-3-13

 

地震の発生した直後から日本の一大事が気になってずっとテレビに釘付けになっている。テレビに現れる映像があまりにも衝撃的で壊滅的だと真実味は薄らいでしまう。つまり、想像を絶する世界を見せられてもすぐには信じ難いものがある。多数の乗用車が木の葉のように波に飲まれ、かなり大きな船が商店街や住宅街を進んで行く姿はどう考えても非現実的。夢のようだが紛れもない悲惨な事実。11-3-12

 

横揺れは長い時間続き、めまいを起こしたのかと錯覚するほどの強い地震が起きた。3月11日が歴史的な災害の日になってしまった。神戸大地震のときも信じ難い映像を目の当たりにしたが今回もそれに匹敵する悲惨な状況になっていた。観測史上最大の大地震で、それに伴う大平洋沿岸の津波が被害をさらに大きくした。今後、時間とともに被害者の数が爆発的に増えてしまいそうで心配になる。11-3-11

 

このごろは三寒四温というよりは三積四解(今、考えた言葉)の感じで積雪と雪解けを何度も繰り返している。道路が顔を出し、このまま春へ向うのかと期待させられるのにそのつど裏切られてきた。まるで天気にもてあそばれているかのようにころころ変わる。まだ積もることがあるのではと覚悟はしていたはずなのに一旦雪のない道にならされると緊張の糸は切れてしまう。あと何度あることか。11-3-10

 

疲れてたり、めげてるときなどは仕事が進まないもので、今日に持ち越して大正解だった。一晩寝て頭もすっきりしたところであっさり解決策を見つける。コピー&ペーストの件はいずれ解明することにして、それの必要ないフォトショップだけでの作成に切り替える。印刷屋に頼むのでなく自分でプリントする道を選んだというわけ。今回の案内状は300枚程度なのでプリンタに頑張ってもらおう。11-3-9

 

4月の発表の案内状作りに入る。嬉しいことに建物の写真はきれいに撮れていた。張り切ってパソコンでの作業を始めたのはいいが地図の段階で行き詰まってしまった。フォトショップからイラストレーターへのコピー&ペーストがどうしても鮮明にならない。何度も試してみたがうまくいかずすっかり疲れ切ってしまった。思うように順調には進んでくれないものだ。今日は終りにして明日にしよう。11-3-8

 

おかしな振動がある。変な音も聞こえてくる。『これは明らかに変だ』。車に乗り始めてすぐに異常に気づいたが『どうしてだろう』と思いつつ500mほど走ったところで停車し、タイヤを確認すると前輪の左側がぺちゃんこになっていた。運良くすぐ近くにスタンドがあったのでそこに入り修理を頼む。10分ほどで済みほっとする。昨日は遠出をしていたのでその途中でなくて本当によかった。11-3-7

 

昨日の「ひとこと」で=いい写真が撮れた、と思う=と書いたのは、今もまだフィルムカメラを使っているため。フィルムの場合、現像してプリントするまでは出来上がりを確認できないので信じるしかない。もうひとつつらいのはフィルムを使い切らないといけない点。よくあるのは24枚か32枚撮りなので数枚で納得できても嬉しいはずなのにこまる。それでも使い続けるのは愛着のせいもある。11-3-6

 

4月に発表する個人住宅の外観の撮影と最寄り駅からの所用時間を調べるために出掛ける。晴天だったのでいい写 真が撮れた、と思う。この前の大雪のせいでで雪景色になってしまったのはしかたがない。地下鉄駅からは4分位 だったけど自分は早足なので案内状には5分としておこう。○○から何分というのは歩く人によって時間が随分違うから設定に悩む。でも、短か過ぎるよりは長い方がいい。11-3-5

 

帳尻合わせ。春を告げるはずの桃の節句は猛吹雪になり、今日もまた猛吹雪。積雪はさらに増えてまるで1ヶ月前に戻ったような状況に一変。一昨日、12月から2月までの降雪が平年より少なかったと書いたら、その直後のこの大雪。無理に合わせなくてもいいのに全体での平年並みに持っていこうとしているのだろうか。この雪のおかげで除雪費はこまり、使い切ろうとしていた道路予算はあせる。11-3-4

 

天気予報はしっかりあたって一気に雪景色に戻された。30B近く積もったからどこもかしこもすっかり雪に覆われ春が遠ざかった気分に。いつも歩く地下鉄駅までの道の途中に50m近く信じ難いほどきれいに除雪してある場所がある。5、6軒が並ぶ家の前はもちちろん道路までも削られたように平らになっている。よくこれだけ同じ性格の人が揃ったものだと感心する。今日もそこはほぼ積雪0。11-3-3

 

3月に入り暖かくなるのを期待していたが寒い日が続く。三寒四温はまだ先のよう。今日の新聞に意外なデータが載っていた。12月から2月にかけての降雪は平年より少ないという。「今年は雪が多くて大変だ」と口々に言い合っていたのに全体としては少なかったとは。集中的に降ったので大雪の印象が心に強く 残ったのだろう。明日は桃の節句なのにかなりの降雪の予報で逆戻りしちゃいそう。11-3-2

 

カダフィの末期的症状。国民を勝手に子供達と呼び(たしかルーマニアのときも聞いた気がする)、その子供達に向って吐いた言葉は「国民は私のために死ぬ 」だった。つまり、「子供達は私のために死ぬ」と同じ意味になる。まずは、自分の子供達にその気持を確かめてほしい。あり得ないがあえて言うなら「私は国民のために死ぬ 」と言うべき。長年の独裁国はどこも似てしまう運命にあるようだ。11-3-1

 

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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