ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

 

選抜高校野球で東海大四が準決勝に勝利して、北海以来52年振りの決勝進出という快挙を達成した。52年前の壮絶な戦いはよく覚えている。中学2年で野球部員だったから強い関心を持っていたはずだ。特に早実との準決勝の劇的な逆転勝ちはすごかった。プロ野球を含めて記憶に残る最古の試合のような気がする。最近のは苫駒だからどっちも甲子園だ。明日はその記憶がまた更新されるかも。15-3-31

 

車のエンジンは人間に例えると心臓のようなもので最重要部とも言える。そこに支障が出たというのがショックだ。とえあえずの処置がどこまで持ってくれるかもわからないので、この先どんな選択をすべきか考えておかねばならない。20万掛けて修理するか、その分を含めて新たな車を買うべきか、それとも使用頻度は少ないんだから必要なときのレンタカーにするべきか。これは悩ましい選択。15-3-30

 

17年目の車の悩み。車検のために車を工場に持ち込み点検してもらうと数カ所の大きな問題を指摘されてしまった。年式がかなり古いから多少の部品の交換は覚悟していたが、その内のひとつはエンジン部分に関するもので根本的に修理すると何と15万から20万になってしまうかもしれないという。車検費用だけでも痛いのに驚きの金額だ。とりあえず1万円の処置で様子を見ることに。続く。15-3-29

 

『歩く旅』の靴を早いうちに買わねばと考えていたのは、旅の前にその靴に慣れておかねばならないから。今までの靴はいわゆるスニーカーで歩くための専用のものではなかった。今回のはウオーキングシューズと銘打っているのでそれなりに期待しているのだがどうなるものか。店員の「靴が足に合うか合わないかは価格に関係ない」との正直な言葉がどう出るか楽しみでもあり少々不安でもある。15-3-28

 

家の近くでたくさんの用事をひと回りで済ます。まずコンビニでアトリエの電気代を払い、この前の医院で3月31日が期限の市の特定検診を受け、借りたい本があるので図書館に顔を出したが残念ながら月に一度の整理のための休館日、次には靴屋に向い歩く旅用の靴を探すといいのがあったのでATMでお金を引出してからそれを買い、最後にスーパーで米と食料を買って自宅に戻るというコース。15-3-27

 

知り合いが大変な状態になってしまった。肩の異変で手が上がらなくなったのでリハビリに励み多少快復してきていた矢先に今度は腰の痛みで歩くのが辛くなってしまったという。50m歩いたら休まねばならないほどの痛みらしい。2年前の歩く旅のとき、30m毎に動けなくなった体験からその苦しさもわかる。どちらも長年の運動不足が原因とのこと。15年前から歩き始めておいてよかった。15-3-26

 

最近、高齢者を騙して大金を奪い取る詐欺が道内で頻発している。子や孫を思いやる年寄りの優しい心に付け込み大事なお金を奪う腹立たしい犯行。そんな被害に遭わないようにと報道で注意を呼び掛けたり、銀行などでの声掛けなどもやっているが一向に減らない。そこには限界があるわけで、根本的な解決は犯人逮捕しかない。いくら詐欺師が巧妙とはいえ警察はもっと智恵と意地を発揮せねば。15-3-25

 

ガムの効用。ついこの前の胃の具合が悪かった頃からちょくちょくガムを噛むようになった。そのキッカケになったのが『唾は胃の薬』との情報。そこで、ケース入りのガムを初めて買ってみた。それまではガムをまとめて買うなんて考えもしなかった。でも、唾の分泌だけでなく口の中が爽やかになるし噛むことで脳へのいい刺激もありそうだ。子供の頃のガムのイメージとは大きく変わっている。15-3-24

 

偶然の一致に救われる。体調がいまいちだったので体育館での卓球をどうするかちょっと迷っていた。すると、昨日は近所のスーパーでいつもやっている仲間にばったり会うと風邪のため行けないと告げられ、今朝はもうひとりの仲間から肩の具合が悪いので休みたいとの電話が入った。今までにも誰かひとりが欠けることはあったが3人一緒というのは初めて。おかげで安心して休養に専念できた。15-3-23

 

一昨日の朝から体のだるさは始まっていた。そんなとき体調変化の度合いを計るわかりやすい方法がある。それは、口の中の上側の荒れ具合。そこに舌を当てるとその状態で判断できる。ザラザラを感じたら早めの対処を心掛けている。そこで、昨日は朝食後すぐに布団に戻り昼まで寝ていた。寝不足ではないのにぐっすり眠れるということは万全でない証し。おかげで少しは治った気がするのだが。15-3-22

 

春分の日にふさわしい穏やかで暖かい一日に。午後の室内はストーブも必要のない暖かさで、体にあたる陽光は暑く感じるほど強く、本当に春がやって来たんだと教えてくれている。これからは小さな戻りがあったにしても春は増していく。雪解けがいつもの年よりずっと早かったから道端の緑を目にするのももうすぐかもしれない。雪の下で芽を出していた草花もいきなりの日差しが眩しいだろう。15-3-21

 

制作気分に入れなかったので、今まで溜めてあった立体のためのアイデアスケッチを整理した。そのときはいいと思ったのだろうが見直してみると残念ながらほとんどが大したものではない。残しておこうとしたのは30分の1程度しかなかった。そこを乗り越え踏み台にしてきたと考えればそれらの意味はある。必要のなくなった過去の部分を捨てて軽くなるためにはまだ他にもいろいろありそう。15-3-20

 

パソコンやデジタル機器の世界での10年前は大昔になってしまう。新しいパソコンと言っても購入してからすでに2年半が経っているが、それにデジタルカメラの動画編集ソフトがあるのでようやく活用しようとしたら接続するケーブル口がない。もしかして変換できるケーブルがあるかと電器店で聞くと「ないです」と即答された。デジタルビデオカメラは02年の購入だからしかたがないのか。15-3-19

 

今朝の目覚めは6時29分。何かを公言した後にはそんな風にならなかったりするのに、まちがいでないことが証明された。昨夜布団に入ったのは11時40分頃で、10分以内に眠りに入っていたとしても睡眠時間がいつも一定なわけではない。体がそれを感じるのか、脳が察知するのか、それともその両方が絡み合って時刻を告げるのだろうか。謎はますます深まるばかり。明朝はどうなるかな。15-3-18

 

最近の体内時計は6時半にセットされている。その正確さは本当に見事だ。朝、目覚めて寝床の目覚まし時計を見るとぴったり6時半だったり違っていても10分以内だから驚く。眠りに入る時刻が一緒なら不思議だけどわからなくもない。でも、1時間近く前後してもその時刻に目覚めるのはどうしてなんだろう。体の謎はたくさんあるけれどこれもそのひとつ。ちなみに目覚ましのセットは7時。15-3-17

 

続き。1回目のときは大地を掘って石の地中階段を造り、その両側に赤と黒と透明で作ったアクリルの立体を立てた。更に掘り出した土は階段横に山のように積んだ。2回目は木と木にロープを張って幾重にも白い布を垂らし、そこをくぐり抜けていくと赤いアクリルの立体に出会うという空間にした。今度は白く塗ったベニヤを素材にパオのような囲いを作るつもり。地に戻り風と戯れ光を浴びる。15-3-16

 

今年は8月の末から9月いっぱいに掛けて3回目の『ハルカヤマ芸術要塞』を開催する。作家としてだけなく運営委員、プロジェクトスタッフとしても参加するのでいろいろ忙しくなりそうだ。出品作の構想はできているので、それを確かめ再検討するために厚紙で模型を作ってみた。これはとても大事な作業で紙の上でのスケッチでは浮かばなかったアイデアも出てくる。今回は『光』がテーマに。15-3-15

 

パソコン内のソフトのアップデートをしている最中に誤って中断してしまった。再開するために指示されたパスワードを入力するとエラー表示された。何度やり直してもはじかれてしまう。まちがっていないはずなのに何故?。後日、サポートセンターに電話しながら同じ操作をしてみると、何と正常に作動してくれたのだ。どうしてこうなるのだろう。あっさり解決したからいいのだが疑問は残る。15-3-14

 

雪の消える季節も迫ってきたので今年の目標の稚内への『歩く旅』の計画を錬り始める。帯広より距離が長いのでどのように刻んで歩けばいいのか悩んでしまう。取りあえず滝川から旭川へ行き足慣らしの意味でも一旦札幌に戻り再度旭川から歩き出すがどこで宿泊してどこまで行きどこで戻るかを決めるのがむずかしい。これまでの体験から3日連続が限界と考えている。でも、これも楽しいうち。15-3-13

 

今日で最後となる大阪行のトワイライトエクスプレスが札幌駅を出発した。この列車に乗り金沢まで行ったのはすでに10年近くも前の旅だった。乗車する前もしてからも楽しみと嬉しさで溢れていた。そして、大阪のかなり手前の金沢で下車して列車を見送ったときの寂しさも鮮明の覚えている。できるなら終着の大阪まで乗っていたかった。あののんびりゆったりの列車の旅が消えてしまうとは。15-3-12

 

東日本大震災から4年。被災地とそこに住んでいた人達の今を知りたくてテレビを見たがそれに応えてくれる内容は少なかった。中には東京の放送局から出掛けたキャスターが感想を述べたり住民と対話したりしていたが、そんな間接的ではない生の意見や生活をもっと伝えてほしかった。ある意味で社会の反応に即しているとも言える。民放の夜の番組欄に大震災に関する生の特番は見当たらない。15-3-11

 

歯のクリーニングでスッキリ。2009年12月の歯の手術後から3ヶ月毎の検診を兼ねてのクリーングをやり始めて5年以上経過している。もっと間隔を空けてもいいのではと迷ったときもあったが『いやいや、治療より予防が大事』と思い直してここまできた。この間に治療をしたのは一度きりであとはクリーニングのみ。これからもずっと、おいしく食べられる生活のためにも続けていきたい。15-3-10

 

歩いて15分ほどのところにはかなり大きな100円ショップがある。スーパーの一角にあるようなサイズではなく、ワンフロアーすべてといった感じの広さで独立した建物になっている。こんなに広い場所の賃料でよく商売が成り立つなと思うが、人件費を抑えているのと塵も積もれば山となるで商品単価は安くても数で勝負しているのだろう。今日はホワイトボードのセットの3点で324円なり。15-3-9

 

近所の医院に顔を出し薬を処方してもらってからまだ2日目なのに胸の支えがすっかり引いた気がする。もちろん、すべてがそうとは言えないが体の痛みや病気には精神的な部分が影響する場合も多々ある。薬は1日朝食後の1錠のみで2週間分あるが、まだ2錠飲んだだけなので薬の効用と考えるには随分早い。とにかく治ってくれればいいわけで、今回の病院選択は正しかったとなってくれそうだ。15-3-8

 

自分が町中に住んでいるんだなと実感するとき。地下鉄駅まで20分掛かるとはいえ徒歩で行けること、日常的にふたつのスーパーを使えること、コンビニが徒歩3分のところにあること、そして3ヶ月ごとに歯のクリーニングしてもらっている歯科も今回の内科医院も徒歩10分圏内にある。そのうえ、いくつかあるので選択も可能なのだ。恵まれた環境に住んでいる有り難さを強く受け止めている。15-5-7

 

続き。午後、歩いて10分足らずの内科医院へ向う。不思議なものでいざ病院へ行こうとすると、急に症状が和らいだりするときがある。今回もそうだったので止めようかと迷ったがドアを開けた。聴診器を当てられて診察を受け、レントゲンを見なからの診断では「とくに異常は見当たらないので様子を見ましょう」とのこと。また今回も治療はなく出費したけれど安心を買ったと思えば安いのかも。15-3-6

 

2月中旬に耳鼻咽喉科で処方された薬のおかげで痰は止まってくれたが、耳鼻咽喉とは関係ないと言われた胸の支えが治まらないのでまずは呼吸器内科に行くことにした。大腸でお世話になっている病院に尋ねると午前中のみの診療とのことなので、以前から目にしていた近所の内科医院を調べると呼吸器も専門のひとつになっていたのでこっちに決める。ここなら散歩がてらに時間を選ばず行けそう。15-3-5

 

体内時計に救われる。朝方、目を覚まし枕もとの時計が7時15分になっているを見て驚く。その時計を確認すると7時にセットしてある目覚ましがオンになっていない。つまり、昨晩寝る前にオンにするのを忘れていたのだ。もう30年ほど昔の失敗談だが、電話で起こされたらそこに着いているべき時間を1時間もオーバーしているという苦い思い出がある。大きな差もなく起きられて平穏な朝に。15-3-4

 

札幌の2月の暖かさと降雪の少なさはやっぱり記録的だった。ただし、気温に関しては1887年(明治10年)以来三番目の高さだという。できれば一番と二番がいつだったのかも知りたかった。降雪は1953年以降最小の39Bだった。これは平年の147Bの3割以下だったことになる。それに反して道東地方では毎週のように暴風雪に見舞われてそちらも記録的だったはず。とにかく極端だ。15-3-3

 

先週土曜日は卒業式が迫っているため学校開放はないので、初めて夜の北区体育館へ仲間と行ってみると新鮮な感動に出会えた。そこで卓球とバドミントンとバスケっトを楽しんでいる9割近くが中高生なのだ。いつもは自分も含めて年寄りばかりに囲まれてやっていたのにそこでは我々三人だけが断トツの年配者になっていた。悲惨な事件があった後だけに明るく楽しげな若者達を見て心も洗われた。15-3-2

 

昨日の『ひとこと』で『明日からは新しいサーバのみになる』と書いたのに、今朝になっても両方共開けるのでどうして?と思って関連ページを見てみると『移行の済んでない人がかなりいるので終了期限を5月31日まで延長することにしました』とあった。親切と言えば親切な対応だが半年前から予告していた期限をあっさり延長するのも問題だ。しかし、移行先のサポート不備を考えると頷ける。15-3-1

 

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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